はじまりは、花吹雪 - 1
あの日、あの場所で出会ったのはきっと運命ー
なんて陳腐なことを思ってしまうくらい、人生を大きく変えた、君との出会い。
* * * * * * *
噂は聞こえていた。
この常春の国で、知らぬ者はない三大貴族。どれも年頃の子供たちがいて、彼らは貴族らしく、家同士の繋がりを確実なものとするための、婚約者がいる。幸いなことに争い事も少なく、平和な国であるとはいえ、家名のため、領民のため、家を盛り立て継続するためにも必要と考えるのが普通だろう。
そんな中、ある貴族はひとり娘だというのにその婿となるべき婚約者が未だ無いという。家名を繋いでいくには娘が婿を取るしかないのだから、家の存続のためにも幼い頃から婚約者の一人や二人、存在するのが普通だろうに、その娘がいよいよ社交界にデビューする年頃になっても、未だ。
許嫁の有無もだが、そもそもまったく姿を見ないその娘に、噂はどんどん広がっている。
大きな屋敷の中、大切に大切に育てられたひとり娘は、好き放題我儘なお姫様へと成長し、両親はその我儘を全て叶えられるだけの能力を持った婿候補を探している、だとか。
あの屋敷の美しい庭園が見える居室の豪奢な寝台に横たわり、咲き誇る花々を羨ましげに見つめる、病弱な娘である、だとか。
はたまたーーー
「跡を継ぐものが、実は居ない…とか、ねぇ。」
ルーカスは手元の紅茶に口をつけながらひとり呟いた。急な訪問に、屋敷の主人がまだ帰宅しておらず恐縮する家令に「待たせてもらう」と言って譲らず、美しい庭に面した応接室へと通されて数刻。彼には気の毒だが、王族であるルーカスを追い返すことなど、一家令には出来ない。それが分かっていて尊大な言い方をした。
常に整えられているのだろう、豪奢ながら落ち着きのある応接室からは庭に咲き誇る大輪の薔薇が見え、王城にも引けを取らない美しい庭に、気乗りしない仕事ではあったがせめてこの季節で良かったと前向きに考えることにした。
そう、ルーカスは職務の一環として、この屋敷を訪問しているのだ。
とはいえ、先触れも無しに訪問していることから分かるように、正式な仕事ではない。彼がこのような形で訪問したのは、前もって連絡をしていたのではきっと答えが得られないから。
今日、家主は領地の視察に出向いており、急ぎ伝令を飛ばしてもそうすぐに帰れる場所でもない。さらに彼は今回の視察には妻も帯同しており、つまりこの屋敷には今、先ほどの家令を筆頭に、使用人たちと……
そう。
どこかにいる、のかもしれないお姫様だけーーー
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お供も連れず、連絡も無しに急に訪問したのは、この屋敷のひとり娘に会うためだった。
国のためには三大家族の均衡は保たれるべきである。が、もしそのひとつが後継となる子女がおらず存続できないとなったら、ことである。国の未来のためにも事実を確認する必要がある、という理由づけもできなくはないがか、彼にとって大きいのはもう一つの理由である。実際、戦争も政治的問題もないこの常春の国で、例え貴族の均衡が崩れようとも議会での採決により解決策などすぐに出るだろう。
だが。
国のためではなく、王子としてではなく、ルーカス一個人にとって、人生を左右する大切なものがある。
人生を共に過ごす、伴侶問題だ。
ルーカスはまだ、未婚であった、
結婚適齢期の、王位継承権第一位の王子が未婚で、婚約者すら決めていないのである。
「ここにいるのかな、僕のお姫様は」
そう。ルーカスは、自身の妃探しにこの屋敷を訪れたのである。
* * * * * * *
最愛を見つけるまでは結婚しない。
柔らかな微笑みで、決して譲らぬと言い放った王子に、王城からは悲鳴が上がったというが。意外にもその両親、つまり現国王とその后からはあっさりと了承がおりた。
ただし王族としての使命を全うするためにも花嫁探しは期限をつけられた。期限までにルーカスが心から愛せる最愛の人を見つけられない場合は、国の有力貴族もしくは隣国の王族より妃を選ぶ、という条件付き。とはいえ王族が自分の意思で結婚相手を探すなど平和なこの国だからこその特例であろう。
ルーカスはそれから執務の合間を縫って社交の場に足を運び、機会があれば茶会にも顔を出し、数多くの令嬢と会ってきた。みなから愛されるであろう愛らしい娘、賢妃となれるであろう聡明な娘、一族の繁栄に欠かせない子を多く成せる家系の娘……妃としてであれば魅力的な令嬢たちだが、ルーカスの求める最愛は、残念なことにどこにもいない。その期限がいよいよ間近に迫り、さすがのルーカスも焦りはじめる。残すところ、城下に降りて人混みの中から運命的な出逢いを果たす、なんていう奇跡に縋るしかないのか、と諦めかけた時、或る家にまつわる噂が届いたのである。
どの貴族も率先して娘を引き合わせてきたから、三大貴族であり、この王子の嫁取り騒動に我関せずの姿勢を貫いていたあの家にまさかまだ娘がいるとは思いもよらなかったが、それまでして隠したいのは、何か理由があるのであろう。
年齢をきけば10も下の、理由あり姫と、結婚適齢期の自分。ここまで出会うことのできなかった最愛に、こんなところで会えるのだろうか。そもそもそんな幼い娘に、恋心は芽生えるのか。
最愛との出会いを願い続けたルーカスは、どれだけ探しても出会えない現実に諦めかけていた。最愛と呼べる存在に出会えずとも、政略結婚でも互いを尊敬しあえる伴侶であれば、などと考え始めたルーカスに、ここにきて父王からの指示が入ったのだ。
「お前が自分で行かぬのであれば、命じてやろう。あの家の、隠れ姫に会いにゆけ」と。
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お茶を淹れ直す、と家令が部屋を出た直後、ルーカスは腰をあげる。
素直に廊下に出たのではおそらくは扉の前に控えているであろう誰かに止められてしまう。行儀は悪いが、ルーカスは窓から薔薇の咲き誇る庭へ足を踏み出す。
綺麗に整備された庭は手前に薔薇が、奥には
手入れされた樹木が迷路のように配置されているようだ。平均より頭一つ高いルーカスこそ奥の薄桃の花々が見えるが、平均的な身長であれば大の大人でも隠れてしまう立派な樹々である。
少し離れた場所から屋敷を見れば、窓辺の様子から娘の部屋が見えるかもしれないな。
そう考えて、ひとまず薔薇に背を向け、迷宮の中へと歩き出した。
つづきます