3話:僕と彼女の昼休み
「一緒にお弁当食べませんか?」
「は?何て?」
僕は聞き返す。
僕を咎められる奴はいないと思う。今日も退屈な午前の授業を消化し、弁当を広げようとした。その時、清香が僕にいきなり言ってきたのだ。
「僕、わざわざ世の男子生徒の恨みを買って、ある日いきなり後ろから刺されたくなどないので遠慮しときます」
平穏って素敵な言葉だと思う。いや、不幸続きの僕に平穏があるのかと聞かれれば否だが。それでも平穏を愛する心は忘れたくないのだ。まぁ、清香に絡まれることも既に『不幸』かもしれないが。
「後ろから刺されるような生活送っているんですか!?」
天然かよ。
「主にあなたのせいでそうなりそうです。ということで関わらないでください。以上」
「私あなたに危害加えるつもりありませんよ!……ちょっと位良いじゃないですか」
そういう問題じゃないのだが。
清香が訴えると、クラス中の視線が突き刺さる。目は口ほどに雄弁。明らかに俺を批判している。
こんな視線の中断る勇気……というか無謀さを僕は持ち合わせていない。つまり僕の選択肢は一つだけだ。こういう日に限って光輝は学食に食べに行っているし。
「はぁ、一緒に食べたら良いんだよね」
「はい!ありがとうございます!!じゃあ、早速屋上に……」
我が学校の屋上は解放されている。春や秋はたまにそこで食べる奴もいるが、今は夏休み直前。日差しが一番辛い時期。刺々しい視線の中食べる方がまだマシというものだ。
「……ここで食べれば良いだろ?」
「……駄目ですか?」
うるうる。
生憎僕はそんな視線で心動かされはしないが、僕の背後にたまたまいてしまった岡崎英二くんはそうはいかなかったようだ。何かがクリーンヒットしている。今にも『萌えー』と叫びそうな形相だ。
……こいつわざとやってないか?
またしても断れる雰囲気ではない。
「笛吹!こんな可愛い子と昼食を食べられるんだっ!これ以上何を望むっ!?」
出来ることなら平和と幸福を望みたい所だ。言っても無駄だから言わないけど。
「……よく考えろ。目の前であの弁当を食べている光景は果たして幸せか?」
聞き耳を立てていただろう、クラスメイト全員が静かになった。
どんな威力だ、弁当。
だが結局、屋上まで連れ出された。理由は『あの弁当を教室で広げられると大惨事になるから』……納得してしまった自分がいる。
はぁ、不幸だ。
しょうがないので、観念して弁当を広げる。
それを見て、清香が歓声を上げた。
「うわぁ……凄いですね!」
「僕としては食材を使って、食べ物じゃないものを作る方が凄いと思うけど?」
そう指摘すると、清香バツの悪そうな顔になる。
「あ、あははは……料理は苦手なもので……」
「そういうレベルか、あれ?」
むしろ人知を越えた力が働いている気すらした。流石は自称魔女っ子……か?何か摩訶不思議なものが作用しているのか?出来ればそうであって欲しい。
「やっぱ、ヤバいと思います?」
「あれがヤバくなければ、世の中のどんな物がヤバいのか僕は分からないね」
つまりヤバさ最上級。
「そんなに!?」
「そんなに」
さらりと返すと清香は落ち込む。
「うぅっ……料理も出来ないなんて……魔女っ子失格ですね」
魔女っ子にとって料理は必須科目なのか?意外だ。
「例え料理が壊滅的に下手であっても、生活能力が皆無だろうと、清香には清香の良いところがあるはずだ、多分、きっと、そうに違いない」
「その言葉慰める気ありませんよねっ!?」
本日もナイスツッコミだ。
「そのツッコミがあるから大丈夫だと思うよ」
「私の存在価値ツッコミ!?」
僕はわざとらしく首を捻る。
「他に何か?」
「肯定された!?そこは否定してくれると思ったのに、思いっきり普通に肯定された!?」
反応が一々楽しい。
「じゃあ、違うと思い込んでいたら?」
「思い込みですか!?所詮思い込みなんですか!?」
世界は思い込みで出来ている……のかもしれない。
「うん。……あぁ、眠ぃ……」
「毎日どれだけの睡魔さんが襲撃なさっているんですか……?」
僕に聞かれても知らん。睡魔さんに職務質問してくれ。そんなこと出来たらの話だが。
「清香が膝枕してくれたら教えてもらえるかも?」
「えぇっ!?脈絡ないですよ!?……別に良いですが」
冗談だったのに、良いんだ?
赤く頬を染めて、清香は膝枕しやすいように足をそろえた。
「冗談だから本気にしないでよ?反応に困る」
「要求しておいてそれですか!?」
だって僕、別に膝枕してもらっても嬉しいなんて思わないし。大体、この炎天下で寝るほど僕は馬鹿じゃない。熱中症になって倒れるなんていう趣味は生憎持ち合わせていないし。
「世の中理不尽なことが一杯あるってことを学べたね」
「幸君が一番理不尽なことを言ってますからね?」
僕なんて存在そのものが理不尽の塊だけど?歩いてればたまたま車が突っ込んでくるようなことが、多々ある程度には。
「ふぅん、そう」
「反応薄いですよ!?」
「それが僕の持ちネタだから」
別に本当にネタというわけではないが。僕芸人じゃないし。
「え、そうなんですか?」
清香は天然だった。そのうち悪い男なんかに騙されないか、薄情な僕でも心配してしまいそうになる。
「……人の言葉を疑うってことを知ろうよ」
そう言うと、清香は眉をひそめた。
「何でですか?」
「いつか性質の悪いのに引っかかるよ」
安易に想像できるのが悲しいね。僕は別に清香に関わるつもりはないが、不幸になるのは忍びないし。
「私は騙されても大丈夫ですよ。誰かを信じられなくて怯えるよりは、信じて傷つく方がずっと良いです」
清香は目を閉じて、そっと胸に手を添える。何かを祈るようなその格好を、僕は眩しいものを見るように目を細めて見た。
「そ。まぁ、僕には関係ないしね」
「幸君は優しいですね」
……は?
僕があまりにも間抜け面をしていたのか、清香はくすくすと笑った。
「どこでどう思考回路が狂ってそんなとんちんかんな答えが出るわけ?」
「幸君、私を心配してくれたんでしょう?だったらやっぱり優しいですよ」
清香はにこっと笑う。
僕は何となく決まりが悪くて顔を逸らす。
あぁ、こいつ苦手だ。光輝と同じ感じがする。どうしようもないお人よしだ。そんなお人よしは尚更、近くにいて欲しくない。
「そういうのって妄想って言うんだよ」
「魔法って言うのは想像力が必要なんです」
微妙に話がすり替わってる気がする。故意なのか偶然代わったのかは知らないけど。
「魔法、ねぇ」
「あ、その目は信じてませんね?」
清香は少し拗ねたように、僕を睨む。
「普通に『私、魔女っ子なんです☆』なんて言われて、信じられる奴のほうが少ないと思うけど?」
信じられるのは妄想族くらいじゃないのか?僕はこれでも一応一般人だ。不幸だが。
清香も一理あると思ったのか、僕を睨むのを止めた。
「それも、そうですね。実物見ないと信じられませんよね」
……なぜか、嫌な予感がする。そして僕のこういう予感は『不幸』なことに、よく的中するのだ。悪いことに限って。
清香はくるりと回って、あたりを見渡す。こんなうでるような夏の日差しの中、屋上に出ている物好きは僕たちだけだった。
清香はそれを確認すると、小さく頷いて僕を見る。
「見てみます?魔法」
そう言って、清香はとても爽やかに笑ったのだった。
「遠慮しとく」
僕は即答する。
さらに面倒なことになりそうな予感がするし。
「でも、見ないと信じられないでしょう?」
「信じる必要性を感じないから、問題なし」
このご時世に魔法なんて本気で信じているような、イタイ人にはなりたくない。
「……いいえ、幸君は信じないと駄目です」
清香はポツリと呟く。
僕が清香を見ると、清香は慌てたように首を振った。
「き、気にしないでください!」
「そう言われて気にしない人間はいないと思うんだけど?どういう意味?」
問い詰めると、困ったように清香は黙り込む。
喋る気なし、か。
僕は小さくため息をつく。ため息をつくと幸せが逃げるだとか言われているが、僕の場合つこうがつかまいが幸せなんてものごっそりと夜逃げするかのごとく僕の前から逃げているので問題なしだ。自分で言ってて悲しくなるが。
「……今は、言えません。出来れば、言えないままが良いです」
ここが精一杯だと清香の視線が訴える。これ以上は問い詰めても喋らないだろう。
何だかとてつもなく面倒なことになりそうだ。
「ふぅん」
「……予想してましたが、やっぱり反応薄っ!?」
清香に予想される程度なんて僕もまだまだだな。
「それが僕の持ちネタ」
「それ二回目です!?」
「ネタもリサイクルの時代。地球に優しくエコロジー」
果てしなく棒読みで。
「そ、そうなんですか……って違うでしょう!?」
この頃ノリツッコミが板についていないか?
「ちっ、バレたか」
「そりゃバレますって!」
そうだったのか、へぇ。
「ただし、清香の弁当は地球にも人にも優しくありません」
「いきなりそんなこと言って酷いです!?でも否定できないです!」
自覚はアリなのか。一番酷いのは僕より弁当。
「清香の弁当のせいで環境省が視察に来ます。公害指定されます」
「そんなに酷いですが、そこまで言われると流石にショックですよ!?」
「清香は公害を作った元凶者として逮捕、告訴、判決、有罪、死刑、執行……」
「うわ、物凄い勢いで私殺されました!?弁当一個で殺されました!?上訴も何もなしで死刑執行ですか!?」
魔女っ子は案外、日本の政治について知っていた。流石案外普通の名前。普段着黒のローブじゃないし。
「こうなったら公害を消去するしかない」
「人の弁当をさらりと公害って呼び方で固定しないでくださいよ!?」
「真実は受け入れないと駄目だよ?」
胡散臭いほどの爽やか笑顔を発動させる。
「何ですかその笑顔?笑顔で全部流せると思ったら大間違いですよ!?」
ちっ、光輝ほど馬鹿じゃなかったか。
「それは残念。清香の弁当くらい残念」
「何でもかんでもそこに結び付けないでくださいよ!?」
だって、実に残念だし。あれは既に人類の神秘の域だ。
「そこまで弁当弁当言うなら私にも考えがあります!良い機会ですし、弁当消して見せますよっ!」
清香は自分の弁当箱(安全のためにまだ蓋は開けていない)に手を置く。一瞬、光が弾けたかと思うと、何も変化は訪れなかった。
「見てください!」
清香は得意そうに弁当の蓋を取る。
僕は自身の様々な粘膜を保護するために、鼻をつまんでそれを見た。
「……失礼の極みじゃありません?」
「しょうがない」
適当にそう答えながら、弁当箱の中を見る。弁当箱は水洗いでもした後のように綺麗だった。
「おぉ、臭いもなくなってる」
「着眼点はそこですか!?」
主夫をなめてはいけない。
確かにさっきまで異様なオーラをかもし出していた弁当の中身はなくなっていた。朝にクラスメイト全員でそれがあったのは証明されているし、さっき持ったら重かった。それを、蓋を開けずになくしてしまうのは不思議だ。
だが、しかし。
「魔法って地味だな」
そう思ってしまった僕は普通だと思う。
「呪文も杖もなしか……」
「それは誤ったイメージですよ。魔法って言うのはれっきとした技術です。集中力を高める時には、そう言った呪文だとか使うこともありますけどね」
清香はにっこり笑って、空に手をかざす。そこからパチパチと花火のようにカラフルな火花が散った。
「だから、不可能なことだってあります。魔法は全能じゃありませんからね。限度だってあります。何かするときに体力って使うでしょう?」
なぜこうも僕に説明するのかが分からないながらも、僕はそれを聞く。
「魔法を扱うのは感覚です。魔法使いとか魔女っていわれているのはそれが出来る人です。どうやって、と聞かれても知りません。幸君も自分が何で座ったり立ったり出来るのか聞かれても答えられないでしょう?」
つまり、出来るものは出来るってことか。
「魔法っていうのは魔力って物を扱う技術です。魔力は空気中に溢れていますが、使えばなくなります。酸素みたいなものだと考えてくださいね」
酸素、か。
「なければ、死んでしまうのか?」
「はい。皆さん、無意識に使っていますからね。魔法っていうのはその無意識を意識的に使うことです」
そう言われてもピンと来ないが。
「で、それを僕に言う理由は?」
そう切り返すと、雄弁だった清香の口が止まる。
「それは……
「こぉら、幸いぃぃぃっ!俺がいない間に天宮さんと二人きりで昼食食べるなんて良い度胸じゃねぇかあぁぁぁぁっ!」
屋上の扉をぶち破る勢いで、光輝が突っ込んでくる。闘牛を思わせる猛々しさだ。
僕がそれをひらりとかわすと見事に床とご対面していたが。
タイミングが良いのか悪いのか。
「光輝、お前が学食に行ってるから僕が一人になって絡まれたんだ。全面的にお前が悪い」
そう言うと、光輝は呆けた顔になる。額にある床でこすった痕がやけに痛々しいが。
「何ぃっ!?俺が全部悪いのか!?」
「あぁ。俺と清香が二人きりになったのも、清香の弁当が危険物指定されているのも、今日がこんなに暑いのも、地球温暖化が進んでいるのもお前のせいだ」
「さ、幸君……関係ないのが混ざってますよ?」
清香がおずおず声をかけるが、光輝を見くびってはいけない。
「ぬおぉぉぉっ!俺ってば罪なお・と・こ☆」
何が罪といわれれば、そのアホさだろう。
「光輝、その罪を償うためには学食のパンと飲み物を買ってこないと駄目だ」
「何!?それで俺の罪は償われるのか!?」
光輝の眼がキラキラ輝きだす。
「あぁ」
「行ってくるぜ!」
親指をぐっと突っ立てて、光輝は去っていった。単純で操りやすい奴だ。
「幸君、あの、光輝君でしたっけ……?彼にあんなことさせて良いんですか?」
「良いだろ。本人気付いてないしね」
それは実はとても幸福じゃないか?
「そういう問題ですか?」
「そういう問題。それにお前昼食ないだろ?」
僕は自分の弁当あるから良いけど。
そう言われて清香ははっとする。
「幸君」
「何?」
「ありがとうございます」
別に礼を言われることじゃないけど。というか、言うなら光輝に言えよ。
学食から帰還した光輝が、パシらされたことに今更気付いて僕に怒ったのは別の話だ。