2話:僕と彼女の初登校
〜♪〜〜♪
僕は耳元の携帯を掴もうとする。煩い。
うっすらと目を開けると、カーテンの隙間から夏の鋭い、しかし朝の緩やかな光が差し込んできていた。手の中でまだ騒音を奏でている携帯に目を向けると6時15分。あまり寝た感覚はないが、もう起きる時間だ。
起き上がり本日も殆ど意味を成さなかったタオルケットを投げる。んっと伸びをして、頭を振ると少し覚醒したようだった。後は麦茶様の恩恵で起きられるだろう。
麦茶様が喉を通られて、僕は今なさないといけないことを思い出した。
蛇口を捻って水を出し、米を研ぐ。朝食兼昼食兼夕食のご飯となるはずの米だ。米研ぎ歴十数年の僕は手際よくその作業を終わらせる。水を測って炊飯器にセット。スイッチを入れて風呂場へ向かう。
寝汗を流しすっきりした気分のまま、僕は制服に袖を通す。僕の高校は良くもなく、悪くもなく、進学校でもなく、特に部活に力を入れているわけでもない、いわゆる普通の高校だった。制服がダサくなかったのは嬉しいことだが。
そのままの格好でエプロンをつける。油がはねると厄介だ。
エプロン姿の現役高校生。なのに全く胸がときめかない響きだ。
手っ取り早く唐揚と、ほうれん草のおひたしと、玉子焼きを作って昨日の残りの肉じゃがと彩のプチトマトと一緒に弁当箱に詰め込む。我ながら良い出来だ。
そうこうしている内にご飯も炊けた。弁当箱に詰め込んで、冷ましている間に弁当の残りとご飯で朝食にする。
……朝っぱらからこんな主婦している高校生は珍しいのではなかろうか。
ま、必要に迫られてやっているだけど。料理は嫌いじゃないし。学食を毎日食べているとそれなりに食費はかさむし。
多めに作っておいたおひたしはラップに包んでそのまま冷蔵庫にしまっておく。ご飯もこの気温で腐らないように適当に冷えたところで冷蔵庫に。
「行ってきます」
かばんに弁当と教科書類を何冊か入れて僕は家を出る。もちろん返事なんてないけど。
鍵を閉めると丁度隣の住人……清香も家を出てきたところだった。
で、まぁ。清香は非常に見覚えのある格好をしていた。
具体的に言うと白いシャツに赤いリボン。紺色のチャック柄のプリーツスカート。つまり僕の学校の制服。
なぜだか酷く嫌な予感というか、半確信がある。
「あ、笛吹君!おはよう!!」
にこっと清香は笑ってお辞儀をする。さらりと黒髪が流れた。
「……おはよう。それと名前で呼んで」
僕は不幸だけども『うすい、うすい』呼ばれるよりは、女の子みたいな名前でも『さち』の方がいくぶんかマシだ。
まぁ、こんな思考も多少の現実逃避が混ざっていたりするけど。
「はい、分かりました幸君。私も清香で良いです」
嗚呼、なぜこの少女はこんな朝からテンションがやけに高いのでせう?
ふっと僕は遠い目をする。
「分かったよ、清香。……で、何でそんな格好を?」
「学校に行くからに決まってるじゃないですか!」
まぁ、その格好で他に行ったらびっくりだ。コスプレならアリ……か?
「それにしても良かったです。幸君が丁度出てきてくれて……まだ道分かりませんし」
……つまり学校まで僕についてくるということか?
「どうしよう、僕白昼堂々女の子にストーカー宣言されました」
「えぇっ!?ちょっ、待ってくださいよ!私は下心なく、道が分かりませんから……!」
清香はあたふたと慌てだす。ちょっと面白い。
「本当に?」
「本当に!」
「……本当に?」
じぃっと見つめると、清香の視線がバタフライしだす。
「……すみません、多少一緒に学校へ行きたいって気持ちはありました」
案外あっさりと白状したものだ。
それにしても僕と一緒に登校したいって物好きだねぇ。
「何で?」
「何でって……何となくじゃ駄目ですか?」
清香は心細そうな瞳で僕を見つめる。わぁ、有りもしない良心が疼くよ、その目は。反則技だね。
「レッドカード出すよ?」
「いきなりなんですか!?脈絡ありませんし!」
「僕の中にはしっかりあるから大丈夫」
僕の中にしかないとも言う。
「さらにわけ分かりませんからっ!」
「うん、分かってもらう気がないね」
「相互理解は大切ですよ!」
握りこぶしで清香力説。
「じゃあ僕を理解しようとする無駄な努力頑張って。……ふぁ、眠ぃ」
やっぱり遅くまでRPGのダンジョン攻略してたのが悪いかな。今日は学校だって忘れてたよ。
「またですか!また私は眠気に負けたんですか!?」
「睡魔さんは偉大な方です」
世の中の安眠は睡魔さんの力なり。麦茶様についで素晴らしい方かもしれない。
「寝てばっかりいたら脳味噌溶けますよ!?」
どんなホラーだよ?
「溶けても温度が低くなったら固体に戻るかも?」
「どんな脳ですか!?」
「そんな脳」
大体寝ると溶ける自体で普通でないかと。
「適当に答えてますよね!」
「よく分かったね?」
白々しく、棒読みに。
「当たり前です!」
「僕への愛への所為だね。……ふぁ」
「愛じゃありませんし、やっぱりしめは欠伸なんですか!?」
よく理解できてるね。
「どうでも良いけどそんなに叫んでると、無駄に注目集めるよ」
まぁ、もう手遅れだけど。そもそも容姿が並みじゃないし。
僕たちは学校まで100mといった地点まで来ていた。当然のごとく学生たちが周りに大量にいる。
で、その中で叫んでいる美少女が目立たぬはずがない。
清香はそれに気付くと、かあぁぁっとほほを染めて俯く。こういうところは美少女しているなぁ、と感心するよ。
「じゃあね。職員室は適当に行けばあるから」
「どんな説明ですか!?というか最後まで付き合ってくださいよ!」
声を潜めて、清香は僕に訴える。
「僕は無駄に目立ちたくないし。職員室の場所くらい誰かに聞けば懇切丁寧に教えてくれるよ」
見た目が優秀なのはこういうところが役に立つのだろう。
「じゃあね」
そう言って僕は先にすたすた歩く。少し振り返ると清香は、僕の助言どおり近くの男子生徒に聞いているようだった。男子生徒の鼻の下伸びまくりである。
と、僕に色んな方向から男子生徒諸君の非難の目線が刺さってくる。どうやらもう十分に目立っていたようだ。予想はしてたけど。
はぁ、不幸だ。
「幸!聞いたか!?今日、転校生が来るらしいぞ!!」
僕が自分の席に座ると、僕の机に突進してくる動物が一匹。いや、人間だけど、一応。
「煩いよ光輝」
「お前、相変わらず淡白な……。まぁ、良いや」
僕の友達と呼べるポジションに何故かいるのが、この光輝だ。まぁ、昔からの付き合いだから仕方ないのかもしれない。それにこいつくらいポジティブじゃなきゃ、僕とは付き合うのは難しいだろう。
「でさ、その転校生ってのが超美少女らしいぞ!」
まぁ、確かにアレは美少女だ。ツッコミ系だが。
「へぇ」
「予想してたけど反応薄っ!」
「僕が今更オーバーリアクションしたところを想像してみたら?」
光輝があごに手を当てて考え込み始める。こいつはこれが考え込む時の正しい姿勢だと信じて疑っていないらしい。
と、光輝の顔色がさっとひき、しまいには小さく震えだす。
「俺が悪ぅございました」
「分かれば良い」
どんなことを想像したんだか。
「そうだよな!今更幸が『えぇ、マジか!?見に行くぜ光輝!』とか言って嫌がる俺を無理矢理職員室まで引きずって行って、美少女に大興奮して鼻血出して倒れたりしたら、色んな意味で怖いな!」
どんな妄想だ。というか普段は逆の立場だ。
「105%ありえん」
「その端数はなんだ!?」
「消費税」
だから将来は120%とかになるかもしれない。
「何ぃっ!?そんなところにも消費税はつくのか。恐ろしい」
そして光輝は馬鹿だった。将来こいつが詐欺師に騙されないことを祈っておいてやろう。無駄に幸運だから、大丈夫な気もするが。
「恐ろしさが分かったら、日本消費税を集め隊に捕まる前に席につけ」
どんな団体なのか実態は不明。むしろ消費税を集めているのは国だが。
しかし光輝は並大抵の馬鹿ではない。群を抜く馬鹿さだ。
「そうだな!幸も気をつけろよ!!」
「あぁ」
むしろ一番気をつけるべきは、光輝の脳内だったが、そこは放っておいてやった。
「起立ーっ!礼!!」
朝のショートホームルーム。担任の英語教師が号令をかけると、全員頭を軽く前に押し倒すような動作をする。そしてそのまま着席。担任も別にそれを咎めようとはしないし。
「あー、知っている奴もいると思うが、今日は転校生が来た。天宮、入れ」
その一言で僕を除く全員の意識が扉へ向かう。普段は携帯をいじっている奴でも、今は扉を凝視していた。
それにしても僕のクラスに来るとは。
ガラガラ…
立て付けの悪い扉が開く。
さらりとした長い髪と、きっちり膝丈まであるスカートをなびかせて入ってきた清香は、自分が注目の的であるのを感じて少しはにかんだ。
そしてそのはにかみにやられた男子数人。ご愁傷様である。一瞬にして男を虜にする女、天宮清香、侮るなかれ。
清香は教壇に上り、僕たちのほうを見てにっこり笑った。
と、またこれで何人かのハートが撃ち抜かれる音が。
しかも本人自覚なさそうだ。性質が悪い。僕には関係ないけど。
「天宮清香です。これから宜しくお願いいたします」
クラスを見回して、もう一度にっこり。
はい、殆ど落ちたね。
『うおぉぉっ!来た!来たー!!』
僕は読心術など持ってないのに、何故か男子生徒諸君の心の声が聞こえた。
『く、悔しいけど私より美人だあの子…!』
ついでに女子諸君の心の声も聞こえた。
「質問は各自後でしてくれ。天宮の席は……」
僕の隣の席しか空いていないのは目の錯覚じゃないだろう。残念ながら。
「笛吹の隣だな」
「分かりました」
僕の席は一番後ろだ。清香が僕の隣の席まで歩いていると、嫉妬と羨望と恋慕などの様々な視線が突き刺さる。
本人割と涼しい顔だったが。
椅子に座って清香は僕に向かって笑いかける。
「宜しくね、幸君」
いきなりの本名名指し、しかも名前。
僕に殺気が向けられた。
不幸だ。
「幸いぃぃっ!貴様どういう了見だあぁぁぁっ!!」
他のクラスメイトが隣の席に群がる中、光輝が僕につめかかる。襟首はつかむな。地味に苦しい。
「どういうって?」
「なぜ雨宮さんと親しそうなんだ!?この俺を差し置いて!」
光輝を優先させなければならないなんてはじめて知ったぞ、僕。
「しょうがないだろ。昨日隣に引っ越してきたんだ」
「え?マジ?」
光輝の手が緩んだのを見計らって、その手を払う。
「こんな嘘ついて僕に何の得があるって言うんだよ?」
「そうだな!お前は損得で動く薄情な奴だな!」
……お前が僕をどう思っているか良ぉく分かったよ。まぁ、こいつには悪意は全くないから良いけど。それに否定は出来ないし。
「はぁ……。だから別に親しいとかじゃないって。ただのお隣さん」
「毎朝一緒に登校か!?弁当も作ってもらったり、食事も一緒に食べるのかぁっ!?」
どんな脳内変換がなされいるんだ、お前の中で。大体僕が家事全般得意なことを知っているだろうに。登校は否定できないのが悔しいが。
「違うって。大体僕が自分から誰かと関わると思うの?」
「お前、ま
「ええぇぇぇっ!?」
光輝の声は隣からの悲鳴とも歓声ともつかない声にかき消される。
「天宮さんって一人暮らししてるの!?偉ーい!」
「と言っても私は全然……家事も苦手ですし……」
清香は照れる。それがさらに男子のツボにはまっているらしい。心臓押さえてうずくまっている奴までいた。リアクション芸人?
「でも凄い!あっ、お弁当とかあるの?」
「い、一応は」
周囲が一気に色めき立つ。
「「「見たーい!」」」
クラス40人殆どの意見が一致した瞬間だった。
清香は困ったような顔をしたあと、諦めたようにかばんから弁当箱を取り出す。
「……見ても後悔しないでくださいよ?」
後悔するってどんな弁当だ。
主夫として僕も多少興味がある。
えいっと、清香が弁当箱の蓋を開ける。とむわゎぁんと何とも称しがたい臭いが、つんと鼻についた。何故か目も痛い、耳もおかしい。うっ、と口を押さえてうずくまる奴もいる。どれだけの攻撃力を誇っているんだ、この弁当は……!
見た目もやばかった。消し炭のような黒い物体と、最早食べ物かも怪しいようなぐちょぐちょの物体。何をどうやればこんなことになるのだろう、ご飯が溶けていた。
……これはもう苦手とかそういう領域じゃない気がしてきたぞ。
男子生徒諸君の願望がガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。
清香、無駄に面白いぞお前。