1話:とにかく僕と彼女の出会い
唐突だが宣言する。僕は不幸体質だ。
どれくらい不幸かというと、一日に一回は怪我をしかけるし、一週間に一回は交通事故にあいかけるし、一ヶ月に一回は救急車で運ばれかけ、一年に一回は霊柩車に運ばれそうになる。そもそも名字からして『笛吹』というのが不幸だと思う。中学くらいまではこれだけでからかわれたものだ。しかも名前が幸。せめて『こう』にして欲しかった。フルネームで書くと『笛吹幸』この名前だけで確かに薄幸だと思う。というか親父殿、母上殿、もう少し考えてから名前付けてください。
でも、あくまで一般人だった。……はずだ。多分。
蝉の鳴き声が聞こえる。うだるような熱気。ベタベタとまとわりつくシャツが気持ち悪い。それから逃れようと寝返りをうつと、真夏の強い日差しが瞼を貫いて刺さる。……最悪だ。目が覚めてしまった。
しょうがないので起き上がる。かろうじて腹の辺りにあったタオルケットを投げる。じんわりとかいた汗は不快感しか示さない。喉もカラカラ。
ベッド代わりの簡易ソファから離れて冷蔵庫の方向へ這って行く。寝起きなのに既に気力はない。HP、MPともにゼロだ。何があっても宿屋に泊まれば翌朝には元気一杯なゲームの主人公たちはマジ強いと思う。二日酔いとかも無縁だ。謎の液体とかで瞬時に回復するし。僕は麦茶を飲んでもいきなり瀕死から復活はしない。多少元気になるくらいには現金だが。
冷蔵庫を開けるとひんやりとした空気が肌を撫ぜていく。気持ち良い。しばらくこうしていたい。でも電気代が馬鹿高くなるから却下だ。キンキンに冷やした麦茶が喉を通る。冷たいものが通ったところから生き返っていくような感覚。一気にボトルの半分くらい飲んでしまった。また、沸かさないといけないな。買うのは高い。
暫くすると頭が冴えてくる。時間が経ったからというより麦茶だ。麦茶様様だ。ここはもう麦茶教でも立ち上げるしかない。教祖はもちろん僕だ。お布施で金儲けが出来る。麦茶を称えて金儲けが出来るなんて一石二鳥だ。嗚呼、流石は麦茶。命の水。人類最高の発明。僕以外に信者がいない気もするが、そこは気にしてはいけない。そんなことを考えながら僕は風呂場に行く。もちろん片手には麦茶神を携えて。寝汗をかくから夏は朝風呂が僕のポリシーだ。
熱いお湯が汗を流していく。髪を洗い、体を洗い、洗顔クリームを泡立てる。洗顔クリームはきめ細やかな泡でふんわりと包み込むように顔を洗うのだ。
その時だった。
ピンポーン
壊れかけのチャイムが鳴った。こんな朝遅くに誰だろう。僕は友達少ないからどうせ勧誘か何かか。ん、放っておく。それより美しく泡を立てるほうが先決だ。
ピンポーン…ピンポーン!ピポピポピンポーン!
今連打しやがったな?
ピッピピピッピピンポン♪
しかも遊んでやがる。……本気で誰だ?僕の知り合いでこんなことをしそうなやつは……いや、心当たりはあるけど奴なら有無を言わさず風呂場まで飛び込んでくるだろう。
僕はキュッと栓を締める。濡れた体もそこそこに拭いて、適当にシャツを羽織り、ハーフパンツをはく。
「誰かいませんか〜?ってかいますよね〜?思いっきり水音させてたくせに、私のこと無視してくれてましたよね?」
ドンドンと扉を叩かれる。安アパートの薄い扉だ。穴が開いたらどうしてくれる。
それにしても聞き覚えのない声だ。二十歳にもなっていないくらいの少女の声だろう。鈴を振るような声とはこういうことか。
そのくせに言葉遣いは妙に悪かった。しかも自分は思いっきり遊んでいたのは棚に上げている。声から判断する限り面識はないと思うのに。
「かったるいので、居ないということで納得しておいてください」
「あ、はい。分かりました。……って、思いっきり返事なさってますよねぇっ!?そんなので納得する人がいると思っているんですかぁっ!?」
納得しかけてたのに。
「あなたなら納得してくれるって僕、信じてますから……ふぁ……眠ぃ」
「そんな信頼要りません!それに私とあなた初対面どころかまだ対面してませんからっ!!しかも欠伸っ!?私の存在欠伸以下っ!?」
ツッコミ属性か。
しかも自分の存在地分かっているじゃあないか、優秀だな。
「うん、僕は眠いので。そろそろ寝ますね、おやすみなさい」
「あ、はい。おやすみなさい。……って何度私にツッコミさせる気なんですか!?それにこんな時間に寝ないでくださいよ!11時ですよっ!?あと一時間でタモリさんですよ!?」
むっ、タモリ派か。僕も別にみのもんた派ではないが。
「しょうがないなぁ。いい加減話を進めてくださいよ」
「あなたのせいですよねぇっ!?あなたが話し逸らしていったんですよねえぇっ!?」
「責任転嫁はよくない」
「はい、責任転嫁はよくありませんがこれは確実にあなたの責任ですよっ!?」
ちっ!丸め込めなかったか。
「僕の責任なんて誰がどこで何時何分何秒地球が何週回ったときに言ったんですか」
「何その小学生並みの屁理屈!普通に考えてそうでしょう!?」
「生憎僕はそう思いません……ふわぁ……」
あぁ、眠い。今日はバイトも学校もないから一日寝る予定だったのに、台無しだよまったく。
「物凄く自分中心に話し進められたうえ、また欠伸ですか!?というか少しくらい姿みせてくださいよ!」
僕の追っかけか?もてる男は辛いね。今まで一度たりとも告白なんぞされたことはないが。
「僕は謎の秘密結社に身を狙われているかもしれませんので、そう易々と姿をみせられないんですよ」
「何その理由!嘘つくならせめてもっとマシな嘘ついてくださいよ!?」
むぅ、わがままな。
「しょうがないなぁ……」
「あ、やっと……」
「僕は実は呪われた男で、僕を見た人は呪いがかけられるんです」
「さらにありえない嘘ですから!しかも私にはそんな呪いかかりませんて!!私魔女っ子ですし!!!」
ん?今何か聞き捨てならない単語がなかったか?『ま』で始まって『こ』で終わるような、やたらファンタジックな響きの?
「りぴーとあふたーみー?」
「何で英語でしかも平仮名発音!?」
「理由は神に聞いてくれ」
因みに無神論者だが。
「スケールが無駄に大きいですよ!」
「じゃあ、僕の母上様に聞いてくれ」
「母上様っ!?どこの時代錯誤野郎ですか!?」
ノリで言ってみただけだが。
「一般とのズレを自称魔女っ子の君には指摘されたくないなぁ」
どっちがイタイかというと、10人中12人は魔女っ子の方がイタイと言うだろう。
「そ、それは暗黙の了解って奴で……」
誰が何を了解するんだか?
「ということで僕はそんな君には顔を見せられません。あぁ、そう、うん。呪いかけられるし」
「かけませんて!ってか呪われるような心当たりあるんですか!?」
「ないと思う?多分」
「何で曖昧なんですかー!?」
どうでも良いが叫び続けて疲れないのだろうか。
「この世に絶対なんてないんですよ」
「カッコ良い言葉だけど使いどころ間違ってますよねー!?」
「何が正解か。それは僕自身が見つけていくんだ」
「だから何か違ーうっ!?」
ハイテンションだねぇ。元気だねぇ。僕は眠くてたまらないよ。やっぱり昨日遅くまでRPGのレベル上げしてたのが原因か。
「どうやら僕たちの見解の相違だ。君とはもうやっていけないよ、さようなら」
「だからさり気に追い返そうとしないでくださいよ!」
さりげなかったのか、僕。初めて知ったぞ。
「仕方がないな。玄関先で叫ばれ続けるのも邪魔なんで、とにかく部屋に入ってくださいよ。僕ご近所づきあいは大切にしたいんです」
「色々矛盾生じてますけど!というか私隣の部屋に引っ越してきた挨拶に来たんですけど!?」
引越し蕎麦はもらえるのかなぁ。
「早くそう言ってくださいよ。そうしたら邪険にしませんでしたのに」
「言う暇与えてくださいませんでしたよねっ!しかもやっぱり邪険に扱われてたんですか!!」
そうじゃなきゃ僕だってこんな意地悪しないよ。恐らく。
「細かいことは気にせず、どうぞ」
「細かく……いえ、もう良いです」
僕がドアを開けると、何か諦めた顔の少女が、僕の家の玄関先に佇んでいた。
多分少女は世間一般から言う『美少女』ってやつだった。
年のころは17,8だろうか。幼さを残す顔立ちだが、確かな美しさを秘めていた。
たれ目がちな黒い瞳は黒檀を思わせるほど深い黒で、艶がある。それをびっしりと囲む眉毛は長くマッチ棒が乗るのではないかと思うほどだった。薄紅の唇も小さな鼻もどれもが精巧な彫刻のように、美しく一部の狂いもない場所に配置されており、それでも人間味のある柔らかな輪郭。背中の辺りまである黒髪は癖がなく、夜空を流して固めたかのように黒く、しかしキラキラと輝く。
まぁ、最も。そんな美少女は今僕を軽く睨みつけていたのだが。
「そんなに熱く見つめられたら、僕照れますよ?」
「……はぁ。はじめまして。隣に引っ越してきました、天宮清香です」
あ、流された。
少女……清香が軽く頭を下げると、さらりと髪が揺れた。
「あぁ、はい。僕は笛吹幸です。……にしても案外普通の名前。格好も普通だし。つまらん」
清香は爽やかな空色のワンピースを着ていた。ふんわりとした裾が花の花弁を思わせる。
「人のそういうところに面白みを求めないでくださいよ!……これからよろしくお願いしますね」
「程々に。あ、僕の好物は肉じゃがなので覚えておいて損はないです」
「思いっきりたかる気ですか!?」
まぁ、自分で作れるけど。
「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません」
「……もぅ、良いです。これから、色々と……色々とお願いしますね」
何でそこを強調?僕は何もお世話する気はないのに。
僕の心の声に応えるはずもなく、タオルセットを押し付けて、清香は帰っていった。
む、夏にタオルセットは中々良いチョイスだな。やるじゃないか、清香。
まぁ、この昼前の出来が。僕の人生の転換期になったのだけど。