【転移前の日常】聖女の資質は、事務席にあった
これは、彼女がまだ「聖女」と呼ばれる前、
異世界へ転移するよりも前の、
ごくありふれた日常の一コマである。
某メーカー 〇〇支店 営業二課
営業 成瀬駿太(24)の場合
「申し訳ございません。雪の影響で物流に遅れが出ておりまして、ご連絡差し上げていた納期より、数日ほど遅れる見込みです。……はい。営業にも報告いたします。誠に申し訳ございません」
(堀さん、電話でも謝るとき、必ず頭下げるんだよなぁ。……ああ、かわいい)
斜め向かいの席で電話対応をしている先輩社員、
営業事務の堀ひかり(29)さんを、俺はこっそり観察していた。
天候の影響による配送遅延なんて、正直どうしようもない。
俺たちのせいじゃないし、誰かが責められる話でもない。
それでも堀さんは、取引先に対して終始、丁寧に謝り続けていた。
(あ、電話終わった。……こっち見た)
慌てて視線を逸らす。
「成瀬君。今、M商事の原田様から納期の件でお電話があったんだけど、この時期、××工場から出荷する製品は、もう少し余裕をもってお答えしてね」
(あ、今の俺の取引先か。そういえば、この前納期聞かれたな……)
「すみません。気をつけます。原田さん、大丈夫そうでしたか?」
俺がそう聞くと、
「うん。たぶん大丈夫。でも念のため、あとでフォローの電話をお願いね」
そう言って、堀さんは柔らかく微笑んだ。
それでこの話は終わり、と言わんばかりに袖をまくり、
デスクに積まれた書類を次々と捌き始める。
(……あ、表情変わった。かわいい)
俺はまた、こっそり堀さんを盗み見た。
五歳年上だけど、見た目は俺と同い年くらい。
小柄な体格、少し垂れ目がちな大きな目。
いつも一つにまとめられた、肩下までのさらさらなセミロング。
取引先にも、俺たちにも、分け隔てなく優しいところ。
――全部、好きだ。
強いて言うなら、たまにはスカートも見てみたい。
パンツルックしか見たことがないし、
髪型だって、たまには変えたら絶対に可愛いのに。
……なんてことを考えていたら、
今度は先輩営業の山下さんが、書類を持って堀さんの席にやってきた。
「堀。このB社の見積、いつもより安くなってないか?」
堀さんはすぐに書類を受け取り、該当箇所に目を走らせる。
「はい。来週提出と伺っていたので、来週開始のキャンペーンを反映しています。通常の掛け率に戻しますか?」
「いや、これでいい。ありがとう。次はこれ、頼むわ」
新しい書類を渡し、山下さんは自席に戻っていった。
……あ、また誰か来た。
俺も仕事頼みたいのに。
「堀さん」
「堀」
「堀さん」
取引先からも、営業からも頼られる堀さんは、いつも忙しい。
それでも彼女は、頼まれた仕事をほとんど断らない。
事務員は他にもいるんだから、
もう少し分担すればいいのに、と思う。
……でも。
俺のこの仕事も、堀さんにやってもらいたい。
営業事務 坂下このは(24)の場合
「申し訳ございません。雪の影響で物流に遅れが出ておりまして、ご連絡差し上げていた納期より、数日ほど遅れる見込みです。……はい。営業にも報告いたします。誠に申し訳ございません」
(また謝ってる。
天候のせいなんだから、こっちの責任じゃないでしょ。
対応しないでよ……私までやること増えるじゃん)
隣の席で面倒な電話対応をしている先輩社員、
堀ひかり(29)さんを、私は横目で見た。
雪の影響で遅延が出そうだから、
納期連絡は慎重に――
それ、事前に堀さん自身が事務員全員に共有してたはずなのに。
(自分はやってなかったの?)
「成瀬君。今、M商事の原田様から納期の件でお電話があったんだけど――」
(あ、成瀬の案件か)
「すみません。気をつけます。原田さん、大丈夫そうでしたか?」
向かいの席の同期、成瀬は、申し訳なさそうで、でもどこか嬉しそうな顔をしている。
(……何あの顔。キモ)
堀さんは、そんな成瀬に微笑んで答える。
それを見て、胸の奥がざらっとした。
私より五歳年上の堀さんは、童顔で若く見える。
小柄で、柔らかい雰囲気。
背が高くて、きつめの顔立ちと言われる私とは正反対。
――男受け、抜群。
成瀬だけじゃない。
ベテラン営業の山下さんも、また堀さんのところに来た。
「堀。このB社の見積、いつもより安くなってないか?」
(あ、それ。提出前に、私がチェックしたやつ)
「はい。来週提出と伺っていたので、来週開始のキャンペーンを反映しています」
「いや、これでいい。ありがとう。次はこれ、頼むわ」
(私も同じこと言われて、同じ説明して、返り討ちにあいましたよ)
山下さんの背中を見送りながら、心の中で毒づく。
「堀さん」
「堀」
「堀さん」
指名されるのは、いつも堀さんばかり。
だから、事務員の中で彼女だけが圧倒的に忙しい。
営業担当制にすればいい。
誰が見ても、そう思う。
……でも。
私は、彼女が言い出さない限り、
今のシステムのままでいいと思っている。




