ラベルタ・ハインリッヒという男。
「ラベルタ、ちょっと。」
マギウス魔法学院、魔術派第3号研究室。ペル・リードは、読書中の男に声をかけた。静かな森のような男だった。
男の名はラベルタ・ハインリッヒ。
彼はペルを一瞥すると、不機嫌そうに用件を話すよう目線で促した。
「ああいや、なんだ。レイス教授から課題出されただろ、魔術学。レポート。それでだなぁ…」
ラベルタは、歯切れの悪い態度のペルを見ると察したようにため息をついた。
要するに、手伝えと。彼がラベルタに同様の頼みをしたことは今回に限ったことではなかった。
「ペル、きみが何故学院に入れたか不思議で仕方ない。」
「奇遇だな、俺もそう思う。」
からからと笑うペルに対し、知ったことではない、とラベルタは有意義な活字の海へ目線を戻した。
それを見たペルは、「待った、待った」と彼の肩を掴んで身体の向きを変えさせる。
「オーケー、ラベルタ。取引と行こう。」
先ほどまでとは一変、強気に笑うペル。その様子はまるで、この話をすればラベルタは首を縦に振る、と確信しているかのようだった。
俄然、興味の湧いたラベルタは先ほどまで興味の最前線だった書物を綴じ、机の脇へ置くと、まっすぐとペルの顔を見た。
今回はいったいどんな材料を持ってきたか。ペルはわざとらしくあたりを見回し、顔を寄せ、噂話をする様に口元に手を添える。
「お前欲しがってただろ、エルフ言語の解読書。売ってる本屋を見つけたんだよ。その情報とレポートの写し、どうだ?」
がたり、と思わず音を立てて立ち上がる。普段より乱すことのない彼を知っている研究室内の同僚たちは、その様子を見て少しだけざわついた。一息を置いて、漸く気を取り直したラベルタは一言、つぶやく。
「ばかな。」
その言葉に、ペルはむっと眉間にしわを寄せる。疑われたことがだいぶ不服なようだ。
「俺が一度でもお前に間違った情報を渡したかよ。」
ちょうし者の彼だが、その言葉に嘘はない。
彼は課題や研究の手伝いの駄賃として、たびたびラベルタに情報を渡していたが、その全てが正確で、非常に有用なものだった。
その能力を研究に向けてほしいと常々ラベルタは思っているものの、その手腕を彼は他のどの情報屋よりも信頼をしていた。
「だからこそばかなと言っているんだ。」
「俺がレトネック中を周りに回って見つけられなかったしろものだ。学院の古書庫にも蔵書がない。それがあっただと?」
実際、ラベルタはその本一冊を探すために、夏季休暇をまるまる費やし、他の研究を放り、さらには闇市に潜り込むまでした。
それでも見つからなかったものを、最も信頼する情報源が「見つかった」と言った。
一瞬、ペルは別の本と勘違いをしているのではないか?という想像も過ったが、彼の実績がそれを否定した。
人差し指でこめかみを叩きながら、思考を巡らせる。ここは一つ、信じて聖プラウラウ教会の舞台から飛び降りるべきだ。聡明な彼はそう判断した。
「……先払いだ。もし本当ならば、今期の間きみが望むだけ助力しよう。」
ラベルタの出した答えに、ペルは満足げな笑みを浮かべると、ポケットからメモ布きれを取り出した。
「ほらよ、ここに売ってたぜ。提出期限は未だあるし、まあ期限の前日くらいまでには戻ってきて欲しいけど…明日にでも行ってこいよ。」
そう背中を叩くと、彼は言質取ったからなー!と上機嫌に研究室を出ていった。
友人のちょうしの良さに呆れながらも、メモに目を落とす。
走り書きのようで、字は汚いが長年の付き合いのおかげでなんとか読むことができる。
もしも一般人が見れば、エルフ語以上に解読は難航するだろう。
メモの住所を読み終えたラベルタは頭を抱え、雑巾の詰まったパイプオルガンのような唸り声をあげた。
「…ふざけるなよ。」
書かれていた住所は『サウザリア ガラチン ゴーバン区モンマス通り 3』。…隣国である。
ラベルタは一度大きく息を吸い、深い溜息を零す。そしてかんたんなメモを残し、財布と身分証明証をケープに押し込むと、鞄を片手に立ち上がる。
すると、その気配を感じてか、研究室の奥から若い女性の声がした。
「おい、ハイン!どこへ行くんだよー。」
ラベルタはそれを無視すると、そそくさと退室した。
「あ、おい待ってよ。寂しいじゃんか。」
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数刻後、ラベルタは舗装されていない道の上をがたがたと揺れ動く馬車に乗っていた。
「旦那、悪いが揺れんのは許しておくれよ!」
馬を引いているのは長身で、僅かに筋肉のついた女性。名前をパルミシア・サルコ=ドウェルゴと言った。
彼女はラベルタの顔なじみであり、世界最大規模の運送会社、パンサラッソ運送に勤めている。
そのため、各国を早馬車で駆け巡っており、この日はちょうど、サウザリア国内まで集荷の仕事があったので、国内まで乗せてくれるというのだ。
さらに本来ならば、夜方に出る予定だったのを、夕方のまだ、太陽が高い時間に出して貰えたのは彼にとってこれ以上無い僥倖だった。
「問題はない。」
愛想のないふうに答えるラベルタ。だが、パルミシアが丁度中央都市に居なければ、ラベルタは何時間かかけて(目的地と真反対の)首都まで行き、更にそこから手続きの面倒な旅客用の馬車に乗り、ひと月ほどかけて向かわなければならなかったのだ。
感謝の言葉の一つくらい、あっても良いはずだ。
「はは、相変わらず旦那はシヤイだねえ!マア任せな、あたしに任せりゃ直ぐ国境だよ!」
そうしないのはラベルタがパルミシアの性格を理解しているからだ。
彼女はそんなこと気にもとめずに快活に笑うと、忙しなく駆ける馬に鞭を入れた。
2頭の馬はそれに応えるように勇ましくいななくと、速度を上げて走り出す。
「……。」
ラベルタは車輪が石を割り、大地に跳ねる音など気にもとめずに、活字書に意識を落としていた。
数日後の明朝、馬車の動きがゆったりと変わる。
「旦那、ラベルタの旦那。国境に着いたよ。」
「わかっている。」
サウザリアの国境には高い壁が果てが見えぬほどの距離までに築かれている。この壁がないのは、サウザリア北西部の山岳地帯のみである。
さて、この壁を越えるにはどうしたらいいかというと単純な話だ、随所にある関所を抜ければいい。
ラベルタ達が到着したのはオリヴィエ地方のベリサルダ関所。レトネックから街道を使って一番ダイレクトに行ける関所であり、サウザリア国境関所の中で最も平和な道路関と言われている。
騎士国家の関所らしく、全身鎧に身を包んだ騎士たちが審査を行っている。
「そおいや旦那、旦那は何のためにサウザリアに?」
「買い物だ。」
「買い物かい!?その為に態々サウザリアに?レトネックで揃わなかった実験器具でもあったのかい。」
「個人的なものだ。趣味のものだよ。」
無口なラベルタも、パルミシアのおしゃべりには付き合わざるを得ない。しかしそんな風に他愛もない雑談をしていると、あっという間にパルミシアの馬車の番になった。
「トノール人か。パンサラッソ運送だな。積み荷は?」
「これがリストだよ。アア、あと旅行者を一人積んでいる。」
「旅行者?」
騎士が荷台を覗くと、木箱に靠れ掛かり本を読む男がひとり。
「きさま、身分証と通行証、そして―――」
「関銭だろう。1リアスちょうどだ。」
「あ、ああ。」
ラベルタはさっさと身分証に通行許可証、そして革袋から小銀貨を1枚を取り出して騎士に手渡した。
「…きさまマギアスのものか?」
「ああ。学生であり、研究員だ。」
「この国が魔法を否とする騎士国家サウザリアと、当然知ってのことだろうな?」
「ああ、魔禁法の事も知っている。領土内で魔力の行使をするつもりはない。」
サウザリアの騎士道法には、魔術的技術一律禁止法という法律がある。
要するに、魔法や魔法道具の類を使ったら罰せられる法律である。魔法使いからすれば正味たまったものではない。
「しかし、規則に則り身体検査を行う。」
「無駄だと思うが。」
心底くだらぬ風に吐き捨てるラベルタを騎士は睨みながら、ラベルタの荷物に魔法道具がないか探る。
程なくして、騎士の目に見慣れぬ腕輪が留まった。
ラベルタの瞳と同じ深さの緑色をした宝石が埋まった、黄金の腕輪。
腕輪型の魔法道具は珍しくもない。そしてそういった類には必ず魔晶石や魔石といった魔力の籠もった宝石が埋め込まれている。
騎士は訝しんだ。
「その腕輪は?」
「これか?魔法道具ではない。好きなだけ調べるといい、魔力は検知されないだろう。」
言われるがまま、騎士は腕輪を魔力検知の魔法道具で鑑定をした。
しかしラベルタの言う通り腕輪に魔力はなかった。
「納得はしたか?話は終わりか?時間の無駄という意味だが。」
「ふん、まあいいだろう。入国を許可する。」
とくに何事もなく、ラベルタとパルミシアは関所を抜ける。そして見えてくるのがジャレット領ベリサルダ。
朝早くだと言うのに、商人たちの喧騒が耳を楽しませる。
「サテ…あたしはここから南南西の街に向かうが、旦那はどっちだい?方角が一緒なら送っていくよ。」
「ガラチン、南東だ。」
「アララ…旦那とはここでお別れかい。また頼ってくれると嬉しいよ!」
パルミシアはそう告げると、ラベルタと別れの挨拶も交わさず早急に馬を走らせてしまった。
このなんというか、トノール人にしてはある種気持ちの良い性格が彼女らしいと言えるし、ラベルタが彼女を邪険にしない理由でもある。
「ガラチンまでは割とあるが…。馬を借りれば昼には着くか。」
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ガラチンはサウザリアでも2番目に大きな都市である。二十三の地区に分かれており、それぞれの地区によって街の様相がガラリと変わる。
その中でも、ラベルタの目的地ゴーバン区はというと…たいへん鄙びた町である。
「ここだな。」
ラベルタが立ち止まったのは、おんぼろ屋根の古本屋。
そのおんぼろさたるや、所蔵されている本よりも、この建築のほうが古いのではと錯覚するほどのものである。
失礼する、と声をかけて入店すると、外観からは思えぬほど綺麗に並べられた本達がラベルタを出迎えた。
「ほう。」
思わず息を漏らす。
彼はその偏見から、騎士国家の国民なぞ、騎士道だの正義だのを剣や槍と共に振りかざし、本などという儒的なモノは読まないか、持っていても乱雑に扱うような野蛮人のあつまりだと考えていた。
しかし実際はどうだ。この光景である。レトネックにおける学問の王道たるマギアス魔法学院と比べれば圧倒的に蔵書数に欠けるものの、その手入れの行き届き具合はマギアスと比べ遜色ない。
この店内を初見で古本屋だと認識する者がいれば、ラベルタは鼻で笑うだろう。
彼からすれば「この場所こそサウザリアにおける王立図書館その場所である」と言われても疑う気すら起きないほどだ。
感動に浸るのもほどほどに、ラベルタは目的の書物―――エルフ言語の解読書を探し始めた。
ありがたいことに、本の種類によって区分けされている。こんな配慮だって、都会の本屋でもそうそうない。
ラベルタは辞典や言語学の棚に一通り目を通す。あまり種類はない。
なのでさっさと見つかると思いきや、『共通語の成り立ち』だの『文字練習帳』だの、大陸外言語の参考書だの…唯一カストディアン言語の解読書なるものに興味が湧いたが、その薄さを見て信用を無くし、次の本に目を移す。
だがどうしたことか。無い。
他の棚か?それとも、貴重な本ゆえに裏に隠してあるのか。まさか、それならペルが見つけられるはずもなし。よもや売れてしまったわけではあるまいな?
そう悩んでいると、店の奥から老齢の男性が出てきた。
「客とは、めずらしい。なにか探し物かね。」
「店主か。いや、一冊本を探している。友人から、ここで見たと聞いた。」
「そりゃあ、古本屋で剣を探す馬鹿は居ないだろうよ。それでどんな本だい。」
「エルフ言語の解読書。耳に覚えはないか?」
それを聞いた店主は数瞬髭を撫でると、ああ。と思い出したように棚の裏に回った。
ラベルタもそれに付いていくと、そこにあったのは『処分予定品、特売価格』という札の掛かった小さな棚。
まさかと思い、その棚を凝視すると。
「…あ。」
あった。分厚く、古ぼけた表紙に手書きのアステ語文字で『エルフ言語解読録』と書かれている。
ばかな、と思った。こんな、貴重なものが特売棚に。というより、処分予定と。開いた口がふさがらなかった。
「見ての通りの店内だ、狭いくせに、小銭を稼ごうと古本を持ってくる客は案外絶えんでな。そのうえエルフ語なぞきょうび誰も知ろうとはせん。元々は金貨1枚で売っていたんだが、今はこの通り銅貨10枚だ。」
ラベルタが用意してきたのは、国境関所の通行料1リアスを含めたリアス銀貨40枚と、銅貨が40枚、ジークス金貨が2枚である。
リアス銀貨1枚で数日分のパンが買える。靴なら一足、簡単な旅宿なら3日分の宿泊費になり、一切無学の労働者の1日分の日当に値する。
ジークス金貨は、1枚でその50倍といえば、その価値がわかるだろうか。
ちなみに銅貨――――(銅貨は各国で違うものが発行されており、サウザリアにおける銅貨はグランと言う)―――の価値はリアス銀貨の10分の1の価値である。
「暴落が過ぎるだろう…!叩き売りなどという話ではないぞ店主!」
「とは言ってもだな。価値というものは希少性に限った話ではないだろうよ。需要―――この国に限っては、この本にそれはないのだ。」
ラベルタは頭を抱えた。おそらく人生で一番頭を抱えた。
この店内を見た時の感動は脳内のゴミ箱にダンクシュート。やはり騎士国家の国民は野蛮人だった。
そのさまを見た店主はふむと一息つくと、裏へ戻っていった。
店主が再び戻ってきた時、ラベルタはあまりの衝撃に店主が一度席を外したことすら気づいていなかった。
「して、青年。あなたはここらでは見かけん顔だが、外国人かね。」
「…?ああ、そうだが。」
「どうやってここまで来た?」
どうやって。レトネックからサウザリアまでは馬車で、ベリサルダからは馬で。
そう答えようとした瞬間、ラベルタの脳裏に過ったのは道中でのある出来事。
そして自分の格好。護身用の短剣すら身につけていない、あまりに軽装。
ラベルタは「この老人は自分を疑っている」と判断した。
「…馬でだが。何か、おかしいことが?」
彼の言葉に嘘はない。だが、疚しい事はある。その事を隠し通す自信はあったが、なるだけ聞いてくれるなよとラベルタは考えた。
その様子を見た店主が核心を突く。
「街道を?」
「いや、森を。」
「うそだね。」
ラベルタが嘘をついた時、間髪も無く店主は言葉を切り捨てた。
「街道を通ったのだろう。森の迂回路は木々が鬱蒼として、魔物も多い。」
「…そうだ。」
この老人に嘘はつけない。そういう人間がいることを彼は知っている。と言うより、研究室に一人、いる。部屋を出た時なれなれしく話しかけてきた女がそれだ。
ラベルタは観念した。
「街道を通った。きみが言いたいのは近ごろ街道に出てくると言う盗賊のことだろう?」
「出なかった、などとは言わんね?」
「……。」
この期に及んで嘘を重ねる気は毛頭なかったが、先回りをしようとしたらさらにその先を行かれていた気分になった。
そう、ラベルタはガラチンに来るまでのベルデ街道の途中で盗賊の襲撃を受けている。
だが見ての通り、ラベルタは何もなかったかのようにこの店にいる。
「私の目には、あなたがやつらの襲撃を防げるほどの武器を持ち合わせているようには見えんが。魔法使いか?しかし、魔法は禁じられているはずだが。そ知らぬ顔で魔力を使ったのか?」
店主の質問攻めにラベルタはひとつ、気づいたことがあった。店主の目である。
灰かかった右目に対し、左目が蜂蜜色に輝いている。
「――――魔眼か。おそらくは、真贋判別の。」
この世界では、しばしば眼に特別な力を宿して生まれてくる生物がいる。その眼を人類は魔眼と呼んだ。
しかし、魔法を嫌うサウザリアに魔眼の所有者が居るとはラベルタも思わなかった。
「質問を質問で返すのが魔法使いの礼儀かね?」
「独り言だ、是非は要らない。きみの質問に対する答えならば魔術師であることは認めるが、魔力の行使は否定する。」
そう言うとラベルタは店主に腕輪を見せた。
「これが答えだ。」
「これは…龍歴以前の遺物か?」
やはり、聡い。
ただ魔眼を持ち合わせているだけの老人ではない。
「ならばご存知だろうが、大陸法上、これらは魔法に該当しない。魔力を孕んでいないためだ。」
「しかし同時に、個人所有は認められていないはずだが。」
店主の言うことは最もである。これらの遺物は、発掘した国や研究団体などの組織での管理のみ認められている。
しかしラベルタは顔色ひとつ変えずに答えを返す。
「あまり褒められない手段を使った事は間違いない。きみが俺を通報し、犯罪者に仕立て上げたい特別な理由がなければ目をつむっていただけると助かるが。」
望むなら、くだんの本をもともとの価格で買うだけでなく口止め料も支払おう、とラベルタは付け足した。
それを聞いた店主は
「ははは。」
笑った。
実に愉快そうに。
「いや、なに。私はなにも聞かなかったということにしよう。あなたは勤勉な研究者で、私の顧客だ。」
髭を弄りながら笑う店主に、異様な感覚を覚える。
竜を目の前にしたような、決して油断をしてはいけない感覚。
たかだかいち研究者であるラベルタにそんな経験はないが、そんな風なものだった。
「私は気になった事を追求せずには居られぬ性格でね。ただ、興味本位で聞いたのみだ。」
その言葉の真贋を、こちらは確かめるすべはない。
だが少なくとも、今この瞬間この老店主は敵ではないと理解はできる。
頭の理解と体の反応は別として。
ラベルタにそんな反応を知ってか知らずか、店主は先程から後ろ手に持っていたものを取り出した。
店内に見えるいずれの本よりも古ぼけている。
しかし表紙の装丁に使われている革が上質なものであることは素人目にも見て取れる。
「ところで青年。エルフ語に興味があるというのならば、こういったものはいかがだろうか。」
そう言うとぱさらりと捲り中身を見せる。
知らない文字であった。
だが、見覚えがある。
「エルフ言語…?いや、これは」
「古代エルフ語だ。」
エルフというものは、長く生きて2千年という。
しかしそれほどまでに長く生きたエルフはそう居ない。
今からだいたい1400年ほど前、『白龍戦争』というグランバニア大陸史上最大の大戦によって、それ以前の文明や歴史は焦土と化した。
ラベルタやこの店主が生きる現代は、そのすべてを無に帰す程の戦争で残った残り滓から、7世紀ほどかけて復興され、660年前に漸く時を刻み始めた時代だ。
『白龍戦争』及びその後の空白の暦を生き抜いたエルフは恐らくそう居ない。
そしてそのエルフたちが使う言語こそ古代エルフ語と呼ばれているものである。
「驚いた、それこそまさに先史文明期の遺物そのものではないか。」
「ははは、世間一般に言う遺物は、龍歴後期の超高度文明によって作られた技術物だが、これも確かにそう言えるな。」
ぱたりと分厚い本を閉じ、癖のように髭を弄りだした店主。
「売ってやっていい。」
「買わせていただきたい。」
即答だった。
何か企みがあるのではないか、そんな貴重なものを本当にいいのか。そういった驚きの感情を追い越して、そんな言葉がラベルタの口から出てきた。
「しかし、良いのか。」
「私はもう読み終えた。内容も、一言一句頭の中にある。それよりも」
店主の足が動く。
向かった先、レジであろうか。
そこに掲げられていたのは蔓巻く巨木の意匠が誂えられた偶像。
「智慧あるマーニャのお導きだと、私はそう判断したよ。」
智慧あるマーニャ。
それはこの大陸で特に強く信仰される五柱の神の一柱・叡神ゼハッドラの異名である。
ときおり学問の神とも称されるゼハッドラを、店主は強く信じていた。
「あなたの言う通り事実、貴重なものだ。それなりの値は付けさせてもらうが、それでも良いかな。」
「きみにも生活があるからな。当然の判断と言える。」
そう言うとラベルタは、関銭である1リアスを除いた全ての資金が入った革袋を勘定台に乗せた。
「足りるか?」
「そんなに要らん。」
「きみという人間への敬意と、口止め料として。」
ふむ、と一息を入れた店主は、革袋からリアス銀貨を3枚ほど抜きとると残りを突き返した。
「こんなに貰っては罰が当たる。敬意というのならば、それを懐にしまうのもまた、敬意ではないか?」
「一理ある。」
突き返された革袋を、ラベルタは躊躇わずにしまった。
そこからしばらくの会話を経て、ラベルタと店主の間にあったものはおおよそ取り払われた。
「いい買い物をさせてもらった。」
「外国からここまで来るのには結構な手間がかかるだろう。だが、また来るといい。あなたの眼鏡にかなうような本はきっとほかにもあるだろうからな。」
「そうさせていただく。」
ラベルタが珍しく口角を少しばかり上げると、帰路に着いた。
…いや、よく見るとラベルタの手には先ほどまでなかったメモのようなものがある。
「さて、どこから観光するか。」
レポート提出期限のその日、ペルは泣いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「約束が違うじゃあないか!」
翌月のはじめ、ペルはビスケットを貪りながら抗議した。
しかし抗議されている当の本人は、喚く友人に目をも向けない。
くだんの本を含め、サウザリアで買い漁った本こそが今の彼に興味の最前線だ。
「ラベルタ、お前が契約を違えたのはこれが初めてだぞ。」
ぶす、と頬を膨らませたペルの言葉に、ようやくラベルタは視線を向けた。
「契約を違えた?」
ペルに対して、心底理解が及ばないような顔を見せるのはいつものことである。
が、今回はいつも以上に疑問符を向けている。
「だってそうだろう。おかげで俺はレイス教授に小一時間説教を食らったんだぜ。」
「レポート、出さなかったのか?」
「お前が契約を違えたおかげでな。」
よくよく考えてみれば逆ギレである。
しかし実際、ふたりがそういう約束をしたのは確かだ。
するとラベルタは不思議そうにしながら問うた。
「机に、残しておいただろう。メモ書き。見なかったのか?」
「え?」
買ってきた本をいくつかどかし、その下敷きになっていたメモを拾い上げ、ペルの方へ放った。
ラベルタはその直後再び有意義な活字の海へ意識を沈めてしまう。
「あ、おいラベルタ!…ええと、なに?」
ペルは手渡されたメモを読む。
『俺の単位はもう足りているので、俺のレポートをそのまま写すといい。引き出し三段目、一番上。』
おそるおそる彼はラベルタの机の引き出しの三段目を引く。
そこにはラベルタの書いた魔術学のレポートが、確かにあった。
そう、ラベルタはペルが頼ってきた時点ですでにレポートは終わらせていたし、研究室を出る前に確かにメモを残していた。
それに気づかなかった、ペルの自業自得である。
自業自得に、自業自得の重ね掛け。
ペルは足元から崩れ落ちた。
白龍戦争以前に使われていた暦を旧トリアス歴、白龍戦争と、空白の7世紀の後を新トリアス歴としてます。
ついでに、旧トリアス歴を俗称では龍歴、新トリアス歴は俗称で人歴とか呼ばれていたりします。
登場人物
ラベルタ・ハインリッヒ
年齢:27歳
性別:男性
種族:人間
誕生日:新トリアス暦633年7月12日
出身地:レトネック王国-サントリ
適正属性:風
信仰:天神デフレイア
所属:マギアス魔法学院 魔術派
肩書:マギアス魔法上等院魔術派研究官
ペル・リード
年齢:25歳
性別:男性
種族:人間
誕生日:新トリアス暦631年9月9日
出身地:レトネック王国-リプート
適正属性:火
信仰:天神デフレイア
所属:マギアス魔法学院 魔術派
肩書:マギアス魔法上等院魔術派研究官
パルミシア・サルコ=ドウェルゴ
年齢:23歳
性別:女性
種族:人間
誕生日:新トリアス暦637年11月5日
出身地:トノール帝国-ホワイトロッソ
適正属性:水
信仰:大帝、雷神
所属:パンサラッソ運送
肩書:パンサラッソ運送 第七配送部配送長
騎士…ターク・リン・アルベルト
年齢:32歳
性別:男性
種族:人間
誕生日:新トリアス暦628年1月31日
出身地:騎士国家サウザリア-ペンドラゴン
適正属性:火
剣術流派:サウザリア流騎士剣術
信仰:戦神
所属:サウザリア王国騎士団
肩書:サウザリア王国騎士団オリヴィエ支部ベリサルダ国境関所所属騎士
店主…バルスアミコス
年齢:72歳
性別:男性
種族:人間
誕生日:新トリアス暦588年1月31日
出身地:騎士国家サウザリア-ガラチン
適正属性:地
信仰:叡神ゼハッドラ=マーニャ
所属:古本屋アミコス
肩書:古本屋アミコス店主




