― ふたりの場所 ―
【高校1年初夏】
境内を吹き抜ける風が、木々の葉をさわさわと鳴らす。夏の初め、暑さの中にもまだ爽やかさが残っていた。
勇真は高校生活になじみ始めたこの頃、ふと部活の帰りに寄り道して、思い出の詰まるこの場所に足が向いていた。子どもの頃、よく凜と遊んだ場所。縄跳び、鬼ごっこ。
「あれ?」
石段の上に、人影があった。白いシャツにローファー姿の少女が、手を合わせて目を閉じていた。少し伸びた前髪のすき間から見える横顔に、勇真の胸が、なぜか静かに鳴った。
「凜?」
その声に、凜は驚いたように振り返った。けれど目が合った瞬間、微笑みが浮かぶ。
「勇真」
「びっくりした。どうしたの、こんなとこで」
「お父さんの検査、付き添い終わって。なんとなく、こっちに来たくなった」
「そうなんだ」
風が吹いて、凜の髪が揺れる。 二人は、石段の端に腰を下ろす。
しばらくの沈黙。
蝉の声が遠くで鳴き始めていた。
「ここ、昔よく来たよな」
「鬼ごっことか、縄跳びとか、携帯ゲーム持ってきて、みんなで遊んでた」
「うん。覚えてるよ。ほら、勇真が転んでさ。膝を擦りむいて」
ふたりとも、少しだけ笑った。その笑顔の奥に、言葉にできない何かがあった。
「わたし、あの頃いつも勇真の手当てしてて、それが理由かはわからないけど、お医者さんになりたいって思ってるんだ」
「それは凜にぴったりだね。
俺、ずっと神社来てなかったんだ。なんか、ちょっと、来づらくて」
あの日、読書ノートを勝手に見てしまったあの日から、何かが大きく変わった。
「やめてっ!」って言われた時の、凜の顔。あんなに怒った凜、初めてだった。俺は、凜に嫌われた。だから、神社にも来なくなった。凜にも会いづらくなった。
でも、今、目の前にいる凜は、あの頃と変わらない笑顔を見せてくれた。
少しだけ、ホッとした。だけど、心の奥がチクッと痛む。
凜がこの場所に戻ってきたのは何でだろう。よく分からない。
「俺、また来ようかな。ここ」
「うん。わたしも、また来る。さくらちゃんにも会いたいし」
「さくら、『最近りんちゃん来ない』って寂しがってるよ」
「うん、じゃあちゃんと顔出さなきゃね」
ふたりは顔を見合わせて、少しだけ笑った。
その笑顔は、まだぎこちなくて、でも確かに、昔のふたりに戻るための、小さな一歩だった。
「じゃあ、そろそろ行くね。もうすぐお父さん検査が終わるから」
「うん。またな」
その場に残された鈴の音だけが、昔と変わらず境内に響いていた。
【その日、凜の日記】
6月28日 晴れ
今日、久しぶりに神社へ行った。
鳥居をくぐった瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。懐かしい匂い。鈴の音。風の音。全部、あの頃と変わっていないのに、私だけが変わってしまったみたいだった。
勇真が来なくなった理由は、私を避けていたんだと思う。
でも今日そこで、勇真に会った。
「また来ようかな」って言ってた時、心の中で何かが溶けて、胸がじんわりと熱くなった。
もう、私のことなんてどうでもいいのかな。そんなふうに思うたび、神社に来るのが怖くなってた。
あ~あ、何でこんなふうになっちゃったのかな。
さくらちゃんにも、また会いたいな。勇真にも。
あの神社で、また少しずつ、前みたいに戻れたらいいのにな。
私、やっぱりあの場所が好き。




