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星願未遂  -ふたりの長いものがたりー  作者: つくね
7. はじまり

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59/70

― 気づき ―

【医学部6年春/神社の石段】


 凜が東京に行くまで、あと一年を切った。  

 それなのに、勇真はまだ答えを出せずにいた。  

 「東京に行く」という言葉を聞いてから、腹に大きな錘が入ったままだった。応援したい気持ちと、どうしようもない不安が、ずっとせめぎ合っていた。


「勇真、わたし、東京の研修病院に行くって決めたの」

 凜の言葉は、静かだった。でもその静けさが、勇真の心を揺らした。


 少し間を置いて、勇真は言った。

「またこの話か……地元にも病院はあるし、わざわざ遠くに行かなくてもいいだろ」


「凜がいなくなったら、学校であったことを誰に話せばいい?教育実習で生徒が変な質問してきたこととか、そういうの、全部凜に話してた。凜が隣にいるのが、当たり前だったんだよ」

 その言葉に、凜は目を伏せることなく、静かに答えた。

「それでも、行きたいの。わたし、成長したいから」


「成長って、凜は今のままで十分だろ。優しいし、真面目だし、患者さんにもきっと好かれる」

「違うの。わたし、ずっと誰かに守られてばかりだった。お母さんにも、お父さんにも、勇真にも」


「東京の病院は、研修プログラムが充実してる。それで、若い研修医が多くて、切磋琢磨できる環境がある。わたし、そこで自律したい。誰かの傘の下じゃなくて、自分の力で」


「どうして?」

 勇真は、石段に置いた手をぎゅっと握りしめた。


「凜が東京に行くって考えると、俺ひとり置いていかれる気がする」

「俺は、凜みたいに未来について考えることができないから。教職を目指したのも、透監督の背中を見ていいなって思ったからで。深く悩んだわけじゃない」

凜は、静かに言った。


「勇真は、選んでるよ。いつも、誰かのために。わたしのために」


 勇真は、凜の言葉に目を伏せた。

「でも、俺は凜みたいに、未来を見据えて動けない。今しか見てない」


 どうして、こんなにも話がかみ合わないんだろう。  

 勇真は、凜の言葉を聞きながら、ずっとその疑問を胸の奥で転がしていた。


 凜が目指す凜とした女性――それは、誰かに頼らず、自分の意志で立ち、自分の選択に責任を持てる人。  

 幼い頃から誰かに守られてきた自分への挑戦。

「絆創膏を貼る女の子」から、「命を支える医者」になるための決意。

 その姿は、自分の世界からは遠くて。 勇真には、どうしても理解できなかった。


 勇真は、目の前の人を守るために、考えるより先に動く。

 川に飛び込んだのも、凜を助けたのも、全部本能だった。

 透監督みたいな教師になりたい――その気持ちだって、じっくりと考えたわけじゃない。

 ただ、目の前にある温かさに惹かれて、直感で選んだだけだった。


 だから――  凜が「自分を変えたい」「自分の足で立ちたい」と言ったとき、勇真はそれを自分から離れていくように感じてしまった。


 彼にとっての幸せは「隣に凜がいること」

 凜にとっての幸せは「自分の意志で誰かを助けられること」


 そのズレが、勇真には理解できなかった。




 勇真は多忙を極める際中であっても、透のお参りを欠かさず続けていた。

 日々の仕事に忙殺される中で、透の仏壇に話を聞いてもらいに――

 勇真は手を合わせたあと、居間でお茶をいただいていた。ふと勇真は、仏間に飾られた若き日の透と沙耶の写真に目を留めた。


「これ、東京?」

写真には、大学のキャンパスらしき建物と、若い沙耶が文庫本を抱えて微笑んでいる姿が写っていた。


 沙耶が隣に立ち、懐かしそうに頷いた。

「ええ。私、東京の大学で英文学を学んでいたの。シェイクスピアやブロンテ姉妹に夢中だった頃ね」


「透監督とは遠距離だったんですか?」

「そう。透は地元で教職を始めていて、私は東京で文学に浸っていたある日、彼が『距離を置こう』って言ったの。

『君の夢を邪魔したくない』そういったの。

 それまでの透は週末はもちろん、時間を見つけるとすぐに新幹線で会いに来ていたの」

 勇真は、思わず息を呑んだ。


「でも、おばさんは?」

「私は、透が邪魔なんて思ったこと、一度もなかった。でも、彼は不器用だったから。私が自分のペースで成長できるように、あえてそう考えてくれたのよ」


 勇真は、凜の言葉を思い出していた。

 「やっと自分の夢を選ぶ事ができた」と話した時の決意に満ちた眼差し。

 誰かが、自分らしく生きられる場所を選ぶこと――それも、夢なんだと。


 そして、勇真は思った。

(俺は、凜の隣にいたい。でもそれは、凜が自分らしくいられる場所でなきゃ意味がない)

 その気づきが、勇真にとって凜を許すじゃなく、凜を応援するに変わる瞬間だった。


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