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星願未遂  -ふたりの長いものがたりー  作者: つくね
7. はじまり

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― おせっかい ―

【教師二年目/新学期】


 勇真は新学期になり、初めて一年生のクラス担任になっていた。


 昼休み明けのチャイムが鳴り終わると、教室のざわめきが少しずつ静まった。勇真が教壇に立ち、柔らかな声で言った。


「みんな、ちょっと聞いてくれるかな。今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。お父さんの仕事の都合でこの学校に転入になりました」

 教室のドアが静かに開き、そこに立っていたのは、制服の袖をぎゅっと握りしめた少女だった。うつむきがちで、視線は床の一点に固定されている。


「坂田千遥(ちはる)さんです。物静かな性格で、打ち解けるのには時間が掛かるところがあるかも知れないけれど、優しい子です。みんな、あたたかく迎えてあげてくださいね」

 勇真の言葉に、教室の空気が少しやわらいだ。千遥は先生の背中に隠れるように一歩前へ出るが、顔はまだ上げられない。


「坂田さん、ひとことだけ挨拶できるかな?」

 しばらく沈黙が続いた。教室の空気が張り詰める。勇真先生は、彼女の肩にそっと手を置いた。

「無理しなくていいよ。ここは、君のペースで大丈夫だから」

 その言葉に、千遥はほんの少しだけ顔を上げ、かすれた声で言った。

「坂田千遥です。よろしく……お願いします」


 その声は、教室の隅まで届くほど大きくはなかったが、みんなには届いた。誰かが「よろしく」と優しく返すと、次々に「よろしくね」「待ってたよ」と声が続いた。


 勇真は微笑みながら言った。

「ありがとう。千遥さんの席は、窓際の三列目。隣は、瑞希さん。いろいろ教えてあげてくれるかな?」


 瑞希はにっこり笑って「うん、任せて」と答えた。

 千遥は小さくうなずきながら席へ向かう。その背中に、勇真の声がそっと届いた。

「焦らなくていい。すぐにここが過ごしやすい場所になるからね」




 転校してきたばかりの千遥は、昼休みになるといつも図書室にいた。話しかけられるのが苦手で、本の世界に逃げ込むように静かに過ごしていた。


 クラスの男子はそんな彼女の壁を感じ、近づくことをしなかったが、孝範だけは、千遥に何度か「お昼を一緒に食べよう」と声をかけていた。でも千遥は目を合わせずに立ち去ってしまう。孝範は「嫌われてるんだ」と思い、次第に距離を置くようになった。

 その姿は担任の勇真も目にしていた。


 そんなある日、図書室の棚を整理していた勇真は、千遥の姿をふと見つめていた。彼女が静かにページをめくる様子に、心の奥が少し疼いた。

――高校時代、同じように図書室の隅で本を読んでいた凜。人見知りで、誰とも話さず、でも時折見せる小さな笑顔が記憶に残る。


 そして、もうひとつの記憶がよみがえる。

「ここ、公式の使い方が違ってる。勇真は進級がやばいんでしょ、教えるよ」

 二人は図書室の隅で並んで座り、凜が静かに説明し、勇真が何度も頷きながら問題を解いた。

 試験結果はぎりぎり合格だったが、俺にとって何より大きかったのは「自分に関心を抱いてくれていた」ことだった。


 今、千遥の姿に、あのときの凜が重なる。

 勇真は、千遥の読んでいた本を手に取り、そっと言った。

「この本、孝範もよく読んでたよ。よかったら、感想をお話ししてみたら?」

 千遥は驚いたように先生を見つめるが、何も言わずに本を受け取る。


 翌日、図書室で隣同士になった二人。孝範が読んでいた本に千遥がふと目を留めて、「それ、続きが面白いよ」とぽつりと話しかける。

「あまり話しすぎるとネタバレになるけど、特に二人で旅行に行くところ」


 孝範は驚いて「話しかけてくれたの、初めてだね」と言うと、千遥は少しうつむいて「ごめん。前に声かけてくれたとき、緊張して返せなかっただけ。無視したつもりはなかったの」と答える。


 昼休みの図書室には、二人の静かな笑い声が少しずつ増えていった。そして、勇真のまなざしの中には、過去と現在がやさしく重なっていた。




 春の夜、窓の外には風が吹いていた。勇真は職員室での仕事を終え、駅前のカフェの隅の席で凜と一緒に今日の出来事を話している。


「今日、ちょっと嬉しいことがあったんだ」

 凜は振り返って微笑む。「また生徒に告白されたとか?」


「違う違う、今までそんな事一度もないし。えーっと図書室でね、転校してきた千遥って子が、クラスの男子と初めて話したんだ。ずっと誰とも話す事がなかったのに、ぽつりとこの本の続きが面白いよって」


 凜は湯気の立つカップを差し出しながら、「それ、すごくいいね」と言った。


 勇真はソファに腰を下ろし、紅茶をひと口飲んでから、少し遠くを見るようにして話し始めた。


「千遥の姿が、昔の凜に重なったんだ」

 凜はカップを両手で包みながら、静かに頷いた。


「あの頃の私は、話すのが嫌だった。誰かに何かを伝えるのも、間違えるのも、自分を出すことが恥ずかしくて嫌だった。勇真には昔から知ってたからできたんだろうけど」


 二人はしばらく黙って紅茶を飲んだ。その沈黙は、心地よく、あたたかかった。


「今日の千遥も、きっと話しかけるのが怖かったと思う。でも、孝範が『話しかけてくれて嬉しいって』言ったとき、彼女の顔が柔らかくなったんだ」


 凜はそっと勇真の手に触れた。

「勇真の言葉、千遥ちゃんにも伝わってるよ。きっともっとみんなにも心を開いていくんだと思う」

 勇真はその言葉に微笑んだ。


 窓の外には、風に揺れる街路樹の影が映っていた。二人は静かに寄り添いながら、過去と現在がやさしく溶け合う時間を過ごした。


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