― 第一歩 ―
【春の朝/高校・正門前】
桜の花びらが、風に乗って舞っていた。校門の前に立つ望月勇真は、ネクタイを少し緩めて深呼吸をした。
(教育実習の時は、ペンダントを見られて大変な思いをしたから、今日はしっかりとシャツの下に潜ませておこう)
玄関では、高校二年生になったさくらが制服姿で待っていた。
「お兄ちゃん、初日なんだから遅刻しないでよね。先生が遅刻とか、ダサすぎるから」
「分かってるって」
「よし、行くか」
スーツ姿の自分に、まだ少し違和感がある。
昇降口をくぐると、すれ違う生徒たちが、ちらちらと視線を向けてくる。
「え、あの人、新しい先生?」 「なんか若くない?てか、イケメンじゃない?」
そんな声が聞こえてきて、勇真は苦笑した。
職員室に入ると、教頭が立ち上がって迎えてくれた。
「望月先生ですね。今日からよろしくお願いします。まずは朝礼でご挨拶を」
「はい、よろしくお願いします。一年生の数学を担当します。」
その声は、緊張で少しかすれていた。
職員室の空気は、どこか張り詰めていて、学生時代とはまるで違う。先輩教師たちの視線が、少しだけ厳しくも温かい。
「若い先生が来ると、空気が変わるね」
「テニス部出身なんだって? 顧問、お願いしようかな」
そんな声が聞こえてくる。
【体育館/始業式】
壇上に立つと、目の前には整列した生徒たちの海。その中に、見慣れた後ろ姿があった。
さくらだ。
勇真は、妹の姿を見つけて、少しだけ口元が緩んだ。
「えー、本日より本校に赴任いたしました、望月勇真です。数学を担当します。まだまだ未熟者ですが、皆さんと一緒に学び、成長していけたらと思っています。よろしくお願いします」
【教師になって数週間後】
「望月先生、進路指導の資料、今週中にまとめてくださいね」 「はいっ、えっと、今週中ですね。分かりました!」
机の上には、未処理の書類が山積み。授業準備、部活の顧問、初任者研修、校内外研修、保護者対応、――すべてが初めてで、すべてが手探り。
けれど、勇真は弱音を吐かない。吐けない。
(透監督なら、こんな時どうしてただろう)
【職員室/夕方】
「望月先生、来週の数学科会議、出席お願いします」 「はいっ、えっと、資料はどこに?」
机の上には、授業準備のプリント、部活の予定表、進路相談のメモ――どれも“先生”としての責任が詰まっていた。
ふと、隣の席の先輩教師が声をかける。
「望月先生、授業、評判いいですよ。生徒が数学ってちょっと面白いかもって言ってました」
「ほんとですか? それ、めっちゃ嬉しいです」
【放課後/テニスコート】
「望月先生、今日の練習メニュー、どうしますか?」 「うーん、じゃあ、まずは基礎から。フットワークとボレーの反復でいこう」
顧問としての顔。かつて自分が補欠だった頃、翔太がエースとして走っていたコート。今は、自分が指導する立場になった。
夕焼けの中、ボールを拾いながら、生徒たちの声が響く。
「先生、サーブのフォーム、見てください!」 「おう、いいぞ! そのまま、ラケットを振り抜いて!手首のプロミネーションでポールの回転量が変わってくるぞ!」
汗をかきながら、勇真は走る。教室でも、コートでも、職員室でも。
多忙を極める日々――けれど、どこか満たされていた。
【夜/望月家のリビング】
「さくら、今日の授業どうだった?」 「え、なんで?わたしの学年じゃないのに」
「いや、気になっただけ。2年生って、進路とかで悩む時期だろ?」
「うん。あたしも、ちょっと考えてる。将来のこととか」
勇真は、妹の横顔を見つめながら、教師としての責任と、兄としての想いが重なっていくのを感じていた。




