― また言う ―
風が変わった、と勇真は思った。
アスファルトにまだ夕方の熱が残る砂の浮いた海岸沿い道を歩きながら、凜の肩にかかる髪がふわりと揺れた。
「なあ、ひとつ聞いていい?」
「ん? なに?」
「高校最後の試合の時、俺、手のひらケガしてたじゃん」
「俺、誰にも言わなかったんだ。テーピングの下、血がにじんでたの、バレないようにして。試合中は全然痛み感じなかったんだけどな。気づいたら、握力なくなってて、サーブまともに打てなくなっててさ」
「それでも最後までコートに立ってた。すごかったよ、あの時の勇真」
「あの時凜が抱きついてきて。泣きながら『バカ』って言ったろ?あれ、ずっと頭から離れなかった」
「……」
「正直、あのときの凜の言葉が一番効いた。体より、そっちのほうがズキンってきた」
「ごめん。でも、止められなかったの。血がにじんだあなたの手を見て、どんな気持ちで試合に出てたのか想像して、もう無理だった。『なんでケガしたって言わなかったの?』って責めたいのに、それ以上に、頑張ってた勇真の姿を追ってて、自分の気持ちを抑えられなくなって……後で思い返したらすごく恥ずかしい事してた」
「泣いてたね。俺、何も言えなかった」
「言わなくてよかったよ。私のほうが勝手にしたんだもん。翔太くんと付き合ってるくせに、あんなふうに抱きついて、ほんと最低だったと思う」
「俺、嬉しかったよ」
「え?」
「ケガもして、試合に負けもして、最後の試合だったからチームメイトと一緒に泣くつもりだった。でも、凜が抱きついて来たから、全部吹き飛んだ。勝ち負けとか、痛みとかじゃなくて、ただ嬉しかった。なんであんなに泣いてたのか、なんで『バカ』って言ったのか、ずっと気になってた」
「そうだね。言ってなかったけど、あのとき本当は、試合中に何度も大きな声出して応援してた。私らしくなくて、後で考えるとすごく恥ずかしかった。まわりにたくさん人が居たのに。でも勇真がコートで戦ってる姿を見ると、なぜか力が入っちゃうの。たぶん周りの人にはバレてたと思う」
「凜の声援、なんとなくだけど、伝わってきてた」
「なんで言ってくれなかったの?」
「凜には翔太がいるって、わかってたから。俺の気持ちが全部バレたら、翔太と付き合っている凜を困らせると思った」
「ばか!私だけが興奮してて、燃え上がっちゃってて、今さらだけど恥ずかしいじゃん」
「また、ばかって言われた!」
海風が、二人の間を優しく撫でて通り過ぎた。
勇真の手を握る凜の指先に、あのときと同じ温もりが返ってくる。
ふと見上げた空には、淡くにじむ三日月。
夏の入口で、何かが静かにひとつずつほどけていく気がした。




