― 味方 ―
【凜 小学4年時代の回想】
まだランドセルを背負っていた頃のこと。
「おーい、地味子〜! なに読んでんの、またヘンな本〜?」
放課後の教室。
ランドセルを背負った男子たちが、凜の机のまわりに集まり、ひやかすような声を上げた。
凜は小さく肩をすくめ、持っていた図書をそっと閉じる。
「読んでただけ、だから……」
「お前さ、ちょっと変だよな。いつもひとりで、本ばっか読んでさ」
「気持ちわる〜」
ひとりが本を奪おうと手を伸ばした瞬間だった。
「やめろよ!」
勇真の声とともに、バン、と机が揺れた。
「な、なに? なんだよ、お前」
「何してんだよ。そんなの、いじめだろ!」
「はあ? ただのジョーダンだし」
「ジョーダンでも、やめろって言ってんだ!」
勢いのまま、勇真は男子のひとりに肩からぶつかっていった。
「うわっ、なんだよ!」
「やめろよっ!」
3人を相手にしての、もみ合いの中、ひとりの勇真は力及ばず突き飛ばされた。
ドンッ!
鈍い音がして、勇真の後頭部が机の角に当たった。
「いてっ!」
勇真の体が、床に崩れる。
「いっ、いってぇ」
凜は凍りついたようにその場に立ち尽くした。
すぐに担任の先生が駆けつけ、騒ぎはおさまったが、その日、勇真は保健室で手当てを受け、翌日には十円ハゲができていた。
【翌日の昼休み】
勇真が教室の窓際で校庭を見ていると、凜がそっとやってきた。
「あの、昨日はありがとう」
「え? あー、全然いいって。あいつらウザかったし、りんに向かって3人でやって来るなんてひきょうだし。でも俺ひとりじゃ何ともならなかったわ」
「それでも、わたしを助けてくれた。それにケガまで」
「平気平気。ちょっと血が出ただけだけら」
「でも、すごく痛そう」
凜の声は、小さく震えていた。その手には、絆創膏が数枚。
「これ、使ってもらえるかわからないけど」
勇真は、きょとんとした顔で受け取る。
「サンキュ。りんってさ、けっこう優しいよな」
「そんなこと、ないし」
俯いた凜の耳が赤くなっているのを見て、勇真はくすっと笑った。
その日の帰り道、風に吹かれながら勇真は思った。
(おれ、別に強くなんかないけど、りんが困ってたら、知らないうちに身体が動き始めている。おとなしくて、か弱いりんだから、おれが守らなきゃ)
そのときはまだ、擦りむき傷を手当てしてくれる優しい凜を助ける、使命感で行動していた勇真だったが、それが好きという気持ちのはじまりだとは気づかなかった。
この時期、凜は勇真を弟のように大切に思い、やんちゃな彼の世話を焼くことが多かった。勇真は、ただ無邪気に毎日を楽しんでいたこの頃だった。
ただ、凜の中では勇真が自分にとって大きな存在になりつつあった。
(あの時、男の子たちに囲まれて、私は怖くてどうしたらいいのか分からなかった。
でもまた、勇真が助けてくれた。あの時、ちゃんとお礼の言葉を言えばよかった。
わたしにはこの人しかいない……)
【凜 小学5年 望月家のキッチン】
「凜ちゃん、玉ねぎ、お願いできる?」
「はーい!」
包丁を握る小さな手が、少しぎこちなく玉ねぎに添えられる。
今夜は地元の七夕まつり。望月家へ相原家が呼ばれ、一緒に夕食を楽しむ日だった。
一人早く望月家に来ていた凜は、勇真の母・陽子と一緒に夕食のお手伝い。
「指、切らないようにね。猫の手、猫の手~」
「ねこの手ね」
言われた通りに指を丸めて、慎重に包丁を下ろす。
「凜ちゃん、もう上手になったね。最初のころなんて、玉ねぎ剥くのにも泣きそうだったのに」
「最初は、本当に泣いたかも、目がいたくて」
そう言って小さく笑った凜に、陽子はふふっと肩を揺らす。
「でも泣き顔も可愛いのよ。おばさん、凜ちゃんみたいなお嫁さんが来てくれたら嬉しいなあ~」
「えっ」
急にそんなことを言われて、凜は手を止めて真っ赤になる。
「な、なんでそんな」
「だって、ちゃんとしてるし、優しいし。さくらも懐いてるしね」
「さくらちゃんは、みんなになついてまーす」
「でも特別なついてるのよ。凜ちゃんだけには、声のトーンが違うもの」
その時、リビングの方から勇真の騒がしい声が聞こえてきた。
「なにやってるんだ、ジャイアンツ」
「大事な3連戦なのに、」
「おいっ、さくら、勝手にチャンネル変えるな、今いいとこなんだから」
台所に響く騒がしい声に、陽子がくすっと笑う。
「凜ちゃん、本当は静かな方が好きでしょ? 本とか読んでる方が落ち着くんじゃない?」
「でも、ここだと、なんか落ち着くんです。ここが好きなんです」
一緒に立つ台所は、どこか特別な場所だった。ただのよその家ではなくて、安心できる場所になっていた。そして勇真と同じ空間に居られることが、この上ない歓びだった。
それは、凜が少しずつ、勇真家にも溶け込んでいった証だった。




