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星願未遂  -ふたりの長いものがたりー  作者: つくね
5. 星を繋いだ日

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33/70

― もう、離さない ―

【大学3秋 凜の自宅】


 しとしとと、秋の雨が降っていた。

 喪服に身を包んだ人々が、相原家の門をくぐっていく。

 場所は四十九日の凜の家。望月家もお参りに来ていた。


 望月家の面々も、静かにその門をくぐっていた。


 勇真は、黒いネクタイを整えながら、ふと前を歩く母・陽子と妹・さくらの背中を見る。

 さくらが珍しく緊張した面持ちで、無言のまま歩いていた。


 室内に通されると、仏間には凜がいた。

 黒のワンピースに白い襟を合わせた喪服姿。

 眼差しは静かに、仏壇に向いていた。

 頬が少しだけ痩け、表情も大人びて見えた。

 けれど、その姿には、どこか少女のような儚さも残っていた。


 勇真が部屋に入ると、凜は静かに立ち上がり、会釈をした。

 二人の間に、言葉はなかった。

 凜が一人、窓のそばに立ち、外を見ていた。


 勇真が声をかけようとしたとき、凜が先に気づいた。

「……勇真」

 何かに頼るように、縋り付くような声。

「うん」

「親戚の人たち、みんな帰ったよ。二階に来る?」

 彼女は親戚へのご挨拶を一通り終え、安堵の声。その声は、少しだけ掠れていた。


 勇真は黙って頷く。

 足音を立てないように、ふたりで階段を上がっていく。

 そこは、小学生の頃一緒に遊んで以来、久しぶりに入る凜の部屋だった。


 本棚には小説や文庫本がずらりと並び、デスクには透の写真。若い頃、家族旅行で撮ったものらしく、笑顔の透と幼い凜が写っていた。

「この写真ね、お父さんが大事にしてたの」


 勇真は言葉をさがしながら、ゆっくりと話し始めた。

 「監督はテニス部では厳しかったけど、校門を出ると親の様に接してくれてたんだ」勇真はしんみりと話した。

「そうだったんだね。勇真の事、信頼してた」


 ふと勇真の目に入ったのは、凜のベッドの枕元に置かれたペンダントだった。

「これって……」

 勇真はそれを視界に収めてはいた、頭の整理が付かなかった。


「勇真が川で助けてくれたあと、お礼にあげたの、覚えてる?

 勇真へお礼にプレゼントした後、お母さんが同じ物を買ってくれたの。

 私の宝物……

 安物みたいだけど一番の宝物。最近はずっと肌身離さず身に付けてる」

「えっ……知らなかった……」

 勇真は自分と同じペンダントを、凜の宝物だと聞き、すべてを理解した。


 そして、凜の手を取りきつく握った。

 凜は、なんの迷いもなく、昔から待ち続けていたその手を握り返した。


 ポツリと言った――

「俺もこの頃、監督の無事を祈って、このペンダントをずっと着けていたんだ。あの時、願いが叶うって言ってただろう」

 凜は自分が大事にしている物と同じ物を勇真が着けている姿に、驚きを隠せなかった。かつて勇真に渡したものの、もう忘れ去られていた物だと思っていた――


 勇真は自分でも理解できない感情が、胸の中に飛び込んできた。

(今のままじゃ、凜はまた、冷たい川に流されてしまう

 俺はもう一度、川へ飛び込む。

 そして、この暖かくて、優しい手を……掴みに行く)


 カーテンの隙間から漏れる光が、午後の終わりを告げていた。

 部屋の空気にはまだ、四十九日を終えたばかりの静けさが残っている。


「凜、今から神社に行こう」

 その瞳の奥に、一瞬だけ揺れる迷いがあった。けれど、それはすぐに、やわらかな頷きへと変わる。

「うん」

 それだけ言って、ふたりは並んで玄関へ向かった。

 扉を開けると、秋の風がふわりと吹き抜けた。どこか懐かしい匂いがした。


 並木道を歩く足音が、静かな住宅街に溶けていく。

 言葉はなくても、不思議と居心地の悪さはなかった。

 自然と手を繋ぐ。

 子供の頃に手を繋いだ感触とは、全く異なる温もりを二人は感じていた。


 ふと、凜が足を止め、顔を上げた。

 枝の先に残る色づいた葉が、ひとひら風に乗って舞い落ちる。

「もうすぐ、冬が来るね」

 勇真はその言葉に、小さく頷く。


 神社が見えてきた。

 朱塗りの鳥居は、夕陽に染まり、どこか幻想的な気配を纏っていた。

 境内には誰の姿もなく、鈴の音だけがかすかに響いている。

 勇真と凜は、並んで石段を上がる。

 一歩ずつ。

 やがて拝殿の前に立つと、ふたりは同時に手を合わせた。

 祈るというよりは、心の中で確かめるように――静かに、目を閉じた。


 勇真は拝んだ手をそっと下ろし、凜を見た。

 凜のまつ毛がわずかに揺れていた。目を開けると、涙の痕があった。

 勇真は、静かに凜の手を取った。


(大人になった凜、ずっと心の中で追い続けた凜、手を伸ばそうとしても届かなかった。

 思ってたより背が低いんだ、こんなに腕が細いんだ、こんなに睫毛が長かったんだ、こんなにも優しい香り。ずっと知らなかった……)

「ありがとう、一緒に来てくれて」

 凜は首を横に振り、少しだけ笑った。

(やっと勇真の隣まで来られた、これまでどれだけこの場所を待ち望んだんだろう。

 私を救ってくれた大きな手、全てを預けられる大きな手)

「勇真と一緒だから……」

 そう呟いた声は、風に消えそうなくらい小さかった。

 やっと手にした大切な物を、自分の胸に強く押し当てるような想いが溢れた。

 夕焼けが境内を染める中、勇真は凜の手を強く握り返した。


 神社の境内には、秋の装いイチョウの葉がきれいに色づいていた。

 風がふと吹き抜けて、揺れる木の葉が鈴を鳴らした。

 カラン、コロン。


「勇真とこうして、手を繋ぐの、小学生の時以来だね」

「うん」

「ねえ、覚えてる? 小学四年のとき、助けてくれたこと」

「うん。俺は流されたけどな」

「でもあのとき、私を掴まえてくれた手は、大きかったの。大きくて、温かくて、怖くなかった。私の人生の中でいちばんの大切な想い出なの」

 凜はそう言って、ふっと笑った。


「で、そのあとできたんだよね。勇真のね」

 凜は勇真の頭を指さした。

「十円ハゲか?」

「そう、それ」

 凜がいたずらっぽく笑う。

 勇真は軽く後頭部をかいて、わざとらしく見せるように前かがみになった。

「まだちょっと跡、残ってる。ほら」

「うん。やっぱり、勇真のとなりにいるのが、一番安心する。いつも私を守ってくれる人……」

 凜の声は、小さく、それでいてどこか決意に満ちていた。


 勇真はふいに目をそらし、空を見上げた。

 「もう、気づいたでしょ?私の気持ち、いくら鈍感なあなたでも」

 凜の言葉に、勇真はゆっくりと頷いた。

 そう言って、勇真はペンダントを凜の両手に並べ、ふたつの星が揺れた。

 そしてふたりは、長い空白を埋めるように口づけを交わした。


 風の音、鈴の音、秋の香り

 勇真はゆっくりと凜の涙を指でぬぐった。

「昔は俺が転んだら、凜が絆創膏を貼ってくれたよな」

「うん」

「次は俺が、凜の涙を拭いてやる番だな」

 凜は、笑って、泣いた。

「ずっと、言えなかった。

 ずっと、そばにいたのに。

 ずっと、気づいてほしかった。」


「凜」

「なに?」

「これからはずっと、俺のとなりにいてくれる?」

 凜はゆっくりと頷いた。

「勇真が気づいてなかっただけで、私はいつも勇真のとなりにいたんだよ」

「ほんとだ。思い返せば……」

「いつもとなりに凜がいた」

「これからもずっとわたしはとなりにいるよ」

 鈴の音が、優しく鳴り響いた。


 勇真は微笑んで、静かに凜の両手を包み込んだ。

「おれ……もう二度と、この手を離さない」

 凜が、涙を浮かべながら小さくうなずく。


 二人は手を繋いだまま、静かに、長い時間を経過して、ようやく繋がったお互いの想いを重ねた。


ここまでの状況にならないと、告白できない勇真……

ちょっと引っ張りすぎたかなと、思い直している筆者です……

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