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星願未遂  -ふたりの長いものがたりー  作者: つくね
4. 止まった時間、すれ違う鼓動

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31/70

― お別れ ―

【大学3年秋】


 秋の終わり。冬の冷たい風が吹き抜け始めた頃。

 凜の父・透の容態は急激に悪化していた。


 勇真の父・優から救急治療室に運ばれた連絡を受けた勇真は、立ち寄った病院のロビーで、透のことを心配する凜の姿を見つけた。

「大丈夫か?」

 勇真の声に凜は驚き、一瞬だけ微笑んだ。

「うん、ありがとう。お父さん、頑張ってる」

 二人は病室の前でしばらく言葉を交わし、やがて一緒に神社へ向かう。


 静かな神社。

 風が木々の葉を揺らしていた。

 二人は手を合わせた。

「神様、お願いです。お父さんを助けてください」

 凜の声は震えていた。

 勇真は凜の肩をそっと抱いた。

「俺も祈ってる」

 その時、同じ思いの二人の間に確かな絆が生まれたような気がした。


 だが数分後、病院からの連絡が届いた。

「透様が急変されました。すぐに来てください」

 凜は拳を握りしめ、勇真がとなりで支えた――が、しかし――




【葬儀の日】


 静かに降り注ぐ秋の陽射しの中、

焼香の列が途切れたあとの、空白の時間。

式場には線香の匂いが重く漂い、静けさが満ちていた。


 泣き崩れ、立つことすらままならない憔悴しきった凜の姿があった。視線の先に、何が映っていたのかは、もう本人にも分からなかった。

 目の前の遺影。微笑む父の顔。


 気を抜けば、泣き崩れてしまう。

 そんな一本の糸の上に、どこかへ落ちてしまいそうな彼女の心は乗っていた。

 手に握りしめていたのは、父の使っていたテニスキャップ。最後まで病室に置いていたもの。どこか汗と日差しの匂いが残っていて、それだけがまだ「お父さんが生きていた証」のようで手放せなかった。


「お父さん……」

 やっと出た声は、空気に溶けていくように小さかった。となりにいた母・沙耶が、そっと凜の背中に手を添えた。


 遠くに、勇真の姿が見えた。でも今は、彼の顔を直視することさえできなかった。

 もし目が合ってしまったら、崩れてしまいそうだった。

「お父さん、わたし、まだありがとうも言えてなかったのに」

でも、もう叶わない。


 その涙のすべてに、父への想いと、言葉にならなかった「ありがとう」が込められていた。




【葬儀の翌日】


 透の親友・優はひとり仏壇に手を合わせたあと、遺影に向かって言った。

「透……あいつ、泣いてたぞ。お前がいなくなって、一番泣いてたのは凜だった」


「でもな、あいつの涙を、ちゃんと拭ったのは、俺の息子だったよ」

 静かな優の横顔は、親友を失った痛みと、父親としての誇らしさが入り混じっていた。




【葬儀の数日後 午後の静かな居間にて】


 凜は母・沙耶と並んで座っていた。

 カーテン越しの陽射しが、わずかに部屋を照らしている。仏間にはまだ、父・透の遺影と花の香りがしていた。

 凜は父の仏壇の前に座ったまま、手を合わせていた。

 無言のまま、しばらくの沈黙が流れた。


「あの人、花の匂いが好きだったのよね。特に白い百合」

 沙耶が、湯呑みを二つ手にして、凜のとなりに腰を下ろした。

「覚えてる? 小さい頃、お父さんが凜に、百合みたいにまっすぐ育てって言ってたの」

「うん、覚えてる。何回も言われたから」

 凜が小さく笑う。けれどその表情は、淋しげだった。

 沙耶は湯呑みを渡しながら、ふと、目線を仏壇から凜へと向ける。

 ふと、何か思い出したように目を開き、穏やかな声で凜に話しかけた。

「ねえ、凜」

「なに?」

「お父さん、よく言ってたの」

 凜は少し顔を上げて母を見た。

 沙耶は、どこか懐かしむような笑みを浮かべて、続けた。


「凜のパートナーには、勇真くんがお似合いだって……何度もね。何気ない時に、ぽろっと」


 凜の目がわずかに見開かれた。

 沙耶は微笑みながら、目線を少し天井に向ける。

「小さい頃からずっと見てきたのよ。あなたが勇真くんといる時の、あの素の笑顔。誰かと話してるときとは、まるで違った……」

 凜は何も言えなかった。

 ただ、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚がして、指先が少し震えた。


「お父さんね、病室であなたのことを心配しながらも、安心もしてたの。

 あの子には、きっと勇真君がそばにいてくれるから、大丈夫だって……」

 そこまで言って、沙耶はふと表情を崩した。

 そして、凜の肩に手をそっと添えて、静かにこう言った。


「ちゃんと見てたのよ。あなたの心がどこを向いていたか、ね」

 凜の頬を、涙がすっと一筋流れ落ちた。

 何も言葉が出なかった。ただ、黙って沙耶の手を握り返した。

 仏間の奥で、風が鈴の音を運んできた。

 あの日々が、胸の奥で静かに揺れ始める。


「最近になっても、勇真くんといる時の凜は、本当に笑顔が輝いていたのよ」

 また、凜の涙があふれた。



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