― 心揺さぶる知らせ ―
大学のキャンパスに春の陽射しが差し込む昼下がり。勇真は、講義の合間にカフェテリアのテラス席でコーヒーを飲んでいた。テニス部の後輩が、スマホを見ながらふと口にした。
「そういえば、翔太さんって、凜さんと別れたらしいっすよ」
「えっ?」
勇真の手が止まった。紙コップの中のコーヒーが、風に揺れて波打つ。
「インカレの試合で会った先輩が言ってました。春休みの終わり頃に、凜さんの方から別れを切り出したって」
勇真は言葉を失った。胸の奥が、急にざわつき始める。
(凜が……翔太と別れた?)
麗華との付き合いは続いている。けれど、突然の知らせに心の奥底へしまっていた凜という存在が、大きく呼び起こされた勇真だった――
あの時、凜が翔太と付き合い始めたと聞いた時、勇真は自分の気持ちに鍵をかけた。凜の幸せを願って、背中を押した。麗華の告白を受け入れたのも、凜への想いにけじめをつけるためだった。
でも――
その晩、翔太からのLINEが届いた。
『勇真には伝えておきたいと思ってた。
俺、凜を幸せにすることができなかった。
俺、頑張って凜の気持ちを繋ぎ止めておけば、いつか本当に好きになってくれる時が来るのかなと信じてた。
でも凜の瞳には、いつも勇真の姿しか映ってなかった。凜の心に俺の気持ちが届くことは一度もなかった。
その事だけ、勇真に伝えておきたかった』
(翔太、気持ちの整理が付かないよ。俺はもう新しい道を歩き始めているんだから)
「伝えてくれた事には感謝するよ。ありがとう」勇真は渦巻く心の中、やっとの思いで返事を返した。
(でも、凜が別れを切り出すなんて、想像できない。凜はいつも周りに気を使ってばかりだから、自分の意志で誰かに辛い思いをさせる事なんて絶対しない。
ましてや、誠実で他人の痛みが分かり、目標に向かう情熱とか全てが揃っている翔太に対して、別れを切り出すなんて、まさか……)
キャンパスの裏手にある芝生広場。春の陽射しが柔らかく差し込む午後。
勇真は麗華と並んで座っていた。彼女が持ってきた手作りのマフィンを、ひと口かじる。
「どう? 今回はブルーベリー入れてみたんだけど」
「うん、美味しいよ。すごく」
そう答えながらも、勇真の視線はどこか遠くをさまよっていた。麗華は、そんな彼の横顔を見つめる。
「ねえ、勇真。最近、ちょっと変だよ」
「そうかな」
「凜ちゃんのこと、でしょ?」
その名前が出た瞬間、勇真の呼吸が止まった。
「翔太くんと、別れたって聞いたの。春休みの終わりくらいに」
「……知ってる」
「やっぱり、気になってるんだね」
勇真は否定しようとしたが、言葉が出てこなかった。麗華は、少しだけ微笑んだ。
「別に、責めてるわけじゃないよ。人の気持ちって、そんなに簡単に整理できるものじゃないし」
「麗華……」
「ただね、私はちゃんと分かってるから。勇真がどこを見てるのか、何を考えてるのか」
その言葉に、勇真は目を伏せた。麗華の声は、どこまでも優しかった。
「今はまだ、何も言わないよ。だって、私たちまだ終わってないでしょ?」
「うん」
「でも、ちゃんと向き合ってね。勇真自身の気持ちに。凜ちゃんにも、私にも」
春の風が、二人の間をそっと通り抜けていった。
麗華は立ち上がり、マフィンの包みを勇真の手にそっと押し付ける。
「ほら、食べきってよ。せっかく作ったんだから」
その抜け殻の様な身体は、まだ勇真の隣にいた。ただ、どこか遠くへ消えてしまいそうな淡い影を残して――
夜の部屋って、どうしてこんなに静かなんだろう。時計の秒針の音すら、心に刺さる。
麗華はベッドに仰向けになって、天井を見つめてる。カーテンの隙間から、街灯のオレンジ色の光が差し込んで、壁にぼんやりと影が揺れてる。
明日、約束してた遊園地に行く。
ずっと前から楽しみにしてたはずなのに。服だって、何着か選んで、鏡の前で何回もチェックした。髪型も、メイクも、アクセサリーも……
「可愛くなりたい」って、ずっと思ってた。
でも。
心細かった。勇真の気持ちが、もう私のところにないってこと。気づいてた。
でも、それを認めたら全部終わっちゃう気がして、ずっと見ないふりしてた。
ああ、あなたは今、私のこと見てないって。
いつも優しいけど、どこか遠くて。「好きだよ」って言ってくれたけど、
本当に、そうだったのかな。
いや、違う。私だって、分かってる。勇真は、優しいんだ。誰にだって、まっすぐで、あったかくて。
でも、本当に特別だったのは、凜ちゃんだけだったんだよね。
わたし頑張ってみたけど、もう背伸びはおしまいにする……
明日、観覧車に乗ったら言うんだ。「ありがとう」って。
「バイバイ」って。
ちゃんと笑って、ちゃんと終わらせる。
泣かないって決めてる。
でも今だけは……
(枕に顔を埋め、声のない涙)
この気持ちは、きっと忘れない。だって、本当に好きだったんだもん。
勇真、ちゃんとあの子の手、離さないであげて。
ばか。
優しすぎるんだよ、君は。




