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星願未遂  -ふたりの長いものがたりー  作者: つくね
4. 止まった時間、すれ違う鼓動

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― 想い出の埠頭へ ―


【凜 埠頭】


 海辺は、どこまでも静かだった。聞こえるのは、時折遠くで鳴るカモメの声と、コツ、コツ、と歩く自分の足音だけ。

 子供の頃、勇真の家族と来た水族館の近く。


 凜は、ひとり埠頭の先端まで歩いた。

 潮の香りが胸にしみる。

 春の海はやさしい色をしているのに、こんなにも胸が苦しい。

 

 埠頭の先端、手すりの所まで来て首からチェーンを外す。


 風が吹く。

 チェーンがカチャッと鳴る。

 指先に巻きつけるようにして、凜はぎゅっと握りしめた。


 (もう、全て終わりにする)

 何度、そう思っただろう。

 過去にしがみついても、何も変わらない。

 勇真への想いを引きずっている限り、これからの誰にも、まっすぐ向き合えない。


 だから、手放すんだ。

 このペンダントと、あの夏の日と。

 勇真のことも。


 きつく包み込んだ手を、胸に強く押し当てて……

 

 目を閉じて……


 想い出をかみしめるように。

 そして……


 凜は手すりの向こうへ、そっと腕を伸ばした。

 その先には暗闇のように見える海。

 太陽が反射して、波間が鈍く光っていた。

 右手にぶらさがる星が、きらりと光を返す。


「今まで、ありがとう」

 やさしく包んだ手を、放そうとしたその時……




「カチャ」


 チェーンが風に揺れて、小さな金属音を立てた。


 凜の指が、何かを感じ震えた。

 たったそれだけの音に、全身が止まる。

 放せない。


 指が……離せない。

 自分の手が、自分の意思に逆らう。

 何度も覚悟したはずだった。

 もう引きずらないって。

 もう過去を終わらせるって。

 それなのに。

 ペンダントが、手のひらにすがりついてくるようだった。


「忘れられないんだよ、今も」小さく、でも確かな声。


「ばかみたい、私」

 ポツリと漏れた声は、風に流れて消えた。

「決心したのに、手放すこともできないなんて」 


 目に浮かんだ涙が、ペンダントの星にひとしずく落ちる。

 情けなかった。

 悔しかった。

 弱い。

 中途半端。

 言い訳ばかり。

 好きだと言う勇気もなかった。

 ずっと、心の中で誰かを想いながら、何もできずに立ち止まってきた。


「こんな自分、最低だ」

 でも、それが今の自分だった。


 勇真に素直になれなかったこと。

 翔太の優しさに甘えてしまったこと。

 全部、自分の弱さだ。

 綺麗ごとも強がりも、何の意味もない。

 凜はゆっくりペンダントを胸元に引き寄せ、両手に包み込んだ。


 そしてそっと、顔を伏せた。

「まだ忘れられないんだよ……」

 それが、どうしようもない答えだった。

「やっぱり私にはできなかった」


 両手に包み込んで胸に当てた凜は、海に背を向けた。小さな思いと、大きな未練を胸に抱えながら。彼女の背後で、波が静かに打ち寄せていた。


 星は、海には落とされなかった。

 まだ、終わらせることはできなかった。



【夜のバス、車窓に映る自分】


 バスの座席に身を沈めた凜は、そっと背中を丸めた。

 海沿いの道を進むバスは、外の街灯や信号の光を、断続的に窓に映していく。

 時おり、車体が揺れるたびに、凜の肩もわずかに震えた。


 膝の上には、小さく握りしめた手。

 その中には、手放せなかった星のペンダント。


「ばかみたい」


 誰に向けた言葉でもない。

 自分でも聞き取れないほど、小さく、苦く、呟いた。


 車内には数人の乗客。

 高校生くらいのカップルが後方で笑い声を立て、前の方には年配の夫婦が並んで座っている。


(泣くなんて、ほんとカッコ悪いよね。みんながいるのに)


 そう思ったのに、涙は静かにあふれてくる。

 拭うタイミングを探して、凜は顔を上げることもできない。


 少し斜め前の席にいた大学生らしいの女性が、ちらっと視線を向けたのがわかった。


 凜は、カバンからハンカチを取り出すふりをして、そっと目元を押さえた。

 けれど、こぼれる嗚咽が抑えられない。唇をかみ、息を吸い、またこらえる。

(でも、もうダメだった。どうしようもなく、どうしようもなく、苦しかった)


 自分の心の深いところに在る物に、今さら気づいてしまう。

 それが、余計に涙を止めてくれなかった。


 車内のざわめきの中、通路を挟んだ反対の座席から小さな影が近づいてくる。幼い女の子が、両手で大事そうに何かを包み込んでいた。

「ころんじゃったの?おねえちゃん。これあげる」


 差し出された掌の上には、四枚の葉を広げたクローバー。まだ摘みたてのように瑞々しく、街灯の光を受けて淡く輝いている。

 麗華は驚いて顔を上げる。涙に濡れた瞳に映る少女の笑顔は、無邪気で温かかった。

「どうしてわたしに?」


 かすれた声で問いかけると、少女は少し考えるように首を傾げてから、答えた。

「これね、みつけたら、げんきになるんだって。だからおねえちゃんにあげるから、なかないで」


その言葉は、胸の奥に静かに落ちていった。麗華はクローバーを受け取り、指先でそっと撫でる。小さな葉の感触が、冷え切った心に微かな温もりを灯す。


「うんわかった、お姉ちゃんもう泣かないから。ありがとうね」

「うん、じゃあね」少女は笑顔で待つおかあさんのところへ戻っていった。


 凜の涙は少しずつ止まり、代わりに頬に浮かんだのは、ほんのわずかな笑みだった。

(そうね、もう自分の本当の気持ちに嘘はつかない。ペンダントが捨てられないのが私の本当の気持ちだったんだ)


 バスは停留所に近づき、ゆっくりと速度を落とした。

 外の街灯が窓を流れていき、やがて停止した。

 凜はゆっくりと足を踏み出す。さっきまで胸を締めつけていた重さが、ほんの少しだけ軽くなっているのを感じた。


「これ、元気が出るから」

 少女の言葉を思い返すたび、涙の跡が乾いていくようだった。

 街灯に照らされた歩道を進みながら、凜は深く息を吸い込む。夜の空気は澄んでいて、どこか新しい始まりを告げているように思えた。


 これまで周りの人たちの行動に流されてきた凜でしたが、初めて自分の意志で、翔太と別れるための行動を起こしました。けれどペンダントを捨てる意志は挫折してしまいました。


ここでペンダントを海に投げていたら、この小説も終わってしまいますが……(汗)

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