― 陰に宿る魅力 ―
【高校２年冬の終わり】
放課後の新聞部の部室。
水瀬麗華は部活顧問の先生に新学期に発行する学校新聞の取材対象を伝えていた。
麗華は勇真より１学年下、積極的な性格でみんなから好かれる人気者。男子からの人気も高かった。
「あれ？ 望月君を取材対象に選んだの？珍しいね、一般的には部長とか人気のある人を選ぶもんだけどね」先生は麗華に問いかける。
「ううん、私は望月先輩の地味だけど頑張ってるところに惹かれたんです。きっと記事にしたら、みんなが主役になれなくても地道に頑張るカッコ良さを分かってくれると思うから」
先生は少し首をかしげながらも、頷いた。
「そうか、水瀬さんの自分特有の視点でとらえると、面白い記事ができるかもしれないな」
高校３年への進級を間近にした放課後。テニス部の練習後の帰り道。テニスコートの夕焼けは、オレンジというより、ちょっと焦げたような赤だった。
「次の試合も補欠かぁ、まぁ当然か」
部室を出て、勇真はバッグを肩にかけながら、分かってはいるものの選手に選ばれなかった事を、ひとりごとのように寂しく呟いた。それは突然の始まりだった。
「ねえ、ちょっといいですか！」
後ろから聞き慣れない声が飛んできた。振り向くと、見たことのない女の子がこちらに向かって早足で近づいてくる。セーラー服のリボンの色が、自分たちとは違う。学年が下だとすぐにわかった。
「望月先輩でしょ？ テニス部の」
「えっ、うん。そうだけど」
警戒感をあらわにして話す勇真に、彼女はにこっと笑った。
「やっぱり。いつも声出して走ってるから、目立つんだよね」
「え、えーと、それっていい意味で？」
「さあ、どっちだと思う？」
にやっと笑ってから、その子は前髪をかき上げ、ポケットから小さなノートを取り出した。
「私、水瀬麗華。１年のＡ組。今度の新聞部に部活特集があるの。で、ちょっと取材！」
「俺、補欠だけど？」
「うん、それがいいの」
「はあっ？」
勇真は目をぱちくりさせた。
「エースじゃなくて、地味に頑張ってる人を取り上げたいって言ったら、先生に変わってるねって笑われたけど、でもそういう人ってカッコいいじゃん。報われない努力、ってエモいでしょ？」
「うーん。報われてない感はたしかにあるかも」
苦笑いする勇真に、麗華はペンを構えながら言った。
「じゃあ、ちょっとだけいい？いくつか質問させて」
取材という名の雑談は、思いのほか盛り上がった。
「そんなに練習してるのに試合出られないの？」
「うん。でも、しかたないよ。翔太とか、テニスのテクニックがすごいし、特にバックハンドのダウンザラインで自分のペースに持ち込むんだ。そういった何か武器がないと試合には出られないよ」
「へえ。そういうの、悔しくない？」
「そりゃ、悔しいよ」
「でもやめないんだ？」
「うん。俺、たぶん好きなんだと思う。テニスが。うまくなりたいっていうのもあるけど、毎日走って、汗かいて、ちょっとだけ昨日の自分より上手くなったら嬉しい、そんな感じ」
麗華は取材で話を聞きながら、勇真のテニスに向き合う真面目さや周囲の人を認める優しさを改めて感じていく。
麗華は少し黙ったあと、こう言った。
「変わってる。でも思った通りの人だった。私そういう人、嫌いじゃないよ」
そして帰り道。夕焼けの中、並んで歩きながら、
「ねえ、彼女とか、いるの？」
「えっ？ いないけど」
「そっか。よかった」
「えっ？」
「じゃあ、取材は終わり。あとは、こっから先は水瀬麗華個人として聞きたいんだけど」
勇真の前にぴたっと立ち止まり、まっすぐに目を見て言った。
「私、先輩のこと実はずっと気になってたんだ、心の中で追いかけてたんだ、連絡先、教えてくれない？」
まるで、天気予報を聞くような自然さでの告白。
「マジで？」
「マジ」
「なんで？」
「うーん、笑うかもしれないけど、顔よりも声が好きかも。部活の最中のなんか、まっすぐで」
勇真は平静を装い会話を続けているが、頭の中は真っ白、立っているのがやっとの衝撃を受けていた。
「望月先輩は、誰にも見られていない時でも、ちゃんと頑張ってた。自分の弱さも、カッコわるさも隠さないで、それでも頑張ろうとしてる」
麗華はいたずらっぽく笑って、勇真のスマホを自分の手に取り、LINEの友だち追加をした。
「じゃ、よろしくね。望月先輩。あとでLINE送る」
ひらひらと手を振って去っていく後ろ姿に、勇真はなぜか、胸のどこかがざわついているのを感じていた。
（まっすぐで、声が好き）
凜とはまったく違う言葉。だけど、どこか心に残った。
夕陽が差し込む中で、麗華の頬が赤く染まっているのは、寒さのせいだけじゃなかった。
【麗華帰り道】
その日の夕方。
勇真に告白した帰り道。制服のポケットに手を入れ、マフラーに顔をうずめながら、麗華は駅へ向かって歩いていた。
自分の足音と、遠くで部活動の掛け声。夕焼けが、もうすぐ夜に変わろうとしている。
「言っちゃった、か……」
口に出すと、胸がじんと熱くなった。
でも、今朝の雨の後にきれいな虹が掛かってたから、きっとうまくいくよ。
あのときの望月先輩の顔、驚いたような、少し困ったような、それでもちゃんと目を見て「ありがとう」と言ってくれた。
あれだけ緊張してたのに、ちゃんと伝えられた。ずっと、伝えたかったから。
「怖いなぁ……」
呟いた言葉は、マフラーの中で小さく消える。返事が「ごめん」だったら？いや、それでもいい。ちゃんと言えたから。
帰宅しベッドに寝転び、スマホを手に取る。LINEを開く。
『おつかれさま』って送るだけでもいい。でもそれじゃ、あの時の続きにならない気がして。
何度も入力しては消し、また打ち直して、ようやく、たどり着いた短い一文。
『返事、待ってるね。今日じゃなくてもいいよ』
その一文を打ち終えて、指先が、送信ボタンの上で止まった。
（これで本当に、わたしの気持ちが届いたって、信じていいのかな）
（気持ちよ、届け）そう願いながら、画面の送信ボタンを、ぎゅっと押した。
メッセージが「既読」になるのは、もう少しあとでいい。今はただ彼の心に、私の気持ちが静かに届いていれば、それで。
『返事、待ってるね。今日じゃなくてもいいよ』
送信済
