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星願未遂  -ふたりの長いものがたりー  作者: つくね
2. 遠ざかる距離

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13/70

― これでよかった ―


【勇真の部屋】


 (幼馴染から、変わっていくんだな……)

 風が窓を揺らす夜。


 体育祭・文化祭が終わって、クラスの空気が少しずつ冬休みを意識し始める頃。

 勇真は自分の部屋の机に向かいながら、手元の参考書の文字を、ただ目で追っていた。

 

「やっぱ翔太だよな」なんて、クラスの誰もが納得していた。

 (そりゃ、そうか)

 彼女は今、手をつないでいる。その手は、自分じゃない。それが当たり前で、普通で、きっとお似合いで。


「凜は、もう幼馴染って呼ばれるの、嫌なんかな」

 そう呟いた自分の声に、自分で少し驚いた。寂しいのかもしれない。あの頃はただ一緒にいれば良かったのに、今は何かが変わっていく。誰かのものになる、ということ。やっと少しだけ理解し始めた気がした。

 

 笑いながら名前を呼ぶことが、どんどん難しくなっていく。それが大人になるってことなら、ちょっとだけ寂しいな、と思った。


 そう思った瞬間、胸の奥にも秋の風が吹いていた。




【高校2年秋】


 テニス部の三年生は先の夏の大会で引退し、これが二年生が中心となる新チームとしての初めての大会。

 まだ肌に突き刺さるような日差しが残る中、翔太はレギュラーメンバーに試合に出場し新チームを引っ張っていた。


 試合は自分たちの学校のコートでの開催でもあり、大勢の生徒の応援に混ざり、凜も翔太のために駆け付けている。


 観客席の端に腰を下ろした麗華は、正直なところ退屈していた。女子生徒に人気のある、翔太の応援目当ての友人に誘われて来たものの、テニス部の試合に特別な関心はない。ラケットの音や歓声が交錯する中、彼女の視線はただコートの上を漫然と追っていた。


 シングルスの2番手、翔太の試合。

 ふと、耳に気迫のこもった声が届く。 「ナイスショット!」「次もいけるぞ!」

 レギュラーメンバーに選出されなかった勇真だが、人一倍大きな声援を送っていた。

 彼は立ち上がり、身を乗り出すようにして仲間へ声援を送っている。 その声はすでに掠れていて、喉の奥から絞り出すような響きになっていた。 けれど、彼は止めない。自分の出番はないのに、まるで自分の勝負であるかのように必死に声を張り上げていた。

 麗華は目を離せなくなった。 汗で額が濡れ、声がかすれてもなお、彼の瞳は真剣そのものだった。 その姿は、試合を見ている誰よりも熱を帯びていて、彼の存在がチームを支えていることが伝わってきた。


 胸の奥が、静かに揺れる。 「どうして、そんなに……」 疑問と同時に、説明できない感情が芽生えていた。

 彼の声援は、ただの応援ではなかった。 仲間を信じる心、試合に関わるすべてを背負うような覚悟――それが声に宿っていた。 麗華は知らぬ間に、試合よりも彼の姿に釘付けになっていた。

「何で陽の当たらない場所に居るのに、あんなに一生懸命なんだろう」




【高校2年 秋の終わり】


 放課後の校門を出てすぐの歩道、斜めに伸びた夕陽がアスファルトを朱に染めていた。


「寒くなってきたね」

 翔太の言葉に、凜は「うん」とだけ答えた。声が小さすぎたのか、それとも風の音にかき消されたのか、翔太が少し身を寄せる。

 

「えっと、今日は部活が休みだから送るよ」

「ありがとう」

 沈黙が、また二人の間に落ちた。一緒に歩いているはずなのに、心だけが微妙にズレているような、そんな空気が流れていた。

 翔太がちらりと横を見る。凜はまっすぐ前だけを見つめ、口元は硬く閉ざされていた。手をつなぐでもない、少し距離のある並び方。付き合い始めたはずなのに、凜からは何かを拒むような静かな壁があった。


「凜……」

 呼びかけると、凜はようやくこちらを向いた。

「なに?」

「その……翔太くんじゃなくて、翔太って呼んで欲しいなって、思ってた」

 凜の目が一瞬だけ揺れる。だけどその揺れは、すぐに曖昧な笑みに隠された。

「うん、努力する」


 努力、という言葉が、どこか寂しかった。自然に呼べるようになる関係を、なぜ努力しなければならないのか。それはきっと心のどこかがまだ、彼女のとなりの場所に別の誰かがいるからだ。


「ねぇ、私、今日はちょっと寄るとこあるから、ここで」

 凜が足を止めた。

「送るよ、もう暗くなるし」

「いいの。ほんとに、ありがと」

 そのまま、軽く頭を下げて、凜は背を向ける。それを引き止めることもできず、翔太はただその背中を見送った。

 歩き去っていく凜の髪が、夕風になびく。


 本当にこれでよかったんだろうか。付き合い始めたばかりのはずなのに、翔太の胸の中には、恋の始まり特有のときめきではなく、どこか壊れていく予感のようなものが、じわじわと広がっていた。

 

 その夜、翔太のスマホの通知は一度も鳴らなかった。

 ただの幼馴染だと、あいつは言っていた。

 だけどあの時、凜が勇真を見ていたあの目は、俺には向けられたことがない。翔太はスマホの画面を伏せ、ベッドに身を沈めた。胸の奥のざらついた痛みだけが、妙に鮮明だった。



【凜の部屋】


「翔太くん」って、どうしてもくん付けで呼んじゃう。


 付き合ってるのに、距離があるみたいって、翔太くんは思ってるかもしれない。 でも、私の中では、それが自然で、それ以外の呼び方が、なんだか嘘みたいで。 呼び捨てにしたら、何かが壊れてしまいそうで怖いの。

 でも翔太くんには、ちゃんとした彼女でいなきゃって、どこかで思ってる。 だからこそ、呼び方ひとつで、背伸びしてる自分がいる。「翔太」って呼べたら、もっと近づけるのかな。 でも、呼ぼうとすると、喉の奥がつまる。


 ごめんね、翔太くん。 あなたの優しさに、私はきちんと応えられてるのかな。 くん付けのままじゃ、きっと届かない気持ちもあると思う。

 穏やかで、優しくて、ちゃんと愛されて、ちゃんと応えられる、そんな恋。

 翔太くんは、何も悪くない。 むしろ、私にはもったいないくらいの人。

 私のことを見てくれて、気遣ってくれて、待ってくれて。

「翔太くん」って呼ぶたびに、私は自分に言い聞かせてる。 これは今の私の恋だって。 これが私の選んだ幸せだって。



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