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水と樹(1)

 多事多端。

 ここ二週間ほどの日々はまさに怒涛で、この言葉で表すほか無かったと言えよう。


 「描いても描いても終わらないんだけど何これ地獄? 生き地獄?」


 「喋る前に描きましょう」


 「なまじ好きな事だからやれちゃうのが恨めしい……」


 協会からの依頼に、画家としての個人への依頼に、協会からの依頼に、商業としての制作に、協会からの依頼に、個人としての制作に、協会からの依頼に、協会からの依頼に──


 と、絶え間無く忙しなく、二人は日々に悩殺されていた。


 「ッアー! オンギャーー!!」


 「いけない! 腱鞘より先に頭がイカれてしまいました!

 マエストロ、こちら新箱の一本目です!」


 「ッスゥーーー……ぷはぁ〜…………」


 「お加減は如何ですか?」


 「アァ〜〜↑」


 なんて光景が繰り広げられる事も珍しくなくなった。


 そんなある日の夜分遅くの事である。


 「あ〜? 廃墟の調査ぁ?」


 制作もひと段落し就寝の準備に掛かっていた折、またしても協会より、一つの依頼が舞い込んだ。


 「はい。既に陶芸家と日本画家の二名が殉職。機械人形諸共命を落とされています。

 差出人は日本の地方役所に勤める男性で、なんでも、地元の名物とされる心霊スポットにて失踪事件が相次いでいるのだとか」


 「はぇ〜」


 「ある日、捜索願が届けられていた若者の遺体が件の心霊スポットにて発見されたのですが、陸上かつ山中の平地、付近に水場は無いにも関わらず、その死因は溺死。

 先のメンバーも同様の死因のためアトリビュートによる攻撃の可能性が高く、失踪していた若者の多くに共通項が見られない点から、訪れた者を無差別に襲っている可能性が高い──と」


 一宮はそこまで読み上げると、煙草の火を消し、依頼書を統香へ手渡した。


 「あへぁ〜」


 焦点のトチ狂った瞳で、統香は受け取った依頼書にざっと目を通す。

 文字が空滑りする。

 左から右へ。


 文章を空でなぞり、最後の一文。


 『至急調査されたし』


 スン。と、焦点が揃った。


 統香はため息と共に紫煙を吐き出し、依頼書を放り投げる。

 一宮はそれを黒球へ飲み込ませると、次の煙草に火を点けた。

 ひと度休憩時間となれば、際限無く吸ってしまうのはヤニカスの性である。それを証明するかのように、統香もまた一本目を吸い切るや否や、間を置かずに二本目へ火を点けた。


 「壱位なんてなるもんじゃないね。結局こーやってなんでもかんでも押し付けられる。

 作品が売れてるうちはなるべくそっちに注力したいんだけどね。

 こうもピンキリであれこれ押し付けられると、絵を描く意味が少しブレる」


 「……」


 どこか遠い目をして溢す主の頭を、一宮はそっと撫で、優しく抱き寄せた。


 投げやりな口調とは対照的に、画家としての矜持を、誇りを感じる言葉。

 ふとした瞬間に主の口から漏れる言葉が、一宮にはたまらなく愛おしかった。


 ので、バレないように頭頂部を吸った。


 「あの老害連中に言っておきますよ。

 何のための芸術の国だって」


 その言葉に統香は顔を上げる。

 一宮と目を合わせ、柔らかく微笑んだ。

 ファスナーが限界な割には整った顔立ち。

 愛嬌のあるその顔に、一宮は胸が暖かくなるのを感じた。


 「ついでに吸い殻も捨てといて」


 台詞は最低だが。


 「もちろんです。切れたライターも一緒に捨ててやりますよ」


 「ん」


 統香は瞼を閉じた。

 一宮の鼓動と温もりを感じながら、ゆっくりと夢の世界へ──


 「っぶね! まだ残ってんのに!」

 

 ──は落ちず、慌てて一宮の胸から離れた。

 ヤニカスにとって、火を点けたばかりの煙草をそのままにしておくのは大変な損失である。

 激流のように襲いくる眠気に抗ってでも吸う価値がそこにはあった。

 

 統香は視界の外で不満げな表情をつくる一宮には目もくれず、呼吸以上の頻度で煙を吸い、吐き、吸い、吐き、

 フィルターを少し焦がすところまで吸い切った吸い殻を灰皿へ押し付け、


 「ふぅーー……」


 肺に取り残された僅かな煙も吐き出すと、


 「じゃあ、今日はお願いしていいかな」


 そう言い、背後に立つ一宮の腰へ手を添えた。


 「喜んで」


 一宮は吸い切った煙草を灰皿へ押し付けると、ホワイトブリムのヘッドドレスを外し、クラシカルなメイド服を脱いだ。

 一宮の本日の業務が終了した事を意味するその行為によって露わになるは、

 これまでいつ何時でもその身を覆っていたヴェールの奥底に秘めたるは、黒を基調に衣裳の凝ったデザインが施された、シースルーのネグリジェであった。


 廊下で待機していたランドリーメイドに脱いだメイド服を手渡し、


 「こちらお願いします。それと、今晩は誰もこの部屋へ近寄らせないように」


 「承知いたしました。おやすみなさいませ」


 その挨拶に頷きで返すと、扉を閉めた。


 さて、


 “お願いしていいかな”


 統香がこれを口にする事は即ち、『一緒に寝たい』というアピールを意味する。


 多忙に次ぐ多忙から、しんどい時は人肌を求める主の素直な心の空。ふとした瞬間に垣間見える主の幼さに胸が暴れる。

 一宮は破顔を必死で耐えながら、部屋の電気を消した。


 「はよきて〜腕が疲れる〜」


 差し込む月明かりによって、ベッドに横たわる統香の影が輪郭を結ぶ。一宮の就褥を促すように布団を捲っている統香が、そして、布団を持ち上げる腕がぷるぷると震えているのが、真っ暗な部屋に浮かび上がった。


 「はい」


 一宮は短くそう返し、布団の中へ身体を押し込む。


 「おやすみ」


 普段の粗雑な口調とは打って変わり、眠気を懐胎した声音。

 優しく耳朶を打つそんな就寝の挨拶に、一宮はギュッと目を瞑り、思わずグッと奥歯を噛み締める。


 (尊いっ……!)


 当の主は五秒で夢の中。スースーと一定のリズムで寝息を立てている。

 数センチの距離で穏やかな寝顔を向ける主のこめかみの下へ、そっと腕を通し、腕枕。

 そのまま手のひらで後頭部を優しくなぞった。


 「お疲れ様です。マエストロ」


 疲れとともにベッドに沈み、微睡を経る。


 虚な視界一杯に向かいの寝顔を堪能し、


 「おやすみなさい」


 一宮もまた、夢の中へと落ちていった。



* * *



 翌日の夕刻。アトリエにて、統香は昨晩届いた依頼の内容を浚っていた。


 場所は日本の神奈川県。

 県の中腹あたりにある山中に、ぽつんと取り残された廃ホテル。

 現在判明している死傷者は六名。

 内四名は協会より派遣された芸術家と機械人形であるが、現場に戦闘の形跡が残っていない点から、不意を突かれたか、或いは一方的に殺されたと考えられる。

 残りの二名は現場付近の市内にある大学へと通っている学生であるが、被害者らに直接的な関係は無く、身体的特徴や学年、学部共に一致していない。

 陸上の山中という現場で、付近に湖や池などの水場は無いにも関わらず、六名とも死因は溺死。


 芸術家と機械人形を正面から打倒出来る戦闘力。

 アトリビュートを持った機械人形の線が濃厚だが、とは言え、不意を突ければ人間にも不可能な芸当では無い。

 溺死を再現するにしても、背後から鈍器で殴打でもして失神させてしまえば、後はどうとでもなる。

 労力はかかるが不可能ではない。


 「はぁ……」


 しかし、正体不明の機械人形が潜伏している線は濃く、またそれが複数おり、徒党を組んでいる可能性も考えられない事は無いだろう。

 加えて訪れた者を見境無く襲っている点から、相応の残虐性も有していると見られる。


 必要なのは、苛烈を極める可能性がある戦闘に遅れを取らない突出した戦闘力。

 心霊スポットという特殊な土地に影響を受けにくい強固な精神力。

 不確定要素の多い中、十分に廃墟内を調査出来るだけの冴えた頭脳と俊敏な機動力。


 「……なるほどな」


 (私らにお鉢が回るのも納得だ)


 昨晩は疲労によって正常な判断が出来ていなかった事が良くわかる。

 要は『現場が心霊スポットであること』意外は何も判明していないのが現状だ。

 そんな中、芸術家と機械人形が二組も命を落としている。

 いくつもの条件をクリアし、かつ信頼のおけるメンバーともなれば真っ先に槍玉に挙げられるのが"筆頭"という立場である事は、癪であれど納得せざるを得なかった。


 「はぁ……しゃーない。

 一宮、肝試しに行こうぜ」


 統香は依頼書をぴらっと掲げ、一宮へ声をかける。

 側で書類の整理をしていた彼女は、振り向きざまにフッと小さな笑みを作った。

 待ってましたと言わんばかりであった。


 「そう仰ると思って、既に荷物は纏めてあります」

 

 「おお、流石だな。

 んじゃあ一服したら出るか」


 煙草一本およそ五分後。

 必需品の煙草とライターをポケットに入れ、スマホと財布も持ち、準備は万端。

 一宮の用意した荷物は勿論黒球の中。


 「ほんじゃ行ってくるから、留守番よろしくな」


 「まこっちゃん、頼みますね」


 「おう!」


 なお、今回はまこっちゃんは帯同せず。

 曰く、


 「べべっ別にこえーとかじゃねーけどな! こっちにも誰か残っといた方がいーからよ! ホントはあたしも行きてーんだけどな!」


 とのこと。


 出立の直前、二人がまこっちゃんを撫で回し吸い回したのは言うまでもない。



* * *



 そんなこんなでキューブより北西へ一千五百キロメートル。

 飛行機、新幹線、ローカル線、タクシーと乗り継ぎ、総移動時間おそよ八時間。

 日本は神奈川県のとある山中に、統香と一宮は降り立った。


 時刻は心霊スポットにおけるゴールデンタイム。丑三つ時である。


 「『あさひシティホテル』。間違いないです」


 「ここが神奈川一の心霊スポットか。興奮してきたな」


 山中の開けた空間に突如出現したかのような、美しい自然の中には不自然かつ不釣り合いな人工物。

 木々が生い茂り、不法投棄された家電が山積しているのにも関わらず、廃ホテルへと続く道だけはやけに丁寧に開けていた。

 まるで、建物自体に招かれているような。


 二人は吸い込まれるように歩き出した。


 すると、歩き出してから数歩で


 ガサッ。


 「おっ」


 背後の草叢から聞こえた物音に反応し、統香が振り返る。

 が、そこには雑草が生っている以外何も無かった。


 「いいね。心スポに凸る配信者の気分だ」


 「この暗闇です。月が良く差し込んでくれている上に懐中電灯もあるとは言え、足元にはご注意下さい」


 口ではそう警醒しつつも、一宮の脚はややスキップのようにリズミカルに一歩一歩と進んでいく。

 浮き足立つとはまさに事のことであった。


 「わからいでか。ミッション開始だ! オラァッ!」


 正面玄関に到着するや否や、統香は威勢よくサッシだけの扉を蹴り飛ばした。


 貧弱な蹴りではサッシはおろか桟すら壊れず、ガシャガシャと揺れるだけであったが、それはまるでこれから始まる調査の開始を知らせるゴングのようであった。


 「決まりませんね」


 「うるさい」


 二人は身を屈め、中桟を潜ってリングイン。


 こうして廃ホテルの調査が始まった。



* * *



 「……なんつーか、こんなもんか?」


 「拍子抜けですね」


 リングインから精々三十分経過したかどうか。調査は滞りなく進んでいた。

 過去には殺人事件が起こったと云われる最上階の客間も確認し、実証実験と称してトイレの花子さんや、ブラッディ・メアリーにも興じた。

 その上で何の異常も、異変も無いのが現状であった。

 県内有数の廃ホテル。心霊スポット。

 その地上階は、どこにでもあるそれらとそう変わり無い様相であった。



 そう、地上階は。



 「んじゃ〜本丸に行きますか」


 地上一階の階段から二人が見下ろすのは、月明かりが差し込まず、懐中電灯の灯りをも飲み込むような暗闇であった。

 道中に百円ショップで購入した雑魚い懐中電灯では辛うじて足元から下へと続く階段が数段見えるのみで、二人はその頼りない光に従って階段を下って行く。


 コツコツと踵が鳴る。


 いやに大きく反響する。


 「……やっぱりな。ここだけゴミも落書きも無い」


 「本当にヤバい場所はそうらしいですね」


 足元の階段から、壁から、天井から。

 チラチラと光を照らすと、ふと、そんな感想が口をついた。


 経年劣化や山積した埃、蜘蛛の巣こそ見られるものの、地上階との違いは明白。そして極め付けは──


 「──ふはっ!」


 足元を注視した統香は、堪え切れずに吹き出す。


 「戻りが無いですね」


 極め付けは、足跡。

 階段を降った形跡はある。

 しかし、登った形跡は一切見られない。


 ここから先は片道切符。

 そんな様相に統香の胸が高鳴った。


 「おい一宮っ! 早く行こうぜ!」


 「こらこら、はしゃぐとファスナーがはち切れますよ」


 「はち切れるか!!」


 そうして二人は地下一階に降り立つ。懐中電灯で最寄りの扉を照らすも、見たところ異変は無い。


 「上とあんま変わんないな」


 「違いらしい違いと言えば、階段同様に綺麗な事くらいですかね」


 左回りにぐるっと一周。二人は部屋の一つ一つを隈なく捜索するという、地上階の探索とそう変わらない運びで調査を進めた。


 厨房。従業員休憩室。更衣室。宿直室。シャワー室……と見て回るも、特にそれらしい痕跡は何も無い。

 成果と言う成果が何一つ得られていない現状。統香は気怠そうに舌を打った。


 「チッ……いい加減怠いな。一宮、バカデカ照明頂戴。霊も出ないしさっさと済まして帰ろうぜ」


 「同感です」

 

 一宮が黒球から取り出したバズーカのような大型懐中電灯は、まるで昼間かと錯覚するほどの光をもたらした。

 これまでは一歩先はともかく二歩先は怪しいような小さな光しか発さない懐中電灯一つであったが、これなら二歩先どころか突き当たりの壁までが照らせる。


 二人はさっさと階段を降り、地下二階へと降りた。


 「なにかがあるとしたら、この先ですね」


 地下一階同様、手入れの行き届いた空間を見回した。

 廊下の突き当たりには半開きの重厚な鉄扉があるものの、その向こう側には光は届かず、黒よりも暗い闇が広がっている。


 「何も無いに越したこたぁないけど」


 「マエストロ。それフラグです」


 「あっマジ?」


 ここまでは何事も無かった。

 この調子で最後まで楽に済ませたい二人であったが、


 「ゔ」


 そうもいかないのが世の常である。

 そして、そう思い、口に出されたフラグは現実になる。


 「ゔゔゔゔ……」


 響く。

 床を舐めるような、掠れた低音が二人の足を止めた。


 「っと、一宮」


 「はい」


 統香を守るように一宮が前に立つ。

 大型懐中電灯を統香に預け、腿のホルダーに指をかける一宮。

 あまりの非力に大型懐中電灯を地面に落とす統香。


 「おっも! 何コレ!!」


 幸いにも、光は鉄扉を向いたままであった。


 「マエストロはもう少し運動した方がいいですよ」


 「いやいや、コレが重すぎるんだって」


 「でもファスナー……」


 「言うな!」


 「まったくもう──っと」


 軽口はそこで止んだ。


 不気味な呻き声は廊下奥、鉄扉の向こう側から聞こえる。

 鮮明に照らされた鉄扉の縁の、天井近く。そこから覘いていたのは、光の加減のせいか、死人のように血色の悪い骨張った指。


 「ゔぁ……? ゔぁあ……」


 なおも響くそれはまるで、生まれて初めて発する声が確かに出ているか確認するかのような声音であった。

 指の付け根から手の甲が現れ、コマ送りのようにゆっくりと、皮脂で固まったボサボサの髪の毛と、不健康にやつれた顔が露わになった。


 「ゔゔ……」


 露わになったが、その顔はよく見ると案外幼さを残した、少年然とした顔立ちであった。


 「……こいつか?」


 ぼんやりと浮かぶように、天井と並行に覘かせた顔でこちらを見つめてくる少年の顔。


 違和感。


 何故、天井ほどの高さから顔を覘かせる事が出来るのか。


 「……マエストロは下がっててください」


 それに気付いた一宮は統香を下がらせた。


 「あいよ」


 少年が機械人形であると仮定した場合、この事象の説明はそう難しくない。


 大型の体躯をした異形型の機械人形。

 あるいは、身体か、重力を操るアトリビュート。


 (得体が知れないのはもとより、アトリビュートも厄介かもしれませんね)


 一宮の脳裏に殉職した芸術家と機械人形が浮かんだ。


 「……」


 同じ考えか、統香は半歩身を引き煙草に火を点け、煙を燻らせながら少年を観察する。


 幼い顔立ちから、歳の頃は十代にも満たないか。拒食症患者のような痩せぎすの上半身に、異常な身長。

 人語は解さないのか、呻き声ばかりあげている。


 少年に動きはない。

 不安そうにドアの隙間から胸上だけを覗かせて、こちらをじっと見つめたまま微動だにしない。

 突然の来訪者を警戒しているのか、それとも、こちらを観察しているのか……


 沈黙に飽きた一宮は少年へ向かって口を開いた。


 「言葉は理解りますか?」


 その言葉に少年はビクッと震えた。


 「ゔゔぁ」


 言葉は理解らない。

 それでも、自分に対して何らかのアクションを取っている事は明白であり、


 「ゔ……ゔぁッ!!」


 少年は吠えた。

 髪を逆立て、眦を吊り上げる。

 その様子は、表情は、野生の獣を彷彿とさせた。


 「はぁ、ダメそうで──」


 言いかけ、違和感。


 一宮の視線が、少年からその下、廊下に向いた。

 廊下から、流れるように己の足元の辺りまで。


 懐中電灯の光は廊下に反射している。


 そして、それはゆらゆらと揺らめいている。


 (何故光が揺れて……)


 「──なるほど」


 被害者は漏れなく溺死している。

 目の前の少年を機械人形と仮定した場合、推察されるアトリビュートは水にまつわるもの。

 それは例えば、何も無い空間から顕現させた水を操る能力や、水場など既にある程度の水量を確保した上で、それを自在に操る能力。


 「ゔあ"あ"あ"あ"ッ!!」


 そして、己の身体を液状化させる能力。


 咆哮を上げた少年が叩きつけるようにドアを開けっ広げると、いよいよその全貌が明らかになった。


 常に鉄扉の裏に隠れていた下肢。

 露わになったそれは、水流を操り、タコの触手のように整形された無数の脚であった。

 少年に見えたその姿は上半身だけのもの。

 あわや天井へ届きそうな体躯に、みみずのように蠢く下肢に、一宮は視線を上下させ、


 「うわぁ、全てが絶妙に可愛くないですね……」


 感想を溢し、まず一発。

 頭部目掛けてうちの子を放った。


 半ば不意打ちのような先制攻撃。しかし少年は数本の水触手を素早く操り、銃弾へ向かって真っ直ぐに伸ばした。

 銃弾は触手に飲み込まれ、その勢いを失う。


 俊敏に動く触手。

 侵入者は構わず殺害する、残忍な性格。

 察するには十分すぎる危険度に、一宮は生捕りを困難であると悟った。


 鋭く伸びる触手を交わしながら、


 (マエストロ……)


 一宮はアイコンタクトで意思の疎通を図った。

 背後の統香を見つめる。


 「んっ」


 その視線に気付いた統香は煙を吐きながら、ニヒッと笑った。


 (ヤッベ、制作の事考えてたから何のアイコンタクトかわかんねぇや……とりあえず笑っとこ)


 薄らと冷や汗を浮かべている。

 考えている事が透けて見える。


 「まったくもう」


 (どうせ制作の事でも考えていたのでしょうが……まあ、信頼していただけているのは素直に喜ばしいですね)


 一宮は正面へ向き直ると、もう一発うちの子を放った。


 先ほどのリプレイのように銃弾は水触手に飲み込まれ、勢いを減衰させる。


 続けてもう一発放つと、少年の貌が変わった。これまでの敵対者を威嚇するような相好から、どこか気の抜けたような表情へと。


 変わり映えのない攻撃が連続したからだろう。


 こいつは自分より下だ。


 とでも思ったのか、呆れたような顔で銃弾の軌道上に水触手を構える。


 その瞬間、言いようのない悪寒が全身を駆け抜けた。


 「──っ!!」


 少年は慌てて水触手をパージし、弾けた水の中から一糸纏わぬ下肢を露出した。

 直後、聞いた事も無いような轟音が頭上から響く。


 崩壊した水が周囲に飛散すると同時に、少年もまた地面と衝突した。しかし痛みに喘いでいる暇はない。


 「ゔぁっ!?」


 即座に顔を上げ、慌てて背後を振り返る。

 銃弾が通過しただろう軌跡を辿り、天井近くの壁を見やると、そこには壁を貫いたのか、丁度一発の弾丸ぐらいの径の穴が一つと、


 「野生のカンってやつですか」


 伸びる、一本の黒い糸があった。

 その糸を辿った先には一宮が居る。


 少年は一宮の事を知らない。

 誰に仕えていて、どんなアトリビュートで、どんな存在なのか、何も知らない。

 故に、この糸が黒球にまつわるものであるという事も知らない。


 ただ、先の二発は手加減されていた事。そして、この糸に触れた瞬間、そこで自分の生が終わりを迎える事を、今、知った。


 「ゔゔ……」


 戦慄。

 しかしそれも一瞬のこと。

 少年の胸の内に真っ黒でどろどろとした何かが湧き上がる。

 それは怒りであり、憎しみであった。


 テリトリーを犯された事による怒りと憎しみ。

 手心を加えられていた事による怒りと憎しみ。

 生命を脅かされた事による怒りと憎しみ。


 それらが一点に交わる事によって、少年の中に新たな感情が芽生えた。

 これまでの敵意を研ぎ澄まし、より純度の高まったそれは、己を侮辱した者へと真っ直ぐに突き刺さる、純然たる“殺意”であった。


 「ゔあ"ァ"ッ!!」


 少年は残像を残すほどの速度で駆け出した。

 爆ぜるような踏み込みで壁を、天井を凹ませながら、スーパーボールのように反射する。

 加速に加速を重ね、その姿はいとも容易く視認出来ないほどのスピードにまで達する


 壁から床へ、床から壁へ、天井へ、床へ。


 高速で不規則で、

 そうして、加速し続けたことによる超高速に重力を併せるように、少年は一宮の頭上から襲いかかった。


 「おっと」


 が、彼女の相手ではなかった。


 一宮はひょいっと身を躱すと、床に着地する寸前の少年の右腕をがっしりと掴み、


 「よいしょ」


 勢いそのまま、床へ思い切り叩けつけた。


 「ガッ!!」


 背中から床へと着弾し、鉄筋の床をゆうに砕く。

 内臓を握り潰されるような痛みに襲われ、肺中の空気が一息に押し出される。

 少年の視界が明滅した。


 「ッ、カッ……ハ、ヒュッ……」


 呼吸の一つもままならず、肺が空気を求めるも、叩きつけられた際の遠心力によって収縮しきった内臓の偏りがそれを阻害する。

 苦しみに悶えて手足をバタつかせるも、何の解決もしない。

 永遠に続くのではないかと思われるほどの苦しみ。

 あまりにも強烈なその衝撃から、少年の頭の中からこの地獄を味わせた張本人の存在はすっかり抜け落ちていた。


 思い出させるように、一宮は少年の胸を踏みつける。

 それによって内臓は元通りの位置へとズレ戻り、幸運にも肺は膨らみを取り戻した。


 「ハッ、ハッ、ハッ……!!」


 爆ぜるような呼吸が落ち着いたのは束の間、一宮は少年へ向けてうちの子一発。左肩を撃ち抜いた。


 「あ"ッ!!」


 威力は控えめに調整。

 急所は外し、あくまでも拘束を容易にするための最低限のダメージで済ませる心算だったのだが……


 「ゔがッぎゃあ"あ"あ"あ"あ"!!」


 思いの外痛がられた。


 「うるっさ……ちょっと、マエストロはあまり眠れていないんですから大声は……」


 拳大に開かれた口からは、絶えず絶叫がアラートのように鳴り響いており、


 「ゔあ"ぁ"っ!! ぎゃああぁぁぁあああっ!!」


 「だから……」


 話を遮られ、


 「うがあ"あ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"ッッ!!」


 「……」


 ついに、一宮の額に青筋を浮かべさせた。


 汚れるのを嫌った一宮はうちの子をホルダーへ仕舞う。

 それと入れ変わるように黒球から取り出したのは、絵描狩りの量産機から精製した二丁の拳銃。


 「うぎゃぁあああ──あがっ!」


 それを二丁共少年の口内へ叩きつけた。


 「だから、うるせぇんですってば」


 統香の多忙は私の多忙。

 故に一宮もまた、ここ数週間の疲労からストレスが溜まっていた。

 昨晩の同衾に続き、本日の長距離移動(一宮的にこれはデート)ともなれば、彼女のストレスは多分に軽減されている筈であった。

 が、終わりが悪しければ全てをそれに上塗りされるのが人の心模様である。


 早い話、少年のうるせえ絶叫に、一宮の堪忍袋の緒はブチ切れ寸前であった。


 殴打するかのような勢いでもって拳銃を雑に押し込まれたからか、少年の前歯はへし折れていた。

 口からはだくだくと血が溢れ、目からはぼろぼろと涙が流れている。


 少年は、それ以上悲鳴を上げなかった。

 もしそうしようものならこの拳銃の引き金はあっという間も無く引かれるだろうが、黙っていれば命だけは助かるという可能性、希望があった。

 それを本能で理解していたからであろう。


 折れた前歯は未だ舌上に取り残されている。

 血と唾液が止め処なく分泌され、口内でかさを増していく。

 しかしそれらを飲み込む事は出来ない。

 もし飲み込んでしまえば、誤って歯まで嚥下してしまうかもしれないからだ。

 喉を、食道を通過するその歯が、通り道にある器官を傷付けてしまえば、きっと、凄く痛い。

 そんな不安に駆られた"少年"は、ただひたすらに、黙って、口の端から唾血を逃す。


 一宮の見下ろす視線と、少年の見上げる視線が交差した。

 無情に無表情な一宮とは対照的に、少年のその顔は八の字に眉を下げ、眉間に深く皺を寄せ、目尻に涙を浮かべている。


 少年の顔は、怯え一色に染まっていた。


 数瞬間見つめ合い、止め処無く流れる涙を見かね、一宮はため息を漏らす。


 「……はぁ。

 たまに居るんですよ。君みたいに主を亡くして、生きる場所もなくって、野生に返らざるを得ない子」


 (そう考えたら、まこっちゃんは恵まれている方ですね)


 一宮は振り返り、背後の主へ伺いを立てる。


 「マエストロ。この子、まだ何とかなるかもしれません。

 "教室"へ送致したいんですけどよろしいですか?」


 大型懐中電灯を足元に置いたまま、丁度次の煙草に火を点けようとしていたマエストロこと統香は、


 「んぁっ!? あ、ああ、いンじゃね?」


 慌てて取り繕った。


 (……また聞いてなかったですね)


 「そんなんだからヒキニー──」


 「関係無いだろ! それに作品収入あるわ!!」


 もはやフルオートの返答。

 キャンキャンと吠える統香に絆されて多少の溜飲は下がったのか、一宮は話を進めた。


 「……大丈夫だとは思いますけど、一応縛ります。

 リクエストはありますか」


 「亀甲。手足結んで宙吊りのやつ」


 統香は投げやりに答えた。


 「八つ当たりって言うんですよ。そう言うの」


 一宮はため息混じりに笑って少年へ向き直ると、黒球から取り出した救急箱で傷の処置にかかった。

 野生が故か、一宮に完膚なきまで叩きのめされた少年は、まさに従順そのものであった。

 応急処置を施され、ロープで後手に縛られる。

 その間一切の抵抗はせず、どこか不思議そうに一宮の動きを目で追っていた。


 こうして宙吊りは勿論、亀甲も無しのシンプルな拘束をもって戦いは終結したのだった。



 全裸の少年が縛られているという絵面はよろしくないが。





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