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"愛"する(2)

 この日統香一行は、ポリゴンの外れにある遊園地『Try☆Angle☆Land』、通常『TAL』を訪れていた。

 それは前日に行われた哲学の座学により、愛の解釈を深めたいというまこっちゃんからの申告に端を発する。

 午前も早うの八時頃、一宮にしつこく肩をゆすられ、まこっちゃんに腹へダイブされ……そうして安眠を諦めた統香を拉致よろしくエッホエッホと抱えた一宮の運転でやって来たのだ。


 統香からしてみれば、半ば強制的に連れて来られた遊園地。

 無論、童心へ帰って楽しめる筈も無いかと思われたが──


 「やべぇめっちゃ楽しい! 次アレ攻めようぜ!」


 蓋を開けてみれば、まこっちゃんと同い年かと錯覚するほどのテンションではしゃぐようになるのに、そう時間を要さなかった。

 統香にとって、こう言ったレジャーの思い出は希薄であり、また、これまでの人生で縁が無かった事が要因の一つであると考えると、一宮はそんな主を嗜める気には到底なれなかった。


 構ってもらいたい身としては、一抹の不満はあるが。


 そんな一宮には目もくれず、統香ははしゃいだ。

 はしゃぎ、ヤニを吸い、遊園地特有のジャンクフードに舌鼓を打ち、ヤニを吸い、はしゃぎ、ヤニを吸い……


 「……あれ? 二人は?」


 そうして、アラサー予備軍は迷子になった。


 「ん? あ、マップ……」


 はしゃぎすぎたあまり、園内マップも紛失した。

 こうなってしまっては自分が今園内のどの辺りに居るのかを把握するのも難しい。


 が、この程度であればまるで問題にならない。賢い統香は園内に多く配置されているだろうスタッフへ、現在地を尋ねる事にしたのだ。

 丁度前方に風船を配るピエロの姿があった事が、この英断の助けとなった。


 しかして問題は、そのピエロがまさかのまさか、言葉の頭に“クレイジー”を修飾する必要があった点か。



 かくして、


 「あ〜落ち着く」


 以上が、


 「ゴホッ、ゲホッ! ッヒョ、オッ、オッヒョヒョヒョッホ! ゲホァッ!!」


 八月朔日統香誘拐事件の発端。


 「ジジイみたいな咽せ方だな」


 そして、


 「オッヒョヒョ、これは失れ──オッヒァーッ!」


 顛末である。


 「イッ、イッテェであります!!」


 突然、ピエロが悲鳴を上げた。

 同時にがくっと失速する。

 どうやら高速で飛来した何かが、ピエロの翅を撃ち抜いたようだった。


 「オヒョアッ! ヒョッ!」


 そして、二発三発と続け様にヒットした。


 「ん」


 結末を悟り、統香の口端が吊り上がる。


 しかしその直後、


 「オヒョァアアアアーーーー!!」


 ピエロは重力に押しつぶされるように高度を落とし、


 「えっはっ!? おっ、おわぁぁああああああ!!」


 統香諸共墜落した。


 悲鳴を上げながら、二人は地面目がけて加速していく。

 自らの意思が介在する余地の無い、圧倒的なまでの慣性に隷属され、されるがまま、抗いようの無い自然の暴力を受け入れざるを得ないそれには、祈る暇さえ与えられず。


 統香は思わずギュッと目を瞑った。


 強く強く瞑り、己の無事を懇願した。



 しかし、何時まで経っても激しい衝撃や衝突音は無く、その身はむしろ、弾性を持つ何かに柔らかく受け止められた。


 「……あぇ?」


 統香が見開いた目を白黒させていると、背後から聞き馴染んだ声がかかる。


 「マエストロ、大丈夫ですか?」


 振り返ると、そこに居たのは一宮である。

 統香は、先ほどの狙撃が一宮に依るものというのは察していた。

 察していたが、この仕打ちは何なのだろうか。

 逸れた事による折檻か、いつもの不敬か。

 こんな扱いを受けた日には、その忠誠心に疑の念が多分に入り込んでしまうところだ。


 「っあ、あッぶねぇってお前! 殺す気かッ!!」


 一応は広げられた黒球がクッションとなり、トランポリンの要領で統香を、そしてついでにピエロを受け止めていた。

 無事でこそあったものの、配慮や事前の申告等が望ましい対処に統香が声を荒げると、


 「マエストロは無事ですし、このクソピエロも生け捕りです。何か問題が?」


 どこかツンとした態度で、ぷいっとそっぽを向きながら一宮が反論する。

 そんな態度を咎めようと気が立つも、


 「……確かに?」


 それ以前に、一宮の言い分に納得してしまう統香だった。


 「いやいや、見てるこっちはヒヤヒヤしたぞ」


 と、今度はトランポリンに遮られて姿が見えないものの、これまた聞き慣れた声がした。


 一宮とまこっちゃんの二人が一緒にいる。


 察する。


 「まこっちゃんも居る──って事は、逸れたのは私か……」


 統香はその事実に少し落ち込んだ。


 先日二十四歳の誕生日を迎えた成人女性であり、社会人経験も一応はある八月朔日統香だが、この日彼女は遊園地ではしゃぎまくった挙げ句、己より年下の従者と、己より遥かに年下の従者の二人を置いて、迷子になったのだ。


 その事実に、少し、落ち込んだ。


 「そんな事よりマエストロ。“それ”、どうします?」


 一宮は肩を落とす統香の奥を指差す。

 そこには音を消して爬行し、逃走を試みるピエロの姿があった。


 「ヒョッ!?」


 一宮の言葉に思わず反応したピエロは反射で小さな悲鳴を上げ、恐る恐るといった様子でこちらを振り返った。

 その額にはフェイスペイントの上からでも焦りが伝わるほどの冷や汗をかいており、


 「お前……」


 千切れんばかりに吊り上がったままの真っ赤な口角のラインが、


 「お前、私の事、馬鹿にしてる……?」


 稀代の天才画家の怒りを買った。


 「オッ、オヒョヒョ……」


 ピエロは血の気の引いた顔に、引き攣った笑いを浮かべた。


 逃げようとしていた手前、その問いを真っ直ぐに否定して取り繕うのが難しかったのだ。

 そのため上手く誤魔化す事も出来ず、ついそのようにしてしまった。


 そして、それが統香の目には嘲笑と映ったようで、


 「っ! 笑うなばかっ!!」


 顔を真っ赤にし、ゲンコツごつんと、


 「成敗!」


 「オッヒョッ!!」


 お見舞いするのだった。



* * *



 「オッヒョヒョ、失礼しました。

 私、名を『ラフ・ヘイター』と申します。笑いを嫌悪するピエロ。オッヒョッ、ひねりが効いているでしょう?

 親しい者は私の事を「お前」や「そこの」と呼びますので、皆様もどうぞそのように。オヒョヒョヒョ」


 後手に縛られたラフ・ヘイターは相変わらずに道化らしく、この状況を楽しむように、ケラケラとそう名乗った。


 「ユーモアのセンスが陰キャのソレですね」


 「キチィな」


 そんな彼を、二人は辟易と胡乱を足して二で割らなかった時の視線で蔑む。


 「オヒョヒョヒョ、お察しの通り、私はしがない機会人形でして、普段は“鑑賞者ビホルダー”として世界を回っているのですが、オッヒョッ、その、この度はとある命題により、八月朔日統香様をその、チョイと攫わせていただこうかと思いまして、オッヒョヒョヒョ」


 ラフ・ヘイターはそんな二人を意に介さず、シルクのハンカチで上品に汗を拭いながら、オヒョヒョ混じりに事のあらましを話した。

 ペラペラと、誘拐が目的であった事まで認める辺り、ただの愉快犯か、所属する組織への忠誠心は希薄なのだろう。


 とは言え、『命題』『攫う』などと言う単語が確認されれば、協会側の人間として問い詰めないわけにはいかない。


 「鑑賞者……とどのつまり、変態か。

 で? どこのアートコレクティブの差金? 代表は誰だ?」


 統香は腕を組み、やや警戒を強める。


 “アートコレクティブ”

 それは、何らかの思想や共通の目的を据えて活動する芸術家団体を指す言葉である。


 キューブにはそんな集団がごまんといるものの、その殆どは平和的なサークルの様相を呈している。

 抽象画が好きな者、裸婦像が好きな者、アニメーションが好きな者などなど、例を挙げればキリがないほどに溢れかえっているのだが。

 しかし、中には過激な思想をもとに集まった、犯罪行為を"芸術"と謳う荒くれ者の集団もいる。


 「オッヒョヒョ、名ですか? オッヒョ、失礼。少々ナンセンス、ナンセンスなお名前でして、オッヒョヒョ、いやはや、こうして改めて名乗るとなると、やや緊張してしまいますね。ヒョヒョ」


 ラフ・ヘイターは止まる気配の無い滝のような汗を拭いながら、オヒョオヒョとした気色の悪い笑声と、荒い鼻息を吹き出す。

 まだ夏前だと言うのに。


 キチィ。


 思わずそう口にしかけた統香だったが、キツめの吐息と共に吐き出されたその『名』を聞き、思わず口を噤んだ。


 「私が籍を置いておりますのは……オッヒョ、

 『Artiste Inconnue』

 でございますッヒョヒョ」


 「……なるほどな」


 そして、納得したように息を吐く。


 「どこかと思えば、よりにもよってあそこですか。

 『無名のアーティスト』だなんて、毎回香ばしい中二臭に鼻がもげそうになるんですが」


 『Artiste Inconnue』

 "作品は命そのもの"という理念の基、数年前に組織されたアートコレクティブである。

 首領の方針により理念の解釈に制限はなく、極端な話、「作品の重さを表現するために人を殺しました」と述べたところで、警察や協会へ突き出される心配は無い。

 その自由度の高さから、団員の殆どは前科者や逃亡犯で構成されており、その特徴には「思想犯」よりも「愉快犯」が多く見られるという傾向があった。

 素矢を食うと言うか何と言うか、同床異夢が形を成したかのような、そんな集団である。


 また、現在存在する犯罪組織の中で、最も自由度が高く、最も過激で、最も巨大なコレクティブでもある。

 そのため、名前はダサいが、協会としては解体対象として、特S級の警戒態勢を敷いていた。


 余談だが、以前統香と一宮、そして元春菊が対応に当たっていた絵描狩りには、この『Artiste Inconnue』の一員である容疑もかけられていた。

 その結果、半ばオーバースペックとも言える三人で対処するに至ったのだ。


 結局の所、関与は見られなかったと結論付けられたが。


 「オッヒョヒョヒョ、クソダッセェでしょう?

 私も、今一番おアツいコレクティブと言う事でお邪魔しておりましたが、自らを“アート"コレクティブではなく、“アーティスト"コレクティブと強調する姿勢が、オッヒョ、その、チョイとイタくてですね、皆さんの気性も荒っぽいものですから、このお仕事を最後にお暇させていただこうと、オッヒョヒョ」


 「……何で鑑賞者ってお前みたいなヤツばっかりなんだ?」


 呆れ半分か、統香はため息混じりに警戒を解いた。

 腕を下ろして腰に当て、一宮とアイコンタクトを交わす。


 新参者の末端団員。


 『Artiste Inconnue』について嘘を吐いているようにも、これ以上何かを隠しているようにも、とても見えなかった。


 以上の事から決を下す。


 一宮へ向け、顎をくいっと。


 両手を縛る枷を外させる合図だった。


 が、


 「オッヒョヒョヒョ! そう仰られても仕様がありません。

 コレが私なりの"愛"ですから」


 「!」


 

 "愛"



 放たれたその言葉に、最も素早く反応したのは何を隠そう、まこっちゃんである。


 おませなまこっちゃんは愛を知りたがっている。

 こうして遊園地へ行こうと提案する程度には、愛に対して強い関心を抱いていた。


 そのため、ラフ・ヘイターにはもう暫しの間だけ拘束を楽しんでもらう運びとなった。


 「お前、愛が何なのか知ってんのか!?」


 ぐいっと身を乗り出したまこっちゃんは、そのまま真っ赤な下弦の三日月へあわやの距離に。

 そこから始まるストーリーを愛と形容するだなんてオチは、まこっちゃんセコムの二人が決死の思いでなんとか阻止に成功した。


 「離れろ馬鹿!」


 「ヒョッ!」


 統香の張り手を後方へ仰反って回避するつもりが、勢い余って後転したラフ・ヘイターは、ちんぐり返しの体制のまま、オヒョオヒョと続ける。


 「オッヒョヒョ! 近付いて来たのは彼女の方でしょうッヒョヒョ!」


 もしこの光景にふきだしが描かれるなら、しっぽは間違いなくケツに向けられているだろう。


 「頼む、教えてくれ!」


 と、そんなコメディはお構い無し。まこっちゃんは一宮に抱っこされながらも、その身体はラフ・ヘイターへ向かってぐんと伸びていた。


 まこっちゃんは、機械人形としてこの世界に生まれ落ちて以降、多くの場合は己へ無償の愛を注いでくれる『親』という存在に、一切触れてこなかった。


 いや、触れる事が出来なかった。


 己を創り上げた主は目が覚めた頃にはとうに姿は無く、育ての親という存在とも縁が無かった。

 ポリゴンへやって来るまでは、自らトラブルに首を突っ込んでは返り討ちに遭い、ズタボロになって帰宅しては、真っ暗な部屋で一人、朝まで眠る。

 そして、翌日になると再度街へ繰り出し、揉め事に割って入り、ボコられ、ズタボロで帰宅する。

 そんな日々を送っていた。


 最近、そんな己を顧みて、まこっちゃんは思ったのだ。


 もしかしたらあの時の自分は、誰かとの繋がりを求めていたのかもしれない。

 と。


 喧嘩でも何でもいい。

 誰かとその時を過ごした思い出が、

 ひとりぼっちじゃない証が、欲しかったのかもしれない。


 もしかしたら、その気持ちが愛だったのかもしれない。


 色んな人が来る遊園地なら、色んな愛が見れるかもしれない。

 もしわかったら、自分の考えたそれが愛なのかどうかもわかるかもしれない!


 それが、愛について日アサで知り、哲学の講義を経たまこっちゃんが導き出した推論であった。


 統香も一宮も、まこっちゃんの胸の内は知らなかった。

 彼女がここまで必死になるほど愛を知りたがっているという事に、何か思う所があるだろう事こそ察するものの、そんな複雑な胸中は当人の口からでも聞かない限り、どうしたって知り得ないのだ。


 まこっちゃんの真剣な眼差しを受け、ラフ・ヘイターは上体を起こした。


 「オヒョヒョ……何か詩的でクリティカルな一言、格言のようなものが欲しいのでしょうが……そうですね、お嬢様は、“愛”とは何だと考えておいででしょうか?」


 「っお、俺は……



 俺は……」


 突然問い返され、まこっちゃんは返事に詰まった。

 昨日は揚々と「愛は愛」と言ってのけた彼女だったが、講義を経て、今日を過ごし、そこに胸を張れるだけの自信が無くなってしまったのか。

 端的に言い表す事が出来なくなってしまった。


 まこっちゃんは難しい顔をして俯いた。

 そんな彼女を見かねたのか、ラフ・ヘイターは先ほどまでのようにおどけず、努めて真摯に言葉を口した。


 「……生憎、私は上手く言葉に出来ませんので、無理矢理簡潔に……強いて言うのであれば……“譲れないもの”こそが、その者の"愛"だと思いますよ」


 そして何やら、それっぽいことを言った。

 その芯食った感はまこっちゃんだけに留まらず、統香にまで伝播する。


 「……」


 芯食った感。

 それは統香にとって、少なくとも、一度押し黙って続きを聴く価値のある“感”であった。


 まこっちゃんはピンと来ないのか、ややクエスチョンマークが頭上に浮かんでそうな顔である。


 「そうですね……例えば、私は『観者』という己の立場を、役割を愛しています。

 世の移ろいや変遷を傍観する事に至上のヨロコビを感じています。

 ですが、それ自体には何か特別な理由は無いんです。

 ただただ、そうしていると心地が良いのです」


 「ここちいい……」


 反芻し、

 咀嚼し、


 「統香と一緒にぼーっとしたり、一宮に仕事を教えてもらったり、そうゆうのを"ここちいい"って思うのも、愛なのか?」


 天真爛漫無垢なその言葉を受け、二人の顔面は崩壊した。


 一宮はまこっちゃんを抱く腕につい力が入り、

 統香は統香で、つい、まこっちゃんの頭を撫でた。


 無意識にこの天使を愛でていた。


 世紀末的風貌の男という側面は明後日の方向にポイであった。


 「勿論です。

 お嬢様の大切なもの、大切にしたいもの。

 それはどなた様か個人でも、何らかの思想でも、何れかの物体でも、何でも問題御座いません。


 それが"譲れない"のであれば、自信を持ってよろしいかと」


 「な、なるほど……」


 こうしてまこっちゃんは、己に無い価値観を知った。

 勿論、まこっちゃんはまだ価値観なんて難しい言葉は知らない。

 ただ、それをそれとして受け取り、嚥下し、自らの糧となっていくのを実感したのだ。


 「譲れないもの……」


 そして統香もまた、似た感覚を覚えた。

 統香もまこっちゃん同様、“愛”については同年代の者や、所謂『進んでいる子』よりも疎い自覚を持っている。


 これまでの人生において全く考えなかった訳ではないが、それでも実体験を伴わないからか、どこか己とは縁遠い、違う国の言葉のように飲み込めずにいた。


 「だからこそ、私にとっての愛とは愛なのです」


 それが今この瞬間、スッと飲み込めたのだ。


 (そんな、雑多でいいのか?


 そんな、何でもありでいいのか……?


 解釈次第って、なんか、愛って芸術と似てるな。


 ……いや、芸術が愛に似てるのか)


 満足気なまこっちゃんと、どこか晴れたような表情の統香の二人を見つめ、怪しく口端を歪ませたラフ・ヘイターは、統香へ向かって両手を伸ばした。


 一宮によって枷を付けられていたはずの両手を。


 「オッヒョヒョ、少々お喋りが過ぎましたね。いやはや、どうにも興が乗ってしまって」


 「……あ?」


 統香は遅れてそれに気付いた。

 しかし、彼の両手の指先は、能力を発動する直前だったのか、既に真っ赤に発光している。


 「それでは、今日の事はお忘れいただきましょうか。

 忘却の彼方! フォゲット・ザ・フォゲット!!」


 「はッちょッ──!」


 突然の出来事であった。

 先ほどまでの陽気さはどこへ行ったのか。今では殺気を纏っているようにすら感じられる。


 統香は謎の光から己を庇うように、慌てて両腕で顔を覆った。





 しかし、待てど暮らせど、何かが起こる気配は無く。

 また、何かをされた感覚も無く。


 「……?」


 薄目を開けて伺うと、ラフ・ヘイターは変わらず、赤く発光した指をこちらへ向けて伸ばしている。



 伸ばしている。



 だけである。



 「オッヒョヒョヒョ、なんちゃって。

 コレご存知ですか? 指輪の玩具なんですが、可愛らしいでしょう?」


 指先で摘んだそれは、確かに売店に並んでいた、光る指輪の玩具であった。

 カラーバリエーションが豊富で、全七色展開。

 まこっちゃんには黄色の指輪が似合いそうだと思ったのを統香は覚えている。


 まあ、それはそれとして、


 「よろしければお一つ差し上げゴバァッ!!」


 「驚かせんなテメェ!!」


 ケタケタとオヒョオヒョなラフ・ヘイターの左顎に、統香の右ストレートが炸裂した。


 ケジメである。


 ガラ空きの顎を撃ち抜かれたラフ・ヘイターはそのままトランポリンの上をゴロンと一回転。


 「オッヒョヒョヒョ! イテェであります!」


 そう言うと、その姿は突如霧散した。


 「……は?」


 指輪の玩具が三つ、ぽつんと残っている。


 病的に太っていたピエロの姿は何処にも無い。


 「マエストロ……いつの間にそんなアトリビュートを……?」


 青ざめた演技で巫山戯る一宮と、


 「統香…………?」


 本気で青ざめるまこっちゃんの視線が刺さる。


 「ち、違う違う! こいつが勝手に消えたんだ!」


 統香は慌てて否定をする。

 周囲を見回すも、それらしい姿はやはり何処にも無く、


 トランポリンの下なんかも覗いてみるが、居ない。


 「何だったんだ……」


 まるで狐につままれたかのような気分であった。


 最も可能性が高いのは、ラフ・ヘイターによるアトリビュートの行使であるが、それらしい気配は無かったように思う。


 思えば、腕の拘束も何時の間にか解かれていた。

 身体操作系か、幻覚系か、その正体も判然としない。


 「……ま、いいか」


 「ですね」


 「かもな!」


 が、三人は意外にもあっさりとそう言い切った。

 ラフ・ヘイターという存在に得体の知れなさは感じたものの、鑑賞者という存在は得てして表舞台には現れない場合が多く、交戦的な者は基本的に存在しない。

 ただ現世を鑑賞するだけの存在であるため、脅威になるとも考えにくい。


 また、先ほどまでの彼の人となりには、性根の腐ったどうしようもない部分は見られなかった。

 愉快犯と言って仕舞えばそれまでかもしれないが、少なくとも、そう言う“嫌さ”は感じられなかったのだ。


 そこにはきっと、“愛”の解釈を深めてくれた彼への、ちょっとしたお礼の気持ちも入り込んでいたのだろう。



 ピエロ。鑑賞者。ラフ・ヘイター。

 笑いを嫌悪すると名乗っていた彼だったが、その役目はしっかりと全うしていたのだった。


 誘拐未遂は既に記憶の彼方。

 その点に於いては、フォゲット・ザ・フォゲットは決まっていたのかもしれない。


 そんな能力は彼のアトリビュートには無いが。



 『Try☆Angle☆Landが午後四時をお知らせします。

 皆様どうぞ、心ゆくまでお楽しみください』


 ふと、付近の街灯からそんなアナウンスが流れた。


 時刻を聞き、統香はハッとする。


 「ウッソもう四時!? ヤバくね!?」


 『Try☆Angle☆Land』では、全てのアトラクションが午後五時に完全停止し、以降はパレードやステージイベントのみとなってしまう。

 また、アトラクションの最終受付は午後四時三十分であるため、広大な敷地内を効率的に素早く移動しなければならない。


 統香は園内マップを取り出そうとパンツのポケットを探し、失くした事を思い出し、辺りをキョロキョロと見回した。

 すると、園内マップの看板が目に入った。


 ダッシュでそこまで行き、現在位置と、目的のアトラクションまでのルートを指でなぞる。


 距離にして二キロ弱。

 直線に直しても一キロは優に超える。


 「うわ……これは無理か……」


 主要な道は多くの人でごった返している。

 そのため、強引に走って行く訳にはいかない。


 「これじゃ乗れるかわかりませんね。マエストロが逸れなければ余裕でしたが」


 「な。飯ん時もずっと言ってたのに」


 「うっ……申し訳ない……」


 珍しく落ち込む主の頭をぽんぽんし、一宮は提案する。


 「あと三十分あります。急げば最終受付には余裕で間に合いますよ」


 ワイルドにサムズアップし、指先を自身の背後へクイッと向ける。

 そこには人工の緑地帯。

 エリアの演出であったり、はたまた背景であったりと地味に無くてはならないそんな広大な森林であるが、通行は禁止されていない。


 合法的な裏ルートと言えるそこを、三人は走った。


 尤も、足場は雑草や木の根などでガタついているため、子供であるまこっちゃんと、子供体力である統香は直ぐにギブアップ。

 二人仲良く一宮に抱えられながら、時間にして五分足らずで目的地に到着した。


 「お、おぉ……!」


 「壮観ですね」


 「でっけーな!」


 三者三様、見上げながら感嘆の声を上げた。


 統香が切望していたアトラクション。

 観覧車である。


 それは、目玉と言うほどの派手さは無いシンプルなデザインであるものの、頂上ではポリゴンを一望する事が出来る。

 その眺めはまさに絶景で、パンフレットを手に取った時から統香はそれを是非一目見たかったのだ。


 余裕をもって受付を終え、列に並び、三人はゴンドラへと乗り込む。

 まこっちゃんは後ろ向きに座席に着き、足をパタパタさせながら景色を堪能していた。


 そんな姿を見つめながら、統香は隣に座る一宮の肩に頭を預ける。


 「ありがとね。一宮」


 一宮無くしては、この時間は得られなかった。

 そう思うと、返報性の原理が働いた。

 昔からこうしてあげると一宮が喜ぶ事を知っていた統香なりの、せめてものお礼である。


 「いえ」


 と、口では平静を装う一宮だが、その胸の内は羅利粉灰であった。


 肩に感じる確かな重量。

 ガラスを突き抜け、頬を焼くかのように差し込む夕陽。


 眼下に広がる、オレンジ色の景色。


 鼻腔を擽る、主のラクトン。


 一宮はバレないようにこっそりと、統香の頭頂部を吸った。

 これが意外と怒られるため、一宮はチャンスと見れば、すかさず吸引する。


 恐らくははしゃぐまこっちゃんを見ているだろう主の隙を突き、肺一杯に吸い込んだところで、


 「おっ! もうすぐ頂上だぞ!」


 「へぇ、意外と早いんだな」


 「……ですね」


 お楽しみタイムは終了。

 統香は一宮の肩から頭を離すと、立ち上がって外の景色を熟視し出した。


 「……」


 (作家の目をされている……)


 それは、統香が対象物を観察する時に見せる、真剣な眼差し。

 この時ばかりは、一宮とて声をかけずにそっと気配を殺す。


 (やはり、マエストロは夕陽が似合いますね)


 一宮は自身の頬が赤らむのを感じながら、主の隣に立ち、同じようにこちらへやって来たまこっちゃんの三人で、ポリゴンの街を眺めた。


 (愛……私にとっては、非常に簡単な事なんですが──)


 視線の先にそれを据え、一宮はシャッターでも切るかのように、この風景を脳裏に焼き付けるのだった。


 (──さて、マエストロはどんな解答を見せてくれるんでしょうか)





 その日の晩、統香は、俯きがちだった昨日とは打って変わって、晴れやかな心持ちでキャンバスの前に腰を下ろした。


 エスキースを終え、下塗りに移る。


 (買い出し以外の外出も、たまには悪くないな)


 軽々と動く筆に、そう感じた。





* * *





 キューブ某所にある、人類未到の古代遺跡。


 その最奥で、彼は小躍りしていた。



 「オッヒョヒョ。

 統香様の瞳は相変わらず、大変綺麗でいらっしゃった。

 遍くを等しく映すあの翡翠のような瞳は、何時拝見しても大変よろしい!」



 「そうそう、『語る男』を発表した時分の燻んだ瞳も、影が差していて大変麗しかったですねぇ」



 興奮からか、手舞足踏するピエロ。

 相手も無しに、タンゴでも踊っているかのような動きで、広々とした空間を縦横無尽に、ステップを踏んで移動していく。



 「さて、次はロシアにでも伺いましょうか。

 あのマトリョーシカの造形師は元気にしておられますかね。

 幾分昔の事ですから、私の事を覚えておいでかどうか……」



 ピエロは鏡の正面立った。

 そして立ち所に、その姿は上品なスーツに身を包んだ好青年へと変貌する。



 「彼の国は大変な美女が平気で往来を闊歩しておられますから、こちらも相応の身なりで相対せねば」



 「オッヒョヒョヒョ」



 コツコツと踵を鳴らし、男は部屋を後にする。



 世界最古の、黒曜石の鏡。



 数え切れないほどに名を変え、姿を変えて、幾星霜。



 今宵も彼は、“愛”のままに。





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