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癒しと滅び/元春菊(1)

 午前六時。



 元春菊、起床。



 宗主国である日本の文化をこよなく愛する男。

 生まれてこの方、一度も二度寝と寝坊をしたことがない男。


 彼が人間である限りそんな事は有り得ないだろう──が、彼ならば……と感じさせるのは、日頃の行いが故か。


 「ふむ……」


 起き抜けから精悍な面を構え、ビシッとしたキレの良い動きで行うは、朝一番の日課。


 朝日差し込む庭園を眺め、枯山水に心を蕩かし、まるで深呼吸でもするかのように嗜む。


 「ぶはあぁ~……」


 喫煙である。


 荘厳。厳粛。

 かように嘆賞される元春菊であるが、この時間だけはどうしても緩んでしまう。


 大口を開けてあくびをし、縁側で肺一杯に煙を吸い込む。


 寝起きの一服は、喫煙者にとって何物にも代えがたい至福のひと時と言えよう。

 そのため、この時間だけは紙煙草を吸うのである。


 いくら姪に「クサい」と言われようと。

 世情に排斥され、メインを電子に切り替えようと。


 「はぁ……矢張り、朝はLARKだな」


 ヤニカス本仕込み。


 彼にとって、これだけは譲れないラインなのである。


 (今日はまず──)


 スマホの画面をスクロールし、本日のスケジュールを確認する元春菊。

 

 不意にその背後から声がかかった。


 「春ちゃんもう起きてんの~?」


 まだ幼さを残した、十代半ばのような可愛げのある声音。

 振り返るとそこには、一人の少女が居た。


 「ファナか」


 襟の伸びきったオーバーサイズのTシャツに身を包み、頭には黒い籠を被っている──ように見えるが、その実態は全方位  に伸ばした髪を顎先で揃えただけの前衛的なヘアスタイルであった。


 "滅び"のファナ。


 元春菊が使役する機械人形の内の一人である。


 「今から寝るのか?」


 「んぅ、ねむゆ……」


 ファナは、元春菊と入れ替わるように布団へと潜り込んだ。

 そこには元春菊の温い体温が依然として残っており、ファナはあっという間に夢の世界へ。


 「おやすみぃ」


 言い切るが早いか、即座に鼻ちょうちんが膨らみ、縮み、

 「zzz……」と寝息が立ち始める。


 「ほどほどにな。おやすみ」


 既に聞こえてはいないだろうが、元春菊は労いの意を込めて挨拶を送った。


 (この時間までゲームか。

 相変わらず、凄まじい胆力だな)


 機械人形として、そして、協会所属のプロゲーマーとして、ファナは今日も戦場へ赴いていた。


 小柄で華奢な背格好。

 年相応に可愛らしい透き通るような声。

 それでいてアバンギャルドなビジュアル。

 

 その圧倒的な個性から、ファナは若者を中心に絶大な人気を誇っている。


 誇っている──


 が、そんなキャッチーなキャラクターとは裏腹に、そのプレイスタイルは凄惨を極めていた。


 このギャップが人気の秘訣。と本人は語っているが──



 チームメイトが運転する戦車で敵プレイヤーを一所に閉じ込め、上空から亜音速の戦闘機を突っ込ませる。

 己以外の敵味方は全滅するも、チームは勝利する。



 手榴弾を投げ、爆風で味方を吹き飛ばす。

 物陰から爆発音と共に登場させた味方にヘイトを集め、その隙に背後に回り込む。

 裏を取り、銃を乱射し、手榴弾を投げ込み……

 フレンドリーファイヤーによって、敵味方構わず殲滅。



 言わずもがな、チームは勝利する。



 倫理観皆無のこのプレイングを「ギャップ」の一言で済ませるかどうかは、意見の分かれるところである。


 そんなファナの生活リズムは、朝方に眠り、夕方に目を覚ますというもの。

 ニート然としたサイクルであった。


 時間に厳粛な男、元春菊。


 そんな彼だが、意外にも、ニートサイクルを徹底するファナの事を誇りに思っていた。


 自らのプレイング一つで機械人形の地位を押し上げたカリスマプロゲーマー。

 その恩恵に預かるのは、数多の機械人形に限らない。

 何故なら、機械人形の地位向上は、その作り手にも影響するからだ。

 キューブで暮らす幾多の芸術家にとっても、ファナの存在は力強さの象徴であった。



 とは言え、そうでなくとも、

 統香のような計画性の無さを露骨に晒すようなタイプでなければ、元春菊も煩くは言わないのだが……



 午前六時。

 もちろん、統香は相変わらずの寝穢さで眠っている。

 ちなみに、今日はまこっちゃんと一緒の布団で眠っている。



 「……いい天気だ」


 それはさておき、元春菊は朝の空気を堪能していた。


 目を瞑り、深呼吸をする。

 ほんのりと暖かい朝日の熱が、優しく瞼を焼いていく感覚に浸る。


 そんな癒しのひと時を楽しんでいると、


 「ッダラァ!! クソが!!」


 叩きつけるように襖を開き、怒声と共にこれまた少女がやって来た。

 この屋敷の嵐。

 背丈こそファナより低いが、声量と態度は比肩するものがない。


 その正体は"癒し"のシファ。


 「おいおいシファ、こんな朝っぱらからどうした」


 彼女もファナ同様、元春菊の使役する機械人形である。

 大袈裟な虎の刺繍が入ったスカジャンを羽織り、まるでプリンのような髪色をした、チンピラのような外見の少女。


 「春ちゃん!! これ!!」


 そんなシファが握りしめていた物。

 それは、近所のコンビニで売っているアイスの棒。

 ガリゴリ君の棒である。


 「ん~?」


 元より近視の元春菊。寝起きのコンタクト未装着。


 それを察したシファは屍のように眠るファナを平然と踏みつけ、怒り肩でドカドカと荒々しい足音を立てながら進んでいった。


 「ぐぇっ」


 呻きこそすれ、踏まれた程度で起きるファナではない。

 即座にグースカである。


 「シファ……もう少しファナに気を遣って──」


 「ガリゴリ君!! 外れた!!」


 聞く耳を産道……もとい、キャンバスへ置いて来たシファ。

 ファナを気遣うつもりは無いらしい。

 そんな様子でバッと激しくかざしたソレには「はずれ」の三文字が刻印されていた。


 「また外れたのか。災難だな」


 元春菊はシファの小さな頭をわしわしと撫でた。


 平素はこの様に苛烈を極めるシファだが、一度仕事となれば己の性分を押し殺し、主の命令に従事する。


 元春菊は、そんなシファの事が愛おしくてたまらなかった。


 「んにゃああ!

 最近ずっと当たってなかったから、今日は当たるって思ってたのにさあ!!」


 シファから珍妙な悲鳴が上がる。

 元春菊は手を離した。

 そして、怒りと悲しみの間で反復横跳びを続けるシファに吉報を送る。


 「そうかそうか。でも、今日はその代わりにすごくいい事が起こるかもしれないぞ」


 含みを持たせたその言葉に、


 「マジ!!? なにナニ何!!?」


 シファは期待と希望からキラキラとした瞳を向けてくる。

 元春菊はそんなシファの頭を再度撫でると、手櫛で寝癖を梳きながら言った。


 「統香と一宮に会いに行く。準備しておきなさい」


 「ほああっ……!」


 キラッキラに輝かせた瞳を見開いたシファ。


 「よっしゃ、着替えてくる!!」


 喜色満面の表情を浮かべて、入室同様に慌ただしく部屋を出ていった。


 「コラ、ちゃんと顔も洗うんだぞ!」


 元春菊の警醒も虚しく、開けっぱなしのドアはそのままに、駆ける足音が遠のいていった。

 部屋にファナの寝息が響く。


 「……ふぅ、朝っぱらから騒々しい」


 元春菊は不満気かつ、満足気にそう漏らした。


 フィルター限限まで吸い切った煙草を灰皿にギュッと押し付ける。

 軽く伸びをしながら、元春菊は身支度を整えに向かった。

 パタリと静かに襖を閉めると、


 「う〜ん……もうぶっ殺せないよぉ……」


 寝室にファナの物騒な寝言がポップした。



 元春菊の使役する『シファ』と『ファナ』。


 戦争から生まれた二対の機械人形。



 今日は姉のシファを連れて、統香が新たに迎えた従者である『真』との顔合わせの日であった。


 と、健康診断。

 注射が怖いシファを宥める役として、統香と一宮に付き添いを頼んでいる。


 お礼は高級ランチで。





 一方その頃。

 キューブ郊外。

 豪勢な屋敷のとある一室。


 そこには、フィクションのような寝相の悪さでいびきをかく統香の姿があった。


 裏返したピースサインを口元に運び、吸い、吐き、恍惚の表情を浮かべる。


 寝相で煙草を吸うとは、ヤニカスも行くところまで行くと斯様に滑稽を晒してしまうのだ。


 平時のヤニカスが滑稽かどうかは伏すとして、



 侍女頭として既に業務にかかっている一宮は、そんな統香の眠るベッドの傍に立ち……



 パシャッ



 と一枚。


 マエストロフォルダを潤わした。


 一宮からしてみれば、主のそんな一面も癖の内なのだろう。

 満足そうな笑みを浮かべ、一宮は部屋を後にするのだった。



* * *



 さて、そんな一幕から数時間後──……


 「マエストロ。起きてください」


 「よる、よる……」


 「朝です。もうすぐ元春菊様もいらっしゃいますよ。

 またどやされたいんですか?」


 「んぅ……」


 もはや見慣れた光景である。


 今日も今日とて昼過ぎまで眠りたい統香と、今日に関しては昼前に起きて欲しい一宮による仁義なき戦い。


 一宮は統香の肩を揺すった。

 しかし反応は相変わらず。


 「ヒキニート」と煽るべきか否か。

 一宮にそんな逡巡が去来した。


 今日は元春菊の使役する二人のうちの姉の方、シファの健康診断の付き添い兼、真との顔合わせ……と言う名のおでかけの日。

 元春菊は統香の都合を考慮し、正午小半刻に屋敷に到着すると、一宮と事前に打ち合わせていた。


 現在時刻は午前十一時。

 多少余裕があるとは言え、そろそろ──


 (ああ、眉間に皺が)


 一宮が人差し指の先で統香の眉と眉の間をツンと突くと……


 「んんぅ!」


 統香は布団を引っ張り、自身の頭を覆った。

 眠りを妨げられると、いつもこのような反応をする。

 騒音に耳を塞ぐような、そんな直線的な行動。


 ──そろそろ、起きておいた方が安牌ではあるのだが、


 (まるで子供……)


 つい、恵愛混じりに鼻が鳴った。


 「元春菊って、アレだろ? なんかスゲー人なんだろ?」


 と、そんな一宮の足元から、訥弁とまではいかないながらも、やや舌足らずな声がかかった。

 言葉が不自由なのではない。ただ単に舌が短いかのような、そんな声。


 一宮が視線を落とすと、そこから子供サイズのメイド服に身を包み、翡翠色の瞳を爛々とさせるロシアン幼女がこちらを見上げていた。

 何か楽しみな事があるわけではなく、ただ平然としているだけでそんな瞳を作る年柄の幼女。


 世紀末的風貌の男『真』転じて、ロシアン幼女の『まこっちゃん』。

 このまこっちゃんには予め、元春菊という人物像について詳説していた一宮であったが、今の反応から、どうやらあまり理解していない事を悟った。

 

 「そうですね、それはもう立派な方ですよ。

 なんと言っても、参天の一人ですからね」


 「さんてん……?」


 これも説明済みである。

 まるで初見のような反応に若干呆れるも、首をこてんと傾げ、上目遣いでこちらを見上げているこの愛嬌を前に、そんなものは霧散してしまった。


 一宮は膝を折り、まこっちゃんと目線を合わせる。

 ぽんぽんと頭を撫でながら、優しい口調で改めての詳説。


 「参天と言うのはですね、協会に所属している芸術家の中で、文化の発展に特別寄与していたり、メンバーとしての治安維持への貢献度が高かったり、アーティストとして多くの人から支持されていたりなどなど、総合的な実力や人気を評価した際の上位三名に与えられる称号の事です。

 本日お会いする元春菊様は第弐位。端的に言ってしまえば、この国で二番目に凄い芸術家です」


 「おお……! す、すげーんだなっ……!!」 


 今度こそ紛れもなく爛々と眼を見開くまこっちゃんに、


 「まあ、筆頭はマエストロですけどね」


 そう胸を張る一宮。


 「おおー! す、すげー!!」


 相変わらず理解しているのかいないのか、そんな反応を示しながら、まこっちゃんは胸の前で小さな両手をきゅっと握った。


 (これがついこの間までは世紀末的ヒャッハーだったなんて……)


 複雑な胸中の一宮であった。

 

 「んぅ……参天とか、漢数字より大字の方が厳かっつー小学生脳のヤツらの評価だろ……」


 二人のやり取りに目が覚めたのか、統香は上体を起こし、サイドテーブルを弄った。


 一宮はなかなか煙草を掴めない統香の左手に代わり、目的の一本を手渡す。


 「んぁす」


 統香は目を閉じたまま、正確に煙草を口に咥え、正確に火を点けた。

 この動きが習慣レベルで身に付いているのだろう。


 至福の初吸を邪魔しないよう間を置いて、一宮は嗜めるように言葉を返した。


 過剰に嘉賞しては統香の顔に影を落とす。

 そのため言葉を選んだ。


 「参天第壱位。実績としては立派じゃないですか」


 が、


 「ん〜……でもあんなの、人気投票みたいなもんだろ?

 純粋にアーティストとしてだったら元春菊のがフツーに上だし、更科のばーちゃんとか現人間国宝なんだから、手放しには喜べないっしょ」


 統香は相変わらず、この評定に対する不満で返した。


 一見捻くれているような言葉。


 「……ふふ、そうかもしれませんね」


 しかし、それを聞いた一宮は口元を綻ばせた。


 何故か。


 簡単な話だ。



 芸術の国一の画家。


 即ち、世界一の芸術家。



 複数の基準からなる評定であるため、いくつかある指標のどれもが高水準な者ほど高い位を得る事が出来る。

 統香はそのどれもが最高水準であり、それが故短い活動期間でありながら、壱位という現実離れの評価を受けていた。


 アートというものにランクを付けるのはナンセンスな話ではあるが、その頂点に立つのが自身の主であり、それでいて驕る事なく、躊躇いなく他者への尊敬の念を口に出来る人格をも備えている。


 姿勢や言動、私生活や健康習慣。あとファスナー。

 諸々が絵に描いたような社会不適合者でありながらも、こと「アート」に関してはどこまでも誠実で、真摯であった。


 (本当に誇らしい)


 そんな想いに胸が熱くなり、


 糸のように閉じられた寝ぼけ眼の統香を、パシャッと。


 思わず、フォルダに一枚追加した。



* * *



 場所は移り衣装部屋。


 今日の統香のお召し物は、少しラフなスタイルとなっている。

 屋敷内で済む用事ならまだしも、街へ出るとなればいつぞやのお嬢様然としたような、いかにも相応の身分ですとアピールするような、汚したくありませんわのような、このお靴では走れませんわのような、ではアナタが運転手を務めてくださいますの? のような、ちょっとアナタ、運転がお荒いわね! のような、ワタシクを誰とお心得ているの!? のような、何よ、ワタシクを相手に、どうしてそうお平然としていられるのよのような、こんなヤツお初めてよ……のような、面白いおヒトね。のような、

 とにもかくにも、


 「今日はパーカー。ゼッタイに」


 頑としていた。

 理由は無い。

 強いて言うなら"気分"である。


 あとは、お嬢様スタイルによる必要以上の注目を避ける意もあるが……


 「構いませんが……えっと、そのイラスト、何でしたっけ……?」


 胡乱気な一宮の視線が統香の腹部へと注がれる。

 それは、パンツのファスナーが限界だったからではなく、


 「あれ、知らないっけ? ゴールデンライオンタマリン」


 「ゴールデン……?」


 「ライオンタマリン。ゴールデンライオンタマリン」


 「記憶違いでした。普通に知らないです」


 鮮やかな暖色の体毛が特徴的で、ライオンのような立髪を湛えた猿がデカデカとプリントされているそのパーカー。


 胡乱気な視線。

 それは、こんなトチ狂ったパーカーを平然と着る主の感性が心配になったから。

 そしてもう一つ、


 (やはり芸術はわかりませんね……)


 統香のマイナー動物シリーズ。

 前回はジェレヌクがプリントされたトレーナーであった。


 散歩ついでに夕飯の買い出し。

 お菓子が食べたかった統香は一宮に着いて行った。

 市場へ到着し、ジェレヌクがデカデカとプリントされた胸を恥ずかし気も無く張り、その結果、


 参天壱位の座が揺らぎかけた。


 八月朔日統香が着るには、その服はコアすぎたのだ。


 「また悪目立ちするので却下です。

 大人しくその辺のにしてください」

 

 「うぐ……それはズルだろ……」


 正当である。

 画家としての活動に不要な影響を及ぼす服は着ない方がいい。

 ファッションセンスと言うものが欠落している統香はその辺に疎かった。


 しかし、ジェレヌクの騒動によって元春菊よりしんどめのお説教を受けたのも記憶に新しい統香は、大人しく一宮の提案を飲むのだった。



* * *

 


 「今日は元春菊様の使役する機械人形が一人、シファちゃんの健康診断なんですよ。

 マエストロにとても懐いているので、元春菊様より付き添いをお願いされているんです」


 「ふ~ん、健康診断なんてあるんだな」


 衣装部屋を後にした三人は並んで廊下を歩いていた。

 ちなみに、統香の装いは面白味も柄も無い無地のパーカーである。


 「基本的な人体の組成は私達も人間と同じですからね。

 人間ほど顕著に老いはしませんが、それでも成長はしますし、病気もありますから。

 まこっちゃんも近いうちに行きますよ」


 「そうなんだな! よくわかんねーけどわかった!」


 よくわかっていない事がよく理解る返事。


 (業務の飲み込みは早いというのに……身体で覚えるタイプってことですかね。


 まあ、その日が近付いて来たら、また改めて言いますか)


 まこっちゃんの頭をポンと撫で、一宮は話を続けた。


 「元春菊様は双子の機械人形を使役されているんですけど、妹のファナちゃんが少し危険なアトリビュートのため、今日は姉のシファちゃんしか居ません。まあ、仲良くなっておいて損は無いですよ。

 良い子ですし」


 「へぇ〜、機械人形にも危険なタイプとかあるんだな」


 「普通にありますよ。

 機械人形は己の理想や思い入れの強い作品が顕現した姿──であれば、その作品が、作者の残虐な本性を表している物の場合もありますから」


 「あっ……」


 まこっちゃんは言われてハッとした。

 確かに。と納得し、一宮の話を傾聴する。


 「元春菊様の場合は後者との事ですが、それでも、あの作品は戦争の絵ですからね。

 凄まじいですよ。

 元春菊様があの二人を指揮した現場からは、味方は全員無傷で生還しますし、敵は身体の一部どころか、血の一滴も残りません。

 誇張や比喩ではなく、本当に」


 「ごくっ……」


 この話だけでその恐ろしさが伝わったのか、まこっちゃんは思わず生唾を飲み込んだ。

 敵を皆殺しにし、味方を無傷で帰せるような戦力を誇る機械人形。

 まこっちゃんは凶悪な笑みを浮かべた筋肉マッチョの二人組をイメージした。


 (今日はやべー方じゃねーとは言え、そんなとんでもねー事が出来ちまうヤツ……

 どうする……? 真に戻ろうにもやり方がわからねーし、俺がこの姿じゃ統香と一宮も舐められちまうんじゃ……)


 まこっちゃんの顔が青くなった。

 そんな血の気が引いた頭に再度、ポンと手が乗る。


 一宮と統香的に、この位置にある頭は触り易い。手を置きやすい。

 丁度良い。

 

 「大丈夫。シファもファナも癖があるだけで、嫌な奴じゃないよ」


 にっとした笑み。

 統香のそれを見上げたまこっちゃんの口角はみるみる上がっていき、


 「おう!」


 一瞬にして不安は掻き消えた。

 まこっちゃんは統香に返すように、にっと笑う。


 一宮が微笑ましくその光景を眺めていると、その背後から、キッとブレーキ音が鳴った。


 元春菊の到着である。



* * *



 屋敷の使用人が門を開け、一台のリムジンが姿を現した。

 鏡ほどに景色を反射する、手入れの行き届いた黒塗りの高級車。


 元春菊も統香も、威厳を表すためにこのような威圧的な車に乗っている。


 なんて事はなく、元春菊の場合はリムジンに乗ってみたかったシファとファナのリクエストから。

 統香の場合は父の遺品を継いだだけである。


 そんなリムジンのバックドアが開き、まず最初に姿を現したのは──


 「統香ぁ〜!!」


 シファであった。

 その姿にまこっちゃんはギョッとした。

 己とそう変わらないだろう年恰好に、両手を広げて統香へと駆け寄る子供のような無邪気さが、

 満面の笑みを顔に貼り付け、心の底から嬉しそうな様子が、

 先ほどのイメージとかけ離れていた。


 まこっちゃんの中の筋肉マッチョが崩壊する。


 「シファ〜!!」


 対する統香もシファへと駆け寄り、生き別れた家族との再会を彷彿とされるような激しさで、

 激突するかのような勢いで、

 二人はアツい抱擁を交わした。


 「統香! ちゃんと来たぞ! 偉いだろ!」


 「お~う、シファは流石だなぁ」


 「わはは! だろ! だろ!」


 見ようによっては小型犬とその飼い主のようだった。

 統香がシファをわしゃわしゃと撫でる。

 シファはその統香の手のひらに頭を擦り付け、非常に満足気な相好を作る。


 「っ……?」


 まこっちゃんがその光景に呆気に取られていると、ふと、そんな自分に影が落ちた。

 太陽が雲に遮られたのか。

 そう思って見上げてみると、


 「君が「真」かな?」


 恰幅の良い中高年の男がこちらを見下ろしていた。

 その顔は優しそうに微笑んでいるような気がしたが、逆光でよく見えない。


 「あっ……えっと……」


 首を傾げるまこっちゃんを察したのか、


 「っと、すまない」


 その男はしゃがみ、こちらと目線を合わせ、


 「俺は元春菊。統香の後見人だ」


 やや堀りの深い顔を柔らかく崩し、そう名乗った。


 「も、元春菊、統香と一宮から聞いた!」


 知ってる名前を聞き、思わずまこっちゃんの緊張が解ける。


 「そうか。俺も君の事は統香から聞いているぞ。

 なんでも、迷彩が得意なそうだな」


 「おっ、おう! まだ上手く出来ねーけど、いつかぜってー使いこなすぜ!」


 「ハハハッ、それは楽しみだな」


 そんな調子で、二人のファーストコンタクトは円満に進んだ。


 その後もいくつかのやり取りを交わすと、まこっちゃんはすっかり元春菊に懐いたのだった。



 一方その頃、統香とシファと、


 「シファちゃん、私の事は無視ですか?」


 それと、一宮。


 「一宮! わはっ、無視してないぞ!」


 シファは統香から飛び降りるように離れると、今度は一宮へ向かってダッシュ。

 そしてピョンとジャンプすると、一宮に飛びかかって抱きついた。


 「っとと、相変わらずアグレッシブですね」


 「んはは! 一宮! 久しぶりだな〜!」


 犬の愛嬌に猫の敏捷性。

 可愛くないはずがない。


 一宮はシファの首元に顔を埋め、


 「ッスゥーーーーーーーーーー…………」


 全力で吸った。


 「んひゃはっ! くすぐったい!」


 珍妙な悲鳴。

 しかし不快ではないのだろう、シファは一宮の首元に顔を埋め、吸い、


 「煙草の匂い!」


 ケタケタと楽しそうに笑った。


 そんな二人に統香も混ざり、シファを吸う。


 再会の名物。シファ吸いである。


 「あははははっ!」


 どこまでも幸せそうな光景であった。


 「元春菊サン、あらー何だ?」


 「あれか……

 まあ、なんだ……ああ言うものだ」


 まこっちゃんの問いに、元春菊はややばつが悪そうに答えた。

 止めるような事ではないし、皆一様に幸せそうではあるものの、若干の奇妙さも感じられる。


 「……そ、そうか……」


 そんな元春菊の心持ちが移ったのだろう。

 まこっちゃんは元春菊の隣で、吸い合う三人を虚な目で見つめた。



* * *



 「えっと、わっ、私も、「まこっちゃん」って呼んでいいか……?」


 「お、おう……あっ、俺も、「シファ」って呼んでいい……?」


 「っ! もっ、もちろん!」


 今回の肝であったシファとまこっちゃんの顔合わせであるが、これもまたつつがなく済んだ。


 やや気まずそうにはにかみながらも、二人は握手を交わす。

 そんな光景をニッコリ微笑みながら見守る保護者三人。

 我が子に初めての友達が出来る瞬間を見守る親のような慈しみが、そこには溢れていた。


 見た目年齢はややまこっちゃんの方が下であり、機械人形としては親子程に歳の離れた二人。

 しかし、初対面の相手にはやや人見知りをする性分が似通っていたのだろう。

 顔合わせは円滑に進み、友達のような気安さをもって、二人は打ち解けたのだった。



 今日この日、そんな二人は無二の親友となる。



 何故か。



 複雑な話だ。





 健康診断も終え、統香らへのお礼にランチを振る舞うのはいつもの流れである。

 今回元春菊が選んだのは、キューブの中でも最高級の鮨割烹。

 当日に仕入れた食材しか提供しないため、ネタは新鮮かつ一級品。

 要人の接待として使用される事も多いため、まこっちゃんを除いた四人は何度か訪れた事もある。

 名店中の名店であった。


 代替わりしたもののそのクオリティは全く劣らず、最高級の握りに、遊び心ある子供向けのネタ。

 一転して細かな衣装を飾った豪奢なネタなど、提供される全てはバラエティに富み、そのどれもが絶品であった。


 皆一様に舌鼓を打ち、程良く腹を満たし、煙草を吸いに統香と一宮が店を出る。

 元春菊とシファ、まこっちゃんが店内に残った。


 元春菊が先代の頃から変わらない完成度を賞嘆し、一人の芸術家として尊敬を伝えたところ……


 「ありがとうございます。

 でももう、今月一杯で店を畳もうと思ってまして……」


 空気が変わった。

 その言葉に元春菊は固まる。


 「店を畳む……?」


 目を見開いて、思わず、オウム返しのようにそう口にした。


 「はい……恥ずかしい話なんですが、借金苦で首が回らず……先代から受け継いだこの店を畳み、土地を売るしか、もう……」


 板前のイヅミは悔しそうに俯いていた。


 代替わり。

 それ自体はどの世界にも起こる必然である。


 「本来なら、一番弟子の赤星さんがこの店を継ぐ筈だったんですが、どうにも故郷に戻らなくてはならなくなったそうで、二番弟子だった自分が急遽この店を継いだんです。

 先代はこんな自分でも大丈夫と言って背中を押してくれましたが、その、これもまた情け無い話なんですが……いざ自分一人になると緊張してしまい、お客様を満足させられなくて……」

 

 「ご覧の通り客足は遠のき、ネタも殆どが廃棄……利益が出ないもんだから、店の維持費、管理費、仕入れ代も嵩むばかりで、いよいよ借金の一つでもしないと立ち行かず、つい……手を出してしまって……」


 「闇金融か」


 「……恥ずかしい話です」


 (確かに、先代の技術を一身に継いだ赤星なら安泰だろうが、イヅミも腕は悪くなかった筈。

 しかし、メンタルか……

 先代と赤星と、イヅミの三人が板場に並んでいた頃、彼はその独創的なメニューで老若男女を問わず楽しませていたものだが……)


 元春菊は考えた。

 彼に一人でもやっていける自信を持たせるにはどうしたものか……


 「先代はどうした?」


 と、思い出したように訊いた。

 先代は一線を退いた身とは言え、弟子が困っているのなら必ず手を差し伸べるような情に厚い人だったからだ。


 (弟子のこの現状を無視するような人ではない筈だが……)


 「先代は、今は田舎で隠居の身です。

 長年板場に立ち続けた人ですから、余生は穏やかに過ごして欲しくて、余計な心配はさせたくないと意地を張ってしまい……」


 (報せの一つもやっていない……と……)


 「借金はいくらだ?」


 「……五百万ほど……」


 「なるほど」


 元春菊は天を仰いだ。

 体重を受けた椅子がギシッと軋む。


 (真面目な性格だ。

 素直に先代や赤星、近所の馴染みの店や仕入れ先、頼れる所は幾らでもあっただろう。

 しかし、迷惑じゃないかと思い込み、不安にさせまいと一人で背負い込んだ。


 その結果がこの現状か……)


 どんよりと沈んだ空気が辺りを包んだ。


 「話聞かない奴でもグーは効くんだよな──ん? どったの?」


 そんな折、統香と一宮がヤニから戻って来た。

 何やら物騒な話をしていたようだが……


 「って、そうそう、コイツら知り合い?」


 統香が一宮とアイコンタクトを取る。

 無言で頷いた一宮が黒球を顕現させ、そこから吐き出させたモノは──


 「ぐえっ!」


 「ゔっ!」


 「ツァッ!」


 安っぽいスーツに身を包んだ三人の男だった。


 「何かがちゃがちゃ言いながらここ入ろうとしてたから止めたんだけど、話聞かねーんだよなこういう輩って」


 「なので私達の方でアブラカタブラと」


 アブラカタブラ(物理)の後、飲み込んでからの現在に至る。

 元春菊はその男達の顔に心当たりは無く、イヅミの方へ視線をやった。

 一つの推論からそうしたのだが、イヅミの表情からそれは確信に変わる。


 「……金融会社の方達です。

 集金はまだ先なんですが、こうしてやって来ては、握れと言って来て……」


 心苦しそうにイヅミが言う。


 「ん? 何の話?」


 事情を知らない統香と一宮。

 元春菊は二人へいきさつを伝えようとするも、


 「っ!! テメェ!」


 男の一人が飛び起き、統香へ向かって掴みかか──


 「ツァ!」


 れず、一宮に合気の要領で床へと叩きつけられた。

 間髪入れず、統香によるゲンコツ。


 これがアブラカタブラの正体である。


 統香を睨み付ける男達の視線。

 威圧し、不満を多分に溜め込んだ視線に、


 「もしかしてコイツら、ヤクザか何か?」


 統香が察した。


 「……はぁ」


 気を取り直し、元春菊は掻い摘んで要点のみを話した。

 そして、胸元から紙切れを一枚取り出すと、なにやらペンを走らせ……


 「色を付けておいた。これで引け」


 ピッと差し出す。

 それを受け取った若衆の一人は、文字通り目を飛び出させた。


 イヅミの借金は五百万。


 元春菊が手渡したソレ、小切手に書かれていたのは、その倍の数字であった。

 そこからの話は早いもので、


 「……ま、まァ、こっちとしても貸したモン返してもらえりゃ文句はねぇからよ」


 なんて捨て台詞を残し、ヤクザ連中は去っていった。


 「ヤルじゃん」


 場を一手で収めた元春菊の手腕は実に見事であった。

 満額ではなく倍額。

 それをこうもアッサリ提示されては、相手としても引き下がる他無かったのだろう。


 統香は元春菊を肘で小突いた。


 「揶揄うな。

 文化の衰退に比べたら安いもんだ」


 ニヤリと口角を上げ、元春菊はイヅミと目を合わせた。


 未だ事態を上手く飲み込めず、呆気に取られているイヅミだったが、


 「……はい……」


 染みる。

 出汁が水を染めるように、じんわりと実感が広がっていく。


 属国であるキューブにも、宗主国である日本の文化は多く流れている。

 しかし、アートを除いたその殆どは、本国に劣る下位互換と揶揄され、心無い言葉を浴びせられる事も多かった。

 そんな風潮の中、自分の握りを、次期人間国宝候補のこの男が、

 この国を代表する芸術家が、


 「文化」と形容してくれた。


 そう、言ってくれたのだ。


 「はいっ……!」


 一千万円という莫大な額。

 それを「そんなもの」と言えるほど、大きな恩義。


 力強く頷くイヅミの瞳に、元春菊は安堵した。


 イヅミが本来の実力を発揮出来なかった原因は、一人で板場に立つと言う心細さからであった。

 それによって、自分一人で何とかしないといけないと緊張し、肩に余計な力が入り、彼元来の伸び伸びとした腕が振るえなくなってしまっていた。

 適度な緊張はクオリティを担保するためにも必要である。しかし、度を越した緊張は身体を萎縮させるばかりだ。


 此度、元春菊が借金を肩代わりし、身に余る言葉を受け取った事によって、そんな重荷は形を変えた。

 イヅミの肩にのしかかっていたそれは、彼の足元へと移る。

 自分に期待してくれている先代に、元春菊。兄弟子である赤星。

 そして、先代の頃から足繁く通ってくれている、数少ない常連の方々。

 仕入れ先、近所の料亭。


 ようやく気付いたのだ。

 誰も彼もがそうなのだ。


 己を支えてくれる、大切な存在だったのだ。


 彼らの期待に応えるため、イヅミは今一度、覚悟を新たにした。


 自分を支えてくれる人達だ。

 共に居てくれる人達だ。


 重荷であろう筈が無かったのだ。


 重荷に思えていたそれは形を変え、重責となり、イヅミの足を地に付けたのだった。



 「んじゃあとりあえず、今度は特上握ってよ」


 「そうだな。今日は寿司で腹を満たしたい」


 そう言う二人を筆頭に、


 「そうですね、頂きましょう」


 と一宮。


 「バニラアイスも!」


 とシファ。


 「俺も!」


 とまこっちゃん。


 突然入ったオーダーに慌てるも、イヅミは笑顔でそれを取る。



 「へい! 特上五丁! アイス二丁!」



 生き生きとした、イヅミによる景気付けの発声。

 それは店の外まで響いた。


 通りががった男性が、思わず入店するほどに。



 こうして、元春菊の行きつけ『平四庵』は、後に本島から足繁く通うファンを獲得するほど、一流の地位を築いていく事となる。





 なるのだが、事態はここで終わらなかった。





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