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世紀末的風貌の男(2)

 「システムメンテナンス……?」


 「はい……担当の機械人形がお腹壊しちゃって、サーバーダウン中なんです。

 復旧の目途も立っておりません……」


 司書は申し訳無さそうに告げる。


 クレーマー気質でない統香であったが、これには思わず大きめの声が出てしまいそうになった。

 既所でそれを飲み込み、冷静に、平静に訊ねる。


 「えっと……つまり……?」


 「申し訳ございませんが……御用の方は収蔵庫にて、手作業でお願いします……」


 つまり、そう言う事である。


 「……まぁじ?」


 「マジです……申し訳ないです……ごめんなさい……!」


 あわや泣き出しそうな司書を前に、統香はこれ以上の追求を憚られた。


 画家探しであれば一瞬だった。

 が、頼みの綱であるサーバーがダウンしているとなると、それは出来ない。

 電波の届かない場所でググる事は出来ない道理である。


 一年前の作品群の中から、真の主の手掛かりを探す。


 依頼の難易度が跳ね上がった。



 現在ダウンしているデータバンクのサーバーセキュリティがバッチバチに高いのは、担当の機械人形がサーバーそのものとして機能するアトリビュートを行使しているためである。

 しかし、機械人形の身体組成は人間と殆ど同じであるため、このように体調を崩してしまうことも多くはないが、ままある。

 予備のサーバーに切り替える事である程度のセキュリティは保てるが、機能のどれもこれもが本サーバーに比べて圧倒的に劣る下位互換性能であった。

 無論、古今東西芸術家データベースの使用も不可である。


 予備サーバーの性能向上や、完全デジタルと同時進行でアナログデータをまとめていく施策など、環境改善案はいくつかあった。


 しかし、それら議案は会議の度に


 いつかやろう。


 と後回しにされていた。


 大馬鹿野郎である。


 「これだからお役所は……」


 舌打ち一つ。


 統香はサーバーダウンを想定に入れていなかった。

 それはもう、大絶句も待ったナシと言ったところである。


 ちなみに、ここで言うシステムメンテナンスとは、機械人形にうどんなどの炭水化物を与え、療養させることを指す。


 「……真、主に心当たりはある?」


 「唯一知ってる事って言やー、このロケットに入ってる肖像画のヤローが鍵って事だけだ……」


 真が開いたロケットの中には、端正な顔立ちをした男性の肖像画の縮小コピーだろう物が一枚だけ入っていた。

 通常、ロケットには写真やイラストを左右それぞれに一枚ずつ入れるものであるが、これは例に漏れる。


 「この人に見覚えは?」


 真は無言で首を振った。

 早速暗礁に乗り上げた事が身に染みる。


 「なるほどね。まあでも普通に考えりゃあこの人が真の主か、主の大事な人とかだよな?」


 「手がかりはこの男性の肖像画と、届出が一年前にされているだろうという事だけですか」


 乗り上げた暗礁は、五里霧中と暗中模索のデッドロック的岩場であった。


 統香は受付に倒れかかった。

 そうでもしないと立っていられなかった。


 「司書さん……ここ一年以内で届出があった肖像画ってどれぐらい……?」


 統香は机に伏せったまま問うてみる。


 「おおよそ百ですかね」


 「あ、マジ? そんなもん?」


 と、想定よりも遥かに少ない点数に顔を上げるも、


 「はい、ざっと百万点ほど」


 見上げたそこは、岩場かつ、フィッツロイもかくやの岩山であった。


 統香は膝から崩れ落ちた。


 「当然でしょう。マエストロはこの国にいったい何人の画家がいると思ってるんですか」


 「一宮うるさい……」


 この国の人口一千五百万の内、画家はアマチュアを含めると八百万人ほどいる。

 八百万分の百万。

 芸術の国キューブでは、一年間の内、実に八人に一人の画家が肖像画を届出ていた。

 精力的な事である。


 かのパブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソは、画商の好みに合わて肖像画を描いていたと言う。

 いつ何時も、肖像画という物は画家に取って有用な営業ツールの側面を持っているのだろう。


 しかしそれはそれとして。


 「き、厳しいんじゃねぇか……?」


 統香にそんな声が降りかかる。

 百万分の一。

 まさに、砂漠から特定の砂を見つけるようなものである。

 と言うと比喩の規模の方が圧倒的であるが、要はそう言う事である。


 「んんん……」


 統香はちらりと真の顔色を伺った。


 真は申し訳なさそうに、居心地が悪そうにしていた。

 統香としても期待させてしまった手前、この反応は面白くない。


 「……ま、なんとかなるっしょ!」


 統香は勢い良く立ち上がると、両手を振って収蔵庫へと歩き出した。


 気丈に振る舞う統香を前に、真は言葉を飲み込んだ。



 そうして先の見えない中、いよいよ捜索が始まった。

 作品収蔵庫の肖像画エリアは、五階建てのマンションがすっぽりと納まってしまうほどの高さと広さを持つ広大な図書館のような空間であった。

 三人はその中の、およそ一年前に届け出があった作品が保管されているスペースの前に立つ。

 結局、端から端までを徹底的にローラーしていくことに決めた。


 エレベーターを登って見下ろした最上段からの眺めは、さながら絶叫マシン頂上の展望のようであった。


 「これはなかなか……」


 思わず額に手をかざして俯瞰してしまう。

 そうして見下ろした主は、蟻のように小さかった。


 「どー? 見晴らしいいー?」


 そんな主が声を張る。

 自分より圧倒的に小さな存在(物理)となった主が、声を張っている。


 指先でつまめそうな、


 力加減を誤って仕舞えば、潰してしまいそうな……


 「ゴクリ……」


 (なにか、開いてはいけない扉に手をかけた気がしますね……)


 一宮は沸きかけた欲求を生唾と共に飲み込んだ。


 「とても高いですー! 一先ずこの列を持って降りますよー!」


 「あーい!」


 「……ゴクリ」



 いけないいけない。


 一宮は自らの内腿を強く抓った。

 痛みと共に正気が戻ってくると、アトリビュートを行使。

 黒球を溶かし、一列を丸々と飲み込んだ。


 「すげぇな……軽くやってるように見えるけど、あれだけで百点はあるんだろ……?」


 同じ機械人形として、真は尊敬の念を禁じ得なかった。

 首が痛くなるほど見上げ、賞嘆を溢す。


 「あるねぇ。

 まあこれなら、案外早く終わるかもだな」


 「おう!」


 上から下への運搬は一宮が担い、三人で作品をチェックしていく。

 現状、これが最も安定したフォーメーションであった。

 ロケットに入れられた肖像画の特徴と一致すれば見比べ、しなければ次に移る。

 単純作業の繰り返しである。


 さて、肖像画というものの特徴として、一つ。

 多くの作品が「こちらを見つめている」という点が挙げられる。

 モデルが描き手を見つめている場合が殆どであるためそれは必然ではあるのだが、"単純作業"を"長時間”行う上に、判別の為、大量の絵画と"目を合わせる”必要があるというのは、三人の想像を絶するほどの疲労に襲われ、精神を消耗した。


 様々な画風。

 様々な画材。

 それらによって描かれた人物画。


 吸い込まれそうなほどに真っ黒な瞳。

 透き通るような青い瞳。


 千差万別の顔立ち。


 どれもこれも、誰も彼もが、己を見つめてくる。


 「うっ……」


 真が呻いた。



 そうして作業開始から半日が経過した明け方頃。

 ようやく一万点分のチェックが終了した。

 この中にそれらしい絵画は一点も無かった。


 「肖像画ってマジ……なんでどいつもこいつもこっち見てんだよ……このロシアン幼女とかマジもう……マジ……可愛くなかったら燃やしてんぞ……」


 「この鼻頭が気色悪くて集合体恐怖症は悲鳴モノのおじさんも……写真みたいに精緻に描くくらいならカメラで撮ればいいのに……」


 「そいつらァ絵だからなー……」


 「「絵かぁ〜……」」


 三人は眠気の限界から仲良く大船を漕いでおり、半ば脳死状態となっていた。

 作業開始時は、それはもうワイワイと楽しくやっていたものだが、今となっては殆ど口を開くことも無い。

 思い出したかのように誰かが何かを口にしても、それは恐ろしく内容の無いものばかりであった。


 「これそんな上じゃねぇ……行くわ……」


 統香はフラつきながら、力無く立ち上がる。


 「お気をつけて……」


 一宮の語気も弱々しくなっていた。


 「誰にものを言って──おわっ!」


 「マエストロ!」


 言った側からである。


 「アブねー!」


 統香は何も無い所で躓き、危うく転倒しかけた。

 幸い側にいた一宮に抱き抱えられる形で事なきを得たものの、集中力が完全に切れていた事は誰の目から見ても明らかであった。


 普段であればしないだろうミスや、疲労からくる二人の苦し気な表情を見かねた真は、自責の念から拳を握る。

 そして、重く閉ざしていた口を開き、その言葉を口にした。


 「……もう……」


 「いてて……って、んぁ?」


 「もう……いいぜ……アンタらはよくやってくれたよ。

 こんだけ探しても見つかんねーってことは、届出もされてねーんだろ」


 一度堰を切ると、もう止まらなかった。


 「主からすりゃー恥だったんだよ。俺なんかアトリビュートもない、ただ迷彩がちょっと上手いだけの機械人形だ。

 その上こんな見た目で腕っぷしもよえーときたら……まあ、捨てたくもなるんじゃねーか……」


 真は自分を卑下し、諦念を露わにした。


 真の言葉に思う所のあった統香。

 少し表情に影が差すも、一先ずは真の背を押す言葉を吐く。


 「こんだけっつっても、まだ十分の一っしょ?」


 「百分の一です」


 しかし、素早く挿入された訂正に、統香は思わず眩暈を起こした。


 「……それによ、二人共いつ怪我したっておかしくねーじゃねーか。

 今だって一宮サンが手ー貸してくれたから何とかなっただけで……」


 言われ、統香は気まずさを覚えた。


 自分の主の手掛かりを掴みたい一心で身体を動かす真。

 機械人形であり、比較的体力に余裕のある一宮。


 そんな中、陽の光を吸血鬼のように嫌う出不精の自分。


 戦力として心許ない印象を抱かれるのは、仕方の無い事に思えた。


 「……そっか」


 しかし、そんな事で手を止めるほど根性が無い訳では無い。


 「心配してくれんのはありがたいけどね、探し物の依頼があって、目当てのもんがあるかもしれない場所もわかってて、それなのに途中で「見つからない」って諦めるのはさ、なんか違うじゃん? っと」


 統香は、大丈夫と言わんばかりに大げさな動きで、作品を棚へと仕舞った。


 「でも、せめて日を改めるとか」


 「生憎ですが、マエストロは明後日……正確には明日からですが、制作の予定が入っているんですよ。

 その後も立て込んでいますので、次にここへ来れるのは……そうですね、早くても一月は先になるでしょう」


 「そ。だから今私達が出来る事っつったら……っと、

 ここを隅々探す。それだけだよ」


 数点のキャンバスを抱えて、ニヒッと笑った統香。

 無理していると判る笑顔。

 元気そうにしているが、キャンバスを抱えるだけの動きですらしんどそうに見える。


 そうとわかっても真はこの笑顔に弱いのか、またしても言葉を飲み込んでしまった。


 「今日の……そうですね、日没までに見つからなかったら、流石に後日に回しますよ。

 だからそれまでは、やれるだけやりましょう」


 真は改めて二人を見つめる。


 依頼主を不安にさせない。


 そんな、矜持にも似た意志を感じた。


 二人ともしんどいだろうに……なのに……


 「アンタらっ……すまねぇっ……!」


 (ここまで誇り高い二人に「もういい」なんて、礼を欠くにもほどがあらーな……!)


 真は溢れ出た涙を拭った。

 それでも涙は止め処無く流れ続けた。


 「泣くな泣くな。まだまだこっからだぞ」


 「ああ……!」


 涙は流れ続けているのに、腹の底から力が湧いてくるような、そんな気がした。


 のも束の間。


 「まあそれはそれとしてヤニ補給入りま〜す」


 と、


 「私も失礼しま~す」


 と、


 「お……あ、ああ!」


 イマイチ締まらない空気に、涙はピタッと止んだ。



* * *



 しかしそれからさらに半日後。

 作業開始からは丸一日が経過していた。

 タイムリミットである日没までは一時間を切っている。


 未だ目的の肖像画は見つかっておらず、代わる代わる食事や仮眠を取れど、疲労はわずかにしか回復しない。

 肉体の体力的な疲労こそ楽になるが、この「肖像画を見つめる」という作業は、三人の想像以上に精神を疲弊させていった。



 三人の脳裏に断念の二文字が浮かび始めた頃、事態が動いた。



 「うおっ!」


 次の作品を手に取ろうと立ち上がった真を、立ちくらみが襲ったのだ。

 バランスを崩した真は激しく転倒する。


 「おい!」


 「真さん!」


 二人は慌てて真の元へと駆け寄る。


 「真さん、大丈夫ですか?」


 「いてて……大丈夫だぜ。軽くふらついただけだ」


 次の休憩まではもう暫くあるものの、真の気力も切れかかっている。


 「一旦休憩す──」


 少し早めの休憩を打診しようとした所、統香が異変に気付いた。


 「──っそれ! ロケット!」


 真自身は無事だった。

 しかし、倒れた拍子に開いたロケットは真の体重を受け、大きく歪んでしまっていた。


 真は手のひらにロケットを乗せたまま、壊れたそれを呆然と見つめた。


 「ああ……ぁ…………」


 名前と、ロケットペンダント。


 顔も、名前も、声も、見た目も、何もかもがわからない主から貰った、数少ない大切なもの。


 そのロケットが激しく損傷してしまった。


 「っっ……っく……」


 真は嗚咽を漏らすと、ロケットを握りしめて蹲った。

 治れ治れと祈るように、頭上に掲げ、力強く握った。


 その姿があまりにも痛ましく、二人は慰めの言葉をかけられなかった。

 大切なものが壊れてしまった辛さが伝わってくるようで、こちらの胸まで締め付けられる。


 こうなってしまっては真の精神状態が慮られた。


 丸一日殆ど眠っていない。

 一人当たりで換算するなら、六千点もの肖像画と目を合わせている。

 気力も体力も底を尽きかけていた。


 二人は今回の捜索を終了しようとした。


 その時だった。


 「……ん? おいそれ!」


 「なんか……二枚入ってません?」


 握っていた手の隙間から、僅かに見えたロケット。

 男性の肖像画の下から、もう一枚の何かが顔を覗かせていた。


 「だよな!? 真これ!」


 「あ……?」


 隠すように重ねられていたその男性の肖像画がひらりと落ちる。

 その下から新たに現れたのは、同じ構図の肖像画であった。


 統香はそれに見覚えがあった。


 「これは……ちょ、ちょっとまてこの絵! これさっき見たぞ!」


 統香はふらつきながら立ち上がる。

 その声量とは裏腹に、覚束ない足取りで棚へと向かって行く。


 「えっと……あった、これだ! ホラ! これだろ!!」


 そうして手に取ったキャンバスに描かれていたのは、緑の瞳でまっすぐにこちらを見つめて微笑んでいる、ロシアン幼女の肖像画であった。


 「さっきこけそうんなった時持っててさ、それで覚えてた!」


 「流石です。

 ……しかし、幼女ですか」


 統香から真へ、その肖像画が手渡されると….


 「これは……」


 (ッ!? 何だ? この感覚は……!)


 手に触れた瞬間、全身に電撃が走ったかのような痺れを覚えた。

 手から脳へ、何かが走る。

 伝達にも似たそれを経た真は、まるで最初から知っていたかのように、この作品の全てを理解した。


 「裏に詳細が貼られてますよ。

 作者は椎名新しいなあらた。歳は──あっ……」


 「ん? どした?」


 「……享年きょうねん……二十六……」


 「享、って……」


 二人は真の表情を伺った。

 眉間にしわを寄せ、ぐっと堪えているような、今にも何かがあふれ出しそうな、そんな表情だった。


 二人は言葉に詰まった。


 「……いや、大丈夫だ。薄々わかってたさ」


 キャンバスを宝物のように抱きかかえながら、真は続ける。


 「それにこの絵、俺だよ。

 似ても似つかねぇが、こうして触ってると……いや、触った時には、俺だって認識が既に俺の中にあったんだ」


 涙は静かにあふれ出した。


 悲しみではない。

 幸福によるそれは、蛇口が壊れたかのように止みそうになかった。


 自分には無いと思っていたものが、そこにはたくさんあったから。


 「それに……それによー……!」


 そんな真を見つめながら、統香は安堵のため息を吐く。

 そして、次の言葉を察したように口を開いた。


 「そ。真さ、自分のことを「恥」とか「捨てられた」とかって言ってたけど、もうわかるでしょ?」


 真は無言で頷いた。

 噛み締めるように、何度も何度も頷いた。


 「ああ、胸んあたりがスッゲーあったけーよ……!」


 「だろうねぇ。

 まあそもそも、恥だとか捨てたいとか思われるような絵が機械人形になる訳無いんだけどね」


 一宮と真。

 二人の機械人形を交互に見つめ、


 「画家が一生に一度、自分の心とか魂とか、そういう深層心理の曖昧なものを顕現さしたのが君らなんだよ。

 死ぬほど熱量の籠った絵だ。

 これは肖像画だろ? なら、お前の主の理想像が、まさにお前って事だよ。

 まあ元春菊みたいに、単純に思い入れが強い作品が機械人形になることもあるんだけどさ」


 「つまりマエストロは私が……」


 「私は後者。知ってんだろ」


 真の流す涙は次第に大粒になっていき、しゃくりあげると、肩は大きく上下した。


 「そうっ、だったのかっ……」


 「ああ。お前はいい絵だよ」


 「そうか……そっか……」


 ポタリ


 と、涙がキャンバスに落ちた。



 それを契機としたように、真の背中の一部が小さく歪んだ。

 ような気がした。


 「ん?」


 見間違いかと疑った。

 統香は目元を擦り、再度目を凝らす。


 「んん?」


 拡大と縮小を繰り返すその歪みは瞬く間に全身へ広がって行った。

 そして、いよいよ真の全身を飲み込むと、周囲の空間をも侵食し始める。


 「何かヤバくね……?」


 モザイクのような、がじゃがじゃとした歪み。


 「ひぐっ、うっ…!」


 その広がりに呼応するように、真の嗚咽も激しさを増して行く。


 「ずぇえ! 何これ迷彩!?」


 「マエストロ下がって!」


 統香を守るため一宮が前に踊り出たその瞬間、モザイクは爆発するような激しさを以て四方八方へと広がり、遂には部屋全体を覆い隠した。


 そのまま本部を飲み込むかのような勢いであったその歪みは、次の瞬間、一瞬で真の中へと入り込むように収縮すると、完全に霧散した。



 「うわああぁぁぁあああん!」



 真が蹲っていた場所では、真と入れ替わるように、絵の中の幼女が泣き崩れていた。



 「うぁぁああああぁぁぁぁあああああん!!」



 呆気に取られたのも束の間、今までの疲れを吹き飛ばすような驚きの声が二人から上がった。



 「「えええぇぇぇぇぇぇーーーーーっ!!!」」



 「ふぐっ、うううっ! ひっく……」


 卒爾の出来事。

 統香の頭には、大量の情報が雪崩のように流れ込んで来た。


 真から広がった歪み。

 それは、今日までかなりの場数を踏んで来た二人をもってしても、初めて目にした光景であった。


 収縮したその歪みの奥には、絵の中の幼女。


 (迷彩……か……?


 確かに真は迷彩がちょっと上手いって言ってたけど……いや、いやいや! とんでもないぞこれ!)


 こちらの胸中など知る由もない真は、未だわんわんと泣き続けている。

 それは良い事だと素直に思う。

 しかし、それどころではないという思いが強すぎるあまり、依頼を達成した喜びも、先ほどまで猛烈に自分を襲っていた眠気も、今はつゆほども感じなかった。


 (真はクソガキに殴られてた。一宮は治療もしてた。私だってあいつの肩を叩いたりした。

 つまり、真には質量があったんだ。

 でも迷彩による質量の付与なんて聞いた事が無い。

 迷彩はあくまでも空間をそれっぽく見せたり、隠したりするだけの光学迷彩みたいなもんだ。


 何より、幼女の姿の自分を知らなかった。

 恐らく、本来の姿だ。

 なのに知らないって事は、あの世紀末みたいな見た目は迷彩で……真は、今まで一度もそれを解いた事が無かったんじゃないか……?

 生まれてから一年間、ずっと使い続けていた……?

 その上で、同時に他の場所にも能力が使えてたってことだよな……?)


 統香と一宮の目が合う。

 一宮は、信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。

 恐らく、自分も今、同じような顔を、考えをしているんだろう。


 (ある程度鍛錬を積んだ機械人形なら、向き不向きこそあれど、誰でも使えるのが迷彩だ。

 有るように、無いように見せるだけの、お遊びみたいな能力だ。


 でもこいつのは別次元。


 有るし、無いんだ)


 二人の脳裏に、とある言葉が浮かんだ。


 (こんな壊れスペック……まるで………)



 まるで、アトリビュートじゃないか。



 自身の肖像画を抱き抱えながら、真は泣き続けた。

 司書が異変を察知してやって来ても、気にせず声を上げて泣いていた。


 主の温もりを感じる度、湧き出る泉のように涙を流すのだった。





 キャンバスの裏には、作者の詳細ともう一つ、


 この作品のタイトルが記されていた。



 この作品の名前。



 それは、『自認じにん』。



* * *



 「椎名新は性自認で悩んでたみたいだね。

 心は女性であることを望んでたんだけど、それと反対に身体は大きくなるばかり。

 親がそこそこ名の売れた画家だったもんだから、悪評を避けて周囲にも相談できず、もんもんと募らしていた……と。


 自認ねぇ……」


 翌日。

 制作を始める少し前。


 「例の、協会の"お詫び"ですか?」


 統香のアトリエで煙草を吸っていた二人は、昨日協会から受け取った椎名新に関する資料を読み上げていた。


 「そ。昨日、あれのついでにってくれたやつ」


 「あれ」と言い、どこか遠い目をした統香は資料を閉じた。

 深呼吸をするように煙草を吸う。


 「世紀末の中から幼女とは、とんだマトリョーシカでしたね」


 「ほんとそれ。ちょっと面白いけどね」


 「ですね」


 吸い終わり。火を消す。


 平素と変わらぬ様子で統香は言った。


 「ああそれと、あいつうちで働くことんなったから」


 「そうですか。騒がしくなりますね」



 煙草を口元に運んだまま、一宮はフリーズした。



 そして数秒後。


 「……え?」


 違和感を感じるには、統香があまりに自然体すぎた。


 「多分もうすぐ来るんじゃ──」


 一宮はさも当然と言ったように続ける統香の声を遮る。


 「は? えっ、あいつって、あいつですか?」


 統香はコクコクと無言で頷いた。


 一宮が思い浮かべている顔と、統香が思い浮かべている顔は一致している。


 一致しているからこそ、統香は平然としているし、一宮は動揺が前面に露出していた。


 「おっ、来た来た」


 噂をすれば何とやら。トタトタと廊下を駆ける足音が、少しずつこちらへ近付いて来た。

 二人が扉の方へ視線をやると、若干舌足らずで甲高い、幼女然とした声を張り上げた真が、勢い良くドアを開けて姿を現した。


 「よう! 昨日はありがとな!」


 「おんおん。これからよろしく~」


 「おう!」


 一宮のお古である子供サイズのメイド服姿で登場したこの幼女──真は、屋敷の使用人としてこれから励む所存だ。


 「……なんですか? その格好は」


 「ああ、あっちの姿じゃこの服は着られねーからな」


 スカートの裾を摘み上げながら言う。

 可愛らしいその様子に、統香はにんまりとした笑顔で頷いた。


 世界最高峰の画家。

 人間国宝に最も近い画家。

 天才。

 鬼才。

 ヤニカス。


 斯様に評価されている八月朔日統香であるが、彼女も歴とした女性である。

 可愛いものは人並みに好きなのだ。


 (ヒャッハーでは着れないとか、そう言う事ではないんですが……)


 「まー、これからヨロシクな!」


 一宮とて、真が嫌いと言う訳ではない。

 むしろ、嘘をつけないだろう性格や、他人を気遣う優しさには目を見張っていた。

 人として、普通に好きであった。


 が、面白くない。


 統香の屋敷には何人かの使用人がいる。

 老若男女を問わず、六人ほど。


 そんな中で侍女頭と言う責任職に就いている身としては、事前に一言くらいは相談しておいて欲しかったのだ。


 一宮が恨めしい視線で統香を睨みつけると、


 「あっ……えへへっ」


 目が合い、笑って誤魔化された。


 (可愛い)


 溜飲は雲散霧消した。



 そんな二人を見つめる真。

 この者も、統香の笑顔に魅せられた内の一人であった。



 真はこの時、収蔵庫で統香と交わした、とある会話を思い出していた。



 「お前さ、主に会ってどうすんの?

 会ったらそれで終わり? なんか他にさ、理由とか目的とか無いの?」


 その問いに真は即答出来なかった。

 こうして協会を訪れたのは、勢いの側面が強かったから。

 要は、そこまで考えていなかったのだ。


 「理由……理由か」


 統香の言葉を反芻すると、真は顔を上げた。

 別に何を見るでもない。

 ただ、己の気持ちを整理するように上を向き、天井を見上げた。


 「……なんだろうな……好奇心……ただ会いてーっつーか……会ってみてーっつーか……」


 頭に浮かぶのは、そんなものばかりであった。


 理由としては薄い。

 理性と言うよりは本能に近い思い。


 「……そうだな。

 会う事自体が目的だし、理由かもしれねーな」


 しかし、その気持ちに嘘はなかった。

 心からの本心とも言える。


 統香にもそれは伝わった。


 「ただ会いたい。か。

 ──よし、少しでも早く会えるように、さっさと見つけるべ」


 結局、自分の主は既にこの世には居なかった訳だが。


 統香も早いうちに両親を亡くしている。

 立場が弱音を許さなかった事から言えなかった本音。

 もはや、自分でも見失ってしまっていたそんなものが、目の前の世紀末的風貌の男から感じて取れたのだろう。


 もちろん当の真はそんな込み入った事情など知る由もない。

 だが、知らずの内に、統香の奥底にあったやり場の無い気持ちを照らしたのだった。


 「……ああ」


 よく知りもしない自身へ何度も笑いかけ、手を差し伸べ、鼓舞し、共に居てくれる。

 真は、今まで感じた事の無い居心地の良さに、どうにもテンションが上がっていた。


 生まれて初めての感覚だった。


 そんな熱に浮かされてか、真は切り出した。


 「……な、なあ、もし主に会えなかったり、拒絶されたりしたらよー……その、アンタらんとこで……世話んなってもいいか……?

 俺のためにここまでしてくれた、アンタらの力になりてーんだ」


 「……おん?」


 きょとんとした顔の統香を前に、真は全身から汗を吹き出すのを感じた。

 滝のような激流でもって、恥ずかしさが去来した。


 「──っな、なんてな! いっ、言っててやべーな! 忘れてくれ!」


 言葉を紡ぐにつれて顔を赤くする真とは対照的に、統香は平然とした様子で答えた。


 「ん? 部屋余ってるし別にいいけど」


 「……マジでか? か、軽くねぇか……?」


 「労働力はいくらあってもいいかんねぇ」


 統香はニヒッと笑ってそう言った。


 きっと、この笑い方がクセなんだろう。

 あっけらかんとしている統香の顔からは、その発言に言葉以上の意味はなく、ただ本当にそうとしか思っていないという心の内が、ありありと伝わってくるようだった。


 自分の事を、それほどまでに買い、信用してくれているのだ。



 何か一つの澄んだものに全身が浸かっているかのような感覚。



 見上げるとそこには、一筋の眩い光が差している。



 真は、統香にそんなイメージを感じたのだった。





 世紀末的風貌とは打って変わり、幼女の姿となってしまった今、真に出来る事はきっと多くはないだろう。


 けど、それでも、真は恩義に報いたかった。



 「えっとじゃあ……真……ちゃん? 真さん?」


 「何でもいいぜ。好きに呼んでくれ」


 そしてそれは、一宮に対しても同じである。


 「じゃあ可愛らしいのでまこっちゃんですね。これからよろしくお願いします」


 「おう! よろしく頼む!」


 影響され易いお年頃。

 「真」改め「まこっちゃん」は、統香の笑顔を真似るように、ニヒッと笑ってみせた。


 「ちなみにですけど、その喋り方は変わらないんですか…?」


 「これな、いずれな!」



 統香は二人のやり取りを見つめながら、自分の口元が緩むのを感じた。


 午後の燦々とした陽射しを受けながら、


 窓を開け、心地良い風を全身に浴びながら、


 小気味良い会話に耳朶を弾ませながら、


 統香は、キャンバスの前に腰を下ろしたのだった。





 こうして、労働基準法もなんのその。

 見た目年齢若干九歳のロシアン幼女が使用人に加わった。





 新たに用意された真の居室。

 その壁には一枚の肖像画が掛けられていた。


 日が当たらないよう計算された位置に、素朴ながらも温かみのある額に仕舞われて。



 午後の高い陽が、埃をキラキラと照らす。



 ベッドの正面。



 朝、一番に目に入る場所にて、



 『自認』が、こちらに微笑みかけていた。



──



 『自認』とは、作者である椎名新の「こうありたい」という理想を描いた肖像画でる。


 多角的に私を客観視しても、それすら主観である。

 他者が私に対してどれだけ客観的な意見を言おうとも、我々は真に理解し合えている訳ではない。

 そのため、他者による私への評価は、その者らが勝手に私を理解した気になって表層をなぞっているだけの、児戯のようなものである。

 私はそう考える。


 では、私は私を真に理解する事は出来るだろうか。


 恐らく、出来ない。


 出来ないけれど、他者よりも多くの時間を使って、己を見つめる事は出来る。


 では、そうして見える己とは?


 己を己たらしめるものとは?


 人は初めてそれを認識した時、「主観」と名前を付けたのだ。



 私は、そうして育まれた主観を以て、己を認めていきたい。


 こんな理想を諦めたい。



 そんなやりきれない思いが込められていた。

 言わばこれは、女性であろうとする心を


 「私の身体は男である」


 という理屈で誤魔化そうとした、心と身体の決別の一枚である。

 心を受け入れて自由に生きる勇気を持てなかった彼は、常に周囲の顔色を伺っていた。

 遂には、両親の名誉を汚す訳にはいかない。と心を殺し、身体のままに男として生きる覚悟を決めたのだった。


 その結果、皮肉にも隠し誤魔化す迷彩に特化した機械人形が、自身の理想の姿で生まれたのだった。


 涼やかで軽く、美しい金髪で、

 鮮やかな、翡翠のような瞳で、

 触れれば折れてしまいそうな、氷細工のような四肢で、

 伸びをすれば肋が浮き出るような痩躯で──……


 自身の理想を詰め込んだ存在。

 会心の作品。


 椎名新はその肖像画が完成した晩、興奮で震えた。

 これを機に変わるだろう環境を夢想しては、眠れぬ夜を過ごした。


 しかし翌朝。

 昨晩に顕現した幼女は夢だったのか、目の前に居るのは死んだように静かに眠る世紀末的風貌の男であった。


 この変貌が迷彩によるものだと悟ると、彼は瞬く間に我に返った。


 (この作品を世に出せば、この機械人形と共に居れば、それは即ち、自身の内にある女性の心を認める事になってしまうのではないか?)


 そう考えた彼は悩んだ。


 悩み、悩んで、


 悩み抜いた挙句、



 ひっそりと協会のデータバンクにこの肖像画の原本を保存した。



 理想を手放したのだ。


 それでも完全に決別する事は出来なかったのだろう。

 予め取っておいた肖像画と自画像の縮小コピーをロケットに仕舞うと、眠り続ける真の首へ掛けた。

 自身の気持ちを裏付けるように、理想を己の下に隠した。


 理想とは正反対の、この雄々しい見た目の機械人形と共に、これからは生きていく。


 誰も自分を知らない街で、ひっそりと、二人で暮らそう。


 貧しくはなるだろうけれど、それでも、温かく、笑いの絶えない家庭にしたい。


 決別こそ出来なかったものの、未練を断ち切る力を彼は得た。


 家財一式を売り払おうと家を出る。


 そんな矢先、椎名新は交通事故にて、画家として無名のままその生涯を終えた。





 全ての願いが叶わなかった彼が、生前最後に残した作品。

 それは、絵と言うよりは書のようなものであった。


 薄く塗られた白地とは対照的に、厚く塗られ、太く描かれた『真』の一文字。


 寝ぼけ眼でそれを見つけた真には、彼の最後の作品に込められた本当の意味を理解する事は出来なかっただろう。



 しかし、感じる事は出来た筈だ。



 真は今日も、その名の通りに育っているのだから。





 『両親』、『心』、『絵画』に人生を狂わされた男は、最期までそれら全てを恨む事は無かった。





 『真っ当であれ』





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