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カタコトの来訪者(2)

 場所は移り、屋敷内食堂。


 「謝謝……謝謝ネっ……!」


 晨星は泣いていた。

 大粒の涙をぼろぼろと溢れさせていた。

 そうして嗚咽を漏らしながらも、休む事なくテーブルに並べられた料理を口の中へと詰め込んでいた。


 「泣くか食べるかどっちかにしなよ」


 「はぐっ、はぐっ! もしゃっ、もしゃっ! ごっごっごっ!」


 聞くや否や食事へ舵切る晨星であった。


 「おうおう、ゆっくりよく噛んで食べろよな〜」


 瞬く間に料理を飲み込み、皿を開けていく。

 自身の姿が埋もれる程に空の器を山積させ、既に統香の一週間分に相当する量は消費しただろうに、未だその勢いは衰えを知らないかのようだ。


 「んぐっ! んんっ!」


 「ほらも〜言わんこっちゃない。

 はいお茶」


 「んん……ぷはっ!」


 晨星はコップを受け取り一気飲み。喉の詰まりを胃へと流し込むと、そのまま休む事なく次の皿へ手を伸ばした。


 トンカツにかぶりつき、

 焼き魚は骨ごと喰らい、

 拳大の唐揚げは一口で平らげた。


 健啖家──なんてものじゃない。


 「よく入りますね」


 「だな。この細ぇ身体のどこに収まってんのやら」


 さて、現在ではこうして食事に夢中の晨星だが、彼女は一宮との闘いの直後に白目を向いて失神した後、屋敷内にある診療室へ運び込まれた。

 一宮の一撃によるダメージが深刻だった可能性が最も高く見られていたものの、診療の結果、何か持病の発作でも起きたのか、一先ず肉体的なダメージが原因ではない事が判明したのだった。


 では、その持病とは何か。



 時は少しだけ遡る。



* * *



 倒れた晨星を診療室のベッドへ寝かせると、一宮は晨星の容態を把握するため、患部であろう鳩尾の触診を行った。

 戦闘の痕が残る服を捲ると、そこには薄らとした青痣がある事以外に異変は見られない。

 腹部を始めとし、その全身にはいくつかの古傷があるものの、晨星程の武術家にしては寧ろ綺麗な肌と言える。

 触れ、柔らかな弾力の奥には硬質な筋肉が確認出来る。

 変わらず異変は無い。

 となれば、疑いは身体の内部。臓器へと掛かる。

 一宮はアトリビュートを行使し、脳波や血圧、あらゆる成分の血中濃度等の測定を行ったところ、現在はただ眠っているだけだという事が判明した。

 突然気を失ったにも関わらず、晨星の身体は何ら異変の感じられない健康体であった。


 (けど……)


 健康体であったものの、一宮はその診察を通して一つの疾患を認める。


 「……恐らく解りました。

 症例があまりに珍しいので詳しい事はなんとも言えませんが……」


 一宮は静かに寝息を立てている晨星の右足を持ち上げ、下ろす。


 「可能性は高いかと」


 今の行動に何の意味があったのか。

 興味本位から統香も同じように晨星の右足を持ち上げてみると、


 「うおっ、馬鹿みたいに重いな!?」


 イメージされたのは重厚なダンベル。

 貧弱虚弱。身体的には雑魚リンピックキューブ代表を張れるくらいに脆弱な統香の細腕では、晨星の片足は到底持ち上げる事の出来ない重量であったのだ。


 「んぅううっ……んはぁっ、だめだぁ……」


 次いでまこっちゃんも挑むも、可愛らしい声で鳴くに終わった。晨星の方足持ち上げチャレンジ。成功したのは一宮のみである。


 「足ってこんなに重いのか?」


 「いや、だいたい体重の六分の一だから、晨星ちゃんが仮に五十キロとして……え〜っと……?」


 「八キロ強です」


 「あーね? でもほら、それなら私らでも持てるじゃん?」


 統香もまこっちゃんも十キロ程の米袋であれば持ち上げる事が出来る。とても余裕があるとは言えない上に統香に限っては腰をいわしながらであるが、それでも持ち上げられる十キロという重量は、体重六十キロの成人男性の片足と同じ重さである。


 「でもじゃあ、どうしてこの人の足はこんなに重いんだ?」


 目安を大幅に超えている晨星の右足。この事から導き出される結論は──


 「はい。

 この人は恐らく──」


 「ミオスタチンナンチャラ。爷爷じいちゃんに言われたヨ」


 と、一宮の台詞を奪ったのは、いつの間にか目を覚ました晨星であった。

 いや、ああして足を弄ばれては、目を覚ますのは当然の事か。


 晨星の身体的特徴。それはミオスタチンナンチャラ──ではなく、ミオスタチン関連筋肉肥大。

 筋量が常人の二倍程にまで達する事があると云われる遺伝性の疾患であるが、症例はとても少なく、現在確認されている事例は百件程度である。

 筋肉が肥大化し、それに伴って体格も常人離れするのが通常であるが、目の前に居る晨星にそのような症状は見られない。


 「やっぱり。

 普通は筋肉量相応の体つきになるはずですが?」


 「ワタシ功夫積んでるル。筋肉、質が違うヨ。違うカラ、筋肉関わル場所ゼンブ凄イ言われたアル」


 言いつつ横になったままの晨星は腕を上げ、ぐっと拳を握った。

 すると、肘から先の筋肉が山のように隆起し、その山を小川のように巡る太い血管までもが濃い陰影を刻んだ。


 「なるほど。類稀な才能に加え純度の高い功夫を積んできたからこそ、異常膨張するはずの筋肉を抑え込めている……」


 一宮は顎に手を当て、晨星の発言からそう仮説を立てた。

 すると、同時に一つの"可能性"にも気付く。


 「その代償に、常人とは比較にならないほどの代謝から、大量の食事が欠かせない……?」


 ハッとしたように顔を上げると、力無い晨星の瞳と視線がかちあった。


 「……その通りネ。

 栄養摂らないト直ぐ倒れるヨ」


 項垂れるように視線を外す晨星。

 一宮はそんな彼女の姿に、思わず握り拳を作った。


 先の闘い、文字通り次元の違う功夫を体感させてもらった。

 一手、また一手と繰り出した全ての攻撃が封じられ、圧倒的な実力差を突き付けられた。


 常人とは比較にならない燃費の悪さという身体的なハンデをものともせず、寧ろ飼い慣らすまでに積んだ研鑽に、打倒された。



 「晨星さん、もしよろしければ──」



 そうして、胸の内に迸発する尊敬の念が、一宮の口を開かせたのだった。



* * *



 そして現在。屋敷に残る食材全てを食らい尽くし、満漢全席でも催されたかのような痕跡だけを残して、晨星は上品に口元を拭っていた。


 不足したエネルギーの補給。

 それは一宮なりの礼であり、リスペクトの表れであったのだった。


 「吃饱了ごちそうさまでした


 抱拳礼。相変わらず見惚れる程に洗練された所作である。


 「お粗末様でした」


 一宮からの目配せを受け、シルヴィア指揮の元、山積された器の数々は即座に片付けられていき、あっという間の原状回復。

 瞬く間に使用人も捌け、晨星と一宮、統香、まこっちゃんの四名だけががらんとした食堂に残った。


 「……さてと」


 統香はお誕生日席の晨星に対し、通常であれば上座に位置する席へ態とらしくどかっと音を立てて腰を下ろす。


 「さっきも言ったな。お前んとこのボスについて、洗いざらい吐いて貰うぞ」


 始まるのは尋問。

 強気な語気と共にテーブルへ、統香は一枚の紙切れを叩きつけた。

 一宮と晨星の戦闘の直前に、晨星より手渡されたそれには、


 『前略


 親愛なる我が姉上様へ


 我々は日々、地位や名誉を欠片も持たない無名のアーティスト達の活躍に努め邁進しております。

 そのため、参天を始めとした協会に所属している上澄みの芸術家は目の上のタンコブ。鬱陶しくて仕方がありません。

 そこで、彼らを今よりも更に表舞台に立たせ、陽の目を浴びさせる為に、姉上様には前線を退いていただきたく存じます。

 命までをも脅かすつもりは御座いませんが、暫しの休暇を差し上げたく、本日はこの娘をお送りいたしました。お楽しみいただけましたら幸いです。


 姉上様の更なるご活躍は特段望んでおりませんが、怪我やご病気にも特別お気を付けず、五体不満足となられるようお祈り申し上げます。


 敬具


 Artiste Inconnue代表 八月朔日統弥より



 追伸


 この活動名ってやっぱダサいですかね。我ながら見切り発車が過ぎたかと思うのですが、何か良い代案はございますでしょうか』



 そう記されていた。

 統香からしてみれば謂れのないクレームでしかない内容であるものの、問題はその差出人である。


 「私に弟はいない。

 あの人も愛人とか作るようなタイプじゃないから、腹違いの兄弟とかもありえない。

 だってのに私の弟を名乗ってるコイツだ。

 お前、これを預かってたって事ァ会ってんだろ? どんな野郎だ?」


 本気ギレの主の怒り肩を一宮はそっと撫でた。

 こんなにも憤怒の情を露わにするのは、昨晩誤って逆さに咥えた煙草のフィルターに火を点けてしまった時以来か。


 統香は優しく添えられた手の差出人を見上げ、その顔が難色を示しているのに気付くと、己が冷静さを失っていた事に気付いた。


 「っ……はぁ……」


 深く溜息を吐き、大人しく煙草に火を点ける。


 「……ワタシ、組織入って三日ネ。詳しコト知らないヨ。

 ボスの顔も暗くてよく見えなかたシ、声は男だたケド…………畢竟やっぱり、よくわからなイ……思い出せないネ」


 「他に何か情報は? 構成員の数とか、拠点は何処かとか」


 「……思い……出せなイ」


 晨星の眉根を寄せて苦しむかのような表情、苦虫を噛み潰したようなその顔に、統香は一宮とアイコンタクトをとった。

 会話はなく、頷くのみ。

 それだけのやり取りで意見は纏まったようで、そうと決まれば統香の目的はここでで打ち止めであった。


 「そっか。わかった。ありがとな」


 短くそう言い、席を空ける。

 窓辺に移りぼんやりと空を見上げながら煙草を燻らせ、

 隣にやって来たまこっちゃんの頭を撫でる。


 「恐らく、向こうの機械人形のアトリビュートでしょうね」


 そんな背後の様子を尻目に、一宮はつい今し方まで統香の座っていた席に着いた。


 記憶を忘却させるアトリビュート。

 それは二人の間に交わされたアイコンタクトにより立てられた推論である。

 「わからない」ではなく「思い出せない」のであれば、まず考えられるのはこれだろう。


 「そう 。タブンそれネ。舐められたものヨ」


 晨星は小さく舌打ちをした。

 もしこれが演技であるならば、彼女は直ぐにでも銀幕へ登壇した方がいい。

 そんな風に思いつつも、一宮は彼女の僅かな仕草も見逃さないようにじっと見つめる。


 「その他に何か覚えている事はありませんか?」


 「……いや。ゼンブ影になル。わからなイ」


 悔しそうに吐くその様子から、この言葉に嘘は無いと断定した。


 「そうですか」


 そして、そうと分かればぶっちゃけた話、この女にこれ以上の用は無い。

 窓辺にて二本目に火を点けようとする主へ目をやると、再びのアイコンタクト。

 頷く様子から承認も取れ、一宮は場の締めにかかった。


 「では此度の件は──」


 が、


 「待てヨ」


 と、晨星は掌を突き出して一宮の言葉を遮った。


 「一宮」


 低く、ドスの効いた声であった。

 その様子に蚊帳の外と悟った統香はまこっちゃんの手を引く。


 「ちょっと外行こうぜ〜」


 まこっちゃんは引かれた手に従いつつも、


 「あ? いーのか?」


 そう言って振り返り、背後で一触即発の一宮と晨星を視界の隅から、


 「いーからいーから」


 「……お、おお」


 視界の外へと外し、食堂を後にした。


 伽藍堂の空間に二人きりとなる。


 「……はい」


 一宮は先の呼び掛けに返事をした。

 椅子に下ろした腰はまだ上げず、晨星次の言葉を待った。


 「……次は最初からアトリビュート使えヨ。ワタシも全力で闘るネ」


 そして、そう聞こえて仕舞えば最後。


 「承知いたしました」


 承り、一宮はその腰を上げるのだった。



* * *



 一宮と晨星は連れ立って屋敷の広場へ出ると、そこには既に野次馬と化した統香とまこっちゃんの姿があった。


 (三本目ですか)


 満面の笑みの主に対し、一宮には緊張が走っている。

 この移動の際に、晨星は若干ながらその装いを変えたのだ。

 上着の肩口に袖は無く、また、丈も短くなっている。

 ここへの道中、歩きながら事も無げに衣服を引き千切る様子には若干の恐怖を覚えたものの、より身軽になったという事実は説得力を感じさせる。


 “全力”


 (ただの二文字の言葉に、これ程の重みを感じるとは)


 向かい合い、どこからか吹いた薫風をきっかけとしてか、晨星は徐に片足を上げた。


 「コレ、ワタシの"枷"ネ」


 そして、一見するとローファーのようなシューズ、布靴ブーシェーを脱いだ。


 右足。


 「しょっ、と」


 左足も。


 「良ク見とくネ」


 そして、脱いだ布靴をこれ見よがしに胸の前へ突き出すと、掴む手をパッと開いたのだった。


 「嘘……」


 その行動の意味を理解した一宮は、寸暇無くアトリビュートを行使する。

 グレーズ放射光。

 機械人形がアトリビュートを行使する際に起こる発光現象であり、最もわかり易い身体反応の一つである。

 自身と能力に纏わる物体、現象が薄く青白く発光し、瞳もまた、輪郭を浮かばせるように赤く光る。

 熟練の者であればこの反応は抑える事ができ、一宮も平時ではこれを起こしはしなかった。


 慣性のまま落下する布靴が地面に着弾する。

 周囲は果てしなく広がるかのような砂煙に飲み込まれ、相対する二人の姿が隠された。


 布靴が地面に着弾し発生した、大量の砂煙。

 その原因とされるのは、晨星の履物の異常な重量である。

 古くは紀元前にまで遡るウェイトトレーニングであるが、アンクルウェイトやリストウェイト等の補助具の誕生は、その歴史から見ればつい数日前の出来事と言えよう。

 尤も、その見解は公的な記録によるものであるが。


 一部の武術家達は往時より布靴の底に鉄板を敷き、衣服の内に砂袋を詰め、袖に鉛の錘を仕込み、行住坐臥を漏れる事なく鍛錬としていた。


 晨星もその一人である。

 物心ついた頃、生まれである小さな村では、未だ纏足が行われていた。

 女子は皆纏足を強制される風習の残る中、晨星はこれを嫌い、拒絶し、暴れた。

 必死で抵抗し、屈強な益荒男の脛を砕き、民家の塀も、壁も、茶菓子かのように容易く圧し折った。

 最終、村長は折れる形で晨星の意思を尊重し、事態は収集を見る。

 その際、村長は面子のためにも一つの提案をした。

 それが嵩山少林寺を始めとする、武術寺の門を叩く事であった。

 男子は武術。女子は纏足。因習と呼ぶ程では無いものの、自由意志の尊重は見出すのも困難な環境と言えた。

 それを了承した晨星は、近場の武術寺にて師範を務める祖父に師事し、色恋よりも先に人体を殴る感触をその小さな身体に叩き込む道を選ぶ。

 異常な筋量に加えて武術を修めた晨星は、祖父以外に負けを知らず、いくら益荒男を転がそうと慢心せず、鍛錬を怠らず、めきめきと力を付けていった。


 「フゥーー…………」


 コンマで全身を駆け巡る灼熱の時間に胸が震えた。

 つい数刻前の満漢全席が、食事が、エネルギーに変換されていくのを感じる。

 己が意思に呼応するように、全身は紅潮し、湯気を昇らせる。


 「ひぇ〜、これまた古典的な……」


 蚊帳の外から、煙と共に感嘆の声があがったその声を皮切りに、晨星は疾った。


 あれだけの質量を持つ布靴を脱いだ。それは重量という枷からの解放というシンプルな目的だけにない。

 というのも、中国武術の達人が素足になるという事には、特別重大な意味があるからだ。

 それは例えるなら、ボクサーが拳にはめるグローブを外すのと同義であり、人を打撃する際の緩衝材からの解放と言えるのだ。

 その拳は斬れ味を剥き出しにし、威力もさることながら、より鋭く、より的確に急所を貫く事が可能となる。

 晨星に至っては、常人の二倍はあろう高密度かつ高純度な筋肉を力のままに振るえ、また精緻な動きが可能となる鋭利な指先も開放される。

 世界の頂を見る晨星である。例えば超速で前蹴りを繰り出し、着弾、或いは防がれたとしても、そこから相手の衣服を掴んで引き寄せてしまえば、その常人離れした脚力から相手のバランスを崩し、カウンターの要領で膝蹴り等必倒の一撃を与える事も可能となるだろう。


 立ち昇る砂煙の向こう、辛うじて晨星の影の輪郭を捉えていた一宮。

 油断も隙もなかった。

 間合いのやや外に居る晨星の姿をしっかりと見据えていた。

 

 「哈ッ!!」


 しかし直後、晨星のものだろう裂帛が耳朶を打った。


 背後から。


 その瞬間、一宮は行動を終えたのだった。



* * *


 パァン!


 乾いた破裂音が周囲に響くと、砂煙が一瞬の内に霧散した。


 「うわっ!」


 「おーおー」


 まこっちゃんはその破裂音に吃驚したようで、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 統香はその場にゆるりと立ったまま、煙草の煙をふーっと吐き出す。

 瞳は相変わらず、気怠げで眠そうなまま。

 目の前の光景の全てを、初めから理解していたかのようなまま。


 晴れた砂煙の向こうには、お手本のように美しい型の正拳突きを振り抜いた晨星の姿がある。


 しかしその姿は、位置は、構図は、直前と真反対にあった。

 まるで狐につままれたように、右にいた晨星が左に移動していた。


 その拳の先には一宮が立っている。



 構えたマグナム。通称『うちの子』を、晨星の眉間に突き付けた一宮が。



 決着であった。


 観戦する二人の内、怖々と顔を上げたまこっちゃんは、


 「……はぇ?」


 間の抜けた声を出し、何が起こったのか理解出来ない様子であった。

 しかしそれもその筈か。

 いつの間にか晨星の位置が真反対になっているし、一宮は銃を構えている。

 砂煙が晴れるまでの間にそんな変化が起こっていては、混乱するなという方が無理な話である。


 加えて先程の戦闘。一宮の動体視力を持ってしても、晨星の攻撃を回避する事は敵わなかった。

 しかし此度のやりとりでは、一宮は正確に晨星の動きを捉え、攻撃を回避するどころかカウンターを用意していた事が見て取れる。


 晨星の拳は膜のように張られた黒球に呑まれて皮一枚届かず、一宮のうちの子は眉間にあてがわれている。

 その皮一枚が、何よりの証左であった。


 「と、とりあえず……一宮の、勝ち……?」


 まこっちゃんは隣を見上げ、統香の意見を仰いだ。


 「ああ」


 統香は短くそう答えた。

 煙を吐き、携帯灰皿に吸い殻を捨て、まこっちゃんの頭をぽんぽんする。


 「はぇー……すげー……」


 どうやら勝ったらしい。

 一先ずそう受け入れはしたものの、何が何やらな認識はそのままであった。


 一宮が口を開く。


 「ありがとうございます。

 この発光、良いジャミングになったようですね」


 そう言うと、スイッチが切られたように全身から放たれるグレーズ放射光がフッと消えた。


 「……ヤられたヨ」


 晨星はグッと奥歯を噛み締め、絞り出すように言った。

 砂煙の中であろうと、晨星は一宮の気配を察知していた。

 一宮がいくら発光していようと、晨星がそれを目印にする事はない。正確に研ぎ澄まされた晨星の感覚の前では何の意味も無かった。


 筈だった。


 邪推してしまったのだ。


 一宮ほどの者が、この発光が罠であるという事に気付かれると気付かない筈が無いと。

 何か意図があるだろうと。


 視覚情報による思い込みもあった。

 確実にそこにいる可能性。

 その光がフェイクである可能性。


 わざとらしく放たれたアトリビュートによるグレーズ放射光を前に、相手が相手である"迷い"から、晨星の拳は僅かに鈍った。


 余程の達人でなければ気付かないだろうミクロの鈍り。

 晨星は一宮の能力の仔細を知らない。知らないが、それでも、最後は己が積み上げてきた功夫を信じた。

 そんな僅かな鈍りでカウンターを取られる筈が無いという自負を負い、拳を振り抜いた。


 その結果がこの敗北であった。


 先の戦闘から、素の一宮の動体視力、反射神経を掻い潜れる事は割れている。


 油断は無かった。

 ただただ、事実を元に最適解を選んだ筈だった。



 その結果が、この敗北であった。



 「…………スゥーー……」


 晨星は、一宮の能力が"間合い"に関係している事を悟った。

 そして、であれば、己に勝ち目が無いという事もまた、悟った。


 「如何ですか?」


 銃口の奥。

 二つの瞳を据わらせた一宮と視線がかち合う。


 「……はぁーー……」


 深く、 息一つ。


 「……」


 そして晨星は目を瞑った。


 「……」


 天を仰ぎ


 「…………参っタ」


 絞り出すようなその宣言をもって、闘いは終結したのだった。



* * *



 二度目の敗北であった。


 「ふぅ」


 一宮の頬にも汗が伝っている。

 黒球による全自動の防御網を張っていたにも関わらず、その勝敗は紙一重であった。

 一瞬の決着とは言え、並々ならぬ重圧がのしかかっていたのだろう。


 「お疲れ様」


 いつの間にか、傍に主が居た。


 「やっぱすげーな! 一宮は!」


 まこっちゃんも。


 二人の柔和な表情を見て、一宮は漸く緊張を解いたのだった。


 そんな様子を眺め、晨星は地べたに寝そべった。


 「同じ相手に二回負ける。許されないのことヨ」


 大の字になり、空を見上げて、溢すようにそう言う。


 「せヨ……」


 そしてぼそりと続けた。

 この場にいる誰もそれを聞き取れず、不思議そうな顔で晨星の顔を覗き込む。


 すると、


 「殺せヨォ! どうせワタシなんテ生きる価値ナイヨォ!!」


 そう癇癪を起こした。


 「アレ防げるオカシイのことヨ! 無理ヨ!」


 "アレ"とは恐らく、晨星の繰り出した一撃の事だろう。

 拳圧だけじゃない。音の壁をも超越し、ソニックブームを起こす速度で振り抜かれた拳によって砂煙を蹴散らした、彼の一発。


 一撃必殺の拳が見切られた。

 その事実が、敗北とのダブルパンチで晨星を襲う。


 大の字のまま、さながら小児の駄々のように手足をバタバタと暴れさせた。

 猿癇癪の再来である。


 「えぇ……」


 あまりの変わりように一宮は困惑一色。なんならやや引いていた。


 「ワタシ頑張たヨ! アレ喰らえば穴開くヨ! 殺す気だたヨ! でも負けたヨ!!」


 物騒な事を泣きながら叫ぶ晨星をどうしたものか。

 気休めになるかはわからなかったが、一宮はとりあえずと口を開いた。


 「……気休めになるかはわかりませんが、私は世界一の機械人形である自負があります。

 マエストロが世界一の芸術家であるなら、その機械人形である私もまた世界一である義務があるからです」


 「それは主の右腕として、側仕えとしてであり、そしてもちろん、戦力としてです」


 「……ぐすっ……」


 「そんな私が、こと格闘に於いては足元にも及ばず、アトリビュートさえピンポイントで貴女をメタる術式を展開して尚、紙一重にまで肉薄されました。

 こんな事はお師匠様との稽古以来初めての事です」


 一宮は


 『貴女は世界最強最高の機械人形である私に迫る実力者です』


 要約するとそんなような事を述べた。


 「嘘ヤメるヨロシ」


 誰でも理解る。お世辞である。


 「殺そ思えば殺せタ。違うカ?」


 「っ!」


 核心を突かれた一宮は押し黙った。


 「それを勝ち言ウ。馬鹿でもわかルのこと」


 「……そうですね。

 でも、私は貴女が恐ろしかった。それこそ、殺さなければ殺されると予感させる程には……」


 何はともあれ猿癇癪は止んだ。

 しかし一宮の言葉は無用な気遣いだったのか、寧ろ晨星の機嫌を損ねてしまったようだ。


 その場に重苦しい空気が漂い始めたその時であった。そこに不釣り合いな声音が響いたのは。


 いや。声音に限らず、その内容もまた不似合いなものであったが。


 「晨星ちゃんさ、ウチ来ない?」


 それは統香の口から発せられた。


 「用心棒に居てくれたら心強いなぁって」


 あまりに突飛な発言。当の晨星は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を統香へ向けた。


 一宮はともかく、まこっちゃんに関しては


 「うぇっ、うぇええっ!?」


 なんてトンチキな驚声をあげる始末である。

 

 「ど?」


 にやりと、不快にならない、寧ろこちらまで釣られそうな、そんな表情を向けられた晨星は、


 「ワタシ……」


 晨星は、顔を伏せった。


 「……ワタシ、無理ヨ。ノウナシだもン」


 功夫一筋である自身の半生を振り返り、屋敷内に自分は必要無いと判断したのだ。

 一宮の先の言葉も効いているのだろう。事実、晨星は屋敷内での一宮の毅然とし、凛とした振る舞いには尊敬の念を抱いていた。

 自分に出来ない事を当然のように行うのだから。


 「ンなことないっしょ。めっちゃ強いし、用心棒での登用なんだから」


 しかし、そう。統香が晨星に求めるのはその武力であり、ただでさえ盤石であるハウスメイド陣にはまこっちゃんを教育する余裕まである今、晨星にはこれを求めてはいなかった。


 「……でもワタシ、家事得意ナイネ。自分の事で手一杯ヨ。

 ゴハンも自分のしか作れナイシ、迷惑なるヨ」


 ここまで聞きつつも、晨星は首を縦に振らない。

 『Artiste Inconnue』へは所属してから三日と言っていた点から、組織への執着は殆ど皆無と言って良いだろう。

 自己紹介の時には武者修行の旅の途中と言っていたが、一宮の居るこの環境を前にしてはその旅もあまり有益なものになるとは言い難く。

 恐らく上記のデメリットには気付きつつも、晨星の意思は硬く。


 尤も、統香の導線には既に火が点いていたのだが。

 

 「ゴハン……?」


 「掃除も無理ヨ。稽古場とワタシの部屋しか出来ないシ。コレ居座るだけなるネ」


 そして、顔を伏せったままの晨星は気付かなかった。


 いや、気付けなかった。


 「稽古場と部屋の掃除……だァあ……?」


 その語気にハッと顔を挙げると、そこには顔にべったりと影を貼り付けた統香が肩を怒らせ、真紅の髪を逆立てていた。


 「なっ、何……? どウしタネ……?」


 思わず冷や汗が滴る。

 どういう原理か顔が見えない。表情が読めない。

 それでも、怒り肩に逆立った髪とくればまず間違いはないだろう。


 「うるせぇ!!」


 ブチギレである。


 「早起き出来るヤツが自分を卑下すんな!

 飯作れるヤツが肩竦めんな!

 掃除出来るヤツが暗ぇ顔すんな!」


 統香はのべつ幕無しに、さながら獣のように吠えた。


 「私は絵描く以外何も出来ないし、するつもりもない!

 でもお前はすンごい武術使えて! 世界一で! その上自分の身の回りの事までやれてんだ! 立派だろうが!!」


 鬼気迫る剣幕で声を荒げる様子が、晨星にはまるで、今し方卑下した自身の為のものかのように映っていた。


 実際は、それなりに生活能力のある晨星が『能無し』を自称した為に、能無し以下と言われた気がして激昂しただけであるが。


 ともあれ、言いたい事を言い終えた統香の表情は、それはそれは穏やかなもので。


 「私はお前がより高みへ登るための環境を提供する。お前は結果で応えてくれりゃいい。

 それならWin-Winだろ?」


 柔和な微笑みと共に差し出された手。


 「……贪婪よくばり。オマエのことネ」


 魔性に近い何か。

 統香の笑みに絆されてか、気付けば晨星の口角は上がっていた。

 差し出された手を引いてしまえば、既に話は付いたようなものである。


 (……ワタシ、負けたらもっと悔しい気分になる思てたヨ。


 でも……意外あんがい悪くないネ)


 「わかたネ。ワタシ二度負けタ。故郷なら命ナイ。

 死んダ思てオマエに従くヨ」


 「ん、これからよろしくな。晨星ちゃん」


 「彼此彼此こちらこそ。統香」


 統香は繋いだ手をぐっと握り、晨星を起こそうと腕を引いた。


 「あっ!」


 が、晨星の体質については頭からすっぽりと抜けており、反動で晨星の上に倒れ込んでしまい、


 「フッ」


 と一宮。


 「ふはッ!」


 とまこっちゃん。


 「……ははっ」


 と、晨星。


 三者三様の失笑に統香は


 「お前ら……仮にも主だぞ……?」


 信じられないものを見るような表情で、そう訴えるのだった。



 どこか締まらないながらも、こうしてこの日、世界一の武術家『李・晨星』が、世界一の芸術家『八月朔日統香』の下へと下ったのだった。





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