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マエストロと機械人形

 特異な美術史を歩んできた国、キューブ。その郊外の森の中、幻想的な光景に溶け込むように、一つの屋敷があった。


 辺りを木々に囲まれた開けた敷地。

 木の葉一つ落ちていない、整備されたプライベートプール。

 ガレージにはいかにもな黒塗りの高級車。


 どれをとってもここに住まう者の持つ権力、財力に想像を掻き立てられるようなもので溢れている。


 そんな屋敷で、画家の八月朔日統香(ほずみとうか)と、メイド兼機械人形(マシンドール)一宮(いちのみや)は暮らしていた。



* * *



 春の静かな朝、暖かな陽が雑に開かれたベッドの天蓋の隙間から二人に射していた。

 一宮はベッドの傍に立ち、寝穢く眠る統香へ声をかける。


 「マエストロ」


 その声に反応して、統香の眉間に皺が寄る。


 「んん……あと二時間……」


 統香はそれだけ答えて寝返りを打ち、再び静かに寝息を立て始めた。


 「はぁ……」


 深いため息。

 彼女はこれがただの友人であったなら、そもそもの話で起こさない選択をするぐらいには、この時間を無駄に思っていた。

 しかし、メイド兼機械人形という立場がそれを許さないため”早く起きろ”と圧を放ちながら優しく続ける。


 「駄目ですよ。ほら」


 「にゃむり……ひゃくにじゅっぷん……」


 優しさ空しく、返ってきたのは表現を少し変えただけの希望睡眠時間の再申請。


 「起きてくださいマエストロ。もう十時ですよ」


 三度優しく語り掛け、肩をゆすろうと手を伸ばすも、


 「うるさい」


 暖簾に腕押し。

 統香は不快そうに答えると背中を向け、頭から布団を被った。


 仏の顔も三度まで。


 すんでのところで舌打ちを飲み込んだ一宮は、この惰眠を貪る主に対して最も有効な魔法の言葉を投げかける。


 「……ヒキニート」


 それは統香の最も嫌う言葉であった。


 「ムッ! 誰がヒキニートだ!! 私午前中に起きるの無理だっつってんでしょ!! 昨日遅くまで描いてたし! 作品収入だってあるからニートじゃない!!

 わかったら二度とこんな朝早くに私を起こすな!!」


 案の定飛び起きた統香は烈火の如くのべつ幕無しに反論を立ててきた。

 対する一宮はそれに淡々と返す。


 「起きてくれたらそれでいいんですよ。

 本日は十一時より元春菊(もとしゅんぎく)様がいらっしゃいますので、そろそろ身支度をしませんと」


 「具合悪いって言っといて」


 「駄目です。急ぎですので」


 懲りずに布団に潜る主の肩を一宮が強く揺すると、良い加減に堪忍したのか、


 「えぇもう……はぁ……要件とか言ってなかった?」


 寝ぼけ眼を擦りながら、一宮の方へ身を翻した。


 「かなり慌てた様子でして、伺う前に切れてしまいました」


 それを聞いた統香は小さく鼻を鳴らす。


 「ってことは、やっとかな」


 「恐らくは」


 統香、一宮、元春菊。

 この三人が中心となって進めていた"とある案件"に進展があったことを察した統香は、ようやく体を起こした。


 ベッドの脇に立つ一宮を一瞥すると、彼女のポケットが四角く膨らんでいる事に気付く。

 喧しく起こされたため目覚めの一本が吸いたくなった統香は、自身の煙草を取ろうとサイドテーブルを探るも……


 「……あれ、私のタバコどこ?」


 「新箱でしたらそこの文机に祀ってませんでした?」


 真っさらなサイドテーブルから一宮の指差す先へ視線をやると、文机の上、彫刻刀で掘られた精緻な陣の中心には、確かに未開封の箱、いわゆる『新箱』が置かれていた。


 が、そこはものぐさの統香である。

 寝起きにわざわざ数メートルを歩くなんていう面倒をするはずもなく、ここぞとばかり主の特権を行使した。


 「めんどくさい。取って」


 「ものぐさですね……私ので良ければあげますよ」


 「マジ? いやぁ、動かずに煙草が吸える上に本数も減らないとは、一挙両得だね」


 ただの乞食である。


 「相変わらず、がめついと言うか何と言うか」


 「節約上手と言え。

 ほら、一宮も吸いな」


 「ありがとうございます」


 煙を吐きながら、統香は思い出したように言った。


 「しっかし、なんであんなただの庭が最優秀賞なんだろうね」


 霧散していく煙の奥に、統香は一枚の絵画を浮かべる。


 それは先日開催されたコンテストで最優秀賞を受賞した、この屋敷の庭園の風景画である。

 審査員の講評によると、なんでも構図から色使いから遠近感から、何から何までが完璧だったそうだ。


 「”完璧”とか、もはや浅いだろ逆に」


 最優秀賞を受賞したと言うのに、浮かない顔の主。

 一宮は同意と共に視線を落とす。


 「芸術はわかりませんね」


 しかし、口では統香に同調した一宮であったが、本心では全く逆の感想を抱いていた。

 彼女から見た八月朔日統香という画家の描く作品への印象は、その審査結果と全く同じであったからだ。


 (本当に綺麗)


 一宮は自身のスマートフォンの壁紙に設定された件の風景画を賞翫しながら、フッとその画面に煙を吐いた。

 一宮は自身の主である事とは全く別に、一人の画家としてこの作品を描いた彼女を尊敬しているのだった。



* * *



 「人間国宝の娘にして現代最高峰の画家。

 若くして元春菊をも凌ぐ才。

 込められたメッセージはまるで純文学。

 ……ですって」


 一宮はベッドに腰かけ、咥え煙草でスマートフォンの画面をスクロールする。

 百科事典サイト、ヴィキペディア内での八月朔日統香の人物像は、フィクションのように徳の高そうな”最高の画家”そのものであった。


 「はァ〜〜……」


 しかし当の本人は、


 「いやもう重いわ。作品だってもっと凄い人いくらでもいるじゃんね。

 そのヴィキ編集しといて。 ”社会につまずいた冴えない喪女”って」


 この調子である。


 「承知しました。

 ”ヒ、キ、ニ、ー、ト”っと」


 「作品収入あるっつってんだろ!!」


 「ちょ、声が大きいです。そんな叫ばなくても聞こえてますよ。

 ちょっとした茶目っ気じゃないですか」


 「クソデカ悪気だろ」


 「ふふっ。


 でも私、マエストロの作品好きですよ」


 言葉が口をついて出た瞬間、一宮はハッとした。


 (やってしまった)


 そう思った。


 「……ん。吸い終わったね。着替え行こ」


 (私の知る限り、あの人以外からの賛美でマエストロが笑顔になった事は一度もない。

 どんなに素晴らしい絵画を描き上げても、常にどこか浮かない顔をしている。


 「……はい」


 まるで雨の降る中、自分だけが傘を差しているような、それでも他人に傘を渡せない、傘に入れてあげられない立場にいるような……)



* * *



 「マエストロ……」


 「やめろ。言うな」


 「言うなったってこれ……ファスナー……」


 「やめろ!!」



* * *



 白のトップスにベージュのバイアスチェックスカート、首元には赤いリボン。中学時代の芋ジャージからいかにもお嬢様な恰好に着替えた統香は、衣装部屋の全身鏡に映る自分をまじまじと見ていた。


 「普段ジャージだから忘れがちだけどさ、私って結構イケてない?」


 凛と澄ました表情を作り、背後で自身の脱ぎ捨てたジャージを拾う一宮へと語りかけるこの女。

 スカートのファスナーは破裂寸前である。


 「お似合いですね。馬子にも衣装って感じで」


 「お前……仮にも主人だぞ……?」


 「冗談です。

 似合ってますよ。とても」


 「ふふん。こりゃーモデルとしても食っていけそうだな」


 いくつかのポーズを取る主人。

 一宮はそんな主人の下腹部へと視線を落とす。


 「それは無理です。だってファスナーが……」


 「やめろ!!」



 漫才もひと段落した頃、二人は衣装部屋を後にし、元春菊との待ち合わせ場所である庭園のテラスへと向かう。

 雑談は続いていた。


 「一宮はずっとそのメイド服だけど、たまにはこういうのも着てみたら? 多分似合うでしょ」


 「これといって着てみたいものもないですからね……

 あぁでも、マエストロのジャージには少し興味があります」


 「お、じゃあ今夜にでも着てみてよ。寝巻き寝巻き」


 「それは構いませんが……そんなことより、私はマエストロが心配ですよ」


 「ん? 何で?」


 「家の中に籠ってばかりいては、着れる服も着れなくなってしまいますよ」


 一宮の恨めしそうな視線の先を追うと、そこには自身の下っ腹があった。

 特別ふくよかではないと思いながらも、先刻の張り詰めたファスナーが頭を過ぎる。


 「まだ若いから……取り返しつくから……いけるいける……」


 「老いなんて、気付いてからじゃ遅いんですからね」


 「わーかったって──って、あれ? 元春菊もういんじゃん」


 テラスへ着いたのは十時五十五分。

 無論、時間前である。


 「警護がいつもより厳重ですね。何かあったのかもしれません」


 二人に気付いた元春菊は、開口一番に声を張り上げた。


 「遅い! 統悟から教わっただろう!」


 時間前であるが、時間に厳格なこの男にとって、それは最早遅刻と同義であった。

 普段は比較的温厚な上に大柄な体格も相まって、意外とちびっ子人気の高いこの男だが、こと時間に関しては人が変わってしまう。それは、無二の親友であった八月朔日統悟からの影響であった。

 自身を完璧なスケジュールで管理し、常に高いパフォーマンスを発揮していた彼に、元春菊は尊敬と憧れの念を抱いていた。

 当然、その娘にも同じ画家として期待せずにはいられない。


 「ジュップンマエコードー? だっけ? 別に約束より五分も早いんだしよくない?」


 しかし当の娘はその影響を全く受けず、一宮がいなければ遅刻常習犯となっていたことが想像に難くないほど、時間にルーズであった。


 「はぁ……まぁいい。掛けよう」


 いつもならもう二言三言四の五のと時間を守ることの大切さを説くのだが、今日の彼は少し様子が違っていた。


 「やけに大人しいですね」


 「裏あるなこりゃ」


 二人がひそひそと話をしていても、気にする素振りすら見せなかった。

 統香の脳内に先ほど一宮から聞いた、電話口での元春菊の慌てた様子が思い出される。

 散歩の途中夕立ちに降られ、雨宿りにと寄り添った木に雷が落ちてもぴくりともしなかったこの男が、慌てふためき、直接出向いてまで伝えたい事とは、一体何なのか。


 「急で悪いがな、やはりこういうことは直接伝えんと」


 ”こういうこと”そして”直接”に反応した統香は思わず尋ねた。


 「えっ、引退すんの?」


 「違う!」


 一喝。

 はぁ。とため息一つ。


 「ああ、じゃああっちか」


 安堵した表情を浮かべる統香に、元春菊は顔を強張らせながら言った。


 「絵描狩(えかきが)りが動いたぞ」


 二人はその名前にピンと来た。


 「漸く、か……」


 絵描狩りとは、ここ数か月ほどキューブを騒がせているアマチュア画家の通り名である。その名の通り絵描きを狩る犯罪者で、所謂人攫いの類だ。

 ターゲットは有名無名を問わず、アトリエで制作に励む者から街の似顔絵師、果ては美術部や漫研に所属している学生まで選り好みをしない。

 その上手段も選ばないため


 量産型の機械人形十機以上に詰められた人がいる


 絵を描けないのに連れて行かれた人がいる


 など、その噂にも枚挙に暇がなかった。

 元春菊も攫われこそしなかったが、絵描き狩りによる確かな被害を受けていたのだった。


 「昨日、俺が若い頃に使っていたアトリエが燃やされた。

 幸い作品は一点も置いていなかったが、このままではいずれ……」


 「あ~、それで? 別荘とかどっかに行くの?」


 「ああ。画材や作品を守らんといかん。

 無論、お前の事もだ。

 統悟から頼まれとるしな」


 元春菊は使命感を帯びた口調でそう言った。


 頼み──それは統香の父、統悟が他人にした唯一の頼み事であった。



 後見人として、娘を頼む。



 元春菊は亡き親友との約束を果たすため、万が一にも統香を失うわけにはいかなかった。


 (そうか。だから慌ててたのか)


 統香は察した。

 そして、熱を湛えた元春菊の瞳からは、


 ”もし統香に何かあればその時は自分が身代わりになる”


 そんな覚悟までもが伝わる。


 統香は僅かに考える素振りを見せる。

 数瞬。


 


 「う~ん……まぁ大丈夫よ。そういう時のための一宮だし」


 事態を理解しているのか、いないのか。

 あっけらかんとした様子でそう答えた。


 「しかし、それでも統悟は──」


 「いーの! あの人はあの人! 私は私!」


 自身の言葉を遮ってまで強く言い切る統香。

 そんな統香と視線を交わし、テコでも動かないと察したのか、


 「……はぁ、わかった。何かあったら連絡しろ。使いを送る」


 元春菊は統香の決意を認め、引き下がることにした。


 「ん。朝早くからあんがとね」


 「お前……十一時はもう昼だぞ」


 「マジ?」


 「マエストロにとって午前は早朝と変わらないですからね」


 それを聞いた元春菊は頭を抱えた。

 先ほどの自身の判断に迷いが生じ、文字通り"揺らいだ"のだ。


 本当に大丈夫か……? と。


 「……はぁ、頼んだぞ一宮。

 そんなでも、一応は国の宝だからな」


 元春菊は倒れかけた姿勢を正し、


 「くれぐれも、攫さらわれてはいかんぞ。

 ……こんなふうにな」


 どろりと機械人形の迷彩(ステルス)を解いた。


 「えっ」


 突然の出来事に反応こそすれ、対応の間に合わなかった一宮と自身の間に機械人形を配置。

 元春菊に成りすましていたその男はそのまま統香を脇に抱きかかえると、流れるような動きでこめかみに拳銃を突きつけた。


 「は? ちょっ、何アンタ!!」


 統香の問に、男は「ケヒッ」と笑みを溢す。


 「初めまして。

 先程ご紹介に与りました、絵描狩りでございます」


 マジシャンのような格好をした狐顔のその男は、下卑た笑みを浮かべながら巻き舌気味にそう名乗った。



 「マエストロ!!」


 立ちはだかった機械人形に阻まれ、一宮は絵描狩りの元へ辿り着けずにいた。

 自身の動き出しに合わせて進行方向を塞ぐ機械人形。

 主は依然として、拳銃を突き付けられていた。


 無論、一宮にとってこの機械人形を躱す、或いは破壊する事など造作も無い。

 一宮が対峙しているのは、無骨にも装甲や配線を剥き出しにした、所謂"量産機"である。

 一宮の様に人間と遜色無い見目でもなければ、特有の異能を行使する事も出来ない。

 強いてそれらしい能力を挙げるのであれば、先ほど使用した迷彩や、飛行、射撃等。科学技術で発現可能なもののみである。

 兵器としての戦力は、精々が戦車と同程度だ。


 が、噂通りであれば、絵描狩りの使役する機械人形は十機以上存在する。

 隙を突かれる可能性、そして何より、統香の身の安全の為にも、一宮はここで派手に動くわけにはいかなかった。


 一宮はもどかしさに歯噛みした。


 「フッ……いやはや、かの有名な八月朔日統香様にこうも容易くお会い出来るとは。僥倖にございます」


 そんな一宮の様子を見て、絵描狩りは鼻を鳴らす。

 しゃあしゃあと、思ってもないだろう言葉を羅列した。


 「うっさい小脇に抱えるな! 私はサイドバックじゃねぇんだぞ!!」


 統香が絵描狩りの腕を振り解こうとジタバタと暴れるも、当の絵描狩りはそれを無視。

 一宮を指差して続ける。


 「貴女のことも存じておりますよ。一宮様。

 戦闘技術が極めて高く、射撃の腕もかなりのもの。

 しかし筋力は並以下♪ 多勢に無勢コンボでちゃんちゃん♪」


 言い切るが早いか。一宮へ差した指を下へと向けた。

 振り下ろすかのようなその動きに、一宮は、それが機械人形を操るサインであると即座に察知する。

 しかしそれと同時に、迷彩で風景に溶け込んでいた量産機が姿を現した。


 自身を囲まんとする動きを取る量産機に一瞬怯むも、僅かな隙間を縫って回避を試みる一宮。

 しかし、すんでのところでスカートの裾を捕まれてしまい、地面へ激しく押し倒された。


 「うぁっ!!」


 量産型の機械人形。

 その重量は乗用車並みである。


 それが、五機。

 重なるように倒れ込み、一宮の自由を奪った。


 「一宮!!」


 思わず統香も声を上げるが、絵描狩りは青筋が浮かぶそのこめかみに再度拳銃を押し付ける。

 痛みに苦悶の表情を浮かべる統香は、耐え難い憤りを孕んだ両眼で絵描狩りを睨み付けた。


 そんな視線を受けてなお、絵描き狩りは巫山戯た態度を崩さない。

 表情、仕草、振る舞いからは、余裕が見て取れた。


 「八月朔日統香。人間国宝であった八月朔日統悟の一人娘。

 絵の才覚こそ類を見ないものの、生活能力は並以下のヒキニート♪」


 歌うように統香を煽る。

 禁句をもって煽られて仕舞えば、統香にとっては火に油である。


 「ふざけんな! 作品収入あるわ!! テメェだって何だその胡散臭ェ──」


 「マエストロ……!」


 ふと、今にも消えてしまいそうな弱々しい声音が耳朶を打つ。

 統香はその声にハッとし、一宮へ視線をやった。


 一宮を押し潰す機械人形は五機。

 そしてその周囲を囲むように、さらに五機の機械人形が待機していた。


 一宮の脱出は絶望的であった。


 余りの重量に一宮の身体は地面に減り込んでいる。

 辛うじて首から上が確認出来た。


 「ッ……お前! 一宮は関係ないだろ! あのポンコツをどけろ!!」


 絵描狩りを強く睨みつけながら、統香はそう訴えた。

 対する絵描狩りは、その余裕の笑みを少しも陰らせていない。

 まるで張り付いた仮面のようにも見て取れるが──


 「別に構いませんよ? こちらもあまり派手にモメたくはありませんから」


 ──突如、その仮面が歪む。

 より怪しく、黒く。


 「ただその代わり……ね?」


 「くッ……!」


 相手は世間を騒がす絵描狩り。

 犯行内容はその名が表している。


 「なに、簡単なお仕事ですよ」


 「マエストロ駄目です! そいつの言う通りにしては──うぁっ!!」


 一宮は量産機の山から抜け出そうともがくも、五トンをゆうに超える重量には終ぞ及ばず。


 短い断末魔を残して押し潰された。


 「一宮ッ!!」


 一宮の身を案じて叫ぶ統香のこめかみから、絵描狩りは銃口を離した。

 その手を口元まで運ぶと、わざとらしく人差し指を立てる。


 「シーー。お静かに願います」


 「チッ!」


 統香は絵描狩りのその演技には腹を立てながら、それでも、努めて冷静に言った。


 「……はぁ。どうせあれっしょ? 絵描いて欲しいとかっしょ? それも風景画か、風景画の模写」


 先程までとは打って変わって落ち着いた態度に、絵描狩りは僅かに動揺した。


 「……よくわかりましたね」


 「攫われた人の特徴考えたらわかるよ。みんな風景画が得意だし、元春菊とかモロじゃん。

 あの人何気に何でも出来るし……変装してたって事は、あの人ももう攫ってんでしょ?」


 「ええ。なかなかに手古摺りましたが、終わってみれば何て事ありませんでしたね。

 しかしそれなら話は早いです。如何なさいますか?」


 口ではそう提案する。

 が、その腹の中は黒い。


 (もはや選択肢などない。

 この女は一宮を守るため──っと。どうでしょう。アレではどうにも命の保証までは出来かねますが……まあこの状況です。どちらにせよ、私のもとへ来るしかないでしょうね)


 絵描狩りはそう確信すると、相変わらずの下卑た笑みを貼り付けたまま、統香を見下ろした。


 統香は量産機に押し潰されて姿の見えなくなった一宮と、こちらへニタニタとした気色の悪い笑みを向ける絵描狩りをそれぞれ一瞥する。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


 「んー……()()いいかな」


 イエスを確信していた絵描狩り。

 しかしいざ来た返答は、了承か拒否か、意図の曖昧なものであった。


 「は……?


 ……ハハ、ハハハハハハッ!!」


 絵描狩りはこれを拒否と受け取った。

 当然統香の意思は断固拒否ではある。

 しかし統香のこの発言は、絵描狩りからの誘いに対する返答ではなかった。


 そんな裏の意図に気が付かない絵描狩りは、一宮を押し潰す自身の機械人形に”完全破壊”の指示を出す。


 腕を高く挙げ、振り下ろす直前。


 「では、一宮様は有用なパーツとして頂戴するとしましょ……う……?」


 ようやく気付くのだった。


 抱えていた統香と握っていた拳銃を無意識に地面へ落としてしまうほど、その光景に釘付けになる。


 統香はそれによってドサッと地面と衝突し、少しの砂埃を舞わせながらも解放された。


 「痛っ……ちょ、淑女を降ろす時はもっとゆっくり──」


 絵描狩りへ恨めしい視線を送る。が、その顔が、全身が、硬直していることに気付くと、


 「──あ、やっと気付いた?」


 計画通りとばかりに、その口元をいやらしく歪めた。


 (いつの間に……!? どうやって……!?)


 絵描狩りの視線の先には、一宮が居る。


 (先程まで、一宮を押し潰していたはずだ……)


 何事も無かったかのように、一人立っている。


 一宮はスカートに着いた泥や砂を手で払いながら、退屈そうに言った。


 「流石にまだまだいけましたよ。マエストロ」


 (私の機械人形は()()()()()()……!!


 「それ以上汚れたら洗濯面倒でしょ? もういいからさ、やっちゃってよ」


 「それはそうですけど……じゃあまあ、お任せください」


 統香は花壇の傍へと移動する。

 巻き込まれたくないのと、ゆっくり煙草を吸うために。


 新箱を開封し、銀紙を千切る。

 この新箱開封直後の香りが、統香の好物である。


 「お花にもたまにはヤニ吸わせてやんないとね~」


 火を点け、花壇に咲くモクレンへ、煙をふーっと吹きかける。


 先程までの緊迫した空気は何だったのか。

 未だに状況が飲み込めない絵描狩りは、精一杯といった様子で、震えながら言葉を絞り出した。


 「お、お前……私の機械人形はどうした……!

 じゅっ、十機はいたはずだッ……!」


 そこに先程までの余裕は無い。

 あるのはただ、化けの皮を剥がされた、愚かな狐の素顔一つ。


 「……あァ、どうしたも何も、ここに()()じゃありませんか」


 一宮はとぼけるようにそう言って、絵描狩りへ両手を突き出す。

 そこにはいつの間にか、二丁の拳銃が握られていた。


 「…………は……?」


 「殆ど残っちゃいましたけどね。

 残りはまあ……週末にでも処分しますよ」


 人差し指を用心金にかけ、くるくると弄ぶ一宮。


 ──ここに居る。


 ──残りは週末にでも。


 一宮の言葉を反芻した絵描狩りは、一つの結論に辿り着いた。


 (これが一宮のアトリビュートかっ……!)


 (気配も無しに、この僅かな時間で、十機もの機械人形を拳銃へと変貌させる能力……)


 絵描狩りは認識を改めた。

 得体の知れない能力を扱う相手。世界最高峰の画家と、その機械人形。

 いくら元春菊というアドバンテージを得ていようと、たかだか十程度の頭数でどうにかなる筈が無かったのだ。


 「ク……クククッ……!」


 突然様子が変わった。

 焦燥の一切が見て取れなくなった。


 統香と一宮はそんな絵描狩りを胡乱げに見つめる。


 「こいつ大丈夫か?」


 「さぁ? 頼れる武力(笑)がこんなんなっちゃったものですから、気でも違えたんじゃないですか?」


 「クハハハハッ!

 舐めるなッッ!!」


 二人の煽りが効いたのか、額にいくつもの青筋を隆起させた絵描狩りは、勢いよく右手を掲げた。

 刹那、五機の機械人形が一宮と対峙するように降り立った。


 「……アンチSDGsですか? これだけの産廃、誰が処分すると思ってるんです?」


 絵描狩りは、ぷらぷらと拳銃を垂らす一宮を観察する。

 自身の勝利への光明を探るために。


 (先刻の能力の正体はわからない。わからないが、触れる、或いは接触する事で発動する可能性が高い。

 身動きの取れないあの状況だ。恐らく、背中が触れていた事によって発動したと考えられる。


 全身どこでも触れれば即アウト。

 問題は発動にかかる時間と、範囲だ。

 もし常時発動可能であるなら、あのようにピンチを演出する必要は無い。

 全身どこでも発動するとしても、例えば右手と左手同時ではどうか? 右足と背中同時ではどうか?

 事後の会話から推察するに、そのトリガーは八月朔日統香か?


 ……わからない。

 アトリビュートに関する情報は未だ判然としないものばかりだが、あのような馬鹿げた能力だ。相応のリスク、インターバル等があるだろう。



 ……決まりだ)



  「生憎ですが、産業廃棄物になるのは貴女の方ですよ」


 絵描狩りはその言葉と共に、今度は左手を掲げた。

 コンダクターのように両手を構えると、再び、五機の機械人形が先の五機に並び降り立った。


 「う~ん?」


 統香は空を見上げた。しかしそこに飛行機の類は無い。

 まるで絵描狩りが召喚したかのように、突如としてその場に出現したのだった。


 (……なるほど、飛行型か。

 装甲のタイプから……四体かな? 他の量産機は迷彩か、この飛行型が抱えでもしてたのか。


 なんにせよ、完璧に景色に溶け込む迷彩もあるとなると、かなり優秀そうじゃん。

 最新モデルか?


 複数の飛行型。

 ハイレベルな迷彩。


 量産機と言えど、スペックは中々の物と言える。


 (……よし)


 「一宮~! そいつらん内の何機かは空飛ぶから、派手に頼むよ~!」


 煙をぷかぷかと吐きながら、こちらへ向かって手を振る主。


 「承知しました」


 それを見た一宮は、思わず頬が綻んだ。


 「こちらこそ、派手に殺して差し上げますよ」


 が、今は目の前の敵に集中しなければならない。


 敵へと向き直る。


 一宮は自身の胸の前で銃をクロスさせて構えると、勢い良く腕を振って反動を生み、疾風のように駆け出した。


 「真っ向から挑むとは愚かな! 行けッ!!」


 対する絵描狩りは、まるでオーケストラのコンダクターのように腕を振り、機械人形を繰る。


 二機を自身の護衛に残し、常に多対一になるように立ち回らせる。

 連携、統率の取れた動き、コンビネーションを多用し、様々な攻めを繰り出した。


 対する一宮は、両手に携えた銃を巧みに扱い、攻撃を捌いていく。

 右腕の大振りを身を屈めて回避し、拳銃を当てがい力を受け流す。振りの勢いを利用された右腕は行き場を失くし、そのまま一宮の背後を取る量産機の胸部に着弾した。


 左右から間髪入れず繰り出されるストンプを跳躍によって躱した一宮は、バランスを崩したままの前後の量産機を同時に蹴り飛ばす。

 装甲の隙間へ狙いを定め、撃ち抜く。


 しかし攻勢も束の間。左右から、今度は拳が繰り出された。

 ストレート寄りの軌道。

 一宮はそれを、上下に打ち分けられたが故に生まれた僅かな隙間へ身を捻って飛び込むことで通り抜けた。

 不安定な体勢のまま、腕の装甲の隙間を狙い澄まし、撃ち抜く。

 着地地点に踊りかかってくる量産機の股の下を猫のような身のこなしで潜り抜け、繰り出される拳を、足蹴を躱していく。

 跳躍し、腕の隙間を、股の下を、身を捻りながら通り抜けて躱していく。

 そうした動きの中でも、絶えず装甲の隙間を的確に撃ち抜く。


 決して決め急がず、確実にダメージを蓄積させていく戦法は、一宮の得意とするところであった。


 量産機は、撃ち抜かれ破損した箇所から硝煙を昇らせ、紫電を走らせる。


 この隙に、弾倉の交換を済ませる。


 一宮の流麗なヒットアンドアウェイの前に、絵描狩りはなす術が無いように見えた。


 しかし、この量産機は頭部の核を破壊されない限り、四肢をもがれようと稼働を続ける。

 そして、肝心の頭部は堅牢なボディよりも数段厚い装甲によって守られていた。


 一宮の使用している二丁の拳銃は、量産機の装備や装甲から急拵えしたものであるため、既製品とは比べるべくも無いものの、今一つ威力が足りない。

 つまるところ、決め手に欠けていた。


 量産機の攻撃は一宮のスカートの裾を捉える事も出来ない。


 局面は膠着状態を迎えた。


 一宮はそんな状況を打開すべく、ここで攻勢に出る。


 正面から繰り出された大振りをスライディングで回避して懐に潜り込むと、勢いをそのままに、量産機の顎部を殴りつける。

 跳ね上がる顎。

 そうして見えた、頸部装甲の隙間。

 そこへ叩きつけるように拳銃を二丁共押し込むと、一宮は弾倉内の全ての弾丸をそこへ撃ち込んだ。


 装甲の隙間からバチバチと火花が散る。

 次の攻撃を察知した一宮は、掴み掛かってくる両手をバックステップで回避した。


 それは、核を破壊された量産機の最後っ屁であった。

 空を切った両手が力無くだらりと垂れる。

 その後に、モノアイの灯が落ちた。

 一機の活動が完全に停止した。


 (この程度の雑兵を壊すのにも随分かかりますね。

 こんなんなら、うちの子持って来ておけば良かった)


 一宮は呑気にそんな事を考えている。

 その隙を見逃す絵描狩りではない。

 一宮の周囲を取り囲むよう素早く指示を出す。


 量産機は一宮を囲むように踊りかかった。

 一宮はそれを、高く跳躍することよって回避する。


 空中であるにも関わらず、一宮は目にも留まらぬ速さで弾倉を交換し、装填。

 そして、太腿のホルダーへと仕舞い込んだ。


 一宮の次手。

 それは懐に忍ばせた、量産機の余りのパーツへのアトリビュートの行使。

 それによって通常の十倍程の質量を持った平バールを生み出す。

 一宮は、落下する重力を利用したヘビーな一撃を繰り出さんとした。


 先ほどまで足りていなかった物理火力。

 それを補って余りある武器を手にし、攻勢を続ける一宮。


 形勢が傾くかに思われた。


 が、絵描狩りの狙いはここであった。


 戦闘が始まってから常に空いていた空中。

 いざという時の回避先として、一宮が最も好んでいた空中。


 (ここだ!)


 一宮が平バールを振りかぶったその瞬間、地上型の機械人形は一斉に掌を構えた。

 飛行型は、彼女へ影を落とすほど、高く大きく飛び上がり、地上型同様、掌を構える。


 絵描狩りの使役する機械人形は全て銃撃が可能であるのだが、これまでは打撃しか使用していなかった。


 全ては、一宮の選択肢を絞るため。

 この瞬間のため。


 敢えて、攻撃手段を打撃のみに絞っていたのだ。


 (身動きの取れない空中での、機械人形による一斉射撃。

 あの意味不明な異能を発動する暇を与えず、全身余す所なく撃ち抜ける。

 小さく素早い一宮を確実に仕留められる一挙両得。唯一の策。


 一宮の選択肢に銃撃は含まれていない。四方八方からの集中砲火でお陀仏です!)


 「撃てェッ!!」


 裂帛。


 から一拍。

 静かに両手の動きを止めた。


 硝煙が一宮を包む。


 それ即ち、演目の終わりを意味する。


 絵描狩りは、空気を結ぶようにキュッと拳を握った。


 「ッハアァ〜〜……」


 勝利を確信し、達成感に満ち溢れた絶頂顔で空を仰ぐ。


 大きく深呼吸をし、いよいよ統香を攫うため、彼女へ身体を向けた。


 「さて、これで終わり──」


 「学習しないな。お前」


 その言葉にハッとし、弾かれたように振り返る。

 こちらに目もくれず、煙を吐いていたその視線の先を追う。


 そこあったものは、無惨に撃ち殺された一宮の死体──などではなく、


 「黒い……球体……?」


 絵描狩りは自身の量産機がその球体に向かって射撃を続ける様子から、それが一宮、もしくは一宮にまつわる”何か”であるという現実を辛うじて理解する。


 が、それが何であるかは、理解の範疇を超えていた。


 一宮に向けて放たれた全ての弾丸が、中空に浮かぶ黒い球体に飲み込まれている。


 (飲み込まれている……いや、溶かされている……!?)


 「ちゃんと見てなよ。キレーだから」


 隣から聞こえる気安い声に反応する余裕は無なかった。

 ただ、目の前の事象を理解しようとするのに精一杯であった。


 銃撃の雨霰。豪雨のようなそんな音の隙間を縫って、


 パチン


 と鳴った。

 ともすれば聞き間違いのようなそんな音が、長閑な森にこだましたような気さえした。


 それも束の間。突如として球体に異変が起こった。

 アメーバのように不定形に波を打ち始めるやいなや、無数の巨大な針を生やす。

 そしてその針は、射撃を続ける量産機の頭部を、右腕を、左腕を、核も何も彼もが関係ないほどに圧倒的な物量で貫いた。


 「……は?」


 「た〜まや〜〜!」


 言われて思う。

 確かに花火のようであった。

 黒い花火だ。


 一瞬の出来事だった。

 主の護衛に回っていた二機だけを残して、絵描狩りの機械人形は瞬く間に殲滅された。


 「まぁ、こんなものですよね」


 一宮は球体の中から、とぷん。と、水面から浮き上がるように姿を現しては、事もなげにそう言った。


 球体はまるで水面のように波紋を広げていく。

 それから再度波打ち始めると、今度は一本の糸を伸ばした。

 その糸を量産機の残骸に絡め、一つ残らず飲み込んでいく。


 絵描狩りは膝から崩れ落ちた。


 この悪食の悪魔のような球体。

 これこそが一宮のアトリビュートだったのだ。

 発動のインターバルもクソも無い。


 物量頼みの自分にとって、まさに天敵。

 初めから勝ち目など無かったのだ。


 「終わった……」


 十八機。

 自身の兵力のほぼ全てを投じても歯が立たなかったこの化け物に、残りの二機で一体何ができると言うのか。


 絵描狩りが自身の敗北を悟ったその瞬間、護衛に回っていた量産機が突然目の前に飛び込んできた。

 間髪入れずに轟音が響く。


 もうもうと立ち昇る硝煙と土煙の隙間から現れたのは、貫手の形をした、一本の白い腕だった。


 風が吹き、煙が晴れていく。

 その腕が一宮のものとわかると、絵描狩りは悲鳴よりも先に、ある疑問が口をついて出た。


 「一宮……筋力は並以下のはずだ……」


 それは確かな筋から仕入れた情報である。

 一宮の筋力について、特筆すべき点は無かったはずなのだ。


 一宮はハイライトの消えた瞳で絵描狩りを見下すと、ため息混じりに答えた。


 こんな哀れな男に舐められていた事実に腹が立っていた。

 そのため、意趣返しの様相を多分に孕んだ声音で、皮肉混じりに現実を教えてやる事にした。


 「……私の知り合いに、手刀一振りで山を均せる機械人形がいます。

 水切りに投げた小石で海を割るような方や、敵を踏み抜いた勢いで地盤沈下を引き起こす方も。

 私にはそんな芸当とても出来ません。


 非力な私には、この程度のことしか」


 一宮はそう言って腕を振り上げ、量産機二機の頭部を真っ二つに裂く。

 縦列に並び貫かれた量産機。その核をただの腕の一振りで、同時に、完全に破壊したのだ。


 そして、そのまま流れるように絵描狩りの両膝を撃ち抜いた。


 「あ"あ"っ!!! アッ!! ハァアッ!!」


 「ナイッショ〜」


 花壇の傍から煙と共に歓声が上がる。


 激痛に耐えることで精一杯の絵描狩りは、怯え切った表情で一宮を見上げ、どくどくと噴き出す血を必死に抑えながら呻く事しか出来なかった。


 「ううううっ……うぐっ……!」


 「二発とも膝のお皿にど真ん中ですね。 ダーツで言うところのブルですよ。

 どうですか? 私の射撃の腕は」


 「っひぃ……! ひぃいい……!」


 絵描狩りは地べたを這った。

 もはや二度と動く事のない量産機。その奥。

 二つの瞳を光らせる一宮からの逃走を試みていたのだ。


 「おーい、聞かれてんぞ~」


 「ひっっ!!」


 しかしその先には既に統香が立ちはだかっており、前後を挟まれた絵描狩りは完全に退路を断たれてしまった。


 「まだ穴が足りないなんて、尖りめなファッショニスタですか?」


 「ひゃっ、すっ、凄いですっ……凄いですぅぅううう!!」


 それは、もはや喉に上手く力が入らず、声を張り上げる事も叶わないほどに怯え切った絵描狩りの、哀れな叫びであった。


 そんな様子を見て、統香は一つの疑問を抱く。


 「こいつ……死ぬ程情けなくなってね?」


 つい十分ほど前の絵描狩りは、それはもうコイていた。

 己を最強の存在とでも思い込んでいたのか、その態度はどこまでも尊大で、その口調は丁寧を気取りつつも、どこまでもイキっていた。


 「大方、荒事は全て量産機に任せていたのでしょう。 アトリビュートが無いとは言え、二十機もいればまず負けませんからね。

 まあ、私の拳銃の火薬が何処産なのかも考え付かずにあんな無能を晒すような錆びた脳味噌じゃ、どのみちですかね」


 あんな無能。


 最後の一斉射撃。

 絵描狩りの渾身の一手を、一宮は切って捨てた。


 その言葉が、絵描狩りの瞳にほんの少しの熱を灯した。


 「草。引き連れてる兵隊が多い奴は雑魚って、相場決まってんの?」


 この言葉も、


 「モブ特有の恥晒し。お約束みたいなものじゃないですか?

 それにしても、飛行型とか使い方によってはかなり厄介なのに、主が無能だとこんなにもあっけないとは」


 この言葉も、


 「あ、そうなの?」


 「アマチュアとは言え、アトリビュート持ちを仕留めた例もいくつかあるくらいですよ」


 「マジ? こいつ終わってね?」


 この言葉も、


 「元春菊様の演技はお上手でしたし、役者か声優になられた方がよろしいかもしれませんね」


 どの言葉もが、火に油を注ぎ、薪を焚べていく。


 僅かばかり残っていたプライドが、絵描狩りの眉間に深い皺を作った。

 強い憎しみと怒りに満ちた眼光を一宮へ向ける。


 統香はそれに気付くと、わざとらしく煽りを続けた。


 「アッハハ、確かにぃ!

 ……あれ、君眉間の皺凄いね? もしかして図星? 役者志望?」


 プライドを踏み躙られた絵描狩りから、バキン。と、何かが割れたような音がした。

 それは、怒りのあまり激しく噛み締められた奥歯の砕ける音であった。


 そんな熱を受けた統香だったが、


 「は? 何キレてんの?

 こっちはお前の眼孔で灰皿作っても良いんだぞ」


 釣られるように怒りを露にし、文字通り絵描狩りの”目の前”に煙草の先端を突き付けた。


 「外科の次は歯科ですか。アクティブですね」


 脳天には一宮から銃口を押し付けられる。


 この二人は、本当に"やる"。


 両膝を撃ち抜かれ、もはや立つ事すら叶わない。

 自身の生殺与奪は、この二人の手のひらでオモチャのように弄ばれているのだ。


 絵描狩りは抵抗する気力を完全に失った。


 「って、こんだけ煽られたら普通キレるか。ごめんよ絵描狩りさん。

 私たちねぇボコんなった君が見てみたくて、ちょっと芝居打っちゃったんだぁ」


 統香は満面の笑みで言った。


 そしてその言葉に、絵描狩りは耳を疑った。


 意味がわからなかったからだ。


 (芝居…………?)


 理解が追いつかなかった。


 (いや、改めて思い返すと、最初のあの窮地は、確かに整合性が取れていない。

 あの程度の形勢であれば簡単にひっくり返す事が出来たのに、敢えてピンチを演出していたように見える。

 芝居……私を調子付かせ、負かし、ボロボロになったこの姿を見るための……そして、こうして嘲笑うための……芝居……だった……?)


 絵描狩りは、辛うじて一言、絞り出した。


 「……い、いつから……?」


 「んー答えてほしいならまずさ、ごめんなさいしよっか?」


 もはや言われるがままの絵描狩りは、血が流れ続ける両膝に鞭を打って居住まいを正すと、頭と両手を強かに地面へ打ち付け、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。


 「すっ、すみませんでしたッッ!!!!」


 しかしてそれは、喉に力が入りきらず、先ほど同様、微妙に力の抜けたような、情けない叫びであった。





 どれほどの時間が経っただろう。

 一分か、五分か、はたまた十分か。


 沈黙に耐えかねた絵描狩りは、チラリと視線を上げて周囲の様子を伺った。


 一宮謹製、自身の兵隊であった量産機製拳銃の銃口が、そのライフリングをハッキリと確認出来るほどの距離に構えられていた。


 「ッッ!!?」


 驚きのあまり顔を上げると、その銃口を向けていたのは、ヤンキー座りをした一宮。

 明らかに自分を見下した視線のまま、煙草の煙を吐き出している所だった。


 「数分程度で顔を上げて……許されるわけがないでしょう……?」


 そして、呆れた声音でそう発した。


 「え……ひぇ……?」


 「とは言え、マエストロに手ぇ出した貴方を、脳天イッパツブチ抜くだけで楽に殺して差し上げるんですから。

 大温情ですよ?」


 「アッハッハッ! やっちゃえ〜!」


 絵描狩りの背後から、やんややんやと野次が飛ぶ。


 「ひぇっ、はぁぁ! ぁぁぁぁぁぁ!」



 キューブを騒がした愉快犯、絵描狩りの情けない断末魔、そして数発の銃声が、陽の高い空にこだました。



* * *



 「ふぅ、とりあえず引き渡しお願いね。元春菊」


 後ろ手に縛られた絵描狩りは、両膝から血を垂れ流し、白目を剥いて気絶していた。

 絵描狩りの手配写真と、目の前の無惨な姿とを見比べながら、元春菊は若干引いた。


 (やりすぎだろう……こいつら……)


 「事後処理、よろしくお願いします」


 「はあ……」


 元春菊は大きなため息を吐くと、頭を掻き毟った。

 痒いわけではない。

 癖である。


 どうにも問題を起こしがちなこの二人のお目付役として、上からのお小言に今から胃をキリキリと痛ませていた。


 やり場のないストレスから、思わず頭を掻き毟ってしまうのだ。


 「お前らなぁ、もう少し穏便にならんかったんか」


 「そこはまあ……一宮の判断だから……?

 そ、それにさ、ほら、元春菊の影武者作戦もハマってさ、上手い事誘き出せたんだから、結果オーライじゃん……?」


 責めるような視線から目を逸らしつつ。


 「喜び勇んで元春菊様のニセモノを攫って行くこの人、ちょっと見てみたかったですね」


 「統香はああ言ってるが、一宮、それは本当か?」


 一宮は元春菊の問いに悪びれもせず、さも当然と答えた。


 「はい。マエストロに触れたので、必要な痛みです。

 それに、マエストロも"やっちゃえ〜"と」


 「ちょっ!」


 「ほう……?」


 「あっ、きょ、興が乗っちゃって……へへ……」


 味方からの援護射撃。に見せかけた流れ弾を喰らった統香はへつらった。


 (矢張り、こいつらには何を言ってもダメだな……)


 へらへらと笑いながら誤魔化す統香を見てそう察した元春菊は、再度大きなため息を吐いた。


 「はあ……まぁ幸い、膝以外に目立った外傷は無いからいいものの、至近距離で四肢の皮一枚に銃を乱射してはな、トラウマんなって記憶に障害が残りかねんぞ」


 「でもこいつが捕まって元春菊も一安心じゃない?」


 「それはそれだ!

 ったく……協会への言い訳を考えんといかん俺の身にもなれ」


 一件落着。

 そんな和やかな解決ムードの中、

 突如一宮が爆発した。


 「あッヤバ……忘れてた……」


 小さなきのこ雲が霧散していく。

 その白煙の中から、等身が赤ん坊のようになったいちのみや(よんさい)が姿を現した。

 メイド服もその等身に併せ、ジャストなサイズへと縮んでいる。


 一歩、また一歩。てちてちと足音を鳴らす。

 いちのみやはそうして歩いていき、統香の膝にしがみついた。


 「そんなことよりまえすとろ、きょうのじゅぎょうはなんですか」


 「そんなことだと?」


 自身の苦労を"そんなこと"と目の前で一蹴された元春菊は、服の裾から電子タバコを取り出すと、怒りを飲み込むように深く吸った。


 「ぶはぁ~……」


 彼の胃はもうボロボロである。


 「今日はもう疲れちゃったから……また明日?」


 おあずけを食らったいちのみやは、むっと大きく頬を膨らませると、地団駄を踏みながら声を張り上げた。


 「まえすとろとくになにもしてないじゃないですか!

 じゅぎょお! ねぇじゅぎょお〜!」


 ぴょんぴょんと跳ねながら統香のスカートを強く引っ張るいちのみや。

 まさに子供の癇癪である。


 「元春菊ぅ、これいい加減なんとかなんないの〜?

 あんたんとこの子らはアイスとゲームで超イージーじゃんかぁ。

 付き合いの長さで変わるとかさ、そんな仕様ないの〜?」


 アトリビュートを使用した対価として、一宮はマエストロからの報酬を受け取るまでの間、こうしてよんさいになってしまう仕様となっている。

 この対価の内容は機械人形の心次第であるため、統香的にはうんざりしているのだ。


 (もっと簡単なさ、バーガーを奢るとかが良かったよ……)


 つい希望が浮かぶ。


 「無い!」


 そしてバッサリといかれた。


 「これが一宮の対価だ。

 いつものように口約束で元に戻るんだし、そもそもこれのおかげで、あんな無茶苦茶な事が出来るんだ。

 小一時間の勉強に付き合うぐらい、安いもんだろう」


 「んぐぐ……!」


 正論パンチを喰らった統香は、いちのみやと元春菊を交互に見つめる。


 足元に、むーっとした顔でスカートを引くいちのみや。


 正面に、諦めろと言うように頷く元春菊。


 「んんんん…………はぁ……じゃあ、ちょっとだけね」


 選択肢はなかった。


 いちのみやは再度爆発。晴れた煙の向こうにはいつもの一宮(二十歳)がいた。


 「ありがとうございます」


 「統香……そう睨むな。こればっかりは運みたいなものだ」


 選択肢などハナからないことに変わりは無いのだが、統香は元春菊を睨む他なかった。

 元春菊は何も悪くないが、それでも、そうせずにはいられなかったのだ。


 (アトリビュート……能力と対価。か。

 対価ガチャ☆1だろこんなん……)


 「あ、その前に昼食を食べましょう。お腹が空きました」


 と、一宮から突然の提案。

 それに素早く反応した統香は、ストレス発散の意を込めてあざとく乗っかった。


 「じゃあ寿司取ろうぜ! 元春菊の金で!」


 「はぁ?!」


 案の定驚く元春菊の肩に手を乗せて、統香は絵描狩り顔負けの下卑た笑みを浮かべて言う。


 「いやいや元春菊、どうせ出前の美味しい店知ってんでしょ?

 いや〜、ごちんなるわ~」


 「ご馳走様です。元春菊様」


 一宮もすかさず便乗する。


 そんな二人の視線を受けた、見た目同様器も広い男、元春菊。

 彼はこの日一番の大きなため息を吐きながら頭を掻き毟った。


 悩み、悩んで、悩んだ果てに、


 (まあ……尽力してくれたからな……)


 なんて、やむなく了承した。

 なんだかんだで甘いのである。


 「わかったよ。ったく。


 経費で落ちると良いが……」


 元春菊は吸い終えたスティックを携帯灰皿へと仕舞った。


 三人は歓談ながらに屋敷へと入っていく。



 此度の絵描狩りによる一件は、こうして迅速に解決したのだった。






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