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第八章

谷底に露出した遺跡の開口部の前に、学者たちと調査隊が集結していた。


全員が硬い顔をしている。

すでに何人かは革の防具を身につけ、ロープや松明、測定器らしき器具を装備していた。

ここから先は、歴史ではなく、未知と対峙する時間だと全員が理解しているのだろう。


「では、揃いましたね」


フリムが帳簿を閉じると、顔を上げて言った。


「本日より、第一段階の探索に入ります。隊は三列縦隊。記録班、補助班、警戒班に分かれてください。……急がず、確実に進むことを最優先とします」


私は小さく頷き、横で腰に装備を整えていた学者の一人に声をかけた。


「アビスは……今日は来ないんですか?」


その男は少し驚いたようにこちらを見て、それから肩をすくめた。


「ええ、聞いてます。『魔女様は子供たちの面倒を見るのに集中したいから、ここはシリウス様に任せる』とのことでした」


「……そうですか」


どこか、腑に落ちない。

アビスなら、真っ先にこの未知の空間に興味を持つと思っていた。

けれど、それも彼女らしい判断なのかもしれない。

子供たちに囲まれて、本を読んでいる姿がふと脳裏をよぎった。


「了解です。先導に入ります」


私はそう言って、手袋を締め直した。


廊下に足を踏み入れた途端、空気が変わった。

ぬるりとした湿気。崩落した天井から落ちた石片。割れた床材の継ぎ目には、何かの管が覗いていた。


並んだ扉のいくつかに手をかけてみたが、どれもびくともしない。

無理やりこじ開けた部屋は、内部がほとんど土砂に埋もれていた。


「……全室、これか」


誰かが呟いた。


「開けられたとしても、中を掘り返すのにどれだけかかるか……」


「これは……大工事だな」


前を歩く補助隊のリーダーが、天井を仰ぎながらぼそりと呟く。

その一言に、皆が無言で頷いた。


私たちはさらに奥へと進んだ。

次第に、床材の質が明らかに変わっていく。

最初はひび割れだらけだった床が、やがて金属質の平滑なプレートに変わり、足音が鈍く響いた。


「……素材、変わってる」


誰かがそう言い、皆が辺りを見渡し始めた。

緊張感が緩み始めたのが分かる。奥に行くほど構造が保たれているという事実に、安堵が広がっていた。


そのとき、私は何気なく口を開いた。


「そういえば、この近くにも……露出していた遺跡が、ありましたよね」


「え?」


近くにいた記録班の一人が振り返る。


「青く光る花と水の流れを辿って。谷底の西側の斜面でした。あのとき、一人でたどり着いた場所です」


私ははっきりとその光景を思い出せた。


「……そこに、メモらしきものも落ちていました。黒い線で書かれた、見慣れない命令文。アビスと確認しました」


だが、周囲の反応は予想と違っていた。


「……いや、それはない」

「遺跡らしきものは、掘り出された場所以外には確認されていないはずだ」


「この谷底は、探索隊が日々目を配ってます。二週間、ずっと掘り続けてきたんです。見落とすとは考えにくい」


「じゃあ……私が見たのは何だったんです?」


私の問いに、誰も答えなかった。

その静けさの中で、記録係のひとりがそっと手を挙げる。


「そのメモ……どんな内容だったんですか?」


私は数秒、目を閉じて記憶を掘り起こす。


「……細部は曖昧ですが。中央に円形の記号、その周囲に命令文のような記述がありました。単語は分かりません。でも……描けます」


学者のひとりから紙と筆記具を受け取り、私は記憶を頼りに線を引いた。


中央に丸。その周囲を囲むように、直線と記号。

力強く、そして機械的な――どこか意志のようなものを宿した文字。


「……これ、です」


紙を覗き込んだ瞬間、学者たちの間にざわめきが広がった。


「これだ……この形式、間違いない……!」

「神の言葉だ! これは神が人類に与えた祝福の痕跡!」


「静かに!」


リーダーの声が空気を割った。


「真偽は後で検証すればいい。今は目前の探索が優先だ」


興奮を抑えるように、誰もが頷いた。

私は紙を巻いて渡しながら、胸の奥にひっかかる違和感を抱え続けていた。


……あの遺跡は、確かにあった。アビスも、一緒にいた。

なのに、どうして誰も……。



さらに進むと、廊下の先には鋼鉄のような扉が待ち構えていた。

無骨な装飾。密閉された構造。見た目だけで、並の力では開かないことがわかる。


「押せ。引け。……開かん」


何人かが力を込めて試すが、びくともしなかった。


私は何気なく、扉の横にある箱のようなものに手を触れた。


その瞬間――


「……!」


小さく“ピッ”という音が鳴り、箱が淡い光を放った。

それと同時に、扉の内部から重々しい機械音が響き……ゆっくりと、左右に開き始めた。


一同が、息を飲んだ。


「……なんで、開いたんです?」


誰かがぽつりと呟く。


私は答えられずに、ただ、開かれたその先を見つめていた。


開かれた扉の向こうには、重苦しい静けさが満ちていた。


その空間は、どこか聖堂のような静けさと緊張感を持っていた。

年季は感じられたが、壁も床も崩れていない。構造材は異様なほど頑丈で、風化も最小限に抑えられている。


けれど、空気だけは違った。

濁っていて、乾きすぎていて、息をするだけで肺にざらついたものが引っかかる。

数人の学者や補助員がすぐに顔をしかめ、口を押さえ始めた。


「……無理です……すみません……」


そのうちの一人が、私の腕をそっと掴んだ。

視線が揺れている。


「……あとでさ。……あのメモのこと、教えてくれない?」


その言葉を聞いた瞬間、私は頷こうとした。

だが、その人はすぐに他の仲間に肩を抱えられ、視界の外へと消えていった。


私は静かに息を吐き、残った者たちとともに、足を踏み入れた。



「……これは……?」


一人の学者が、部屋の中央に置かれた机の上の“箱”を撫でながら呟いた。


それは見たこともない材質の装置だった。

透明な面の中に、割れた光の板のようなものがいくつも重なり合っている。


「これは魂を記す箱では……?」


「記録を蓄える“神の心”かもしれない。古の時代、人の想いを封じて後世に伝える技術があったと聞いたことがある」


「……この空間、神殿ではなく……“選ばれた者の書庫”だ。人ならざる知識が、眠っていた場所」


学者たちは周囲を慎重に調べながら、しかし興奮を抑えきれずに言葉を交わしていた。


リーダーは静かに頷きながら言った。


「丁重に扱え。すべてが貴重な遺物だ。触れるなとは言わんが、敬意を忘れるな」


それでも、緊張は徐々にほぐれていった。

保たれている構造、未知の素材、奇跡のように残された空間――


「……ここまで完全な状態の遺構が見つかったのは、初めてです……!」


「瓦礫しか見てこなかった私たちが、ついに扉の中に入ったんですよ……!」


誰かが高揚した声をあげる。リーダーの顔にも、わずかに笑みが浮かんだ。


私はそんな空気の中、一歩引いて、ただ空間を見つめていた。


ふと、壁際の机が目に留まる。


木製ではない。けれど、明らかに“誰か”が作業をしていた痕跡。

私はそっと近づき、引き出しの取っ手に手をかける。

少し硬かったが、ゆっくりと力を入れると、引き出しが開いた。


そこに入っていたのは――黒く、小さな手帳だった。


私は黙って、それを持ち上げた。


「皆さん、これ……」


その言葉に、周囲の学者たちが一斉に集まってきた。


表紙は革のような素材でできていて、すでに端が擦れている。

だが、奇跡のように――中身の一部が残っていた。

————————————

この五百年、人は何を築き、何を奪い、何を手放したか。

……もはや、悔いるには遅すぎた。

神の意思に触れる以前に、私たちはあまりに脆く、同時に傲慢だった。

これは“罰”なのだ。

残された時間の中で、私は彼女たちに――

何を残せるだろうか。

————————————

「……彼女たち?」


「……誰の言葉だ……。何百年前の記録……?」


「“神の意思に触れる前に”……つまり、この記録は“神”が生まれる以前に書かれた……?」


「これが、真実なら……」


興奮と混乱の声が飛び交い、誰もが手帳を覗き込むように群がる。


「……とんだ、大発見だな」


リーダーがぼそりと呟いたその声には、抑えきれない震えがあった。


「明日から、ここを中心に調査を開始する。全記録を写し、複写する班を組め。慎重に……だが、急げ」


その指示が飛ぶと、学者たちは顔を輝かせ、次々と計画を立て始めた。


私は少しだけ手帳を離れ、壁に背を預けた。

今、自分がどれほどとんでもない場所に立っているのか。わかっているのに、どこか他人事のようだった。


「……まずは地上に戻ろう。呼吸が限界だ」


リーダーの一言で、皆が出口の方へと向かっていく。


私はその背を追いながら、ふと振り返った。


広い空間、静かに眠る謎の装置。

誰の言葉も届かぬまま、そこに残されていた黒い手帳――


“これは罰だ”と書いた誰かの想いが、静かに胸の奥に沈んでいった。


遺跡の扉をくぐり、地上へ戻る階段を上り切った瞬間、冷たい夜風が頬を撫でた。


「……生きてる」


誰かがそう呟き、次の瞬間、歓声があがる。

空を仰いで手を伸ばす者。その場に崩れ落ちて深呼吸する者。

ある者は仲間の手を握り、まるで長い生き別れから再会したかのように、抱きしめ合っていた。


私はその光景の中で、ふと視線を探した。


だが――どこにも、アビスの姿はなかった。


「……来てないのか」


小さく口に出した言葉が、空気に溶けて消えた。


深い落胆ではなかった。けれど、心の奥にひっかかるものがあった。

あの扉の先で、自分が触れたもの。聞いた言葉。見つけた記録。


……それを伝えたいと思った。

……あの人に、最初に。


でも彼女は、ここにはいなかった。


私はゆっくりと息を吐きながら、胸に広がったその感情に驚いた。

使い魔である私が、ここまで……?


そこへ、生活区の方から一人の女性学者が近づいてきた。


「ああ、シリウスさん。魔女様、子供たちと一緒に寝ちゃってて……もし戻られたら来てくださいって。もう、ずっと待ってたみたいです」


「……わかりました」


女性に案内されて歩き出しながら、私は心の中でほんの少しだけ拗ねていた。


――使い魔より、子供のほうが大事?


そんな子供じみた思考に、苦笑がこぼれそうになる。


だが、彼女のもとへ近づいたとき、すべては溶けていった。


焚き火の明かりのそばで、アビスは静かに眠っていた。

子供たちに囲まれ、毛布を肩にかけたまま、ゆっくりと呼吸を繰り返している。


その寝顔は、いつものニコニコな仮面とは違っていた。


――魔女じゃない。ただの、少女のようだ。


その姿を見た瞬間、胸の奥にあった棘が、やさしく消えていくのを感じた。


「……シリウス?」


まぶたがわずかに開き、淡い瞳がこちらを捉えた。


私は、静かに言った。


「戻ったよ」


アビスは、かすかに微笑んで囁いた。


「……よかった。目が覚めたら、あなたに会いたかった」


その言葉が、ひどく自然で、まっすぐで――

私はただ、胸の内がじんわりと温まっていくのを感じていた。


誰かにとって、必要とされるということが。

誰かを求める気持ちが、こんなにも柔らかいものだということが。


「――遺跡で、いろいろあったんだ」


私は焚き火のそばに腰を下ろし、アビスに向かってゆっくりと語り始めた。


そして、静かな夜が、ふたりを包んでいった。


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