第二章
私の記憶が正しければ、魔女とは、社会的に抹消されるはずの存在である。
フレジーがかつて「この世とは循環」などとネチネチ言い聞かせたように、現代社会では、人間を「循環する光」として捉える思想が根づいてきた。
まだ小さかった頃、村に巡光会の大人たちが巡礼に訪れたのを思い出す。
彼らは顔を隠すほどの奇妙な白いコートをまとい、真っすぐに整列した列をなぞるように、村の中央を無言で進行していった。そして村長の家へと向かった。
当時の村長は、私の父・レグルスだった。
彼は孤高な人だったが、村の生業に誠実に従事していた。
そんな父ですら、巡光会の人々に囲まれたときは、ぐうの音も出ないほど、気圧されていた。
その様子を、私は村の子供たちと遠く離れた小屋の窓から、神妙な面持ちで眺めていた。
「…あの動く白いキノコ、何なんだろうね。」
いつも私になついてくる、五歳下の少年がつぶやく。ひんやりとした空気が、ふっと和んだ。
「魔女喚起らしいよ。」
「魔女喚起?」
「魔女が一匹、監視区域から脱走したんだってさ。」
賢そうな少女が、大人たちの会話を盗み聞きした情報を教えてくれた。
“魔女”など想像もできない存在だった。
当時、まだ私の師ではなかったフレジーが「神に見捨てられた哀れな存在」などと曖昧に語っていたが、私はそれよりも、もっと危険な存在なのだろうと考えていた。
…同時に、興味もあった。
やがて巡光会の一行が注意喚起を終え、一斉に村の外へ歩き出したそのとき。
懐いてきた少年が急に彼らの後を追いかけ、「待って!」と叫んだ。
「おい、やめとけ――」
止める間もなく、進行中の白い連中がそろりと少年のほうを振り向いた。
「ぼくも、あなたたちみたいにカッコいい人になれますか?」
心が一瞬、冷え込む。
それは、子供が大人に――未知に向けた、純粋な恐怖だった。
けれど、しばらくして、先頭に立っていたリーダーらしき男が少年に近づいた。
皆が見守る中、その男は静かに、少年の頭に手を置いた。
…その瞬間、私の心もやっと落ち着いたのを覚えている。
「もちろん。大人になるまで待ってるよ。巡光会の教えに従えば、命もまた光に帰す。」
難解な言葉を残し、彼らはついに村を去っていった。
賞賛を得たかのように誇らしげな少年の頭にコブをひとつお見舞いすると、村はようやく、いつもの風景に戻った。
私は、魔女の存在が気になったまま、日常へと戻っていった。
……なのに。
――色々ありすぎて、頭がうまく回らない。
魔女が、私の目の前でルンルンとご機嫌に歩いている。
しかも、中央都市のど真ん中で!
商人連盟が治めているとはいえ、中央都市には色んな輩がうようよしている、一般人にとっても安全とは言い難い。
そこに、巡光会の宣伝隊や、最悪の場合、反魔女組織の「清めの徒」と鉢合わせる危険すらある。
……なのに、なぜアビスは、そんなことも気にせず、堂々と町を散策できるのか。
「ねぇ、ア、アビス?」
「あら? なんでそんなに青ざめた顔してるの?」
「べ、別に心配してるわけじゃないけど……でも、あんた、もっと注意した方がいいんじゃない? その、あの……」
私はできるだけ小さな声で、アビスの耳元にささやいた。
「巡光会はともかく、清めの徒に見つかったら……」
「そんなの心配ないわよ。だって私たちの見た目って、普通の人間でしょ?」
「いや、まあ……そうだけど……」
アビスはまるで聞く耳を持たず、私の手をぐいと引いて、強引に歩き出した。
どうしよう。もし見つかったら、どうやって逃げよう?
ていうか、アビスをどう連れ出す?
べ、別にこの女がどうなろうと私には関係ないけど、でも私が“元”に戻るには……。
ぐるぐる考えていると、突然アビスが足を止めた。
私の思考も、現実へと引き戻される。
アビスの目の前には、小さなお店が建っていた。
他の店舗と比べると人通りも少なく、けれど、どこか老舗のような重みがある。
看板に刻まれた二文字は読めない――古代語だろうか?
「ここは?」
「私が得意とするお店よー。」
「へー……え?」
今、なんと?
アビスはさらに私の手を握り直すと、躊躇なく店の中へ入っていった。
ドアが閉まった瞬間、それまで燦々と輝いていた陽の光が一気に消え、店内は静まり返った空気に包まれる。
「ようこそ、チェンクンへ。」
凛とした、幼い声に驚く。
現れたのは、店員らしき少女。
奇妙な民族衣装をまとい、頭にはお団子をふたつ結っていた。
まじまじと見つめる私をよそに、少女はアビスの方を向いて、問いかけた。
「お目当ての品物は?」
「――世界の裏側よ。」
アビスが静かに答えると、少女は店の奥にある棚をすっと動かし、その奥にある扉を指し示した。
「どうぞ、こちらへ。」
人は、未知に対して恐怖を抱く。
大人になった今でも、それは変わらない。
それでも私は、アビスとともに、その扉の向こうへと足を踏み入れた。