いきなり森の中
小鳥の声で目が覚める。
気がつくと、俺は地面に突っ伏していた。
四つん這いになって顔を上げる。
でかい木に囲まれた小さな空間。芝生みたいな草が生え、たんぽぽみたいな花が咲いている。上を見上げれば、木々の間から5メートルほどの丸い青空が見えた。
森の中ですか?
草の上に胡座をかくとしばらくぼーっと考えた。
本当に異世界に転生したのか?
「神様!いますか?」
何の返事もない。放置プレイ。それとも俺はまだ夢を見ているのか?
自分の体を見てみる。ベージュ色の七分丈の半ズボン。触ってみると100%綿素材?
上半身は長袖の白いTシャツ。その上にこれまたベージュ色のチョッキみたいの着ている。左右に大きなポケット2つ。足を見れば、素足にゴム底のサンダルを履いている。
いつまでも座っていても仕方がない。立ち上がって、ぐるりと自分の体を見回す。
「尻尾は無いみたいだな」
神様が人間じゃない、別の種族にすると言っていたから、てっきり尻尾が生えているのかと思った。
「なんだ。出まかせかよ」
やっぱり異世界じゃないんだろう?ただの生まれ変わり。地球の違う場所に移動しただけかも?
じっとしていても仕方がないから歩き出す。しばらく行くと、森が開けた場所があり
小さな泉が湧き出していた。
ちょうど喉が乾いていた。助かったよ。
水を飲もうと、泉の上にかがみ込む。
きれいな水に俺の顔がはっきりと映った
若返っている。顔にあったシミやシワがなくなり、つるつるテカテカ。
相変わらず目は細く垂れ下がって低い鼻におちょぼ口。角刈りの頭にちょこんと、小さな角が2本ーーーー?
ちょっと待って。小さな角が2本?まさか?口を開けて歯を見れば、尖った牙が下の歯から両脇に生えている。指を見れば、尖った分厚い爪。まさか?
七分丈のズボンを下ろすと、虎柄のパンツ。
おじさん、鬼に転生してしまいました。
まぁ、慌てても仕方ない。もともと現世では死んでいたんだから。
それに鬼と言っても、地獄の鬼のように凶暴な姿形ではなく、どちらかと言えばうる星やつらに出てくるラムちゃん?そんなに可愛くはないが、角と牙を隠せば普通の人間に見える。
それよりもここが異世界だと言うことがはっきりとわかった。まぁ若返った時点で納得しなきゃだめだよね。
俺は森の中をずんずん進んだ。そしてわかる。若さのありがたさを。
いくら歩いても疲れない体。遠くまではっきり見える視力。そして、体の奥から湧き出してくるパワー。どんなに動いても痛くならない体。
60を過ぎれば疲れは翌日になっても消えない。朝起きてもやる気にならない。体がだるい。なんか全てがめんどくさい。
地球での俺の健康状態。血圧168。白内障に緑内障。糖尿病でHbA1cが8.6 ガンマーGTP245 慢性の腰痛持ち 職業柄正座ばかりするので、膝が痛くて歩く気も起こらない。はっきり言ってボロボロでした。
若いって素晴らしい。
でも、この素晴らしさが若い時にわからないんだよなぁ。
20代30代、浴びるほど毎日酒を飲んで、ラーメン大盛りにライス大盛り。腰が痛くなっても金がないから医者にも行かない。
そのツケが50過ぎて来たときに「もっと体に気をつけてればよかった」と思っても後の祭りさ。
でも、今の俺はやり直すことができる。はっきりと歳はわからないが、高校時代のラグビー部だった頃の無尽蔵のパワーを感じるぜ。ということは16、17歳位かな?
鬼に生まれ変わったことを忘れる位に嬉しい。
やがて、森を抜け草地に変わった。一面広々とした草原。
オーストラリアの牧草地みたいだ。行ったことないけど。
とにかく、まっすぐずんずん歩く。やがて小高い丘の上に立った。
遠くに小さな家が立ってるのが見える。煙突から煙が出ている。
いよいよ第1村人発見かな?
俺はその家に向かってまっすぐ突き進んだ。
丸太を組んだ家だった。ログハウス?北の国からの五郎さんの家?
赤い屋根の上に、レンガで作った煙突。その家の周りを低い板の壁がぐるりと取り囲んでいる。
そして、広い庭で、おばあちゃんが大きな布の上に、ほうれん草のような草を干しているじゃありませんか。
俺は、壁の外から、ただそれを眺めていた。
おばあちゃんは足首まである、だぼっとしたグレーのワンピースを着ていた。
顔がシワだらけだけど、目はキラキラと輝いている。生命力に溢れてるって感じだ。髪の毛は白髪と言うよりも銀髪。その上に丸っこい耳がちょこんと乗っている。
そしてお尻からはモフモフのしっぽが。
もしかして、ワンちゃんの獣人族?
するとおばあちゃんが俺に気がついた。
「あんた誰だね?」
さぁ、ここで何と言うか?大な別れ道。
「異世界から転生してきた落語家です」
はい、これはだめ。
「道に迷ったものなのですが」
そう言えば
「どこに行きたいんじゃ?」
ここで会話が終わります。
ここは様子を見ながら話しかけるに限る。
「旅していたんですがーーーいつの間にか森で迷ってしまって」
すると、おばあちゃんが
「帰らずの森に迷い込んだのか。よく出られたの」
「帰らずの森?」
「昔からあの森に入ったまま出て来れなくなった人間がたくさんいるんじゃよ。だから、この辺のものは、あの森には近づかん」
おいおい、神様、いきなりそんな危険な森に放り込むなよ。
「それで、お兄さんどっから来たんだね」
さぁ、ここで俺の創作落語家の腕の見せ所。
「それが思い出せないんです。あの森で崖から落ちて、頭を打ったら、みんな忘れてしまって」
「確かにあの森には危険な場所がたくさんあるからなあ。しかしなんで兄さんは旅をしてるんじゃ」
「俺の両親も山奥でひっそり暮らしてました。でも病気で2人とも亡くなってしまって。このまま山奥で1人暮らすわけにもいかず、仕事を探しに出てきたんです」
ここで悲しい顔して、地面に目を落とす。両手を胸の前で交差させ、ワナワナ震える。
「そうかーーーそれは大変じゃったなぁ。その上、記憶もないとはかわいそうに。よかったら家でお茶を1杯でも飲んできなされ」
そう言うと、おばあちゃんはにっこり笑って、俺を手招きしてくれた。
いいかい?浅草演芸ホールの15分の高座で初めて会う客を笑すには、このくらいのテクニックがなきゃダメだぜ。