女流落語家
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ちゃんとお仕事しないと。
「ネギミ姉さんは1度も高座で受けた事がないんだ」
肉丸はメガネの奥の小さな目が悲しそうに光る。
なるほどな。俺は芸歴37年ある創作落語家だからその理由がわかるんだなあ。
ネギミ姉さんが初日にやった「ミカエル様」
前世では「初天神」と言う落語だ。
この落語に出てくるのは、お父さんとお母さん、そして男の子。後は、屋台のおじさんたち。
ネギミ姉さんは女性だから女の子でやればいいと思うでしょ。
屋台のおじさんも、屋台のおばさんに変えてもいいと思う。
しかし、それができないんだ。
古典落語の設定を変えちゃいけないと言うルールがあるので、女性でも男の子でやらなきゃいけない。
女性でも、おじさんの声を出さなきゃいけない。
この異世界での落語時代設定が、俺が死んだ令和の時代ではなく、もう少し古い、昭和から平成の中頃、まだガチガチの古典落語至上主義の時代と瓜二。
それじゃあ、その頃の前世の落語家環境はどうだったか?
東京落語連合には真打ちが50人、2つ目が30人、前座が12人いた。
これが令和の時代になると、真打が200人、2つ目が40人、前座が40人、どれだけ増えてるんだよ。
平成の中頃、俺は2つ目のちょうど真ん中位。
その当時、女流の落語家さんは、先輩が3人、後輩に1人だけ。
先輩といっても、俺と4年位しか離れていない。
だから、そんな姉さんたちの苦労を目の当たりにしていた。
例えば、兄弟の馬鹿と言う小話がある。与太郎さんが出てくる落語のマクラとしてよく使われる。
マクラとは、これからやる落語と関連のある面白い小話や実体験噺の事を言う。
兄弟の馬鹿とは、こんな小話である。
「兄ちゃん、兄ちゃん、1年て13ヶ月だろう。1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月にお正月!!」
「ばかーーお盆が抜けてるぞ」
男の落語家が、この小話をやるには、何の問題もない。
しかし、女性の落語家が習った通りにやると
「なんで女なのに兄弟なんだろう?」
と、お客さんは思ってしまう。思ってしまえば笑えない。
そりゃそうだよ、高座の座布団に座っているのはまだ若い女性なんだから。
でも、当時は、古典落語は習った通りにやんなきゃいけないと言う暗黙のルールがあった。
新作をやっていた俺は、そんな暗黙のルールなんて無視して
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
とやればいいのに、と姉さんたちに提案した事がある。
すると姉さんたちが
「何を言ってるの、鬼助。私たちは古典落語をやりたいために弟子入りしたんだから、習った通りにやるのが当たり前じゃない」
そう、姉さんたちも暗黙のルールに縛られていた。
まぁ、当時のお姉さんたちの苦労は並大抵じゃない。男しかいない世界に、たった3人で飛び込んできたんだ。
それにまだ昭和を引きずっている芸人ばかり。
芸人は、ヤクザな世界。実際、昭和の興業になれば、本当のヤクザさんたちが裏で仕切っているなんて事がザラにある。
楽屋で師匠たちが、平気で博打をやっている。万札が飛びかい、一升瓶が次から次へと開いていく。
そんな野獣の群れに、まだ若い姉さんたちが、必死の覚悟で生き抜いてきた。
3人を真打ちにする時
「女なんて、正式な真打にするわけにはいかない。色物としての真打にしよう」
なんて、意見がお偉いさんから出た位だ。
色物と言うのは、漫才や手品の落語以外の芸を言う。
パンフレットに名前が乗る時、漫才や手品、曲芸の先生の名前が赤字で表記される。
それから色物と言う名称がついたそうだ。
これは漫才が中心の大阪では、落語が色物になるらしい。
うろ覚えの知識なので、間違っていたらすいません。
さすがに色物真打と呼ばれるのが、嫌だった姉さんたちが抵抗して男と同じ普通の真打になった。
これだけでも、当時どれほど女性差別がすごかったか。
あまり小説にも漫画にも書かれていないよね。
まぁ、汚いものには蓋をしようって事かな?
そんな姉さんたちが、真打として頑張ってたから、その後に大勢の女流落語が生まれた。
女性不毛の地に、姉さんたちが種をまいたのだ。
そしてその種から令和になって花が咲き始め、なんと寄席の興業で女性だけで番組を組むと言う、昔なら不可能だった事が起こっているのだ。
この異世界に何人、女流落語家がいるのか俺は知らない。
ビルド亭で素人の時に見た、ブロンズクラスのおこん姉さんがいたから、少なくとも3人以上はいるのであろう。
ネギミ姉さんが習った通りの古典落語をやってる限り、そりゃ受けないだろうな。
しかし、俺は、そんな女流の落語家さんが、古典落語で受ける方法を知っている。
知っていると言うよりも、俺が後輩の女流落語に教えてあげたのだ。
なんで教えたか?どうせスケベ根性だろう?
おいおい、俺は確かにスケベだが、仲間うちに手を出すほどのスケベじゃない。
ある小さな落語会で、まだ若い2つ目さんの女流落語家が必死になって古典落語をしても全く受けない現場を見た。
一生懸命やっているのに、客は、ピクリとも受けない。
「棒鱈」と言う古典落語で、薩摩訛りのある野暮な侍が、江戸の料理屋の2階で、芸者に
「好きなものはなんですか?」
と、聞かれて
「ワシの好きなものは、エボエボ坊主のそっぱ漬け、赤べろべろの醤油漬けたい」
と薩摩訛り丸出しで答え、それで聞いている江戸っ子が笑うと言う
まぁ、田舎者を馬鹿にした話だけどね。
古典落語は、江戸子が主人公なので、田舎者の立場は低い。
今の時代だったら、完全に差別だよね。
その薩摩の田舎侍を、かわいい女の子が大声で
「ワシの好きなものはーーー!エボエボボーズのそっぱヅケ、赤ペロペロの醤油つけたい!」
見ていて、いたたまれない。
客もどうしていいか、沈黙の艦隊。
その姿を見て、俺も若い時、必死に自分で作った新作落語をやったが、古典落語しか認めない客ばかりで、ピクリとも受けず、悔しい思いをした事を思い出した。
それで、女性でも視点を変えれば受ける古典落語ができる方法がある事を教えようとウーマンズ落語会というのを開いて、大勢の後輩女流落語家さんを育てたのだ。
でも、もう俺死んじゃったから、きっと教えた女流落語家さん達は
「自分でいろいろ考えて、女性目線の古典落語を作りました」
って言うんだろうなぁ。
でもそれでいいんだ。これからどんどん女流の落語家が増えて、寄席の半分は女性になったら、今までふんぞりかえっていた男の真打が慌てるだろうなぁ。
そうなれば、楽屋だって、女性専用の楽屋ができたり、託児所ができたりするんだろうなぁ。
結婚して、子供のいるお母さん落語家や芸人はベビーシッターを雇ったりして大変なんだよ。どう考えたって、寄席の出演料オーバーしちゃうよね。
さてネギミ姉さんに話を戻そう。
俺もいろいろ教えてあげたいけど、前座になったばかりの俺が偉そうな事言っても
「ふざけるんじゃないよ、小鬼」
平手打ち食らうかもしれない。
だから、ここは無難に乗り切りましょう。
「そうなんですか?肉丸兄さん。ネギミ姉さんに明日もう一度謝ります」
謝る理由なんて何もないよ。でもなくても、頭を下げるのが芸人の世界。
「でも小鬼、あの『からぬけ』 本当は自分で考えたんじゃない?」
おお、このおデブちゃん鋭いね。
「ーーちょっとだけ考えました。僕、落語の事全然知らないんで、どうやったらお客さんが笑うか、自分で考えてみたんです」
「どう考えたんだよ」
「だから、オーバーアクションっていうか、大げさにやったらお客さん笑うかなと思ってl
「なるほど、怖いもの知らずってやつか」
肉丸がハムの塊みたいな腕を組む。
「俺も考えたんだよな。今までの粋な落語じゃない、知らない人でも笑えるもっと動きのある落語。今度一緒に考えてみようぜ」
なんだ結構熱心なんだ、この食いしん坊君。
「はい兄さん。よろしくお願いします。」
初めて落語家で友達ができた。
でも、お腹が空いてるときには近づかないようにしよう。
ちょっと現実の女流落語家事情。
漫画だと、簡単に女性落語家が出てくるけど、女流落語家がここまで育つのは本当に大変だったんだよ。
よくぞここまで増えました。
浅草演芸ホール、今日まで、夜の部、女性芸人ばかり。
夢のようです。
みんな頑張れ!