見習い弟子の日々
連日投稿。
書けるうちに。
朝8時に師匠のお宅に行く。
「おはようございます」
と言って、外に立て掛けてある箒とちりとりで玄関と家の外を掃除する。
それが終われば、家の中に入り用具入れに入れてある箒で廊下と居間と台所を掃除して硬く、絞った雑巾で床を拭く。
その後は、トイレと洗面所。師匠の家にはお風呂はない。
その頃になると、師匠が寝床から起き出して、ちゃぶ台の前に座る。
「おはようございます」
そう言うと、新聞と湯呑みに熱く濃いお茶を入れちゃぶ台に置く。
「ああ、おはよう」
師匠が眠そうな声で挨拶してくれる。
これが嬉しいんだなぁ。前世の俺の師匠鬼勝は挨拶しても何も言わない。
ただ、ムスっと首を縦に振るだけだ。
台所に行って、味噌汁とアジの干物を焼く。昨日の夜、満腹亭でもらった大根と里芋の煮付けを小鉢に移す。おかずが揃ったら魔石釜で保温されたご飯を茶碗によっそてちゃぶ台の上に置く。もちろん同じものを台所に取りに行き、ちゃぶ台の上に置く。俺の朝ご飯だ。
「いただきます」
師匠が手を合わせて言うので、俺も大きな声で
「いただきます」
そして、師匠は新聞を読みながら黙々と食べるのだが
「今日はビルド亭があるから、着物を作っておけ」とか
「昼過ぎにブロンズクラスの奴が稽古に来るから、お前も一緒に聞いていろ」
「今日は何もないから、昼になったら帰っていいぞ」
ぽつりぽつりとスケジュールを教えてくれる。
朝ご飯が終われば、食器を洗う。
満腹亭で慣れているから、お手のもんだ。
魔石釜を見て、ご飯の量が少なければ、残ったご飯を皿に移して魔石冷蔵庫の中に。
お釜を洗って、新しいお米を研いで水に浸す。
「師匠終りました」
「そうか、この前教えた「子ほめ」できるか?」
「はい、お願いします」
「それじゃあ、着物に着替えて準備しろ」
居間のちゃぶ台を壁に寄せると座布団を2つ引く。
俺が着物に着替えて座布団に座ると、師匠も正面の座布団に座る。
「よし、やってみろ」
扇子と手拭いを前に置くと
「昔から付け焼き刃ははげやすいと言うそうで、習った事をすぐやろうとして失敗するなんていうのはよくある事でございます」
「ご隠居さんいますか?」
「誰だい?なんだ、ギル公じゃないか、どうしたい?」
「実は友達に赤ん坊が生まれまして、それで誕生祝いに祝儀をとられたんですけれども、取り返す良い方法はありませんかね?」
あぁ、上下がないのは本当に楽。
普通だったら
「おいおい、なんでご隠居さんが右を向いているんだ?ちゃんと左を向かなきゃだめじゃないか」
小言を言われたりする。
これが、登場人物が3人ともなると、もうどっちが右が左かわからない。しかしこの異世界落語は上下なんて自分で決めればそれでいいと言う、おおらかな世界。
前世で上下がわからなかった俺にはありがたい。
それでも違う小言はある。
「おい、ギル公の言葉に魔力が感じられねぇ。お世辞を言って、1杯酒をご馳走してもらおうと言うセコさが感じられねぇんだ」
「なんだい、その番頭さんは。ギル公に馬鹿にされているんだ。もっと怒りのオーラを出しやがれ」
前世では絶対に言われない小言だが、なぜか異世界だとしっくりくる。
「いいか、小鬼。落語の登場人物に、いかになりきるか。なりきればそのキャラクターが持つ魔力がオーラになってお前に乗り移るんだ。口先だけじゃねぇ心で感じろ」
格闘映画の名台詞かと思いました。
1時間ほど稽古をつけてもらい
「まだまだだな。帰ってからも稽古しろよ」
その後は、着物のたたみ方やネタ帳の付け方を教えてくれる。
ネタ帳と言うのは寄席で誰がどんなネタをやったか書く細長い帳面の事だ。
前世の時は、楽屋に入って、兄弟子がネタ帳をつけるのを見て覚えたものだ。
それをわざわざ師匠が教えてくれるなんて、親切なんだなぁ。
楽屋仕事のいろはを教えてもらうと昼近く。
近所の商店街に買い物に出かける。
師匠の家の近くには昭和の下町みたいな商店街があり、肉屋、魚屋、八百屋、一通り何でも揃っている。
師匠からお金を預かり、竹で編んだ買い物かごをぶら下げて、てくてく歩いて15分。
明日の朝ご飯のおかずと、俺の昼ご飯、パン屋さんでコロッケサンドを買って帰る。
師匠は昼ごはんは食べない。夕方出かけて銭湯に行き、そのままなじみの居酒屋で1杯やるのが師匠の楽しみなのだ。
俺が台所でコロッケサンドを食べ終えると
「何か御用はありますか?」
「今日はもう帰っていいや」
「分りました。明日また同じ時間に来ます。ありがとうございました」
そう言って、師匠の家を出る。
歩いて帰ると満腹亭に着くのが、午後の2時ごろ。
ちょうどランチも一段落している時間だ。
「ガゼットさん、今戻りました。手伝いましょうか?」
「そりゃ助かるよ、ポテトン、いや小鬼だったな。まだ新しいバイト見つからなくて大変なんだよ」
「それじゃあ、すぐに皿洗いますよ」
荷物をカウンターに置くと、エプロンをして、すぐに汚れた皿が山積みになったシンクに向かう。
「そうそう、もらった大根と里芋の煮付け、おいしかったって師匠が言ってました」
「そりゃよかったなぁ。でも、赤鬼さんは、あの歳でずっと1人なのかい?かみさんはいなかったのかね?」
そりゃ俺も気になっていた。でも、あの小さな家に女の人の気配は無い。おかみさんは既に死んでいるかもしれないけど、仏壇も写真もない。
まぁ異世界に仏壇があるかどうかは知らないけど。奥さんがいた痕跡はどこにもない。
「そうですね、いなかったんじゃないんですか?」
「だったら今まで自分で飯を作っていたって事じゃねーか。飯だけじゃねぇ洗濯や掃除も、結構マメなんだね」
確かに家の中はいつもきれいに片付いていた。俺が毎日掃除しているがゴミなんてほとんどない。
「それでどうだい?弟子生活は慣れたかい?」
「まぁ大体やる事は一緒ですからね」
こうして、俺の見習い生活は淡々と過ぎていった。
そうこうしているうちに、3月経つ。
廊下を掃除していた俺を師匠が呼ぶ
「小鬼、ちょっと来い」
お茶を飲んでいた師匠の前に座る
「はい、なんでしょうか?」
「小鬼、明日からビルド亭のアイアンクラスだ。初日だから、家に来なくていい。
朝10時にビルド亭の楽屋に入っていろ」
「分りました。ありがとうございます」
「着物忘れずに持っていけよ」
「はい」
素直に返事をする俺の顔をじっと見る。
「お前は素直で良い奴なんだが、芸人なんていうのは少しはアクがなくちゃいけない。楽屋に入れば、腹の立つ事もあるだろう。そんな時はため込まずに俺に言えよ」
おいおい、前世でこんな優しい事言ってくれる師匠なんて誰1人いなかったぞ。
「それから、これは大事な事だがアイアンクラスとして開口1番高座に上がる。
その高座が30回過ぎると、やっとお前のキルドカードの職業欄に「落語家(仮)」と、載るようになる。MPやスキルもわかるんだ。だけど、MPが少ないとか、大したスキルじゃないとわかっても落ち込むんじゃねーぞ。そんなもの、自分の修行次第でどんどん伸びていくし、新しいスキルも加わる」
ええ、そうだったんですか?
確かに、俺のギルドカードは名前と年齢と国籍しか書いてない。
そりゃまだ仕事についてないから、職業は載らないと思っていたけど。
それに俺のギルトガードは、ガジェット村の役場で作ってもらった時から全く更新していない。だから、MPの項目さえもなかったのか?
落語ギルドで感知玉が微かに光ったんだから、MPも少しはあるだろう。
でも、ギルドカードってどこで更新してくれるんだ?
師匠に聞いてみると
「落語ギルドでやってくれるよ」
案外、近場で事足りるのね。それじゃあ、ビルド亭の初仕事が終わったら、落語ギルドに寄ってみよう。
「いいか、アイアンクラスは怒られて当たり前だ。つまらねぇ事で腹立てるんじゃねーぞ。楽屋で喧嘩しても良い事なんてなんにもない。俺みたいになりたくなきゃー大人しくしてる事だ」
あのー師匠、楽屋で喧嘩したんですか?一体誰と?
今じゃ、大人しそうな赤鬼の過去ちょっと知りたくなった。やっぱり鬼だけに暴れん坊だったのかな?
やっと次回から楽屋入り。