赤鬼vsポテトン
今日は昼間時間があったので更新します。
平日の昼間に時間があるってお前何の仕事してんだよ。
通された部屋は、畳敷きの6畳間。
丸いちゃぶ台が真ん中に置かれ、上に白い湯呑みが置いてある。
赤鬼は座布団のひいてある座椅子にあぐらをかくと、顎で前に座れと合図した。
俺は畳の上に正座する。
「名前なんて言うんだい?」
「ポテトンって言います」
「なんで俺の弟子になりたんだ?」
「師匠が寄席でやった『伊勢海老』みたいな話をやりたいんです」
すると、赤鬼が照れたように、白髪の坊主頭にちょこんと尖った角を右手で触る。
「あの話はな、カーサックの光之助師匠が作った話だ」
カーサックってなんですか?
赤鬼がキョトンとした顔で、俺を見つめる。
「お前、カーサック知らないのか?ジャパック王国の2番目に大きい街じゃないか」
そうか、この年で2番目に大きい街を知らないって普通考えられないか。
そこで俺は、異世界に転生してきてからの人生を簡単に語った。
「何?山奥で生まれて家族しか知らなかった?親父とお袋が死んで家を出たのか?
それで、運良くガルシア村の役場に勤めて、村の図書館で落語の本と出会って落語家になろうと決めた?兄ちゃん、その若さで波瀾万丈だねぇ」
いや、前世の方がもっと波瀾万丈でした。
「それでなんで俺の家がわかったんだい?」
ここはもう正直に言いましょう。
「役場の上司が、コリン街の満腹亭の親父さんと知り合いで、その縁で今仕事を手伝いながら居候させてもらっているんです。それで店のお客さんが落語家で…」
「誰だい?」
「ヘブン亭そば吉さんです」
「ああ、麺太郎さんの弟子かい?」
麺太郎?インスタントラーメンみたいな名前ですね。
「それでそば吉さんに必死に頼んで教えてもらったんです。最初は教えられないって言われましたけど、僕も必死だったんで、すいません」
ペコリと頭を下げた。
「別にそば吉に怒ったりしねえや」
ちゃぶ台の湯呑みを取るとズズズーとお茶を啜る。
「それでさっきも言ったが『伊勢海老』は俺が作ったんじゃねぇ。兄ちゃんはまだ落語の事良くわかってないから言うけど、自分で落語を作れる人間は今10人位しかいない」
「たったの10人だけなんですか?」
「まぁ、ただ落語を作るだけだったら、若い奴も含めて十数人いるかもしれねぇが、その作った落語でおまんま食えるのはたったの10人いるかいないかだ。まあ、俺も古い人間だからもっといるかも知れねえがな」
この異世界も新作落語には厳しいのね。
「光之助師匠は今じゃカーサックで1番有名な師匠だ。弟子も10人いる。俺はそのお弟子さんのピカイチさんと若い時、一緒に会をやってたんだ。そのピカイチさんが『赤鬼くん、トーキンの落語教えてくれへんか?そのかわり、ワシの落語何でも教えたるさかいな』そう言ってくれたんで『光之助師匠から習った伊勢海老教えてください』とお願いしたんだ」
なるほど、カーサックって前世の大阪だね。
「それで教えてもらって高座にかけているんですね」
「ああ、光之助師匠は気難しい人って聞いていたんだけど、俺が教えて欲しいと言うのを、ピカイチさんから聞いて『だったら、ワシの台本もあげたらええ』『録音した魔石もあるから、それも貸してあげろ』 優しくしてもらってな。今でも感謝している」
赤鬼の赤顔が微笑んだ。
録音した魔石もあるって、この異世界のICレコーダーみたいなものか。
案外、便利な異世界文明。
「それじゃあ、師匠の伊勢海老は、ピカイチさんから習ったものなんですね」
「当たり前だよ。光之助師匠がいくら優しくても、俺も『だったら師匠自ら教えてください』なんて言えるか。そこまで図々しくないしな」
「でも高座で聞いた師匠の伊勢海老は、まるで師匠が乗り移ったっていうか、師匠、ぴったりの話に思えて、きっと自分で作ったんだなと思ったんです」
「新作も古典も、落語っていうのは、そうやって、自分の体に染み込ませてやらなきゃいけねえ。俺だってこの話をものにするには10年かかっているんだよ」
10年か、まぁ決して長過ぎる月日じゃないけどね。
落語と言うのは不思議なもので、若い時にやっても受けなかったネタが歳をとってから受けるなんて事はざらにある。。
俺も前世では、漫才やコントが好きでよくテレビで見ていたが、落語とは根本的に違う。
漫才やコントは、テレビでやるときには、長くても10分。しかし落語は前座話でも15分ある。
R−1グランプリと言うのがあった。ピン芸人が芸を競う大会だが、このRとは落語のRだと言う事を知ってる人は少ないだろう。
この大会の初期に、若手の落語家が何人も挑戦したが、結局は準決勝にも行けなかった。
まぁ早い話がテレビに落語は向かない。まあ、詳しい事はおいおい話していくよ。
そして、漫才やコントの芸人さんは、20代30代で売れっ子になる。しかし、落語家が売れるのは40過ぎ。そして本当に売れるのは50歳を過ぎてからだ。
60歳で死んだ俺が言うんだから間違いない。
とにかく、他の芸人よりも、芸のスパンが長いのが落語家だ。だから、赤鬼が1つの話をものにするのに10年かかったと言っても、驚かなかったわけだ。
「だから、兄ちゃん、俺が落語作れると思って弟子入りするのは間違ってるよ。俺は人の作った落語しか出来ねぇんだ」
俺はしばらく考えるふりをした。
そして赤鬼は正直者だなとちょっと嬉しくなる。
普通、落語家は、自分の落語を褒められると調子に乗って、どうやって面白くしたか、そのためにどんな苦労をしたか、喋り始めるものだ。
この伊勢海老を自分のものにするのに10年もかかったって、正直言わないよ。
それだけ自分が不器用だって言うようなものだしね。
よし、赤鬼合格。
「作れるとか作れないとか関係ありません。僕は師匠がやったあの話が今まで聞いた落語の中で1番面白かったし、僕もあんな話をやりたいと思ったんです。お願いです。僕を弟子にしてください」
赤鬼が目を閉じてしばらく考える。
「俺みたいにめったに寄席に出れない落語家でもいいのかい?」
「はい構いません」
「落語家っていうのは兄ちゃんが思っているほど簡単な商売じゃないぜ」
はい、そのセリフ、入門の時に言われるお決まりですよね。
「俺も噂で聞いただけだが、新しく落語を作ろうって奴は魔力が飛び抜けてなきゃいけないって事だ。兄ちゃんには無理じゃないのかい?」
大丈夫です。前世で作った落語300本ありますから。
「無理かもしれないけど、挑戦してみたいんです。それに、俺、もう身寄り頼りもいないし…」
「そうか、親も死んじまったんだな」
赤鬼の目がちょっと潤んでいる。泣いた赤鬼。
「普通だったら、親を呼んでこいって言うところだが、親がいなきゃしょうがねぇ。
弟子にしてやってもいいが、勘違いしちゃいけねぇ」
おお、ここから師匠あるあるの説教。
「落語家っていうのはなぁ、師匠に引っ張り上げてもらうもんじゃね。自分1人で登ってくもんだ。その覚悟があるなら、弟子にしてやる」
「ありがとうございます。師匠」
「偶然、お前も鬼人族。これも何かの縁だ」
これで俺の弟子入りが確定した。
「師匠、これから僕はどうしたらいいでしょうか?」
「落語ギルドには俺の方から連絡しといてやる。兄ちゃんは、まだ見習いだから満腹亭の仕事はやめなくてもいいが、アイアンクラスになって寄席の楽屋に入るようになる。そしたら仕事はやめなくちゃいけない」
アルバイトしながら前座仕事は無理ですもんね。
「そうなれば自分で部屋を借りなきゃいけねえ。本当はこの家で住み込みと言う事にしたいが、狭くて兄ちゃんの部屋はねーんだ。だから満腹亭の親父さんと良く相談するんだなぁ」
助かった、住み込み、いわば内弟子と言うやつだ。師匠と1つ屋根の下。いくら優しい師匠でも一緒に暮らしたら、お互い気詰まりだしね。
「分りました。相談してみます。それで今度いつ来たらいいでしょうか?」
「そうだな、3日後の朝に来い。俺も弟子を取るなんて初めてだから色々と聞かないとな」
「ありがとうございます。それじゃあ3日後の朝に来ます」
俺は、師匠の言葉を復唱した。これ落語家の基本。
そして俺は赤鬼の家を出た。
空は澄み渡るほど青い。
異世界に転生してきて、どのくらい経ったのだろうか?
やっと落語家に弟子入り出来た。
はっきり言えば、入り口に立ったばかり。これからが本番だ。
神様お望みの『金目のマリー』の続きを作るなんて、何年先になる事やら。
でも、とりあえず落語家には成れた。
異世界に転生してきて、帰らずの森に鬼として生まれ変わった、あの日の事を思い出す。何もわからずに手探りで生きてきた。そして落語家にたどり着いたんだ。
だから思わず俺は叫ぶ。
「やったー!やっと落語家に成れたぜ」
やっと弟子入りできました。
ここまで来るの?ずいぶん時間かかったなぁ。




