冷たき蔵の失せものたち
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うわ〜、すごいなあこの冷凍室の霜。
この冷蔵庫も使い始めてうん十年になるからね、どうも冷凍機能が安定しないんだよ。
最近は夏の暑さもきついっしょ? ややもすると冷凍室の冷やす力が、周りの熱気に後れをとっちゃうこともある。
そうなると、この霜が一気に水となって襲い掛かるんだ。いちおう、それ用の水受け皿はあるけれど、そこからあふれようものなら大惨事。こーちゃんも経験があるんじゃない?
コントロールしているつもりでも、自己修復機能が働く生き物の身体と違って、機械はこちらからメンテしないと劣化の一方。意図しない異状がいつ起こるか分からない。
それは果たして、本当に機械がおバカになったゆえか。それとも周りか、中身よりの影響があったのか。
原因次第じゃ、不可解な事態に直面するかもしれない。
もう何年も前にあったことなんだけど、聞いてみない?
その晩、僕は姉ちゃんからある嫌疑をかけられる。
冷蔵庫にしまっておいたプリンを、無断でとっていったのでは、という案件だ。盗み食いの犯人と疑われていた。
すでに過去、似たような経験のある僕は同じ轍を踏みやしない。投げやり気味に否定してやる。
むきになって拒むと、余計に腹を探られるのも経験済みだ。うんざり風味な語感をかもすに限る。
それでも二、三回強い言葉で詰問されてから、ようやく解放された。そもそも姉が自分の名前をプリンの容器に書いていることは、先刻承知している。
そのうえで虎の尾を踏む真似をするなど、被虐趣味があるやつくらいだろう。
しかし、そうなると誰がプリンを食べたのかとなる。
母も父も積極的に甘いものを食べる方ではなく、お菓子のたぐいは子供の僕らがもっぱら消費していた。
多少は横暴な気はあるにしても、わざわざありもしない罪状を用意して、誰かをパシリに使うほど悪辣な真似は好かないだろうという、姉への信頼もある。
誰も無断でプリンを奪うとは思えないんだ。魔が差したがゆえの行動を、ひた隠しにしているのでもない限りは。
結局、犯人は見つけることができず。姉はそれ以来、プリンを共用の冷蔵庫にとっておくことはせず、購入即食べを心がけるようになったが、被害はこれのみに終わらなかった。
冷蔵庫に入れておいたものが、こつ然と消えてしまうんだ。
昨晩のおかずののこりや、チーズや納豆、キムチなどの発酵食品は、誰かがつまんでもおかしくはないだろう。
しかし、さすがに形がしっかり残った生野菜がまるまるなくなるなど、およそ食べる目的で取っていくとは思えない。
それにくわえて。
残っていた野菜たちがいざ料理に使われたおり、嫌な歯ごたえがともなうことがあった。
例えばピーマンを料理に使うと、それをかじった際に「がりり」と音を立てて咬み合わせる歯にアピールしてくるものがある。
探り当てると、そいつはプラスチックの破片、ひとつひとつは、爪の先ほどの小さなものだけど、それを家族全員が味わうともなれば大きな異変だ。
そのうえ、食べる部位によっては妙に甘ったるい。野菜そのものの甘みというより、カラメルソースじみた、人の手が入った味付けが舌へからみついて離れなかった。
先日の姉の尋問した内容が、頭をよぎる。
――もしかして、プリンは誰かがとったのではなく、原型も残さないほどに細かく砕け散ったんじゃないのか? 容器ごと、野菜の中へ練りこまれてしまうくらい。
それを裏付けるかのように、事態は進む。
あのとき冷蔵庫に入っていた食べ物たちの中には、本来あるまじき別の食べ物の味をふんだんに盛り込んだような風味をかもすことが頻発したんだよ。
極めつけは、とある夕方に響いた母親の悲鳴だ。
駆けつけてみると、野菜たちがかつて陣取っていた冷蔵庫半ばの棚たちの上。そこに小さなアリたちの姿が見られたんだ。
矮躯を寄せ合い、ゴマのような格好でもって、彼らはこの酷寒の箱の中へ入り込んでいた。
何をかぎつけて入ってきたのか。その追及は、ぱにくる母を前にしては何の意味も持たない。
ただ僕は、あせるままに発せられた排除命令のもと、居座る彼らを強制的に立ち退かせるばかりだったんだ。
これが決定打となり、一年前に買い替えたばかりのかの冷蔵庫はお払い箱となる。
粗大ごみと相成り、別の一品へバトンタッチした元冷蔵庫は、回収の日まで家の敷地の隅へ置かれていたよ。
電気を無くし、冷えを失い、野外の陽にさらされっぱなしのその姿は、もはや死に体だ。
親も姉も、とっくに興味をなくしているようだったが、僕はまだ気になっている。
あのプリンをはじめとするものたちの行方。そしてアリたちが集ったその理由が。
回収日の前日の学校帰り。この日限りとなる付き合いに、僕はかつてアリたちが占拠していたところのドアを、そうっと開いてみる。
明かりを失った冷蔵庫の中へ、差し入っていく陽光。
そこに照らし出されたのは、新しいアリたちの姿ばかりではなかった。
蝶。色とりどりの羽を持つものが、棚の上に何羽もとまり、そのいずれもが花の上で休んでいるかのように、緩やかに羽を開閉している。
元が白かった棚の表面は、フンか鱗粉のたぐいかで黄色く染め上げられ、見た目だけならひとかどの野原を思わせる色合いを帯びていた。
くわえて、よくよくその触角の角度をたよりに見てみると、集まる虫たちはそろって頭上を見やっているようだった。
彼らを刺激しない程度に、僕もまた庫内の天井を見やってみる。
カラメルソースの香りを先陣に、数多の食べ物の匂いがかすかに漂ってきた。
黒一色に落ち込んでいるべき天井には、いま雑多な色合いでもって、蛍の光のように照る天の川が広がっていたんだ。
虫たちの身体の大きさを考えれば、これは特大のプラネタリウム。一同はその鑑賞に浸っているように見えたんだよ。
どのような手をもってして、ここに至らせたかは見当もつかない。
ただ、これを整えるために虫たちか、あるいはそれに手を貸す何かがプリンたちを使ったんじゃないかなと、僕は思ったのさ。