侍女が悪役令嬢なお嬢様に物申した結果。
ネーベル帝国フィンドルフ領当主バルボッサ=フォン=フィンドルフの第一息女、リーゼルト=フィンドルフ。
朝露に煌めく紅薔薇色の如き長く美しい髪と、深い海の色を思わせるトパーズの瞳。
女性の理想を体現したかのような、柔らかさと丸みを帯びながらも、しなやかで美しくもある体躯。
学院においては女性ながら次席の優秀な成績を有し、また次期国王となる王太子の婚約者として、幼い日より王妃教育を施されるが、その出来栄えは教師陣をして絶賛させるもの。
「――お下がり。私の侍女に、礼儀知らずは不要よ」
道端の虫にでも向けるような冷酷無慈悲極まりない断罪の言葉に、私の中で『ぷちん』と何かが切れた。
「私こそ、今のお嬢様のような方にお仕えするのはお断りです」
やっちまった、と思うのは、更に数刻後の話だ。
◆
申し遅れました、私、フィンドルフ領アレッサ地方を治めるアイレーヌ家の第二息女、『リズリッド=アイレーヌ』と申します。
アイレーヌ家も爵位持ちで貴族の一ではありますが、爵位トップのフィンドルフ侯爵家に比べればその下の下である子爵家。子爵の中でも上位に位置するとはいえ、貴族社会ではありふれた地位にあります。
すでに結婚し跡取りも得ている長兄と、学院の留学生だった方に見初められ外国に嫁いだ姉を持ち、年の離れた三子として生を受けた私は、お仕えする領主様のご息女がちょうど同じ年ということもあり、10歳の時から行儀見習いを兼ねて伯爵家に侍女として勤めるようになりました。
学院と呼ばれるものがあるのですが、そういったものに通えるのは侯爵家様のご子息ご息女で、子爵家では長兄とせいぜい長女のみが手一杯。門戸は広く、貴族に限らず入学はできるのですが、入学金に授業料にその後のあれやこれや、出費が重くのしかかることもあって、その程度が限度といった所です。
私も学院に通わないことに反発するような向学心の塊ではなく、その代わりにと、侍女として侯爵家に勤めることができることで、行儀見習いではありながらある程度の勉学も業務に必須と教わりつつなので、恵まれた環境と言えるでしょう。
フィンドルフ家は侯爵家として代々その地位にあり、ネーベル帝国でも有数の都市フィンドルフ領を治め、すでに身罷られた先々代の皇帝陛下の奥方―つまり王妃様を輩出された家でもあり、侯爵家でも上位にあります。
当主であるバルボッサ様は王宮においては財務担当大臣の地位にあり、跡継ぎであり先に学院をご卒業された長兄ベルンスト様は軍務の一官吏としてお勤めになり、ご活躍とのことにございます。
そして長女であられるリーゼルト様は、かつて一度お会いした幼少期の頃からお可愛らしい方で、子ども心に物語にある妖精―美しい薔薇色の髪だったこともあり、薔薇の妖精かと思った程でございます。
子ども心に憧れたお嬢様の家でお勤めできるとあって、それなりに浮かれながらも、同じように領内外から集められた同世代の行儀見習いの侍女たちとも仲良く、侍女頭様にも物語のようにいびられることもなく叱咤激励されながら、お仕えしておりました。
そんなお嬢様も、13の年に学院への入学とあいなり、そちらに通って3年目になり、15の誕生日を迎えられたばかりです。
学院は3年制であり、そしてお嬢様の場合、今は婚約者である王太子ランズベルト=フォン=ネーベル様との正式な結婚へ向け、王宮へ住み込みでの本格的な王妃教育を1年経た末に結婚、ということになっております。
――ですが、学院に通うようになってから、お嬢様は変わられました。
それまでも、ご幼少の頃は別として、特別愛想の良い方ではございませんでした。それでも、王妃候補として高位の侯爵家令嬢として相応の礼儀と態度は弁えておいでで、特別冷たい御方でもありませんでした。
時折癇癪のようなことを起こし側付きの者に冷たく当たり、部屋に閉じこもる時はありましたが、王妃になるべく厳しく育てられ、朝早くから夜遅くまでみっちりと勉学に励まざるを得ない中ともなれば、決して無理もないことでございましょう。
――それが、目につくようになったのは、学院3年生にあがられてからのことにございます。
側付きの者らのささいな、とは言え未来の王妃様にとってはお咎めに値するような、仕草や態度や礼儀を、微に入り細に入りあげつらねては蔑み、そして苛立ちのままに退出を命じる。そんなことが立て続けに起き、退出を命じられずとも、お嬢様の部屋の掃除を成せばお帰りになった後に呼び出されて同様のことをされてと、侍女たちが涙ながらに使用人寮に戻り訴えることが毎日のようにありました。勿論、それは侍女だけではなく、執事や料理長に対してもでした。
尊大で傲慢な態度に、最初の頃は学院での生活でお心を痛めておいでなのでしょう、卒業を迎える年とあって王妃となるべくの道にご不安を抱いておいでなのでしょう、と同情的だった雰囲気も、続ければ不満へと変わります。お嬢様をお慰めしようと庭師が丹精込めて飾った見事な花の拵えさえ、虫がたかりそうで嫌だわ、とこきおろし打ち捨てるとあれば、それも致し方ないことでございましょうか。
当主であり父であるバルボッサ様はご多忙故に家のことは妻に任せるとして戻られることはなく、長兄のベルンスト様はお仕事と婚約者の方との逢瀬もあり家にまず戻られず、奥方様は次期王妃となるのに情けないこととおっしゃるのみ。お嬢様の仕打ちは止まることなく止められることなく、今は退出でもいつ暇を出され追い出されるか、と誰もが冷や冷やとしている所でございました。
そういう状況でありましたので、お嬢様の側付きの侍女たちはお嬢様に近づきたがらず、特に寝る前のお支度については他に比べて更に当たりが強いこともあり、皆に嫌がられるようになっていました。中でも寝る前のハーブティーを出す役は不人気で、それというのも、少し前にそれをした侍女が、熱いわ、とお茶を顔にかけられ、ほんの軽いものではあっても火傷に至ってしまったからでしょう。
それもあって順繰りに回された末に、本日の当番が侍女の1人である私リズリッドに回されたのでございます。
侍女仲間からの、あれを言われたこれを言われた、という経験談を全て踏まえ網羅していたかと思ったのですが、お嬢様はティーを口に付けられている間の私の立ち姿が何やら気に食わなかったようで、それについてひとしきり文句を言った末の、先の一言でございました。
『プチン』。
そう聞こえたそれは、いわゆる、堪忍袋の緒が切れる音、だったのでしょうか。
あるいは――あるいは。
失われた『前世の記憶』が蘇るきっかけの音、だったのかも知れません。
◆
お嬢様の釣り目がちな目が、更につり上がります。
「…今、何とおっしゃったの?」
「だから、今のお嬢様のような、傲慢で尊大で不遜で、何かと言えばこまっかいことでネチネチと嫌味ったらしくこきおろしてくるような方にお仕えする何て、こちらこそ願い下げだって言ってるんですよ!」
あぁもうッ、何かあれこれ、むしゃくしゃくして仕方ない。
「私たち侍女はですねッ、お嬢様のような高貴極まりなく順風満帆これでもかって位の、容姿端麗成績優秀っていう才女でしかも王家の覚え目出たい侯爵家の令嬢とは違って、貴族は貴族でもそこら中にごろごろいる程度の貴族家出身で、結婚に夢見ようにも有望な跡取り様には見初められる可能性も低いし、学院にだって入れず、ご厄介になっている身なんですよ? そこのご令嬢に好き放題いびられても、クビになって実家に戻ったら不敬だって叩かれ、そんな評判を得た日には結婚にこれまで以上に夢も見れない中となれば、耐えるしかないってもんです。そんな私共を見下し好き放題仰られても、こっちはすいませんって低く出るしかないんですよ? どれだけ追い詰めて下さるんですかッ」
「…そうと自覚されているのに、良く私にそんな口が叩けるものですね」
「言いますよ、言っちゃいますよ! ――だいたい、お嬢様もそういう態度をとるからいけないんですよ! 『王妃になるのが不安で仕方ない』『王太子様と良い夫婦になれるか自信がない』とか、あと何でしたっけ、『平民上がりの娘を王太子が気に入ってる』『自分のことを鬱陶しがっている』とか、そういうことをしおらしく涙の一つでも浮かべて訴えれば、今よりもよっぽど同情が買えるってもんじゃないですか。損してますよ」
「な…ッ」
驚いているご様子ですが、学院でのあれやこれや、言われずとも侍女や執事の間では割と有名ですよ。ここで働かれている子息令嬢の、上の兄姉が通っていたりもするんですから。醜聞ともなれば噂も広まりますってば。
「と言うか、その平民出身の方にも言いたいことはありますけど、そもそも王太子様ですよ。仮にも王太子で婚約者もいる身でありながら、平民出身だからって気にかけて婚約者放置? バカですか?」
「貴方ッ、王族の方へのそのような物言いは――」
「――不敬ですか? ええええ、どうぞ、ご自由に。不敬承知での進言を許されないなんて、それこそ王家としてあるまじき事態ですよ。耳に痛い進言を聞けてこそ王家の器ってモンです。それはさておいて、学院には珍しい平民だから気に掛ける? 学院は身分不問で門戸を広く開いた場所なのに? そんな所で平民だからってトップにいる王家のご子息が気を遣うって、それ逆に身分差別じゃないですか。そんな相手に、平民が強く出られる訳がないですよね? 商家の方とお聞きしてますし、客商売ですから身分不問の学院でも王太子のご不興でも買おうものなら噂が回って家にも迷惑がかかるとなれば、これもう断れないですよ。その辺分かってやってるなら王太子はホンモノのバカで、分かってないならただのバカです」
「…な」
「王太子が何をお考えかは存じませんが、そういう状況は使用人である私たちの耳に入っているのに、王家の方が知らない訳がないでしょうし? 婚約者そっちのけで平民の娘にひとめぼれかましたか知らないけど遊び惚けている王太子を、どうせ学院にいる間だけだろうとか、卒業すれば落ち着くだろう、って婚約者であるお嬢様の立場とか周囲からの視線やらを無視してフォロー無しに放置してるとしたら、それもう王家がダメでしょう」
「貴方…!」
「お嬢様も、この際ですから婚約そのものをお考えになっては? まだ婚約ですよ。王妃になってから夫婦仲最悪ってなるより、今の内です。自分の身分や立場を考えずに動く王太子に、婚約者であるお嬢様をお守りする態度もない王家に入るのって、名誉かも知れませんけど、その辺りの真意も分からずに入っても、今みたいにストレスためまくって周囲に当たり散らして評判下げるだけですよ。お嬢様だってイヤでしょう、そんなの」
「……ッ」
「次代の王妃たるもの云々とかって色々ご指導ご教授賜っているお嬢様の生き様を私如きがとやかく言える筋合いはないのでしょうけれど、それに従順に素直に真面目に律儀に守っているだけじゃあ、今みたいに苛立ちを周囲にぶつけるだけじゃないですか。言いたいことを言えないお立場なのは分かりますけど、愚痴の一つでもぶちまける相手の1人でもいないと滅入りますよ。私なら絶対。その点、しがない子爵家の娘で侍女ですので、侍女仲間に愚痴り放題ですけど。羨ましいでしょう?」
「………」
「悲劇のヒロインぶってさめざめと泣き散らせれば良いものを、侯爵家の令嬢で王太子の婚約者って肩書が許さないのでしょうけれど、周囲に当たり散らされるよりはそっちの方が断然マ――」
「――何をやっているのですかッ、リズリッド=アイレーヌ!!!!!」
全身震わせる怒声を浴びせたのは、侍女頭であるミルフォレント様で。
ぷちっと来て、好き放題言いたい放題した相手は、お仕えする上位の侯爵家のご令嬢様で。
「もっ――申し訳ございませんでしたあああ!!!!!!!」
平身低頭、土下座で謝罪をする私に、「また何の奇行を!」と怒鳴られたのは、言うまでもないです。
やってしまったわ。
◆
ぷちん、という音と共に怒涛のようによみがえったのは、21世紀の日本育ちの社会人女性としての思考、でした。
社会人の離職率が高いと噂の3年間を務めあげた末、思う所あって転職した4年目の半ば、くらいまでの記憶はうっすらあります。
といってもうっすらで、自分の顔や名前や家族のことも、当時のニュースで話題だったことも、好きなアーティストやらのことも、覚えていません。そういう記憶は、むしろ現世でいっぱいいっぱいです。
ただ、私が割とオタクな部類にいて、といってもマンガやアニメ・小説を、それ以外と特に差もなく見るし読むようなレベルです。ドラマを見て俳優さんカッコ良いとなるのと、アニメ見てヒロインに可愛いとなるのと、私にとってはどっちも同じ程度の意味合いだったので。
無料で読めるのでと愛用していたweb小説で、いわゆる悪役令嬢モノ、というのも一通り読みました。アニメもマンガも良いですけど、小説なんかの文字にこそ心惹かれる女子だったので。活字中毒みたく、図書館に通い詰めた頃もあります。
テンプレ的には、学院に入学した平民あがりのヒロインに王太子が夢中になり、婚約者だった令嬢が嫌がらせをした末に、卒業パーティなぞで断罪される、というもの。
パターンは様々でしたし、婚約破棄されるが幸せになったり、そうならないように頑張ったり、実は王太子が婚約者の愛を確かめる芝居だったり、様々な切り口が成されていましたね。
そういうものを読み漁ってきた中での考えと、今のお嬢様の境遇・お立場諸々踏まえたら、思わず――思わずツッコみたくなっちゃっただけなんですよ!!!
という訴えができるはずもなく、私は侍女頭に引っ立てられ、沙汰待ちの自室謹慎中です。家にも連絡行くよなぁ、やっちまったぜふふふ。将来どうしたもんかなぁ。
と、お先真っ暗さに沈んでいたら、ええええ、テンプレで言いましょう。
「(――何がどうしてこうなった!!?)」
お嬢様がお呼びです、と直々のクビ勧告に怯えつつ来てみれば、キツイ表情したお嬢様が人払いをした末に、顔をあげなさいとのご命令であげてみれば、何ということでしょう。
お嬢様が、困ったように笑ってました。何それ、超可愛い。
「あの時はあんなに堂々と主張されていたのに、ふふ、そんなに怯えなくても良いのよ」
「…え…。…え、あの、…お嬢様…?」
怒っている、ようには見えないけど、どういうことだろう。
…これ、何て言うか、憑き物が落ちた感ある…。
あとちょっと笑うとやっぱ可愛いわ、この人。
「どうぞお座りになって。私、貴方とちゃんとお話しがしたいのよ」
「し、使用人の身で、お嬢様とご同席など…!」
「そう言うだろうと思ったから、言い換えます。――私の命令が聞けないのかしら? 座りなさい」
「……は、ハイ」
キツイ視線になってビシリと命じられては逆らえるモノでしょうか。って言うか、言った端から「私もこういう態度が様になってるわね」と可笑しそうにしているお嬢様に、何があったというのだろうか。
「貴方に進言されて、その時は驚きましたし不敬極まりない発言に怒りも覚えましたけれど…」
「…おっしゃる通りです、スイマセン」
「ちゃんと聞きなさい。でも、それなのに私、とても嬉しかったのです」
どういうこと…?
「貴方もおっしゃったでしょう? 耳に痛い話をも受け入れられてこそ王家にある者としての器、と。でもね、私にああも堂々と進言して下さる人、いないのよ。知っての通り、お父様もお母様もあの態度でしょう? 学院でも次期王妃として持ち上げられるばかりだもの」
「…そ、そうでございますか…?」
「そうでございますのよ。…ふふ。でもね、それだからこそ、私も自分の言動が相応しくないと分かっていても、止められずにいたの。でも、貴方に言われて、思ったわ。――私もそう思ってたのよ、って」
「え…?」
ふふ、とお嬢様は楽しそうに―憑き物が落ちたような顔で、笑う。
「そう思ってはいても、それが正しいのか間違っているのか、それすら私には分からなかったし、相談できる相手もいなかったわ。学院の子だって、貴方様のおっしゃる通りです、しか言わないもの。言ってもいないことに同意される訳がないのにね」
「…お嬢様」
「でも、貴方が私と同じことを考えて言ってくれて、私は嬉しかったの。私の酷い態度を、ちゃんと悪いとも言ってくれるのに、私の態度の理由もちゃんと考えた上で言ってくれる何て、初めてだったもの」
グチ相手すらいない、のか?
ああでも、そうだよね、貴族の令嬢の愚痴ってそれだけで大きな影響を持つからね。
ましてや、王家のお生まれにある王太子様の悪口なんて、言えないよね。だから、平民の少女が攻撃の矛先になるのだ。
「侍女頭は貴方を私の付きからは完全に外し、場合によっては辞めさせることもできるとは言っていたけれど、それはお断りしたわ」
「…と、言いますと?」
お嬢様は、妖精を超えて女神のような笑みを浮かべて、おっしゃった。
「リズリッド=アイレーヌ。――貴方を、私の側付きの侍女として、任命します」
「――は!?」
とんでもない事態に思わず素っ頓狂な声をあげれば、お嬢様は楽しそうに笑った。
「あら、ステキな驚き顔。それで良いのよ。持ち上げられるのは学院で散々させられているからお腹いっぱいだわ。私は王妃候補としての器を以て貴方の進言を受け入れ、貴方の提案に基づいて、…ええと、そう、愚痴の一つでもぶちまけられる相手になることを、所望します」
「…いや、いやいや、いやああの…、何言っちゃてるんですか、お嬢様」
思わず砕けた口調にもイヤな顔ひとつせず、お嬢様は両手を合わせ、小首を傾げる。
「………ダメ?」
「ダメじゃないです!!! ――っていうか、そのおねだりは反則ですよッ」
ふふ、と可笑しそうに笑うお嬢様はどうやら確信犯のようで、ノセラレタ 私 悪クナイ。
ああもう、これからどうなってしまうんだろうか。