命は光る・光れないわたし
「うちのダンナ詩集」の一編です。死別・喪失の苦手な方は読まないでください。
グラジオラスの球根を掘り起こした
20年前から砂利の間に咲くその花は
どんどん増えて色も場違い
移植先は決めたけれど
お饅頭のような塊が
いくつもいくつも、そう30個も
砂利の下の土層から出てきた
大きな球根が固まり合って
その周りにできたての子供たち
どんなに気を付けて拾い上げても
砂利と泥に紛れてしまう
小アジアから来た野生の花は
繁殖力も旺盛でほんの小粒から数年
また咲き始めてしまうだろう
軍手を脱いで無数の粒を抓み集める
砂利と泥を敷石の上に薄く延ばして
小指の爪の四分の一ほどの
オーガニックな茶色を拾う
なぜ拾えるか、考えた――
土だって似たような色
同じサイズの砂利もあるというのに
曲率、生き物の持つ丸みだろうか
涙の形の完璧さだろうか
皮がひげのようにささくれてるからか
モノとの、石との違いの究極は
なぜか光るからか――
まるでここだと自己主張するように
自分も連れて行ってくれと
生きているということだろうか
ではあの日最後の息を吐いたあと
みるみるうちに黄色く変わったあなたは
いつから物体だったのだろう?
部屋から追いたてられても居座れば
あなたと死体の違いがわかったのか?
お棺のあなたは見せてもらえなかったから
命は光るのだろうか
と思ったところで頭上にコマドリの鳴き声
ひとしきりさえずると降りてくる
わかっているから手を止めた
敷石の上の私の膝小僧の先10センチ
ひらりと舞い降り横目で見つめる
濡れ色に光るみみずをついばむ
英国では小鳥は
死者の魂を乗せるらしい
ではコマドリはあなたか
光るくちばしと光るみみず
グレーとオレンジの羽毛の光沢
ぴょんぴょんと前を横切っていく
光れない私を繋ぎ止めていく
球根や小鳥に心を預けるほど
私はまだまだ危うい
光れない私はきっとよほどあやうい……