違和
【ロボット工学三原則】
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。
ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、
自己をまもらなければならない。
(出典:アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳、早川書房)
暗い裏路地に悲鳴が響き渡った。
絶望的な恐怖を帯びた悲痛な叫び。
急迫した生命の危機が、悲鳴の主に及んでいる事は明らかだった。
該当する地点は、表通りから離れた廃ビル跡地。そこにロボットの反応が一体。周りに人間の反応が五人。
ロボットが暴走し、人間を襲っているようだ。救いに駆けつけた人達も、ロボットの防御力攻撃力には歯が立たないらしい。
彼は一瞬で状況を読み取ると、最速で現地に向かった。
「ほら、逃げ回れよコラ。どうせお前は逃げられねぇんだ。もっと泣き叫んで楽しませろよ」
男の声が聞こえると同時に、その声をかき消すような女の悲鳴。
彼が現場に到着した時、哀れな被害者は服を切り裂かれ身体のあちこちに傷を負った姿で塀際に追い詰められていた。
その光景に、彼は違和感を感じた。
一体のロボットが、女性をいたぶっている。そんな光景だ。
ロボットの腕には強力無比なマニピュレーター。人間の身体などあっという間に握り潰すことが出来るだろう。足部の形状からして、ホバリングによる高速機動性能を有している事も明らかであった。一方的な虐待の現場である。
悲鳴を上げているその女性は、まだ少女と言っていい年齢に見えた。ロボットと共にその少女を取り囲んでいるのは大柄で力強そうな男性四人――。しかし、その四人が少女を助ける気配はない。
いくら屈強な男性であっても、強力なロボットに立ち向かう事など出来ず、彼女を救いたくても救えない状況――。だが彼の判断は違った。
「さぁて、そろそろクライマックスと行こうか」
そう言って一歩前に出たスキンヘッドの男。その視線はぎらついて、少女の肢体を睨め付けている。
この男達こそが、ロボットを使って少女を嬲りものにしようとする元凶だったのか。
それにしても不自然だった。いかにロボットが命令に忠実であるとは言え、【人間に危害を加えてはならない】という第一原則は、【与えられた命令に服従しなければならない】という第二原則に優越する筈だ。
だとするなら、彼らの使うロボットは、ロボット工学三原則のうち最も重要な第一原則を組み込まれていない、つまり違法に製造されたものだという事になる。
彼は、今まさに凶行が行われようとしている廃ビル跡地に、一歩足を踏み入れた。
彼の名はPAB―521。警察所属の人型ロボットである。ロボットである彼に、事件の被疑者を捕まえる事は出来ない。逮捕する事自体が【人間に危害を加えてはならない】という第一原則に反するからだ。
だが、それでも彼はさらに歩を進めた。凶暴なロボットの排除。生贄に捧げられようとしている少女の救出。第一原則では、人間に迫る危機を看過する事も禁じられている。
しかし、彼がこの事態に介入しようとしている理由は違った。
「いよお、お巡りさんじゃねえか。お巡りさんが俺たちに何の用だ?」
彼の方に首を回し、そう声をかけたのは凶暴なフレームをむき出しにした大型ロボットだ。彼――PAB―521はもう一度確認するようにその巨体を眺めると、頭を下げた。
「いえ、あなた方への用向きは特にありません」
彼はいつも人間に対してそうするように、丁寧な言葉で言った。
そう。警察のデータベースから拾い出された情報によれば、少女を襲っていた男達は、全て人間だったのだ。その強力なフレームを持つ大型の機体も含めて。
彼――PAB―521と、哀れな少女のみが、その場に存在する「ロボット」だった。
その少女は、そこにいる誰よりも人間に見えた。夜目にも美しいブロンド。透き通るような青い瞳。引き裂けた服から覗く素肌は白く、痛々しく走る傷口と、流れる血の赤さを際立たせていた。
しかし、どんなに人間に見えようとも、彼女がロボットであることは間違いなかった。
「だったらとっとと仕事に戻んなよ。ここでは犯罪なんか起きてねえんだよ」
「お前らロボットお巡りの仕事は、困ってる人間様を助ける事だ。人間様の楽しみを邪魔する事じゃねえ」
男たちの言葉が正しい事は、彼のAIも認識していた。そもそもロボットには、犯罪者であっても人間を逮捕する権限は与えられていない。どんな理由があっても、第一原則に反する事は許されていないのだ。
それでも彼の歩みが止まらなかったのは、彼のAIが、また別の結論を出していたからだ。
人間が、自らの所有物である少女型のロボットを破壊する。ただそれだけの事だ。醜悪な趣味である事は間違いない。だがあくまでそれだけの事であり、犯罪性はない。だが、彼のAIはこの事態への介入を決定していた。
彼のAIには、殉職した警察官の思考パターンが組み込まれていた。基本アルゴリズムの一部は、その正義感あふれる有能な警察官のパーソナリティそのものであった。
彼がこの事態を放っておけないのは、AIの中のその部分、言うなれば彼の正義感とも呼べる部分が強く働いたのだろう。
男たちに対してできる事は何もない。だが彼女を、あの可愛そうなロボットを守り、助ける事は出来るはずだ。
それはあまりにも無意味な、不合理な判断に見えた。もしその判断に理由をつけるとすれば、現状、彼女の型番が不明であった事だろう。
通常、全てのロボットは、オーダーメイドも含めて全ての機種に型番や製造番号が付与されている。それがないという事は、違法に作られたロボットである可能性が高いという事だ。
「おい、お巡り! お前どういうつもりだ!」
大型のロボットフレームをそびやかしながら威嚇的に叫ぶ男の声。しかし彼――PAB―521はその言葉が耳に入らないかのように、少女型ロボットへ歩み寄っていった。
「あのロボットは、違法に製造された疑いがあります。もしそうであるのなら、三原則を組み込まれていない可能性があり、あなた方人間に危害を及ぼす恐れがあります。私は、市民の安全確保のため、当該ロボットを回収しなければなりません」
平静な口調でゆっくりと言いながら、彼はむしろその歩速を上げた。男たちが黙って彼の行動を見逃す筈がないという事もわかりきっていた。
彼のすぐ目の前の足元を、レーザーの光が焼いた。
発射したのは男たちのうちの一人。ロボットフレームの男ではない。
「邪魔すんなって言ってんだろ。これ以上あの人形に近づいたら、今度は外さねえぞ」
そう言った金髪の男。その顔は、既に人間の顔である事をやめていた。
左眼のあるべき場所から、望遠レンズのようなものが突き出していた。
そして彼に向けてまっすぐに伸ばされた左手。
その手のひら中央部から顔を出している口径5センチ程の砲口が、彼に狙いを付けていた。その砲口にもレンズが輝いている。先程撃たれたレーザーはここから発射されたものだろう。
続けて他の男たちの身体にも変化が生じた。
金髪の男のように左眼がカメラレンズになり、腕から電磁パルスを発生させる者、レーザートーチによる刃を発生させる者、腕から電磁鞭を伸ばす者……。
ロボットフレームの男は各所に搭載されたガトリングガンやミサイルランチャーをスタンバイさせている。
生身に見えていた男たちも、その身体の99.9%が機械であった。
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