21.
親衆総合病院はここらへんでも県上位に入る大きく、腕も良い病院である。二人は霧山の協力もあってこの病棟の702に入院している、紗名の祖母、[ジュラヴリョフ・タチヤーナ]と面会することになった。
道中、緊張しているのか、紗名の顔はいつにもましてこわばっており、義道の後ろを少し離れて着いていっている。
そんな紗名に何か気の効いた言葉をかけてあげ……ることが出来ないのがこの義道。お互い黙ったまま病院に着いた。
病院の窓口に着いて、受け付けに少しだけ事情を説明して名乗る。看護師はにこやかに対応してそのまま入院している病棟に案内されてエレベーターに乗る。
(この看護師は……対応が神だな。色々伝わって良かった)
基本女性の目の前だと上手く思考がまとまらない義道の言葉をうんうんと聞いて理解してくれた看護師に好意を少し抱いた頃だった。
「色々大変な事情があるみたいですね。市役所の方から表面的にですが、聞いております。だけど……面会しても、あまり驚かないでというか、心してほしいです」
「ん?何故でしょうか」
「実は……タチヤナさんですが……認知症を患っておりまして……」
「……それは、どれくらいの」
「恐らく、お孫さんのことは……」
「そんな……」
(何て言うことだ!!この子はまだ救われないというのか!!)
義道のシャツがグッと引っ張られる。紗名を見ると、シャツの丈をつまんでいた。この会話を聞いて不安なのだろう。
「……大丈夫。大丈夫だ。きっと大丈夫。大丈夫だからな」
自分のボキャブラリーの無さに失望した。
暗い雰囲気のままエレベーターは七階に到着。フロアを歩き、長い廊下を歩く。
「こちらになります。あまり、思い詰めないでくださいね……失礼します!」
ノックをした後、ガラガラとそのスライド式のドアは開いた。
透き通る程に白い髪、しわくちゃな顔だが、真っ直ぐと通る青い瞳。しかし、小刻みに震えるその姿は人生の儚さを彷彿とさせた。
「ой-ой-ой……」
何やらロシア語をぼやき、にこりと笑う。
「紗名……」
義道は心配で紗名の顔を見る。
「…………」
紗名の眼は大きく開き、涙が溢れていた。するとすぐに紗名は祖母の元へかけより、崩れ落ちるようにお腹に顔を埋めた。
「紗名!」
義道はびっくりして名前を呼ぶが、祖母は優しく紗名の頭を撫でた。
「ナキムシさんダネェ……」
カタコトな日本語。義道は驚いた。
「え、日本語を喋れるんですか??」
看護師は答える。
「なんだか、話では日本に住む息子さんを探してたか何かで十年以上は日本に居たようで……息子さんは見つかった事は見つかったけど、えっと、色々あったみたいで……」
「そうだったんですね……」
恐らく、祖母のタチヤーナは息子が亡くなっている事を知ったのだろう。だが、何故日本に留まったのだろうか。
頭を撫でられて、紗名は嗚咽して泣いていた。その光景を見て義道はなんだか救われた気持ちをしていたが……その気持ちはすぐに悲しみに変わる。
「ラトゥーシュカ。Что с ним сегодня?」
そう言ってタチヤーナは紗名を撫でる。
(ラトゥーシュカ、父親の事か?)
ロシア語の部分は理解出来なかったものの、紗名の父親の名前が言われていることには気づいた。
そして、タチヤーナは一つ咳払いして言った。
「ラトゥーシュカ。ニホンの生活にはなれた?」
「─ッ」
義道は絶望した。タチヤーナは紗名を息子のラトゥーシュカだと思っていたのだ。
紗名の抱き締める強さが少し強くなる。
「シンパイでした。ニホンは悪いところではナカッタ。デモ、アナタのことはズットシンパイ。アナタは優しい。ココロからカゾクを愛する事がデキマス。コドモも、きっとシアワセになるのはわかってる……」
紗名は顔を上げる。涙に濡れる眼は祖母の顔をじっと見ていた。
「ой-ой-ой……こんなトコロでドウシタノかしら?」
タチヤーナは義道を見てにこりと笑う。
「オキャクさん?どこかでオアイシタかしら?かわいらしいムスメさんデスネ」
「……紗名」
紗名は黙って下を向き、義道の隣に来て、ぺこりとタチヤーナに頭を下げる。
「……ありがとう」
一言感謝の言葉を投げた紗名。義道はその姿と声色に悲しみと諦めが見えた気がした。
自分の息子と孫の顔すら認識出来ない唯一つの親戚の祖母。この祖母に紗名を養う事は絶対に出来ない。恐らく、このままではあの母親のもとに返されることになるだろう。この子の未来は……
義道は決意する─
俺が……俺が紗名を引き取ろう
あまりにも恵まれないこの女の子の為に。不器用だが真っ直ぐで優しい男は危険な橋を渡ることを決心した。




