二章1
「旭人君はどうして電警を目指しているの?」
いつの頃だっただろうか――お互いに部屋でごろごろだらだらと寝転がり、携帯端末に落としているアプリゲームをしていると、ふと疑問に思ったのか、実加子がそんなことを訊いてきたことがあった。だから僕は、当たり前の答えを言った。
「悪人に対して逮捕権限があるからだよ」
「うーん、それってつまり――」と言って実加子が意地悪な笑みを浮かべた。実加子がこういう表情をするときは、大抵が何か僕をからかおうとするときである。「『悪いことしている奴は、僕が纏めて捕まえちゃうぞ』って言うことかな?」
「うん、まあそうだね」
僕があっさりと肯定すると、おやっという顔をして実加子が僕の顔を覗き込んでくる。
「あっさりと認めちゃうんだね」
「まあね。正確に言うならば、『正義に渾名す者は一網打尽にする』って感じだけど」
「えーっと、つまり――正義の味方に成りたい、とか?」
寝転がる僕の正面には実加子の不思議そうな顔があった。
彼女の長い髪が顔に掛かって擽ったい――僕は皮肉げに笑っていう。
「実にお子ちゃまな動機だろう? まあ、そのまんまお子ちゃま時代からの目標だからね」
幼い頃に観た特撮ドラマ『電警執行官アバターマン』――その中で悪の組織〈シャルガー〉によってアバターにウイルスを混入され、生身の肉体に戻れなくなってしまった電警の警察官/内蔵剛機が、人知れずに改造されたアバターの肉体で悪の組織と戦う――という正義の味方のヒーローものに憧れたというだけの話なのだが。
それが今でも僕の中核なのだ。
正義の味方――これさえ実行できれば、本当は電警でなくてもいいと思っている。それだけ僕の中では、『正義の味方』という意味は大きいのだ。
「へー、いいじゃない!」すると、実加子からは予想外な反応が返ってきた。「お子ちゃま時代からの夢。それをちゃんと目指しているのって、とっても格好いいよ!」
そう微笑む彼女の笑みが嬉しくて、僕は「ありがと」とだけ言うに留めた。
だけど、このあとの彼女の言葉は――結局、叶えてあげられなかったと思う。
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「じゃあさ――悪い奴をやっつけたら、必ず私の元に帰ってきてね」
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もう、逃げるな</scream>
もう、逃げるな</scream>
逃げた先にあるのは 敗北という屈辱のみ
さあ、戦え</scream>
さあ、戦え</scream>
勝ち抜いた先にこそ 輝かしい未来があるのだ
勝ち抜かなければ 屈辱の未来しかないのだ
逃げなかった? 戦った?
でも、負けた?
何で?</shaft>
どうして?</shaft>
ぼくは――
どうしたらいいの?</shaft>
ねえ、誰か教えて
嗚呼、生きるのって難しいよね
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目が覚めると、音楽が流しっぱなしだった。
寝る前に環境音をシャットアウトして、大音量で電脳内に垂れ流していた。ハードアライヴの『完璧なる敗北』――日本のロックバンドで歌い手のカヲリは、日本人女性ボーカルでは珍しいデスボイス(スクリームやシャフトなど)を使い熟す歌い手だ。しかも、クリーンに歌うときには、アニメ声のような可愛らしい声で、デスボイスとのギャップがとてもよい。
欠伸が漏れる。
携帯端末を拾い上げ、頭の中でガンガンに鳴っていた曲を停止、代わりにドイツ人ピアニスト/ヘンリエッテが演奏するフランツ・リストの超技巧練習曲『英雄』を流す。シャットアウトしていた環境音も戻すと、窓の外から暑苦しい蝉の鳴き声に鳥の囀り、近所の人の物音、車が走り抜ける音などなどが聞こえ始めてきた。
世界は実にノイジーだ。
携帯端末を操作し、アプリゲーム『ディフェンスアカデミーガールズ』を開く――すると、運営からのお知らせで、今日の午後三時から五時までメンテナンスに入るそうな。今日から九月に入っている。夏休みイベントが終わったからだろうなぁ、などと思いつつ、てけとーに読み飛ばす。今日はログインボーナスに、レアオーブを一つ貰った。
『あ、隊長さま。おはようございますっ』と、僕のパートナーキャラクターの瑞原舞花が出迎えてくれた――が、今日は特にイベントもないから、対戦Pを消費して他のプレイヤーと自軍を戦わせてキャラクターの経験値である親愛度を微々たるだが上げておく。
こういう地道なことが大切なのだ。
三つあった対戦Pを消費しきったので、今は特にイベントも何もないので、そのままゲームを閉じる。ぼんやりとした頭のまま、もう五つほどのアプリゲームにログインして、ログインボーナスを貰い、少しだけプレイしてゲームを閉じた。
んーっ、と伸びをして――ベッドで寝返りを打つ。
あー、まるで昨日のことが現実感がない。
試しに右手を翳してみる――と、掌には電戯士徽章が浮かんでいた。
「夢じゃない、か……」
三級電戯士資格試験に合格したことも、それが原因で実加子にフラれたことも。
全部が全部、昨日に起こった出来事であり、逃れようのない現実だった。
+
『私――いつ死ぬかも知れない人と、一緒には……いられない』
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昨日の実加子の言葉が頭を過ぎり、布団に頭を潜らせて現実逃避する。
先程見た懐かしい夢は既にぼやけ始めていて、それなのに胸をぎゅっと締めつける痛みは続いていて、僕はその痛みに反論することで反抗しようとする――確かに、僕は元々は電警を目指していた公務員志望者だったさ。安全だよ。身の危険は自ら死地へと赴く(おもむ )電戯士に比べて格段に低いよ。だけど、だけどだよ。ほら、二回目にして初めて最終試験にまで残り、学生の内に資格を得るという稀な実力があると言うのは、毎年全国合格率が〇・二パーセント以下のことを考えると、まず祝福されることはあっても、それが切っ掛けにフラれるなんて納得いかないと言うか――そのとき、フラッシュバックのように彼女のことが思い出される。
――高校の入学式にバスの遅れで遅刻したときに、案内してくれた優しい先輩。
――そんな先輩がクラス委員だと言うだけで、クラス委員に立候補したこと。
――クラス委員の総会にて、ようやくあのときのお礼を切っ掛けに話せた憧れの先輩。
――押しに押して、ようやくデートに託け(かこつ )た夏休みのあの日。
――あの夏の暑さ、彼女の甘い匂い、触れた手の柔らかさ、総てが愛おしいあの夏の日。
――それから、僕の想いを受け止めてくれて、付き合いだした秋の終わり。
――お互いにゲーマーだったとこから、一緒にゲーセンによく行った思い出。
――彼女がゲームを好きになった理由、そしてしばらくゲームを避けていた理由。
――その理由が今回の別れの原因となったと分かる今の自分。
喪失感を潰すように、沸々(ふつふつ)とその『理由』へと黒い感情を湧かせる。
握り締めていた布団が軋み始めた頃――携帯端末が唸った。開くとアプリゲーム『ヱアルン/国立ヱアレルーン魔法学園』のリャノノからのKYUN@(キユアツト)というゲーム内通信アプリからの着信だった。これは親愛度が上がると、(選択式ではあるが遣り取りできる)メッセージ機能や(録音された一方的な音声だが)電話が掛かってくるという奴だ。今は気分じゃないので無視する――が、そこには開きっぱなしだったメッセージがあったのを思い出した。
富澤燐。
『旭人さん、また逢いましょうねっ』という言葉が、頭の中にリフレインされた。
一緒に試験に合格した女の子――富澤燐――僕はフラれて傷ついた心を、その拠り所として彼女に連絡を取ることで平静を保とうとしている。最低の行為だ。そんなことは分かっている――でも、今は誰かと話したい気持ちでいっぱいだった。
急いでメッセージの返信を打つ。
+
おはよう。〔(^^)/〕
昨日に返信ができなくてごめん。
僕も昨日はとても楽しかった。〔(^o^)〕
あそこまで息ぴったりに戦えたのは初めてだよ。
君となら同じ事務所でも、上手くやっていけそうな気がするよ。〔(^_^)v〕
で、事務所の件なんだけれど、実は行きたい所があるんだ。
と言っても、相手にされるかは分からないけどね。〔(-_-;)〕
+
返信を送ってから、今がまだ午前六時半だと気づいた。
少し早い時間だったのか、返信はすぐには返ってこなかった――物に当たりたい気分だったが、携帯端末は高価だから、代わりに枕を思いっ切り叩いた。
意外に反発力があり、腕が少し痛かった。
「クソッ、死ね。みんな滑舌の妖精に呪われて舌噛んで死にやがれッ!」
黒々とした感情は溢れ出し、非科学的で下らない悪態を誰にともつかず吐き捨てた。
ヘンリエッテの優しく激しいピアノ演奏から、再び、環境音をシャットアウトしてハードアライヴのアルバムを流して、布団の中に潜り込み膝を抱えて丸くなる――ボーカルのカヲリが、僕の代わりにイントロからシャフトで思い切り叫んでくれていた。
そのまま微睡みだした意識に身を任せた。
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みんな</scream>
みんな</scream>
ぶち殺して</scream>
ぼくを邪魔する者はすべて排除して</scream>
そして――
ぼくはひとりになった