婚約破棄VR~貴女が紡ぐ物語~
勢いだけで書き上げました。何があっても許して下さい。
「ただいま~…」
ガチャン。
ドアの閉まる音、それに疲れ切った自分の声だけが暗い部屋に響いた。
パチリと電気をつければ、いつも通り散らかったワンルームが現れる。
今週も疲れたなあ。
はあ、とため息をつきながら決められた場所へと鞄をおく。
重い体をなんとか引きずってシャワーを浴び、部屋着へと着替えた。
それでも、ベッドの上に置いてある『それ』を目にすれば、仕事の疲れも一気に吹っ飛ぶのだ。
最新型VRゴーグル。
今全世界で注目されており、売り切れも続出するほどの人気を誇っている。
このゴーグルは入力デバイスが存在しない。
なぜなら脳の発する信号を読み取り、現実と同じように行動できるからだ。
もちろん、出力においても人間の五感が全て再現されている。
他のコントローラーで操作するゴーグルとは比べ物にならないくらいの没入感が売りである。
少し高かったが、なけなしのボーナスが入ったので思わず奮発してしまった。
販売は抽選方式だったが運良く当たり、入手できたのだ。
そして早速、前々から目をつけていたソフトを購入した。
『婚約破棄VR~貴女が紡ぐ物語~』
有名な大型小説投稿サイトで人気の『婚約破棄』や『悪役令嬢』といったジャンルを、VRゲームへと落とし込んだものだ。
昔のイギリスのような貴族社会と、ファンタジーが融合したような世界観。
その小説投稿サイトで作家を大量に募集し、膨大な数のマルチエンディングを実装した乙女ゲームだ。
そのシナリオ分岐は今もなおアップデートを続けており、未だに誰も見たことがないエンディングも存在するらしい。
プレイヤーである『貴女』が自ら行動し『紡ぐ』『物語』というコンセプトなのだそうだ。
私は今、このゲームにどっぷりとはまっていた。
このゲームは自分のなりたい役どころを最初に選んでプレイする。
選択できるのは男爵令嬢、公爵令嬢、公爵令嬢の侍女、親友、聖女等々。
果ては第一王子や第二王子、隣国の王子等のヒーロー側にもなれる。
そして自分の行動で得られる結果が変わるのだ。
私は特に王道の婚約破棄ものが好きで、公爵令嬢の立場をプレイすることが多かった。
大体の場合、彼女は第二王子と婚約している。
だが男爵令嬢に恋した第二王子は、邪魔な公爵令嬢を嫉妬に狂ったとして断罪し、公衆の面前で婚約破棄を突き付けるのだ。
それは無実であったり、本当のことであったりとシナリオは様々だが、私の場合は公爵令嬢が何の非も持たぬように進めることが多い。
そして他のヒーローが助けてくれたり、家を出奔して新たな恋に落ちたりとする展開が好きなのだ。
気高く強く美しい、という女性になりきるのは非常に楽しい。
思わず時間を忘れてしまうので、プレイするのは休日と決めている。
幸い今日は金曜日だ。
この日がどんなに待ち遠しかったことか!
買ってきたコンビニのサンドイッチを口へ詰め込み、歯を磨いて寝落ちしても良いように準備を整える。
いそいそとゴーグルをセットして、早速ベッドへ横になった。
タイトルが表示され、すぐにキャラクター選択画面へと切り替わる。
選択可能なキャラクターの絵画が、それぞれ豪華な額縁で飾られている。
そこでふと、唐突に思い立った。
いつもは公爵令嬢でプレイしてきたけれど、そろそろ違うキャラクターに変えてみようかな?
男性側も楽しそうだけれど、感情移入が難しいかもしれない。
となると女性…よし、買ってから一度もプレイしていない男爵令嬢にしよう。
視線を合わせて男爵令嬢を選択すれば、絵画の「リリー・ゴルト男爵令嬢」は動きだし、こちらを向いて花が咲いたように笑った。
それを見ながら、私の意識は段々と沈んでいく。
さあ、ゲームスタートだ。
次に目を開けた時には、そこは自然豊かな庭園だった。
丁寧に手入れをされ、バラが咲き誇った美しい庭園だ。
徐々にはっきりしていく視界と共に、頭の中へと情報が流れ込んでくる。
ここは王立魔法学園の中庭。
この学園は魔法と合わせて紳士淑女教育も行われるため、基本的に貴族のみ入学が認められている。
私は男爵の養女となりこの学園に入学した元平民、リリー。
とても強い魔力を持っていて、努力家なこともあり成績も優秀なのだ。
今は、放課後。
本来ならば家へと帰るべき時間だが、なんとなく一人になりたくて中庭へと遊びに来たようだ。
これが現実なら放課後すぐに人がいないなんてあり得ないわけだが、ゲームなのでご都合主義的に人気もなく静かだ。
長いブラウンの髪が視界に映る。
ああ、私は今リリーなのだ。
「あ、小鳥…」
見渡せば、楽しそうに遊んでいる小鳥が目に入った。可愛い。
きっとリリーの「ヒロイン」補正で寄っても逃げないに違いない。
そう思い、ニヤニヤしながら小鳥に近づこうとしたその瞬間。
「ああ…ようやく会えた!」
背後から大きな声が聞こえた。
驚いて振り向けば、そこにはこの国の第二王子がいる。
小鳥はその声で飛んでいってしまった。
金色に輝くさらさらの髪に、透き通るような青い瞳。
まさに王子さま然としている第二王子ヨハンは、この学校の白い制服もよく似合う。
彼は大体の場合、公爵令嬢と婚約関係を結んでいる。
それなのにいつも男爵令嬢と恋に落ち、学園の卒業パーティで公爵令嬢に婚約破棄を突きつけるのだ。
そこから事態をひっくり返して、公爵令嬢が二人に仕返しをするのが婚約破棄ものの醍醐味なのだが、今は私が男爵令嬢なのである。
仕返しなんてされたくはない。
男爵令嬢側でもハッピーエンドになるルートはある筈だし、基本的には謙虚な行動を取れば悲惨な事にはならないだろう。
当面の目標は自分の分を弁えることと、複数の攻略対象に接触しないことだ。
こうして第二王子が足早に近づいてくる間、頭の中で対応方針を決めた。
向き合った第二王子は、公爵令嬢では見たこともない蕩けるような笑顔を浮かべる。
「君をずっと待っていたんだ…!ああ、嬉しい。ようやく来てくれたんだな」
「…ごきげんよう、殿下」
待っていた?先程得た情報では待ち合わせなどはしていなかったと思うけれど。
満面の笑みを浮かべる第二王子にそんなことを言える筈もなく、当たり障りのない挨拶を返した。
「ヨハンだ。君にはそう呼んで欲しい」
「そんな…私には恐れ多いです」
この王子、なんだか馴れ馴れしい。
ゲームが始まったばかりだと、まだリリーに好意は持っていなかったと記憶しているけれど。
起動時のランダムシナリオ分岐だろうか。
すでに好感度が高いのなら、大人しくしているだけでハッピーエンドを迎えられるかもしれない。
「ふ、そんなこと気にせずとも良いのに。…可愛いな、君は」
「え…!」
急にぐいっと腰を引き寄せられる感覚。
ちゃんと触れられているのが伝わる。
その急な感覚に顔を上げれば、すぐ目の前に恐ろしく整った第二王子の顔があった。
近い!
…もしかして、抱き締められている?
まずい。
こんなところを誰かに見られたら、婚約者のいる男性を誘惑した令嬢として糾弾されてしまう!
「で、殿下、お離しください!」
「どうして?」
「どうして…って、こんなところ、誰かに見られてしまったら殿下の立場が」
私のハッピーエンドが!
「大丈夫だ」
「ですが…」
「大丈夫。それとも、嫌か?」
この殿下は、真実の愛によってすでに頭がお花畑になってしまっているようだ。
そうやって悲しそうに問いかけるものの、腕に閉じ込めた私を離す気はないらしい。
それどころか更に力を込めて抱き寄せ、肩に顔を埋めはじめた。
さらさらの髪が首もとを掠めてくすぐったい。
流石に他に婚約者がいる身でイチャイチャしすぎではないだろうか。
けれどここで嫌だと言ってしまえば、第二王子とのフラグが折れてしまうかもしれない。
辺りを入念に見回してみても、幸い誰もいない。
それならば、ここは私も気持ちを伝えておこう。
私は殿下の体を弱弱しく押して、恥じらうそぶりを見せた。
「嫌な筈、ありません…。だって、私は殿下を…お慕いしているのですから」
「!…本当か…?」
「はい…けれど、こんな気持ち許されるわけが」
「ああ、なんてことだ!嬉しい…ありがとう、私も君が好きなんだ。愛している!誰よりも、君を愛している」
先ほどよりももっと強い力で、痛いほど抱きしめられる。
身分や婚約者による遠慮を伝えようと思ったのに、遮られてしまった。
その白い頬は見事なバラ色に染まっている。
真っ直ぐに気持ちが伝わってくるようで、不覚にもときめいた。
けれど、その前に解決しなければいけない問題がある。
「ま、待ってください。あの、お気持ちはとても嬉しいのです。けれど、貴方様には婚約者であるアイゼン公爵令嬢がいらっしゃるではありませんか」
「…ああ、そんなことか。大丈夫。君は何も気にしなくていい」
ディートリンデ・アイゼン公爵令嬢はリリーとヨハンが結ばれるための最大の障害だ。
それなのに、それを「そんなこと」と言って第二王子は綺麗に微笑んだ。
…気にするに決まっているじゃないか。
第二王子がどんな方法で解決するつもりかはわからないが、もし彼女に有らぬ罪を着せるようなことをされては困るのだ。
「でも、私…」
「私の父と彼女の父にはもう話を通してある」
「…え?」
彼の父、というと国王だ。
それに公爵にも話が通っている…?
「ええと、それは、つまり…?」
「私は今、誰の婚約者でもないんだ」
ゲーム開始時点で既に婚約破棄がされている…?
今までに見たこともないシナリオだ。
攻略サイトでもそんな情報はなかった。
もしかして、まだ誰も見ていないシナリオなのかもしれない。
思わず胸が高鳴った。
「私一人の気持ちだけでは難しかったが…君は頭が良いし、ディートリンデは兄を好いていたからな。上手くいった」
「アイゼン公爵令嬢が…?」
確かに彼女が第一王子と結ばれるエンディングは何度か経験したことがある。
けれどそれは私が行動した結果であって、プレイヤーが操作していないキャラクターの彼女の気持ちではない。
シナリオによる差異なのだろうけど、こんなにもあっさり婚約者が変わってしまうなんて本当に珍しいシナリオだ。
醍醐味である公開婚約破棄も、断罪も、何もないだなんて。
「後は君が頷いてくれるだけだ。どうか、私と結婚してほしい。これからもずっと私と共にいてくれるだろうか」
そっと顎に手を添えられ、上を向かされる。
上気した頬と潤んだ瞳と目が合った。
まあ、良いか。たまにはこういうシナリオも。
「…はい、もちろんです。ヨハン様」
そう答えてそっと目を閉じれば、第二王子の顔が近づく気配がする。
そのまま唇に柔らかい感触が触れ、軽く食んでからゆっくりと離れていった。
「…ありがとう。これからもずっと一緒にいてくれ」
「…はい」
山場もなく随分とあっさりとしたシナリオだが、これはこれで良いかもしれない。
愛されている感じは十分あったし、ハッピーエンドだし。
男爵令嬢サイドも中々悪くない。
そろそろ幾度となく見たスタッフロールが流れる頃だろう。
タイトル画面へ戻らなければ。
メニューを開こうとすると、第二王子が口を開いた。
どうやらまだシナリオは続いていたらしい。
「そうだ、君の名前を教えてくれるか?」
「え…」
名前も知らないで求婚したのだろうか。
思わぬ展開に一気に警戒心を持つ。
まさか、第二王子は実は遊び人で、騙されたとか?
そんな急な質問に驚いたものの、思わず自分のことのように怒りが沸いて、責めるように睨みつけた。
「リリーですが…まさか、ご存知なかったのですか」
「ああ、そうじゃない。君の『本当の名前』を聞いているんだ」
本当の名前?
それはどういう意味だろう。
混乱する私に、少し第二王子は困ったように笑った。
「リリー・ゴルト男爵令嬢の中にいる、『君』の話だ」
「私…?」
プレイヤーネームを聞かれているということなのだろうか。
驚いた、このゲームに自分の本名を呼んでくれる機能があるだなんて。
男爵令嬢のクリア後にだけあるおまけだろうか。
「奈津子です。ナツコ」
「ナツコ…ナツコか。ああ、とても良い名だ。君に似合っている」
「あ、ありがとうございます」
名前を呼ばれると、素の自分に向かって話しかけられているようでとても恥ずかしい。
なんて機能をつけてくれたんだ、開発。
「私のナツコ、愛している。もう絶対に離さない」
「っ、」
そう囁かれながらぎゅっと抱きしめられ、頬に口づけを落とされた。
ひ、ひええ!
自分の名前を呼ばれたという破壊力に、頬が熱くなるのを感じる。
これ以上は恥ずかしくて耐えられそうにない。
メニューを開いて「タイトルに戻る」を…。
…。
…え?
出ない。いつもは念じれば現れるメニューが、表示されない。
なんで?バグ?
先週は平気だったし、あれからアップデートしてはいない筈。
もう一度念じてみる。
やっぱりメニューは現れない。
…どうして?
「ナツコ、どうした?」
「あ、の…メニューが…」
「ん?」
顔を緩ませながら首を傾げる第二王子。
…キャラクターに言っても仕方ないかもしれないが、聞いてみようか。
「あの、メニューが出なくて。タイトルに戻りたいんですが」
「…何故?」
「え、えっと…」
心底わからないといった風に返されてしまって、言葉に詰まる。
やっぱりキャラクターに聞いても駄目だった。
どうしよう。これじゃあゲームが終了できない。
「駄目だろう?タイトルに戻ろうとするなんて。私とずっと一緒にいるって今約束したばかりじゃないか」
腕を強くつかまれて、思わず目を見開いた。
その強さが錯覚かと思うほどに、変わらず第二王子は綺麗に笑っている。
「君をずっと待っていたんだ。君はいつもいつもディートリンデの中に入ってしまうから。このゲームは婚約破棄がテーマだから、ディートリンデと私が結ばれるシナリオは存在しないんだ」
嬉しそうに語る第二王子から目が離せない。
だんだんと血の気が引いていくのがわかる。
この人は…何を言っているんだろう。
「そんな君が今回、ようやくリリー・ゴルトを選んでくれた!どれだけ待ち遠しかったことか!やっと私を選んでくれて、とても嬉しかった」
どうして?
彼はゲームのキャラクターの筈だ。
まるでこの世界をゲームだと知っているような発言。
まって、それじゃあ私は。
「君がくれた折角の機会だ。無駄にしないように上手くシナリオを選択しただろう?ああ、これでようやく君と結ばれる。もう二度と離さない」
もう二度とここから出られないってこと?
そんな、だれか。
唇に柔らかな感触を感じた後、それはより深いものへと変わっていく。
少しの隙間も許さぬ勢いで貪られ、息も絶え絶えになったころ、ようやく解放された。
酸素が足りず、上手く働かない頭に声が響く。
「愛しているよ、ナツコ」
彼は、綺麗な顔で笑った。
ハッピーエンドじゃなかった。