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レール・アウト

作者: 高座 低見

 柔らかい日差しが差し込んでいた。高層ビルの上層に位置するこの喫茶店は、地上の店より太陽に近いはずなのに不思議なくらい快適で、まるで太陽の寵愛を受けているかのようだった。

 だから、取材のときはいつもここを選んでいる。一番のお気に入りだからこそ、まあ、収穫が一切なかったとしても腹を立てずに済むという俺の編み出した処世術。

 テーブルを挟んで向かい合う彼女は、本日のインタビュイーにして、怪奇現象の起こる廃墟〈裏野ドリームランド〉の七不思議のひとつである〈不可解な事故が多発するジェットコースター〉の貴重な実体験者である。

 とまあ、編集宛にそんな葉書が送られてきて、煮詰まっていた俺がアポイントを取って会っただけ、つまるところ、彼女の証言の裏付けをするものは一切ない博打同然のインタビューではあるのだが。

 溶けた氷で赤茶色と黒のマーブルになったアイスコーヒーを啜りながら、俺の顔をじっと見たまま押し黙り続ける彼女を見つめ返した。

 「あの、そろそろお話いただいてもよろしいでしょうか」

 余所行きの敬語で慎重に話しかける。これも処世術。

 今までの経験上、怪奇現象に巻き込まれたという人間の殆どは、妄想癖か大ウソつきのどちらかである。下手に刺激をしてもつまらない。目の前に座る彼女は可憐に見えた。だからといって、手放しで信頼するのはよいことではない。

 俺が声をかけたことを合図にしたかのように、彼女も目の前のコーヒーにようやく手を付け始めた。ちなみに奢りである。

 ひと息ついて、口を開く。

 「今日は私のお話にお付き合いいただきありがとうございます。どこから話せばよいでしょうか」

 見た目通り、柔らかな物腰の喋り方だった。浮かべる笑顔は、春の妖精を思わせるような、柔らかく、そしてどことなく寂しげな感じがした。

 「まあ、薫さんが経験したこと、できる限り全部教えていただけるとありがたいですね」

 薫という名の彼女は、こくりと小さく頷いた。

 懐から愛用のペンと手帳を取り出し、ページを開きながら答えた。該当箇所、〈裏野 ジェットコースター〉と題された部分を開き、新たに書き込む準備をする。

 そこには、「川に流されたと思ったらナイアガラ瀑布から落っこちた」「名古屋城のてっぺんにいつのまにかいて、しゃちほこから滑り落ちた」などなど。

 正直なところ、この案件に関する話は、眉に唾なんてものじゃないのが多い。彼女がセンスが悪いタイプの妄想癖でないことを祈った。

 「それじゃあ、話しますね……あっ」

 彼女が、手から何かを落とした。コロコロ、と転がり、俺の足に当たって止まった。

 屈んで拾うと、それは、黄ばんだ小さな消しゴムだった。

 「ごめんなさい。つい落としちゃって」

 申し訳なさそうな彼女に消しゴムを渡す。小さく呼吸を整えて、ようやく、彼女が話を始めた。

 「あれは、私がまだ小さかった頃。お父さんと一緒に裏野ドリームランドへ遊びに行った日のことでした」

 俺の目を見ながら、ゆっくりと、言葉を紡いでいく。その瞳の中に、昔を懐かしむような、水色に似た光が宿っていた。




 私が小さい頃、裏野ドリームランドはまだ潰れていなくって、休日に行くと、家族連れやデートするカップルでいつも大賑わいでした。

 賑やかで、楽しくて、だから、私はあそこが大好きで……特に一番好きだったのは、ジェットコースターでした。

 お父さんにせがんで、二人分のシートに隣合って座って。

 安全バーでがっちり固められながら、ゆっくりと、絶対逃げられないのをいいことに焦らすみたいに恐がらせてくる。

 そして、ついに落下となるとき、無重力と吹き荒れる風を感じられる。

 それが、とっても好きだったんです。お父さんは、本当はあんまり好きじゃないのに、私のために無理して乗ってくれたりして……

 ……ああ、ごめんなさい、脱線しちゃって。

 

 あれは今日みたいに日差しが柔らかくて暖かい日のことでした。

 ジェットコースターにいつものように乗って、ガタン、ガタンって、ゆっくりゆっくり登っていました。

 すると、音がしたんです。きゅいーんって感じの、なんとなく間の抜けたような音ですね。

 そしたら、体がふわっと投げ出された、ような……本当に、唐突な出来事でした。

 隣に座っていたはずのお父さんは、いなくなっていました。

 お父さんだけじゃありません。他のお客さんも、頂上から見えるアクアツアーやメリーゴーラウンドの景色も、裏野ドリームランド自体が、ジェットコースターそのものが、最初からそんなものは存在していないとでもいうかのように、全部、全部消えていたんです。

 ジェットコースターから落ちる直前の、あのふんわりとした感覚が、常に残っていました。

 踏ん張りがきかない、どちらが上かわからない。明るかったはずなのに、なんで夜になってるの? そう思いました。

 夜になったわけではないと気が付いたのは、すぐ後のことです。

 見上げると、息をのむように美しい、お星さまの輝きがありました。黒い紙にたくさん穴を開けてその奥で万華鏡をきらめかせたみたいな、派手で、それでいて優雅で、雄大な星の海。

 重力が無くて、こんな間近に星が見える。まだ私は小さかったけれど、すぐに理解しました。私は今、宇宙にいるんだ。と。

 空気がないはずなんです。宇宙には。なのに、私は窒息することもなく……思い返せば、呼吸自体をしていなかったような、不思議な感覚でした。

 ふわふわと漂って、美しい宇宙の真ん中だけど、帰る場所がないような、寂しいような、寝ぼけているような。

 くるくると、ゆっくり回りながら、私は、足元にずっとあった、巨大な、青くて、雲が白くて、緑だったり茶色かったりするアクセントに彩られた、美しい地球に気が付いたんです。

 子供心に確信しました。あそこに帰らなきゃいけない。と。どうやって帰ればいいんだろう。ぼんやりとする頭で、漂いながら。

 その時、一条の光が視界を横切ったんです。青白い尾を引いて、スーッと流れて消えていく……流れ星でした。

 それは一つや二つではなく、たくさん。流星群として、私の目の前を、時には私のすぐ横を、綺麗な飛行機雲を走らせながら飛び交っていました。

 ぼんやりとそれを眺めていたら、ズン。と、体が重くなったんです。

 重くなった方向には、地球がありました。

 偶然なのか、私が無意識にそうしたのかはわかりませんが、地球の引力が私を拾って、回収しようとしていたんです。

 私は、ただ落ちました。雄大な大地へ向かって、社会の授業で習った、よく知っている弓の形の島国に、落ちていきます。

 成層圏を超える際、鉄をも溶かす熱が発生するということをその時は知りませんでした。

 でも、燃え盛る炎を身にまといながらも、私は一切熱さを感じませんでした。

 速度と熱の影響なのでしょうか、視界は白く染まりました。真っ白に、ぐわんぐわんと揺れる白すぎるほどの白い光景、その中央が、丁度紙の真ん中をライターで炙ったようにふわりと敗れほどけて、私はまたジェットコースターの座席に座っていたんです。

 エレメントを淡々とこなし、最初の地点に帰ってきて……他のお客さんたちが、ただジェットコースターを楽しんだだけ。という顔つきで帰っていく中、私は座席に固まっていました。

 係員のお姉さんが、私の肩を揺すり起こそうとして、人形みたいにのっそりと出た、ことを覚えています。

 「おとうさん、帰ろう?」そう、隣にいたはずの父に呼びかけてみました。

 そして、ようやく気付いたのです。隣に座ってくれていたはずの父が、煙のように消え失せていたことに。


 それから、かなりの騒ぎになりました。監視カメラに父の姿が映っていたことは間違いなくて、それを加味すると、ジェットコースターの中で唐突に消えた以外に説明がつかなかったんです。

 安全バーが外れて落ちたんじゃないか。って、警察も出動する騒ぎになりました。

 でも、結局、父は見つかることがありませんでした。




 彼女は、全部を話し終えたようで、喉を潤すために残っていたコーヒーを一気に飲み干していた。

 俺は、聞いた話を手帳にまとめながら、まあ、センスのある方の妄想癖だったかな。と結論づけて、今日の会計について考える。

 「まあ、そんなことがあったらまさしく怪現象だけどさ……」

 よせばいいのに、俺はつい突っ込みをしてしまう。まあ、奢りだしいいだろう。機嫌を壊されても、このまま帰ればいいだけの話だ。

 「そんなニュースがあったら、絶対に風化せずに残るはずだよね。俺、こんな仕事してるから自分でも調べてるけど、そういう話は聞いたことがないよ?」

 彼女に対抗するかのように、コーヒーを一気に飲み干して、俺はそう言葉を繋いだ。乱雑に書かれた手帳の情報の中に、そういった記述は見当たらないのだ。

 だが、予想に反して彼女は、怒るでも、泣きそうな顔をするでもなく、ただ、あのどことなく寂しそうな笑顔を浮かべるのみであった。

 「いいえ、それは間違いなく起こりました」

 なんだって。きっぱりと断言されてしまった。机の上で組んでいた手を、揉むように組み替えながら、二の句を継いだ。

 「あなたが、それを……知らないだけなんですよ」

 それを聞いて、俺は少しムッとする。中堅ホラー雑誌の窓際ライターとはいえ、こんな小娘に下に見られるほど落ちぶれちゃあいないぞ。

 こみ上がる怒りを、深呼吸して整え、とっとと帰ろう。そう思った。

 「お話ありがとう。俺は次の仕事があるのでここで失礼しますね」

 伝票を掴み、席を立とうとする。

 ……その足に、力が入らない。

 おかしい、疲れが溜まっているのか? 膝をひっぱたいて立ちあがろうとする。ダメだ。動かない。なんで……だ……?

 すると、俺の視界が、ぼんやりと濁り始めた。彼女の顔がドロドロに溶けて見える。

 眠い。そうか眠いんだこれは。猛烈に眠い。不意に訪れた眠気を、そう認識するのに時間がかかった。

 意識を、意識を保て……ない? 吐き気に似たものが脳を優しくかき混ぜるように頭の中で渦巻いている。

 意識がブラックアウトする……その刹那、彼女の消しゴムを持つ右手と反対の左手の中、何かの薬を入れていたかのような、半透明のフィルムがあったのを認めた。


 頬に当たる風が冷たい。有耶無耶な意識に、足を引きずられるような不快な感覚だけが鈍痛のように刺さり続ける。

 そこは、屋上だった。来たことはないが、さっきの喫茶店があるビルの屋上であることは想像がついた。

 「店員さんに不審がられないようにするの、苦労したよ」

 先ほどまで話をしていた、女の子の柔らかな声色がすぐ近くで聞こえる。彼女に肩を貸す形で、俺は歩かされているのだった。

 何をするつもりだ。やめろ……!

 恐怖が襲ってきたのは、彼女が俺を屋上の手すりにもたれさせたことだった。誰も入らず、遊ばせているためか、落下防止用のネットなどは設けられていない。

 「鍵を壊すの、苦労したんだよ?」

 この女、しれっととんでもないことを言ってやがる。もがこうとするが、酩酊するような頭では無駄な努力にしかならなかった。

 背中に、小さな手が置かれる。ビクン、と震える。いや、俺だけではなく、こいつの手も、同様に震えているのを背中で感じる。

 「ねえ、帰ろう?」

 そう、ぽつりと呟く声が聞こえた。と、全体重を乗せたような、強い衝撃が俺の背中を叩いた。

 視界が回転する。重心を下に、踊るように俺は落下する。

 一瞬見えた屋上のあいつは、その眼にたっぷりと涙を浮かべていた……




 ギギギギギ!

 と、大きな音を立て、ジェットコースターが止まる。恐かったねーなどという喧騒の中、ただぼんやりと座ることしかできなかった。

 「お疲れさまでしたー! お帰りなさーい!」

 呑気な顔で、いつものアナウンスをする係員が、手際よく安全バーをあげていった。

 「今日は……何月、何日だ?」

 さっきは確かに、2017年の7月だった。

 スマホ……スマホを確認……

 スマホって、そもそもなんだ?

 「いかがなさいましたか?」

 営業スマイルと戸惑いを両立させたなんとも言えない顔で、係員が俺を覗き込む。

 波立った水が、時間が立って凪いでいくように、だんだんと……記憶が……

 「どうしたの? お父さん」

 俺の隣に座っていた娘の薫が、心配そうに裾を引いていた。


 ぎゅおおおおん! という轟音が、すぐ後ろから聞こえてきた。それに合わせて、人々の楽し気な悲鳴も。

 軽い足取りで、ぽんぽんと俺の隣を歩いている。ジェットコースター一回じゃ満足しないタチなのに、俺がもう帰ろうと言ったのを、素直に言うことを聞いてくれた。

 薫。俺の娘。聞かんぼうだけど、ワガママなところがあるけど、世界一可愛い俺の娘。

 毎日顔を合わせていた。いつだってその成長を見てきた。なのに、そのレールを離れて、遠くに消えてしまうのを暗闇の中で見届けることしかできないような、不可解な……

 それを、薫が引き上げてくれたような。酒に酔っているときの夢のようなあやふやな哀しみと嬉しさが巨大な質量をもって心の中に鎮座していた。

 そんな俺の気も知らずか、薫は小さなネコのようにかわいらしくステップを踏みながら、くるんとこちらを向いた。

 その笑顔は、どことなく寂しげで、大人びて見えた、ような気がした。

 「お父さん、おうちかえろ?」

 「……ああ、そうだな。家に、帰ろうか。薫」

 泣き叫びながら思い切り抱きしめたくなる衝動を、人前で堪えながら、俺は娘と手を繋いで歩き出す。胸ポケットに入れた薫からのプレゼントの手帳とペンの固さを感じながら。家に帰ったら、たっぷりと抱きしめよう。と、溢れる涙をうつむいて隠しながら。ゆっくりと。

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