異世界 エピソード 全力で生きる
その朝もネルは毎日の日課である手製の薬草の貼り換えを金治に行っていた。結果だけを求めるならマジックアイテムで処置すればもっと早く回復したのだが、金治たちはネルの薬草に皮膚の再生を任せた。何故ならネルに手当てをして貰うことにより金治の心も安らぐのだ。それはネルも同じである。お陰で金治の火傷も手足以外はほぼ完治しているのだが、ネルに手当てをして貰いたくてここがまだ赤いとか、ここがなんか痒いとか言って金治は甘えん坊さんを演じている。
「ネルちゃん、準備できたぁ?」
玄関からネルを呼ぶ声がする。
「おっ、ネルちゃん。よしこちゃんたちが来たぞ。」
お姉さんがネルを迎えに来てくれた学校のお友達の声に気付きネルに声をかける。金治が火傷を負うまではネルがみんなを呼びに行っていたのだが、今は毎朝処置を行う為登校の呼びかけの順番を一番最後にして貰っているのだ。
「今行く。」
そう言ってネルは金治の包帯の状態を確認したのちカバンを持って玄関に駆け出した。靴を履き終えると金治の履物をそっと隠すのも忘れていない。でも今日は少し横着して傘立の中に放り込んだだけだ。
「いってきまーす。」
「おうっ、人攫いには気を付けるんだよ。怪しいと思ったらダイナマイトで吹き飛ばせ!」
お姉さんは今日も絶好調だ。でもここはせめて爆竹くらいにしておいてください。
ネルは近所の3人と集団登校である。学校までは約2キロ。小さい子には結構な距離だがここいら辺ではこのくらいは普通だ。さすがに4キロ離れている児童は親御さんに車で送って貰っているが帰りは自分の足で帰っていた。
「ネルちゃん、たかし君が昨日裏山でカモシカを見たんですって。私たちも放課後行ってみない?」
「カモシカって?」
「ヤギのおおきいやつ。でも牛さんの仲間なの!」
「鴨と鹿なのに?」
「変よねぇ、もしかしてシカカモって言っていたのが逆になっちゃったのかしら。」
「あーっ、シカに似ているんだ。」
「色は似ていないかなぁ。ちょっと灰色かかったグレーらしいわ。」
「みくちゃん、見たことあるのか?」
「動物事典で調べた。でもカモシカよりパンダが居てくれたら良かったのに。」
「パンダ!上野動物園!私、行った事がある!フェイフェイかわいいの!」
もう一人のお友達が興奮気味に話し始めた。
「パンだ?」
「あれ?もしかしてネルちゃん、パンダ見たことないの?」
「パンは知っている。給食でいつも食べている。」
「違うよ~っ、パンダって動物よ。白と黒でころころしているの!」
「なんか、地味。」
ネルは自分の世界に居た白と黒の小動物を思い浮かべる。確かにあの生物は地味だ。
「え~っ、かわいいのにぃ。休み時間に図書室で見せてあげる!」
「昼休みはだめ。さとると鉄棒の決着を付ける事になっている。」
「あーっ、さとる君も強情よねぇ。どう見たってネルちゃんの方が上手なのに。」
「ふむっ、こてんぱにしてやる。」
ネルは鉄棒が何故か得意だった。6年生の男子には適わなかったが同学年のさとるとはいい勝負である。最初こそ、体力と筋力に勝るさとるが優位だったがコツを覚えたネルは忽ちさとるに追い付く。そしてとうとう連続前回りの回数でさとるを破った。さとるは相当悔しかったのだろう。2週間ほど特訓をして再勝負を挑んできた。それが今日の昼休みである。しかし、給食を食べた後に鉄棒の前回りなんかして気持ち悪くならないのか?
「あっ、先生おはようございま~す!」
「はい、おはよう。」
校門で迎えてくれた先生にネルたちは挨拶する。教室に入ると既に全員揃っていた。
「ようネル。今日の約束忘れてないだろうな。」
席に座るなりさとるがネルに声を掛ける。
「大丈夫。さとるがお天道様の下をまっとうに歩けるのも今日までだ。母上さまには別れを言ったか?」
「おまっ、鉄棒の勝負くらいで前科モンになってたまるか!」
「気持ちの問題。これでは既に勝負はあったな。負けを認めるなら許してやる。」
「やってもいないのに認められるかっ!」
「既に勝負は始まっている。心が動揺しているさとるに勝機はない。」
「あっ、てめぇ、ずるいぞ!心理攻撃か!」
「こらっ、さとる。チャイムは既になったぞ!さっさと席に着け。」
教室に入ってきた先生に注意され、さとるは席に着いた。
「さて、今日は近所の方からさつまいもを頂きました。だから4時間目は野外学習として火の使い方を勉強したいと思います。」
先生からの突然のサプライズに教室が沸く。
「こらこら、3時限までの授業態度が悪かったら中止にするからな。あんまりはしゃぐなよ。」
「は~いっ!」
生徒全員が返事をする。
「後、たかしが昨日カモシカを見たそうだが子供だけで山に行っちゃ駄目だぞ。今の山は日が落ちるのが早い。あっという間に真っ暗になるからな。約束だ、いいね。」
「はぁーぃ・・。」
今度は先ほどと違ってみんなの返事に元気がない。どうやらネルたち以外もカモシカ探しを計画していたのだろう。だがこの学校において先生の約束は絶対である。ここの先生は滅多な事で子供たちの行動を規制しない。だから逆に駄目と言われた事は絶対駄目だと子供たちも身についている。
ネルたちはイベントがひとつ減ってしまったが、それならそれで別の事はいくらでも思いつく。仲間さえいれば遊びなどいくらでも思いつくものだ。
そしてあっという間に4時限目になる。ネルたちは校庭で掃き集めておいた枯葉を校庭に持ち出す。上級生は水バケツと何故か運動会で使った大きなうちわを先生に言われて持ってきた。
「いいかい、今日は風が無いから絶好の焚き火日和だけど、君たちだけで火を扱ってはいけないよ。これくらいならと思っても火はあっという間に燃え広がるからね。では実際に実験してみよう。」
そう言うと先生は枯葉に火を付ける。程よく乾燥した枯葉はあっという間に大きな炎になる。そこに先生がうちわで風を送ると新たな酸素を供給された炎は忽ち強力な上昇気流を生み、火の付いた枯葉を天に舞い上げた。
「見たかい?今の枯葉はうちわに吹き飛ばされたんじゃない。火が燃える事により空気が上に昇るんだ。その力によって火の付いた枯葉が舞い上がる。この程度の焚き火でもあそこまで上がった。だから火を扱う時は、目を離しちゃ駄目だからね。」
先生の注意に子供たちは頷く。だが、この程度の事はみんな家の手伝いで経験している。今更言われても驚くことではない。
だが、先生もそこ等辺は心得ていて次の作戦に移る。
「よしっ、次は飛び火がどれ程怖いか見せてあげよう。」
そう言ってまた先生は焚き火にうちわの風を当てた。当然、火の粉や火のついた枯葉が舞い上がる。だがそれらはそれ程遠くまでは飛んでゆかない。上昇気流から外れた枯葉は10メートルほど離れた場所に落ちた。そこに先生の指示で上級生が枯葉を少しづつ掛けて行く。殆どの枯葉は何も起こらなかったが、暫くすると2箇所の枯葉から煙が立ち上り始める。そしてとうとう炎を上げて燃え始めた。
「ねっ、殆どの葉は消えたけどあのように燃え始めてしまうものもある。今は結構すぐに燃え始めたけどくすぶって1時間後に火が付く場合もあるんだ。だから絶対君たちだけで火は扱わないこと。いいね。」
「は~いっ!」
今度は生徒全員が揃って返事をした。ネルも向こうの世界で言葉で注意されたことはあるが、こうして実際に火が付くのを見たのは初めてだった。おかげでネルの先生に対するポイントが急上昇である。
その後、焚き火のおき火でサツマイモを焼く。直火じゃなくて余熱で焼くのがポイントらしい。ネルたちはホクホクに焼きあがった焼き芋をほうばる。今日は焼き芋があるというので給食も汁物がメインだ。いつもの教室での給食と違い今日は屋外だ。だからみんなの食も進む。だが悲しいかな小学生では貰ったサツマイモを全部食べつくす事はできない。結局、余ったものはお土産となった。ここいらのジジ、ババにとって焼き芋はそれ程珍しいものではないが孫が焼いたものは別であろう。きっと喜ばれるはずだ。
そしてお腹いっぱいになった子供たちは焚き火の後始末をした後、昼休みとなる。いつもならドッチボールに興じる子供たちだが今日は鉄棒の周りに集まった。う~んっ、本当にやるのか?さっき、食べたばかりだぞ?
「食べたばかりだから無茶しちゃ駄目よ。5回ずつにしなさい。」
上級生のお姉さんがネルたちに注意する。下級生にとって上級生の注意は先生の次に絶対だ。
「よしっ、早く5回回った方が勝ちだ。そして3回勝負だ!2回勝った方が勝ちでいいな。」
「いい。可哀想だから1回はさとるに勝たせてやる。それで満足しろ。」
ネルの挑発にさとるは顔が真っ赤だ。
「やるぞっ!みくっ、合図しろ!」
「いい?スタート!」
合図とともに前回りを開始するネルとさとる。さとるは練習しただけあって中々早い。だが5回転目でチラっとネルの方を見たのがいけなかった。体は視線の向いた方に自然と体を合わせる習性がある。おかげでバランスを崩し最後の最後でネルに抜かれてしまった。
「ネルのかち~!」
合図役のみくがネルの勝利を宣言する。これでネルは1勝、まもるは後がなくなった。
「ちょっと休憩しなさいね。続けちゃ駄目よ。」
上級生のお姉さんが注意する。実は二人ともあんまり早く回った為、目がくらくらしているのだ。
「ネルちゃん、すごいねぇ。まもる君は必死だったよ。」
「よゆう。次で決める。」
ネルは勝ち誇ったように答える。
「くっ、畜生っ!」
「あはははっ、最後に油断したな、さとる。でもこのままなら勝てるんじゃないのか。」
「よしっ、次だ!今度は負けないぜ!」
「焦るなまもる。そんな事では負けた時、後悔するぞ。」
別の男子がまもるを宥めた。
3分後、落ち着いた二人は再度勝負する。結果は僅差でまもるの勝ち。やはり練習は嘘をつかない。まもるは確かに速くなっているようだ。
「あ~んっ、ネルちゃん、負けちゃった~。」
「大丈夫、まもるに華を持たせただけ。次は勝つ。」
そう言いつつもネルはフラフラだ。まぁ、それはまもるも同じだが。
「5回は多かったかな?」
上級生が心配する。
「4年生だしねぇ。どうする、マットを敷いておく?」
「う~んっ、時間がなぁ。まっ、二人とも握力は残っているみたいだから大丈夫だろう。どうせ、次でお終いだ。」
「そうね、いい、二人とも絶対手を離しちゃ駄目よ。無理だと思ったら止める事。分かったわね。」
上級生の注意に頷く二人。
そして最後の決戦になった。
「いい?スタート!」
みくの合図でぶんぶんと前回りを始める二人。
「おおっ、はえ~。」
これで勝負がつくからなのか二人は前にもまして回転速度を速めた。そして最後の5回転目、ネルが少しだけ体を戻すのが遅れた。やはり3回続けての運動はかなりきつかったのだろう。だが、回転する惰性でそのまま強引に体を起こす。しかし、判定は僅差でまもるの勝利だった。
「やった・・、勝ったぞ。」
まもるはそう言いながら千鳥足で数歩歩くと目が回って倒れこんでしまった。
「くっ、今日はご飯を食べた後だから調子が出なかった。次は勝つ!」
口だけは達者だがネルも友達に支えられていないと立っていられない。眼球は未だにぐるぐる回っている。
「やれやれ、また勝負するつもりだよ。困ったもんだ。」
上級生の呆れた声にみんなが笑った。そんな子供たちの笑い声が高く澄んだ秋空に上っていく。
今日は昨日の続き。そして明日は今日の続き。そんな日常が続くことが普通と信じて疑わない安心して暮らせる空気がそこにはあった。
「ただいまぁ。」
玄関からネルの元気な声が聞こえたかと思った次の瞬間、金治が寝ている部屋の扉がガラリと開く。
「おうっ、お帰り。」
「くんくん、おやっ、なんだかおいしそうな匂いがネルからするねぇ。」
「お姉ちゃん、すごいっ!これ、ネルが焼いたの!焼き芋!食べていいよ。じゃあね。」
そう言うとネルは新聞で包んだ焼き芋をテーブルに置き、ランドセルを放って玄関を飛び出していった。金治は置いてけぼりである。
「まっ、ちゃんと顔を見にくるだけいいじゃん。ほほうっ、これはおいしそうだ。金治も食うか?」
「たりまえだっうの!姉ちゃんは少し遠慮しろ!普通は怪我人の方が多く貰えるんだぞ!」
3本あった内、1本だけを渡された金治が抗議の声を挙げる。
「ばか、1本はネルちゃんの分だ。私とお前はその1本を半分づっこさ。」
「あっ、そ、そうか・・?っ、1本合わないじゃん!」
「これは私の夜食だもん。金治よ、食べ物を分け合うのは人類の基本だぞ?」
「へいへい、もういいよ。でも冷たくなっているから温めてくれよ。」
「おうっ、金治はバターとマネヨーズどっちにする?」
「マヨネーズっておいしいのかよ。」
「全世界のマヨラーたちにはな。私はバターだけど。」
「なら、聞くなよ。」
「きんじーっ!」
その時、窓の外からネルの声がした。見ると友達と一緒に近くの木に登って柿を取っている。金治は軽く手を振り応えた。
「いやー、あの頃の子達ってどこでも遊べるのねぇ。」
お姉さんが温めたイモを頬張りながらネルたちを見る。
「そうだね、でもそれが普通だ。普通なんだ。」
そう、小学生にとっては全力で生きるということは全力で遊ぶことなのだ。
金治は自分が守ったこの景色と状況に満足を覚えるのであった。
-完-




