勝負は一天地六
氏平善本は只者ではない。
雅が暗殺人だとすでに気付き、配下の妖に包囲させることで心理的な圧迫を試みつつ、多額の金銭で懐柔しようとしてきた。
尾行を振り切って廓に身を潜めた雅。
女郎・奈那の柔らかな身体に包まれ安寧のひとときを過ごしたが、互いにそれが刹那の夢と判っていた。
「道を曲げるべからず。曲げればそこが弱みになる」
雅が向かったのは、とある寺の地下に人知れず立つ賭場。取り仕切っているのは地元の博徒・乙倉一家。
暮れ六つ。
むせかえるような男の匂いが充満する中、あちこちから紫煙が立ち上る。
「コマが揃いました…勝負」
刺青の男が発した野太い声が場を静まり返らせる。
「シゾロの丁」
張り詰めた糸が急に緩み、聴こえてくるのは歓声、そしてため息。
「ようし、ツキが回ってきたぜ」
「ああ…またやられた」
「…ちくしょう」
「ちょいと、遊ばせてもらおうかな」
雅は幾つかコマを手に盆茣蓙の前へ。
もちろん真剣にやりあう気はない。適当に勝ち負けしながら男たちを観察していた。
負けが込んできた中年男がほろ酔いの勢いで叫ぶ。
「また丁だって? ふざけんな、こりゃイカサ…」
「ちょ、お前さん酔っ払ってまって、もう」
気を利かせた隣の男が、禁句を発する口を塞ぎながら、併設する酒場へ連れて行った。
壷振りはその後ろ姿をジロリと睨みながらドスの利いた声を響かせた。
「滅多な事言うもんじゃねえぞ…」
雅は中年男の後を追って酒場へ。
「まあ、ちょっと休みましょう。カッとなっちゃ損ですぜ」
にっこり笑いながらお猪口を手渡した。
「カッとならずにいられるか、っての」
注がれた酒を一気に飲み干した男は、藤吉と名乗る金物問屋の二代目。
「何をやさぐれてるんですかい? 二代目」
不景気で借金が嵩み闘所(=営業停止)を食らう寸前、乙倉一家のチンピラにそそのかされたのが賭場に出入りするようになったきっかけだという。
「勝ちすぎて倉が立つかと思ったぜ…最初は、な」
ところが、のめりこんだら負けなのが博打。
あれよあれよと言う間に借金は膨れ上がっていた。気付けば女房は逃げ、店は取り上げられ、先代は生活苦から首を括ったという。
「ああ。娘も売っちまったのさ…」
「自業自得とは言え、気の毒なこった…」
相変わらず盆茣蓙では賑やかな勝負が続いている。
「あいつ…」
目配せやら手まねやら。胴元が壷振りにしきりに指示を出している。
「あれが乙倉一家の主か」
「そうさ、京次って野郎だ」
中年男は身を乗り出すようにして雅に囁いた。
「大きな声じゃ言えねえが、あいつは国家老・氏平の手下だ。ありとあらゆる汚ねえ仕事を請け負ってるって話だ。カネ集め、女の売り買い、そして邪魔者の口封じ…」
「ほう、あの男がウラで切り盛りを…」
「……」
「ん?」
「……」
「お、おい。藤吉っつあん?」
流し込むように酒をあおっていたはずの藤吉は、口ごもったまま横たわっている。
「ひっ…!」
その身体はすっかり冷たくなっていた。
「なあ、兄ちゃん…」
雅の背後には男が立っていた。
「お、乙倉…」
「ああ、白樺の京次とは俺のこと」
くるりとカールした口髭を撫でながら、薄気味悪い笑みを浮かべている。
「なあ兄ちゃん、お前さんもお喋りが過ぎると、寝たまんま逝っちまうことになるぜ。急な病で、な…」
「てめえ」
立ち上がろうとする雅。
「盛ったな、酒に」
だが、背中にピッタリと当てられた冷たい感触に気付き、再びゆっくりとその場に座した。
「うっ…油断したか」
別の男二人が突きつけた匕首が今にも食い込みそうだ。
「盛った、だと? 人聞きの悪い…」
眉をヒクヒク神経質そうに動かしながら腰を屈め雅の顔を覗き込む乙倉。
「酒ってのは百薬の長と云うが、飲み過ぎは万病の元とも云うからな、ひひひ」
雅の肩にそっと手を置いた。
「兄ちゃんも飲んでばかりじゃ身体に悪かろう、どうだい? ひと勝負」
「……」
しばらく睨みあう二人。やがて雅はゆっくりと立ち上がった。
「いいや、酒より博打の方が身体に悪そうだ。今晩はこの辺で失礼するぜ」
振り返って匕首を持つ二人を一瞥すると、木札を手に交換所へ。
「ええと、今日の寺銭は三分でございますので…」
勝ち分の銭を受け取ろうとしていた時、大きな足音を立てながら新たな客が階段を下りて来た。
「おう、奇遇だな」
桑の実色の羽織を揺らせ、用心棒を従え悠然と爪楊枝を咥えたその男。
「雅、雅じゃねえか」
氏平善本だ。
「帰るのかい? お前さん」
威圧的な視線から目を逸らす。
「は、はあ。丁度お暇しようかと…」
首を横に振る氏平。
「なんだい、そりゃ無粋じゃねえか。せっかくだ、俺と勝負しようぜ。お前さんの度胸ってやつを見せてくれや」
せせら笑うような目。
「…しかし」
「あん? 腰が引けたのか? 若いくせに小さい男だな…」
雅は氏平をキリと睨み、静かに頷いた。
「よし。乗ってやろう、その勝負」
「さあ、サシの勝負だ」
氏平の一声で用心棒たちが場に散らばった。
「今日の盆はお開きだ、さあ帰れ」
賭場に溜る客たちはあっという間に一掃された。
「それじゃあ、あっしが」
壷振りは乙倉。
氏平は楽しげに笑っている。
「頼むぞ京次。木札一枚、十両だ。雅の分も俺の勘定で出してやる。さあ始めようじゃねえか」
用心棒たちが盆茣蓙をぐるりと取り囲んだ。はち切れんばかりの妖気を身体中から立ち上らせている。
「こいつら…」
雅は息を呑んだ。
「人外だ」
上手に乙倉、対面に雅と氏平。
一本の蝋燭が放つ橙色の光がすきま風に揺れている。まるで眩暈でも起こしたかのように。
妖気の重圧がどんどん増してくる。
「なあ雅」
笑顔の氏平、目の前に置かれた賽をじっと見つめて語った。
「人生は博打だ。丁か半かどちらかに賭けなきゃいけねえ時がある。シロかクロか、右か左か、敵か味方か。あやふやなままじゃ先には進めねえ」
「知ってるさ」
雅は氏平をチラリと見た。
「迷っちゃ負けだ。一度決めたら曲げちゃいけねえ」
目を合わせぬまま、氏平は呟いた。
「曲げなきゃ命が無い時もある」
「さあっ」
静寂を切り裂いたのは乙倉の声。
湯飲みほどの大きさの笊で出来た壺は漆の艶も上等な新品。
「張った、張ったあっ」
二つの賽が中でコロリと動きを止めた。
雅と氏平、賭けた木札は各々一枚ずつ。じっと壷を見つめている。
「はは、ご両人。中身は透けてなんか見えませんぜ」
乙倉は笑いながら二人の顔を見た。
雅「丁」
氏平「じゃあ俺は半」
壺を開く乙倉。
「シロクの丁」
まずは雅の勝ち。
氏平は動じない。
「やるな、雅…ところでお前さん、仕官の話どうする?」
「もう少し考えさせてくれ」
「いいだろう。勝負が終わるまでに返事をくれ」
乙倉が再び壺を振った。
雅「丁」
氏平「なら俺は半」
乙倉「グイチ。丁だ…」
また一枚、氏平の木札が雅のもとへ。
「そう言やあ、昔な」
氏平は唐突に語り出した。
「俺が上方で油問屋やってた頃だ。今だから言えるがのし上がるために随分汚い手も使った…商売ってのは戦と同じだよなあ」
乙倉は淡々と壺を振り続ける。
雅「丁」
氏平「だから俺はあちこちから恨みを買ったりもした。半分はいわれのない恨みだったが…ええと、半だ」
乙倉「ニロクの丁」
氏平は手下に命じて酒瓶を持ってこさせ、飲みながら話を続ける。もちろん勝負も続いている。
「恨まれたり、命を狙われたり…そんなのにゃ慣れてる、その頃から」
雅の眉がピクリと動く。
淡々と壷は振られ続ける。
雅「半」
氏平「ほう、やっと半、か。じゃあ俺は丁」
乙倉「シソウの半」
氏平は酒を流し込みながら語り続けている。
「ある日、若い女が奉公にとやって来た。ふた親と死に別れて身寄りが無い女だったが…俺を見る目つきは尋常じゃあなかった」
取り巻きは黙って聞いている。
「ああ、判ってた。俺が廃業に追い込んだ商売敵の娘だ。借金を苦に首を括りやがったから店ごと貰って清算したんだが、その一人娘だ。名は…ええと、忘れたな」
乙倉は話に構わず壷を置く。
雅「丁」
氏平「女の魂胆は判ってた。俺を殺す気さ。だが逆恨みもいいとこだ。しかし俺はその女を雇い入れて大事にしてやった。美味いものを食わせて、いい着物与えて…あっ勝負か。うむ、半」
乙倉「ゴゾロの丁」
また一枚、氏平の木札が消えた。残りあと三枚。
しかし全く動じる気配のない氏平。
「だが昨今、恩義ってものはどこに行っちまったんだ。ある夜、俺の家でその女が待ち伏せしてやがった…」
乙倉が壺を振る。
今度は氏平が先に目を言った。
「ああ、半だ」
だがまるで勝負など気にしないように語り続ける。
「驚いたぜ。真っ暗な部屋の中、駆けこんでくる足音がしたんで咄嗟に笠を突き出したんだ。その晩はちょうど雪が降ってた。差し込む雪明かりに女が…」
饒舌な氏平を横目に、雅が大声で目を読んだ。
「丁っ」
壺を開ける乙倉。
「ピンゾロの丁」
雅は唸りながら首を捻った。
(どういうこった?)
氏平は負け続け、残り木札はたった二枚。
おケラになって八十両、雅の木札分もあわせて百六十両…殺しの依頼金の百五十両より上だ、とでも言いたいのか?
だが考えを巡らせたところで勝負は続く。
振られたた壺が盆茣蓙に乗った。
考えている風もない氏平。
「丁、丁でいい」
そしてまだ語りは続く。
「その女は俺を睨んでた。刺身包丁をぐっと握ってな。思わず俺は言ったんだ。おいっ、その包丁はまだ買ったばかりだ、切れ味が悪くなっちまうだろ。ってな」
氏平はケタケタと笑いながら振り返った。
「あはは、あははは」
手下たちは愛想笑いなのか、本当に可笑しいのか、とにかく声を出して笑っている。
苛立ったように頭を掻く雅。
「半」
乙倉はにっこり笑って壺を開けた。
「半。イチロクの半でござい」
雅の前には木札の山が積みあがった。
氏平の前には、たった一枚。
どれでも気にする素振りも無く、酒を注ぎ込みながら話を続ける氏平。
「その女、見下したように笑いやがった。バカにしやがって」
氏平は急に真顔になった。
「俺を殺そうとしたことはどうでもいい。それより俺の冗談を小ばかにしやがったことが腹立たしくってな…女を手籠めにしてやった。まだ生娘だった、がははは」
ほら笑え、とばかりに手下たちを見回す。
「あは、あっははは」
乙倉は涼しい顔で壺に賽を投げ込んだ。
「さあ、張って下さいまし」
雅「丁」
氏平はまだ喋っている。
「で、その女だ。俺が乗っかってひと汗かいてるのをいいことに、こっそり簪を握ってやがった。おれの首を一突き、と思ったらしいが、あいにく外れてこのザマよ」
肩に残った小さな刺し傷を見せびらかす氏平。うっすら笑いを浮かべている。
「で、俺はどうしたと思う?」
誰も答えないままに、大声を張り上げた。
「落ちてた刺身包丁で女の腕を切り落としてやった、がははは。で、言ってやった。おお、切れ味は悪くなってなかった、ってな。うっひひひ」
「あはは、はは…」
手下たちは若干顔を引き攣らせながらも手を叩いたり、肩を揺らしながら笑い声を上げ、氏平に笑顔を見せていた。
舌打ちをした雅。ぐっと氏平を睨む。
「もういい、下らん話は。さあ、目はどっちだ」
「つまんねえ男だな」
ため息をつく氏平。
「雅は丁か…なら、俺は半」
乙倉はそっと壺を開けた。
「シニ。シニの丁」
「シニ…ほう。いい目だ」
氏平の目の前の木札は全て消えた。
「なあ雅」
氏平の冷たい目が雅を射る。
「どうする? 俺の手下になるか、それとも誰かに頼まれたように俺を殺す、か…?」
「……」
雅は、ふうとため息をついて答えた。
「答えは」
つづく