潜入、足守藩
標的は足守藩国家老、氏平善本。
藩主の病弱に付け込んで藩の実権を握り、重税に苦しむ庶民を尻目に米相場を操り私腹を肥やすその悪党は、妖に守られていると云う。
「百五十両、か…」
雅は嘯いた。
「カネに目が眩んだんじゃねえ。今、この世で妖を斬れるのは俺しかいねえから、だ」
裏街道を通って晩秋の足守に身を溶かした。
「今年は随分と色あざやかだ」
降り注ぐ黄金色の銀杏を見上げる。
さっそく近づいてきたのは渡世人といった風体の若衆。
「今日は空も高い。紅葉狩りにゃ絶好の日より…あ、旦那は東国からいらしたんで?」
人懐っこい笑顔で馴れ馴れしい若衆。
雅の冷ややかな目にもめげずに手もみしながら付いてくる。
「あ、失礼。詮索は無用ですな。ところで、いい賭場があるんですが」
「ほう」
「口利きしましょうかい?」
標的・氏平は博徒や侠客も支配下に置いていると訊く。何らかの情報が得られるかも知れない。
「勝てるのか?」
笑顔で答えた若衆。
「そりゃもう、旦那なら間違いない」
「出会ったばかりで何が判る? お調子者め…あと、その『ダンナ』ってのはやめろ。俺にゃ名前がある。雅だ」
とってつけたように頭を掻きながら若衆は少しばかり無作法な仁義を切った。
「とんだ失礼を、雅さん。あっしは長八って三下。乙倉一家の盃を受けたケチな男です。以後お見知りおきを」
微笑む雅。
「生憎、俺は任侠道に生きてる者じゃねえ…旅の浪人だ。だが面白そうだな、世話になるとするか。案内してくれ、その賭場に」
若衆が再び頭を掻く。
「ダンナ…いや、雅さん。さすがにまだ日が高いってもんです。今日は常盆だが、場が立つのは暮れ六つ」
そうか、と頷きながら雅は町並みを見渡した。
「じゃあ長八、これも何かの縁だ。町を案内しちゃくれねえか?」
「合点しやした。ダンナみてえな羽振りの良い男前と一緒に居ると、あっしも男が上がった気になる」
「チッ、調子のいいこと言いやがって。あと、何度も言わせるな、『ダンナ』はやめろ」
「あっ、こりゃ失礼しやしたダンナ…じゃなかった雅さん」
長八と名乗る若衆、絵に描いたようなお調子者だが、こういった手合いは鼻が利く。
金回りの良さそうで暇を持て余してそうな、あるいは土地に不慣れな旅人を嗅ぎまわっては食いつき賭場で吐き出させようって腹づもりに違いない。
カネならある、ここは長八の話に乗っておこう。雅はそう考えた。
「あれが足守川」
長八が指差すのはゆったりとカーブする小ぢんまりとした川。紅葉を乗せた流れはさらさらと情緒にあふれる。
「桃太郎のお伽噺、知ってます? 桃が流れてきたっていう笹ヶ瀬川に流れ込むんですよ」
西側には武家屋敷。
「緒方洪庵先生がお生まれなすった家がすぐそこにある。今じゃお江戸で蘭学者として大活躍」
「蘭学者、か」
雅はかつて救出した高野長英を思い出していた。
「どうしてるかな、あいつ…」
「知ってなさるんですかい? 洪庵先生を」
「いや。別の蘭学者だ。夏に出会ってな…」
長八はポン、と手を打った。
「夏といえば。川辺にゃ蛍がたくさんいましてね、綺麗なもんです。夏はいい…長崎から取り寄せた西洋の甜瓜の栽培もやってるんですよ。大した美味だ…肴にゃちょいと甘すぎるが」
グウと鳴ったのは雅の腹。
「そんな話するから」
「こらまた失礼…どうです、一杯やりますかい? 足守は水もいい、地酒の二面は銘酒ですよ」
ニッコリ笑って雅は頷いた。
「一杯やるか…」
「そうこなくっちゃ。へえ、その顔にゃ一杯どころじゃ済まねえぞって書いてありますぜ」
二人は足守川に沿って北へ。
「ん?」
道行く人々は俯き加減。しかめた顔もちらほら。
「湿っぽいじゃねえか。いい町なのに」
「気にしない、気にしない」
長八は笑っている。
「ちょっと年貢が上がりゃすぐ騒ぎやがる。町民なんざ所詮飼い犬のくせに」
大した自信だ。
若い割に肝が据わっているのは渡世人ならでは、か。
「心配無用です、雅さん。足守は俺たちのような者にゃ極楽だ。なんたって国家老さまが味方だ」
「国家老…つまり氏平善本のことか」
「よくご存じで。あの方は石高不足の足守を救うため賭場を保護して活用してらっしゃる。上納金の歩合は厳しいが、そこは持ちつ持たれつ…」
どうやら黒頭巾が云っていたのは本当のようだ。
氏平は博徒や高利貸しに顔が利く。役人も絡んでの大掛かりな集金システムが足守藩を支配している。
「しかし…」
雅は心配そうな表情で長八を見る。
「博打は阿片と同じ。のめり込んで身上潰すヤツもいるだろ。お上が後押しなんかして大丈夫なのか?」
「ダンナが…いや、雅さんが心配することじゃねえです。博打に注ぎ込んだバカが首を括ろうが娘を売ろうが自己責任。何より大事は藩の懐事情ですよ…お陰で俺たちもいい暮らしができる」
右手の河原沿いに華やかな廓街が見えてきた。朱色の壁が陽気に映える。
「景気がいいのは賭場と花街、か」
「おっ、雅兄い。さっそく遊んでいきますかい? 俺が口利きゃ上玉を用意…」
「まだ真っ昼間じゃねえか…」
ため息をつく雅。
ふと見れば、さらに北には燃えるような赤と絹のように滑らかな橙、眩いばかりの山吹色が広がっている。
「絶景だな。庭園かい?」
「ええ。近水園ですよ。藩主、利愛さまのお住まいだ。病弱ゆえいあそこに引き籠もっちまって、実際の政は氏平さまが陣屋で取り仕切ってる」
「行ってみようじゃないか」
「いや…」
長八は立ち止まった。
「俺たちみたいな風体の輩は入れてもらえませんって。それに…」
花街の真っ赤な門を指差した。
「あっしはちょっと…」
ニヤニヤしながら長八は、チラリと小指を立ててみせた。
「コレに逢っていこうかと」
「なんだい長八。そういうことなら早く言えっての。野暮な事は言わねえ、優しくしてやんな。そうだ乙倉の賭場は暮れ六つだな、間に合うように行くぜ」
雅は一人、近水園へ向かった。
かつて織田信長の家臣だった杉原家は木下藤吉郎の正室「ねね」を排出、木下姓を名乗ることを許された。
紆余曲折を経、木下家は慶長年間に備中足守藩の領主となった。
「由緒あるお家柄ってわけだ、木下さん」
こっそり塀を乗り越えて侵入すると庭園には大きな池。その向こうに簡素な建造物。
大名の住み家にしてはやや寂しげに思える。
「こういうのを『ワビサビ』って云うのか? 俺にはよく解せん」
池に二つの小島が浮かんでいる。
「鶴島と亀島、か。見取り図に間違いねえな…あれが吟風閣、藩主のお屋敷か」
数寄屋造りに茅葺屋根。苔生した岩に囲まれてひっそりと建つ姿は確かにしっとり美しいのかも知れない。
だが秋風に舞い散在する落ち葉を見るに手入れが行き届いているとは言い難い。何より警護の人員さえ見当たらない。
「ぬるいな。氏平って野郎がここにいるなら仕事は楽勝なんだが…ともあれ」
真っ赤な落葉の吹雪に身をカムフラージュさせ、あっさりと侵入に成功した。
「……」
妙に静かだ。戯れる女たちの声も、行き交う藩士たちの声も、鳥のさえずりさえも聞こえない。
「…?」
ゆっくりと奥へ。
「誰もいない…しかし、床挿しとは不吉な」
床の間に向かって天井の竿縁が直角に向く構造は古くから「不吉」とされる。
その天井に耳を寄せ音をうかがってみる。
「二階に誰かいる…北東に」
屋根に投げ上げて引っ掛けた鉤縄を伝ってスルスルと上り、回り廊下(=ベランダ)に侵入。障子の穴から中を覗き込んだ。
「あれは…」
広い部屋にポツンと座っている若い男。立派な装束に似合わぬ沈んだ表情。羽織の紋は「切り菊」、木下家のものだ。
「あれが藩主、木下利愛か。だが噂に訊くほど病弱に見えんな…」
ほどなく、雅は全身総毛立つのを感じた。
「ううっ、これは…この感覚」
部屋の隅に黒い気配が渦巻いている。
「いる、いるぞ…」
物陰に何者かが隠れている。身をすくめながらもギョロリと大きな目が光っていた。
どんよりと皮膚を刺す不快な感触。
「間違いない。人外だ」
部屋の外にも人外の気配。
藩主が厠に立つ時も付き添って監視しているようだ。
「藩主は病弱でも何でもないんだ。人外たちによってこの屋敷に閉じ込められているんだ」
雅は屋敷を出、再び庭園の木立のに身をうずめた。
「黒頭巾の言った通り、か。藩は妖の力に屈している…操っているのが氏平って野郎なのか」
時折強く吹き付ける風に流される木の葉に身を紛らわせながら、近水園を後にした。
池の中から無数に光る目が、その後ろ姿をじっと見つめていた。
つづく