エピローグ
極悪家老・三垣賢亮を守るのは伝説の妖、温羅。
その強大な力の前に仲間たちは次々と惨殺され暗殺人・雅成も追い詰められた。
命を賭してその窮地を救ったのは三垣に恨みを持つ幸元であった。
怒りで力を増幅させた雅成は温羅を葬り、非業の死を遂げた幸元の形見の羽織をまとって三垣を斬り捨てた。
◆ ◆ ◆ ◆
深々と雪が降る。
弘化元年、師走の宵。
「眠らぬ街、か…」
白い息を弾ませながら、男たちがいそいそと行き交っている。ここは片上宿の遊郭街。
そっと襟を立て北風をしのぐ雅成の手には幸元の遺髪。
「ちょっと尋ねるが…」
うらぶれた廓の朱色の門をくぐり、通りがかりの給仕に声を掛けた。
「佐知…お佐知さんはいるかい?」
「ああ、サッちゃんは…」
慌ただしそうに酒瓶を運ぶ給仕女が足を止めて答えた。
「いるにはいるけど、もう今日は客を取らないんだよ。残念だったねえ」
「あ、明日は?」
「明日にゃサッちゃん、此処を出ることになってるんだ」
給仕女は軽く微笑んだ。
「身請けだよ。どっかの若い男が三十両もの大金を置いてったって話だよ。世の中にゃ奇特なひともいるもんだ…」
「三十両、若い男…」
雅成の眉がピクリと動いた。
「ど、どんな男だ。名前は? 年格好は? なんて言ってた?」
急な剣幕に給仕女は後ずさり。
「そ、そんな。あたしゃ知るわけないよ。若い渡世人風だったって噂だけど…もう、そんな怖い顔しなさんな。それより、遊んでいかないのかい?」
「……」
しばし無言のまま、雅成は険しい顔。
給仕女は悪戯っぽく微笑んだ。
「へえ、あんた妬いてるんだ…確かにサッちゃんは器量よしだったからねえ…」
雅成にはまるで聞こえていない風。
「明日、明日には出ていくのか。なら今日会えないか。ひと目でいい」
「ダメだよ兄さん。そんな無茶言って…色ごとの揉め事はゴメンだよ。ただでさえ御法度のこの商売、刃傷沙汰にでもなったら…」
「本当だ、ひと目見たらすぐに帰る。お前さんにゃ迷惑掛けないから」
雅成がそっと手渡した小判一枚で給仕女の顔色が変わった。
「しょうがないねえ…ちょっと、サッちゃん。お客さんが…」
「若い渡世人風の男、か」
待つ間、雅成は幸元の形見の羽織をそっと撫でていた。
「三十両と言やあキッカリ俺がアイツに…」
じっと手を見る。
その皺の一本一本に、恨みや涙、悲しみや血がこびり付いているように思えた。
「もう潮時なのかも知れねえな、こんな仕事は…」
「マサ…マサさん?」
気づくと柱の陰に隠れるようにして佐知がじっと見ていた。
「あの、あたしに用って…」
ぎこちない笑顔を作る。
「あ、その…うん、身請けが決まったそうで…めでたいこった」
「え、ええ」
明日の門出を控えた佐知は、とても廓の女には見えないほど立派に身なりを整えていた。
雅成が目を見張る。
「ほう、たいそう綺麗だ…」
そして思い出したように告げた。
「ついさっき、三垣は死んだ。しっかりとケジメはつけたぜ…安心して新しい暮らしをはじめるんだな」
「あ、ああ…」
一瞬だけ、わずかに驚いた佐知。
動じないふりをしたのか、あるいは本当にもう過去のこととして精算済みなのか。
「あたしはね…」
佐知が緩やかな笑顔を見せた。
「生まれ変わるの。誰か判らないけど大金を用意してくれた方がいらっしゃって…その方とは会えない約束なんだけど、住む家も仕事も用意してもらっているの」
「そ、そうかい…」
少し視線を逸した雅成。
「ところで佐知さん、あんたの弟さんだが…」
言いかけた言葉を遮るように、嬉しそうな佐知の声。
「うん、伝言があったの、幸元から。あの子、やっと堅気になるんだって。東国で奉公が決まったらしいから心配するなって手紙をくれたんだ。あたしも安心したよ」
「あ、うん。そうか…よかった…」
精一杯の笑顔を作りながら、雅成は懐から取り出そうとしてい遺髪を再びしまいこんだ。
ひとつ、大きく深呼吸をして佐知の肩をポンと叩いた。
「サッちゃん、あんたは強いひとだ。これからも自信を持って生きるといい」
佐知の笑顔があまりにも無邪気に思えて、雅成は背を向けた。
「誰かいい人見つけて幸せになるんだな…」
そのまま立ち去ろうとする雅成の背に、佐知が呼びかけた。
「ねえ、もう行っちゃうの? もし良かったらこれから…」
「……」
雅成は首を振りながら振り返らずに廓を後にした。
■ ■ ■ ■
「墓を見つけてやらなきゃ、な」
西国街道を再び西へ。
「こいつを埋める墓を」
手には幸元の遺髪。
「立派でなくていい、お前が安心して眠れる場所を…ん?」
木々に囲まれた峠、朽ち掛けの廃屋が立ち並ぶ寂れた山中。
まるで雅成を待ち構えていたように、一人の男が立っている。
「なあ、お前さん」
真っ黒い袈裟。いやローブと言ったほうが適切だろう。
「やるじゃねえか」
フードに隠れて顔はよく見えないが、ただ者でないことはよく分かる。
どす黒く渦巻く殺気で、近づくほどに皮膚が裂けそうに感じられた。
「温羅を斬ったそうだな…あの温羅を」
「誰だ?」
雅成は崇虎刀の柄に手を掛けた。
「普通の人間じゃねえな…妖か?」
ローブの男は一見無防備なままに、静かに近づいてくる。
「俺が誰なのか、よりも」
垣間見える眼は赤く光っている。
「お前がどれほどの男なのか、そっちに興味がある」
雅成はやや腰を屈めた。ふくらはぎの筋がスッと浮き出る。身体のあちこちから黒煙のようなオーラが立ち上りはじめた。
「ほう」
ローブの男がニヤリと笑った。
「気に入った…その、やけに尖った波動も、な」
抜けば届く、その寸前で男はピタリと歩を止めた。
「どうだ、俺の下で働く気はないか? もっと面白い仕事をやろう。魂が震えるような…」
雅成が言葉を遮った。
「いいや。もう俺は足を洗うと決めたんだ。暗殺商売はもう店仕舞いってとこだ」
ふう、と息を吐いた後、ローブの男は呟いた。
「勿体ねえ。磨けば玉になるものが、そのままじゃタダの石ころだ」
ものの一瞬だった。
「ぬッ」
見えなかった。
「あッ、ああッ」
ローブの男が腰に刺してあったムチが素早く伸び、雅成の腕から胸にかけて激しく打ち付けていた。
声を上げたのは痺れるような痛みが走ったからではない。ムチの一撃によって懐にあった幸元の遺髪が投げ出されたからだ。
「そいつに触るなッ」
拾おうと手を伸ばしたとき、再びムチが唸った。ローブの男があざ笑う。
「女々しい真似を」
空気を切り裂くような高周波とともに、撓ったムチの尖端は遺髪を打ち据えた。
「てめえッ」
怒りに震える雅成の全身から黒煙噴き出すのを見て、男はさらにムチを振った。
「いいぞ、それだ。怒りがお前をお前たらしむのだ」
遂に遺髪はバラバラに散乱し、ムチの摩擦で生じた火花が引火して生臭い匂いを残して燃え尽きてしまった。
「情なんざ捨てちまえ。そんなものは弱者の慰めに過ぎぬ」
「許さねえ…」
雅成は崇虎刀を抜いた。ギラリと刃が月夜に光る。
「斬る」
地面を蹴り上げて突進。鋭く切っ先を伸ばした。
「その程度、か…」
すでにローブの男は消えていた。
いや、とっくに背後を取られていた。慌てて飛び退こうとした雅成に向かってムチが飛ぶ。
「真の恐怖というものを、教えてやろう」
一瞬にして首に巻き付いたムチがギリギリと締まってゆく。
雅成が叫んだ。
「てめえのような邪悪なヤツの手下になんぞ絶対に…」
「くだらん。邪悪か正義か、それはお前が決めることじゃない」
さらにムチを絞り上げる。
「あるのは正義と邪悪ではない、勝者と敗者のみ。勝者とは、より力のある者を言う」
男はゆっくりと掌を雅成に向けてかざした。
「力とは、これだ」
吸い込まれるほどに黒いオーラが渦を巻いて雅成に襲いかかった。
「うがあッッ」
全身を電撃の如き痛みが貫いた。体中の血が沸騰しそうになる。
ローブの男が再び尋ねた。
「この力を手にしたいと思わんか? 俺の手下になって…」
「イヤだっ」
表情を変えぬまま、男は掌から再び黒い波動を放った。
「ぐウッッ…」
内臓が潰れ、骨が砕け散りそうだ。空虚になった心臓が不規則にバクバク暴れだしているのが判る。
「選べ。死か、服従か」
もはや意識も遠のき、天地さえ判らなくなっていたが雅成は声を振り絞った。
「くそったれ…」
「なら、死ね」
ローブの男がムチを握る手に力を込めた。
「あ…ァ…」
視界が黒く閉じてゆく。
「……」
もう、痛みも感じないほどに全身の知覚が麻痺してゆく。
「……」
遠くで声がする。
「……」
叫ぶ声、二つ。
一つは聞き覚えがある。
「……」
衝撃が響いてくる。腹に重く響いてくる。何度も、何度も。
「あッ…」
急に、眩い光に包まれた。
「な、なんだ…」
強い光。目が痛いほどの光が、暗闇を一気に蹴散らした。
そして心地よい温かさ。
「もしかして、これが…死?」
■ ■ ■ ■
懐かしい匂い。涼し気な小鳥の鳴き声。
ひんやりとした空気がやわらかく頬を撫でている。
キーンと頭の奥で音が鳴っている音がどんどん大きくなる。
やがて頭が割れそうなほどに。
「う、ううッ」
大渦の中に呑みこまれた身体が、狭い通路を無理やり吐き出されるようだ。
「…ぐ…ぐうっ」
強く頭を殴られたような衝撃。
「ああッ」
雅成はは目を覚ました。
「ぐふあッ」
起き上がるやいきなり嘔吐。
「はあ…っ。な、なんなんだ…どこだ、ここは」
ボヤけたままの視界をぐるりと見回すと、どうやらここは古びた山小屋。
板の隙間から淡く光が差し込む、香草の匂いが立ち込めた部屋。
枕元に初老の男。
「目を覚ましたか…マサ」
水筒を手渡され、急に渇きを自覚して飲み干した。
「うっ、これは…」
苦い。口が歪むほど苦い。
初老の男は微笑んだ。
「三日三晩眠りっぱなしだったぞ、マサ。もう目覚めんかと思った」
雅成は身体を引き起こそうとして全身の激痛に悲鳴を上げた。
「いッ、痛ええッ」
「そりゃ当たり前だ。体中の骨が砕け内臓が破けていたんだからな」
「な、何…?」
歪んだ視界が徐々にハッキリとしてきた。
「あ、あんた」
枕元の初老の男、その顔がしっかりと見えた。
「幻之介さん…」
「やっと気づいたか、不肖の弟子め…」
「あ、けど、何故…そうだあの時、黒衣の妖と」
「ほぼ死んでいたよ、お前は」
「じゃあ、あんたが俺を助けてくれたのか…」
幻之介は静かに頷いた。
雅成の目から自然に涙が流れていた。
「師匠…俺は勝手にあんたのもとを離れて…」
「何も言うな」
◆ ◆ ◆ ◆
数日後。
傷の癒えた雅成は幻之介の前にひざまずいた。
「強くなりたいんです。もう一度、どうかお願いですから俺を弟子に…」
「いや…」
幻之介は首を横に振った。
「俺はお前を卒業させた覚えはない…つまり、今もお前は俺の弟子」
「ありがとう、ありがとうございます」
修業の日々が、また始まる。
「マサ、まずはお前の中にある黒い波動を消し去らねば」
「黒い波動?」
「怒りや悲しみで波動を増幅すれば、いずれ闇に魂を乗っ取られる」
「でも、怒りが俺の強さを…」
「それは極めて限局的なもの。深く広く、永続的な力は闇でなく光の波動に宿る」
「光の波動…」
「ああ、お前は幻怪の血を引く者。光の波動を操る事のできる稀な才能を持っておる」
部屋の隅に積み上がった白木の束を指した幻之介。
「あれだ。修行の手始め。心の浄化をせねば、お前の波動は永遠に闇から逃れられぬ」
「あれ、って…木っ端相手に一体何を?」
「彫れ」
手渡されたのは一本のノミ。
「彫る?」
「そうだ。仏を彫れ。お前がこれまでに殺めた魂のぶん、つまり二百七十三の仏を彫れ。ひとつひとつの魂を思い出しながら、すべて一刀彫で完成させるのだ」
「そんな…何年かかるやら。それに師匠、数が違うよ。二百八十三だ」
「ちッ、細かいヤツめ…ああ、なら二百八十三、彫れ。成し遂げたとき、お前は光の波動の入り口に立つことが出来る」
呆然としながらも、頷いた雅成。
「それでやっと、入り口…だが、今の俺は師匠を信じるしか他に無い。やってやろうじゃないの…」
微笑みながら幻之介は大きな桐箱を取り出してみせた。
「完成の折には、お前にこれをやろう」
中には一本の刀。
「崇虎刀だ。かつてこれを使っていた俺の仲間の形見の品」
その刀身は脈打つように青白く光っていた。
「魔剣の二刀流を極めるがよい」
その後数年の間、美濃の山々にはノミを打ち据える槌の澄んだ音色がこだましていたと云う。
完




