暗殺人のけじめ
黒頭巾の正体は足守藩の現・国家老、三垣賢亮だった。
雅成を利用し政敵を排除、罪を御用人の雲丘幸利に擦り付け、藩政と利権を手にした彼はオニを用心棒として飼っていると云う。
「オニが守ってる、か。覚悟が要るな…」
雅成は寂れた町外れに足を向けた。
「本当にこんなところに…」
四つ角にある朽ちかけた造りの小間物問屋。昼間だというのに下げられたままの暖簾。
看板の消えかけの文字が「川野屋」と示している。
「本当だ。ここだ」
今にも外れそうな扉をガタつかせて中を覗いた。
「誰か…誰かおらんか?」
返事が無い。
「おおい」
大声でもう一度。
「おおい。誰かいないのか? 川野屋」
間をおいて野太い声が床下から近づいてきた。
「なんでえ? 何の用だ、てめえ」
ひょいと床板が一枚外れ、見上げる強面。両腕にはびっしり刺青。
「今日はもう閉店だ、さっさと帰んな」
「小間物屋に用があるんじゃねえ…」
強面に顔を近づけて囁いた。
「俺の用はコッチだ。そう、盆の方」
「ほう、誰かの紹介か? まあいい、カネは持ってんだろうな。それと腰のもんは預からせてもらうぜ」
案内されて床下へ。
急な階段を降りるとそこは地下室。
男たちの汗と酒の匂い、紫煙が充満する狭い部屋に飛び交う大声は、丁だ半だと随分賑やか。
「ちょいと遊ばしてもらおうか」
手持ちの一分銀を木札に替えて茣蓙の前へ。
「ほう」
見え透いたイカサマもちらほら。だが適当にあしらいつつ、勝ったり負けたり。
「調子が乗らんな。よし休憩だ」
いったん茣蓙を離れた雅成は盆の周りを彷徨く三下に声を掛けた。
「酒はあるか」
「へいっ」
威勢のよい返事。だが床下の蔵をちょっとまさぐるや、すぐ申し訳なさそうに頭を掻いた。
「すんません旦那。ちょっと切らして…すぐ買いに行かせますんで。酒屋は近くだからお待たせしません…おい、おおういっ」
入り口で雑巾がけをしていた小僧を呼びつけた。
「幸元、買ってこい。さあすぐに行け
少年は、まだ髪も結っていないザンバラ頭。彫りかけの刺青が袖から見え隠れ。
「へいっ。酒ッスね。銘柄は…あ、はい。適当に。承知しやした」
雅成の目がにわかに光った。
「あのガキ…」
立ち上がって少年の後を追う。
慌てたのは賭場の三下。
「ちょ、ちょっとお侍さん、いったいどうされたので…?」
「急ぎの用を思い出した。残念だがこの辺で帰らしてもらうぜ。ああ、残った木札はお前さんにくれてやる」
「は、はあ…」
人もまばらな昼下がり。通りを急ぐ少年を追いかけた。
「待て、幸元」
「えっ?」
少年は名を呼ばれ思わず立ち止まった。
「なんであんた、俺の名を」
「さっきそう呼ばれてたじゃないか。幸元…お前さん、雲丘の」
言い終わる前に、少年幸元は走って逃げ出した。
「なぜ逃げるっ」
精一杯走ったところで少年の脚では雅成を振り切ることは出来なかった。
「だって、だって…」
幸元はすっかり怯えていた。
「あんたも俺を虐めるんだろ」
「ん? まさか」
「みんなが俺を虐めるじゃないか。父さんは獄門首の外道だ、俺にもその血が流れてるって」
「そうか。しかしそれは事実…」
「違うよっ。ああ、違う…って信じてる。父さんは悪いことなんかしてないっ」
今にも泣き出しそうな幸元の肩に、雅成はそっと手を掛けた。
「俺はお前の父さんを信じてる。な、だから落ち着け。いいか…」
幸元はジロリと雅成を睨みつけると、手を振り切って走り去った。
「あれが佐知の弟…」
その夜、昼番を終えた幸元が店から出てくるのを待って雅成は後を尾けた。
「ここが住まいか」
河原にこさえられた簡素な小屋。回りにも幾つか似たようなのが点在する。
文字通り「河原者」の住まい、あるいは夜鷹が商売に使うのだろうか。
「いるか、幸元」
雅成が扉を叩いた。扉といっても拾い物の歪な板を立て掛けただけ。
「いるんだろ」
中で蝋燭の火が師走の風に揺れていた。
「あんた…昼間の」
「俺は雅成、どうしてもお前に言っておかなきゃならねえことが…」
幸元は扉を開けようとしないまま言葉を遮った。
「説教ならたくさんだ。帰ってくれっ」
「いいか幸元…」
噛みしめるようにゆっくりと、そしてハッキリと告げた。
「氏平を斬ったのはこの俺だ。俺が本当の下手人だ…」
暫しの沈黙。そして扉が開いた。
「てめえか…氏平を殺ったのは。罪を着せられ父さんは…」
真っ赤な目を見開いた幸元の声が震えている。
「てめえのせいで父さんは獄門首になった…俺も姉ちゃんも放り出されて今じゃ蛆虫みたいな生活を…」
ぐっと握りしめた匕首を振り上げた。
「死ねっ。父さんの恨みッ」
「……」
無言のまま雅成は匕首を払い落とした。
「この野郎っ」
怒りの収まらない幸元は素手で殴りかかった。
「人殺しめっ」
「そうだ。俺は暗殺人」
強く握った拳が、抵抗しない雅成の頬を打ち抜く。
「外道めっ。カネのためなら何でもするのかッ」
「確かに俺は外道だが…氏平の行状死に値するものだったんだ」
幸元は殴り続けた。
「言い訳なんて聞かねえ、おまえの代わりに父さんは死んだんだッ」
「ああ、好きなだけ殴れ。気が済むまで」
「うっ…」
幸元の手が止まった。
「うう、うあああっ」
やがてその場に泣き崩れた。
涙に塗れた顔をわずかに上げて震える声で尋ねた。
「頼んだのは誰だ、氏平を消せと依頼したのは…」
「おれは暗殺人だ…」
雅成は低く呟いた。
「依頼主は明かせぬ」
「フッ…」
幸元はゆがんだ笑みをこぼした。
「知ってるさ…ああ。三垣だ。あいつに決まってる。なあそうだろ。全部三垣が絵を描いたに違いねえ」
「……」
雅成は沈黙したまま。
しかしその沈黙の意味を、幸元は理解した。
「ちくしょう…」
振り上げた拳を自らの頭に叩きつけ、髪の毛を掻き毟る幸元。
「許せねえ、三垣ッ。氏平を殺し、父ちゃんを殺し、一家まるごと全滅だ…」
「全滅? どういうことだ」
「三垣は、父ちゃんがくすねた大金を返済しろって迫ったんだ。払えないと知るや親類縁者を次々ひっ捕らえて…その後どこに連れていかれたやら」
「……」
雅成は唇を噛んだ。
囚えられた者たちがどういう運命を辿るか、陣屋の蔵で見た光景が脳裏によみがえる。
幸元は項垂れた。
「俺たちはすんでのところで逃げ出した…姉ちゃんは女郎屋に、俺は賭場に逃げ込んだ」
「そうだったのか…」
二人はしばし無言で夜風に吹かれていた。
幸元はフッとため息を漏らしたのち、急に立ち上がって声を荒げた。
「もう逃げ隠れはたくさんだ。この手で決着つけてやる」
拾い上げた匕首。蝋燭に照らされた刃が、鏡のように怒りの表情を映していた。
「仇討ちだ。三垣をこの手で…」
走り出そうとする幸元を雅成は制した。
「やめとけ。どう考えても無理だ。ヤツは用心棒としてオニを飼ってる」
「オニ? まさか御伽話じゃあるまいに」
「本当だ。氏平も天狗や河童を飼っていたから暗殺商売の俺でさえ手こずった。ましてオニと言ったら強さのケタが一つも二つも違う、お前なんか到底…」
「いいや、根性で何とかなる」
「冗談じゃねえ、根性論が通用する時代はとうに過ぎた」
幸元は雅成を振り切ろうとする。
「うるせえ。殺し屋ふぜいが偉そうに」
「馬鹿野郎ッ」
雅成は幸元の頬を張った。
「殺しが本職の俺でさえビビってんだ、お前みたいなガキに何が出来る? だいいち今お前さんが復讐だのと喚いたところで父さんは帰って来やしねえ」
ぐっと顔を近づけ、言い聞かせた。
「お前が虫けらみたいに殺されて、父さんや姉さんが喜ぶとでも?」
「ウッ、ウッ…」
幸元はへたりこんだ。嗚咽している。
「悔しいよう、悔しいんだよう…」
「お前はただじっと待ってろ」
雅成は幸元に背を向けた。
「ケジメは必ずつける。俺が三垣を殺る、それは暗殺人の掟でもある」
肩越しに包み紙をポイと投げ捨てた。
チャリンという音。
「そいつは氏平殺しで俺が受け取った三十両だ。姉さんを身請けして、しばらく二人で暮らすにゃ十分足りるはずだぜ」
包の端から山吹色が顔を出していた。
雅成は振り返らなかった。
「あばよ幸元。もう二度と会うことも無えだろ…十分辛い思いをしたんだ、残りの人生は幸せに暮らせ」
淡い月を隠すように、真っ黒な雲が蠢きだした。
つづく




