足守へ、再び
西国街道・片上宿の遊郭で雅成が出会った遊女・佐知。
「憎い…運命が、憎い」
彼女の父親は雲丘幸利、濡れ衣を着せられ死罪になった足守藩の御用人。
母親は直後に絶望し自ら命を絶ったと云う。
佐知自身は、でっち上げられた借金の返済のために身売りされ、孤児になった弟はやくざな世界に身を投じることとなった。
雅成は足守の街に赴いていた。
「女将、一杯頼む」
近水園から遠くない市街にある小さなうどん屋。
「具はシッポクで」
「ああ寒い寒いっ」
息を白ませながら店に入ってきたのは、薄汚れた黒羽織の二人組。
「何が寒いって、懐が寒いっての」
「おばさん、それぞれ一杯頼むぜ、キツネ、な」
女将がブツブツと呟いている。
「チッ。せめてお姐さん、くらい言えないのかねえ」
ひんやりした風とともに、苛立つ空気も入り込む。
「ただでさえ慌ただしい年の瀬だってのに。ったくやってらんねえな」
「氏平がおっ死んだのは良かったが、新任はさらに面倒臭え野郎と来たもんだ」
「おいおい」
一方が口に人差し指を当て、声のトーンを落とさせる。
「滅多な事は言わないほうがいいぜ、どこに耳があるかわからん」
その通り。
すぐ隣で雅成が聞き耳を立てていた。
「しかし藩はこれからどうなっちまうんだ」
「さあ、神も仏も預かり知らぬ、ってヤツだ」
愚痴だらけの二人組、どうやら足守陣屋の小役人。
「太ったやつはどんどん太り、貧乏人はますます痩せ細る。これだけは間違いねえ」
「…だな。俺たちもせいぜいゴマスリに精出すか」
彼らの言葉の端々を集めると、氏平亡き後すぐに国家老に就いたのは三垣賢亮、かつて雲丘の配下にいた役人らしい。
「随分と賂が動いたって話もあるが…」
「だろうな、あいつの蔵にゃたんまりお宝が詰まってるらしい。カネさえありゃ世の中どうにでも」
「ちゃっかり氏平の隠し財産を横取りしたって噂だぜ。裏稼業の…」
「シっ…だから、滅多な事は口にするなと」
北風が窓を揺らすカタカタという音が、まるで彼らの会話をかき消そうとしているかのようだった。
饂飩をすすり終えた雅成は、役人たちに声を掛けた。
「すまねえが、お二方」
「あ? なんでえ、若えの。聞き耳立ててやがったのか? 野暮なヤツめ」
軽く首を振る雅。
「そんなつもりじゃ無えが…ともかく随分景気が良さそうですな、この街は」
役人の一人が舌打ちをした。
「チッ、馬鹿云うな。カネ回りがいいのは国家老の取り巻きだけさ」
もう一人の役人は苦笑い。
「締め付けが厳しくなる一方だ。今は辛抱のとき、だとさ。藩や大店が潤って、順に問屋から小売、その後役人や職人、最後に百姓に富が回ってくるから大人しく待ってろ、と。そういうこった」
雅成は鼻で笑った。
「絵に描いた餅、ですな…」
うなずく役人たち。
「そうさ、若えの。飲み込みが早えな。つまり…二本差しのようだがお前さん、残念ながらここにゃ士官の口は無えぞ」
「なるほど…しかし俺がやりたいのは」
小声で壺を降る仕草。
「コイツでしてね」
「ん? 博打か」
ニヤニヤと笑う役人たち。
「おいおい仮にも博打はご法度。俺たちゃ取り締まる立場…ま、それは建前。お勧めは呉服問屋の大阪屋の地下の盆だ、寺銭が安くて人気だぜ」
「長泉寺もいいぞ。知る人ぞ知る…」
雅成は尋ねた。
「ちなみに川野屋は?」
役人たちは揃って首を振った。
「止めとけ。小汚えし愛想も悪い。儲った話は聞かねえな。それに札付きのワルばっかりだぜ、あそこに溜まってるのは」
「ほう…」
自身のお愛想を済ませると雅成は、ニッコリ笑いながら一分銀二枚を彼らの前にポンと置き店を出た。
「ためになる話、かたじけない。噂に訊いた通り、足守のひとは情に厚い」
役人二人は顔を見合わせてニヤリ。
「若えのに…あいつ、世の中を解ってるじゃねえか」
◆ ◆ ◆ ◆
人混みの中へ、中へ。
小さな路地は年の瀬の慌ただしさにごった返している。
ここは貧者のあつまる蚤の市。「どろぼう市」と呼ぶ者もいる。
「へえ、こりゃ買得だな」
日用品から食料、季節ならではの門松や年越し用の蕎麦もある。どれも驚くほどの安値。
「しかし、この値で儲けはあるのか?」
店番の中年女がボヤいた。
「それでもあんた、売れないよりはマシなのさ。二本差しにゃあたしらの苦労は判るまい。上納金が高騰してどこも火の車だっての」
「こんなに賑わってるのに」
「チッ、これだからお侍さんはモノを知らねえってんだ。商いってのはそう単純じゃないんだよ」
「へえ…」
眉間に皺を寄せながら言う。
「いいかい、この一週間の間に二人、いや三人。商売に行き詰まって首くくった仲間が、ね」
「うう、そりゃなんとも痛ましい…」
憐れむような目つきの雅成を中年女が睨み返す。
「あたしらにゃ、ね。嘆いたり悲しんだりする暇も無えんだよ。上納金が払えなきゃ人買いに売られちまう」
「人買い?」
「そうさ。言っとくが年頃の娘ばかりじゃない、あたしみたいなのも、男も年寄りも…異国に売り飛ばされちまうって噂だよ。恐ろしい話だよ…」
賑わいは焦燥の現れなのか。作られた笑顔に精気は無い。
道行く人々は苛立ちを隠しながら足早に通り過ぎる。
他人が何をしようとお構いなし。
「貧しさが人を浅ましくさせる、ということか」
「あっ」
駆け込んできた少年が雅成の足に引っかかって転げた。みすぼらしい身なり。
「す、すんません」
サッと立ち上がった少年は詫びもそこそこに走り去ろうとした。
「コラ、ぼうず…」
その手をガッチリ握った雅成。
「ナメてんのか」
「ちッ、離して。離せってば」
必死に振り切ろうとする少年。握る左手に力を込めながら雅成は右手を愛刀の柄に添えた。
「その腕、切り落としてやる。二度とこんな商売の出来ねえように」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさいッ」
「出せ」
「は、はい…」
顔を真っ青に変えた少年は、盗んだ財布をおずおずと差し出した。
「だって、だって…」
その場に泣き崩れた。
「お前、幾つだ。見たところ九つか十ってとこだが…ガキのくせにスリなんか。いいか、相手が悪きゃ今ごろ身体ごと真っ二つだ」
「だって、他に生きる術が…」
「ガキのくせに判ったような物言いしやがって。性根叩き直す必要があるな…ようし、親のとこまで連れてってもらおうか」
「いねえよ親なんて。死んじまったんだ。だから、だから…」
雅成は掴んだ手をフッと緩めた。
「そうか…」
うずくまる少年の肩を抱いて立ち上がらせた。
「お前も、か」
その少年の父親は、蝋燭づくりで生計を立てる職人だったと云う。
「無口で厳しいけど、優しい父ちゃんだったんだ…」
上納金の値上げに日に日に苦しくなる毎日。
魔が差したかどうかは解らないが、ある夜その父親は賭場に出向き、慣れない博打で大負けする羽目に。
その数日後。
「真夜中だよ…目が覚めた僕はたまたま厠にいたんだ」
何人かの黒装束の男たちが押し入って両親を連れ去ったと云う。
「恐ろしくて恐ろしくて、声も出なかったよ。でも…」
少年は勇気を出して後を追った。
そして彼らが陣屋に入ってゆくのを見た。
「門の前で思わず叫んだんだ。母ちゃん、父ちゃん、って。そしたら…」
黒装束たちは少年を捕まえようと迫ってきた。
「逃げたよ、必死で。胸が裂けるくらい走ったよ。どろぼう市に逃げ込んで助かった…」
ふと気づいたように、少年は首を振った。
「いや、まだ助かってない。ヤツらは多分僕を探してる…」
そして泣き出した。
「陣屋に連れて行かれたら異国に売り飛ばされるんだ。絶対に助からないってみんな言ってる。母ちゃん、父ちゃんも…」
雅成は小判一枚をそっと手渡し、その場を去った。
◆ ◆ ◆ ◆
「藩が拐かしを?」
雅成は陣屋に足を向けていた。
「氏平が死んで平和になったはずだったが、一層悪くなってるじゃねえか…どうなってやがる」
立派な羽織袴に身を包んだ大店の主や役人たちが笑顔で師走の挨拶を交わしながら右往左往。苦境に喘ぐ庶民街とは大違いだ。
正門前の木陰でじっと待つこと半刻。
「出てきた…あいつか」
小太りな男が笑いながら出てきた。
「氏平の後釜に座った三垣ってのは」
体格の良い町奴風の男を引き連れている。前任者の最期を考え雇った用心棒だろう。
三垣は籠に乗り込み街へ繰り出した。大店だけでなく小さな店までくまなく挨拶回り。
雅成は気づかれぬよう後を追っていた。
「挨拶回り? いやいや…」
怯えたような顔の町人たちはみな、小さな包み紙を三垣にそっと手渡していた。
「賂集めだ」
ため息が白く染まる。
「前任の氏平は極悪人だった。だからこそ俺は殺ったんだ…しかし大同小異、権力者とはこういうものか」
そして得意げに街を闊歩する三垣の後ろ姿を眺めながら、雅成は思い出した。
「あ、あいつ…」
少し屈めた腰。地面を撫でるように引きずる右足。
「覚えてる、覚えてるぞ…」
交錯する記憶の中から浮かび上がった一人の男。
「あの歩き方、後ろ姿…そうだ、前は着物の裾が破れて羽織は薄汚くって皺だらけだった」
よみがえる記憶は足元から次第に上へ。
「頭巾だ。黒頭巾…」
雅成の頭の中で記憶が渦を描きながら、一つの事実が浮かび上がってきた。
「黒頭巾で素性を隠した三垣は、俺に氏平を殺させた。さらに罪を雲丘になすりつけて抹殺、財と利権を全て我が物に…」
ひゅっ、と冷たい風が吹き抜けた。
「ほう」
雅の目が鋭く輝いた。
「暗殺人を騙した者は、死すのが掟…」
つづく




