片上の遊女
弘化元年、霜月。
足守藩国家老・氏平善本の暗殺を遂げた雅成は、すっかり廃墟となった瑞泉寺を訪れていた。
ひっそり立てられた墓石、そこに刻まれた名は田島勝雅。
「もう五年、か…」
妖が憑依した師をやむなく斬った若き剣士は、その無念さをぶつけるが如く剣の道に没頭した。
諸国を渡り歩きながら道場破りや決闘に明け暮れ、いつしか暗殺人となった。
「だがカネのためだけじゃあ無え」
自身に言い聞かせるように。
「死ぬべきヤツってのがいるんだ、この世にゃ。そんな連中が運命を全うするのを手伝ってるだけさ」
スウっと冷たい風が吹き抜けた。ピクリと眉を動かし辺りを見回す。
「……」
しばしの沈黙。
「ちッ、思い過ごしか」
雅成はじっと手を見た。
洗えども落ちない血の匂い。目を閉じる度に浮かぶ相手の死に顔。風の音に混じって遠鳴りのような悲鳴、命乞い。
「暗殺稼業ってのは…」
いつだって心が満たされたことは無い。そしていつも何かに怯えていた。
「狂気の沙汰だ」
物心ついてからずっと暗殺術だけを仕込まれ育った雅成には、他に生きる道を見出しようがなかった。
「いつか俺が殺しの標的に掛けられるんだ…」
安酒に身を浸し空を見上げた。
「そして斬られて死ぬ。その時はじめて俺は楽になれる」
恐怖や焦燥、無常感を忘れさせてくれるものは酒、そして女だけ。それも刹那のこと。
◆ ◆ ◆ ◆
師走の空は暗く、まるで世相を映しているかのよう。
飢饉や災厄に加えてあちこちで攘夷だ尊王だと騒ぎが起きている。
「みんな不安を抱えてるわけだ」
心に刺さったトゲを忘れひとときの享楽に身を委ねたい。そんな連中で溢れかえる酒場や遊郭に満ちる偽りの笑顔。
「さあ、もっと酒を。カネならある」
人を殺めては大金をせしめ、その全てを忘れるかのように使い果たす。
それが雅成の生活。
「なあ姐ちゃん。もっと楽しい話は無えのか。客を楽しませるのが仕事だろ?」
備前・片上宿の小さな郭。小さな女郎部屋の端には空の一升瓶が三つ、転がっていた。
「近頃ちっとも酔えねえ」
胸の中にうず高く積まれた罪の重さ、それが理由だと知るほどに苛立ちはつのる。
「さあ、早く酒をっ。何べん言えばわかるんだ、この女郎ッ」
「す、すみませんッ、お侍さま」
大慌てで飛んできたのは店主。
「あ、あの娘は新入りでして…不始末はお詫びいたします、なんとかお怒りをお鎮めいただきまして…」
「新入りとかそういう問題じゃねえ。全くやる気が無えんだよあの女。あんな態度じゃ俺じゃなくても誰だって怒るぜ」
店主はひたすら頭を下げながら盃を酒で満たす。
「ごもっとも…ささ機嫌をお直し下さいませ。しかしあの娘、大した上玉でしょう。実は武家の箱入り娘だったんですよ」
卑しい笑いが顔いっぱいに。
「えへへ、武家の娘なんて滅多に抱けねえですぜ旦那。だが何しろ気が強え。武家の誇りとやらが抜けねえ様子で。ま、そこがまたいいと仰るお客様も…」
「あ? 武家の出?」
雅成は渋い目つきで娘と店主の顔を交互に見た。
「まだ若いな…しかし何故、武家の箱入り娘がこんなトコで下衆な客の相手をする羽目に」
店主は眉を吊り上げた。
「こんなトコ、とは失礼ですよ旦那。これでも片上じゃ一番の遊郭。街道でも知れ渡った…」
「あ、すまんすまん。なんたって道中記に載ってるくらいだからな…しかし武家の娘が身体を売るだなんて、大変な世の中になったもんだ」
世の中も自分も、錆びてゆく。腐ってゆく。
暗鬱な気分を振り払うために、雅成はまた人を斬る。
そして、そんな暗殺稼業の後ろ暗さを振り払うために、また酒と女に浸る。
「今夜も此処か…割高だがしょうがねえ、他はシケてっからな」
手にした大金もあっという間に消えてゆく。
「おい、酒が切れたぞ」
思わず徳利を投げる仕草。
「早く持って来い、って言ってるだろ…あ」
驚いた顔の雅成。
視線の先には、例の武家娘が立っていた。
「あっ」
「ん? 何だい、お侍さん。女郎がそんなに珍しいのか」
娘は、頬の痣と流れる涙を隠すように通り過ぎてゆこうとした。
「待て。ちょ、ちょっと」
「何するのっ」
掴もうとした袖を振り切られた拍子に徳利が落ちた。ガシャンと音が響く。
すぐさま店主が飛んできた。
「まあまあお侍さま。連日のご来訪は有り難いのですが、無茶はお辞めいただきませんと…」
「そんなつもりじゃない。あの娘が泣いていたから…」
ため息混じりに笑う店主。
「女郎が泣くのを気にしてたら商売になりません。第一、お侍さまもこうやって女を買いに来てるじゃありませんか」
「そ、そりゃそうだが…」
「ははあん」
店主はニヤリと笑って耳打ちした。
「あの娘が気になるんですね…お佐知と言いましてな、西の足守藩の武家さんの…」
「足守藩? あの足守藩かっ」
「何を仰る、他に足守なんて御座いません、ええ。あの足守藩」
さらに顔を近づけ囁く店主。
「しかも…ここだけの話ですがね、ありゃただの武家娘じゃあない。御用人・雲丘幸利の一人娘なんだ、これが。ウヒヒヒ」
雅成はゴクリと唾を飲み込んだ。
「雲丘…」
にわかに酔いが醒めてゆく。
「足守藩の雲丘…」
「ん、お侍さん。どうなさった? 雲丘って御仁をご存知で?」
「いや…」
虚ろな目のまま首を振る。
「し、知らん。そんな男」
知らないわけがない。
法外な報酬、相手はモノノケ。
氏平殺しの仕事を忘れる訳がない。
「雲丘…たしか氏平の悪事を止めようとして監禁された御用人だったはず。その部下が俺に依頼したのがあの仕事」
思わず首を捻る。
「俺たちが氏平を殺ったことによって雲丘って男は報われたはずだが…?」
呟く雅成をいぶかる店主。
「ん、何か問題でも?」
「あ、いや何でもない。それより店主、あの娘…お佐知と言ったか」
「ええ。佐知ですが…あいにく今夜はもう先約が」
「違う、買うんじゃねえよ。ちょっと話がしたいんだ、呼んでくれないか」
店主は半ば呆れ顔。
「冗談を…廓にゃ、ね。ちょっとお話、だなんてお品書は御座いませんぜ、買うなら買うできちんとお代を…」
「ちッ、ケチな野郎だ…」
苦い顔の雅成を見下すように店主。
「ケチ? とんでもねえですぜ、この不景気だ。あっしらも戴くものは戴かねえと皆様に喜んでもらうこともままならず…これが正しき商いの道」
「屁理屈こねやがって…ほら、これでどうだ」
ジャラリ、投げ出された小判。店主の目の色が変わった。
「お侍さん、世の中をよくご存知で…おおい、番頭。佐知を呼びなさい、ご指名だ。さあ、すぐに…」
駆けつけた番頭は困り顔。
「いや、そう言われましてもすでに二件ほど先約が…」
睨む店主。こんな形相はおそらく決して客に見せはしないだろう。
「俺が言ってるんだ、言う通りにせい。これが見えんのか、小判だぞ…酌と手慰みで三分ぽっちの客なんか後回しだッ」
番頭は泣き出しそうになっている。
「で、でも…昔っからの常連さんで、予約もかなり前から」
「気が利かねえバカめッ。急病でも月のものでも、理由は何でもいいんだよ。菓子折りもたせて体よく帰せっての」
「は、はあ…」
◆ ◆ ◆ ◆
真紅の壁、黄金色の梁。布団には綺羅びやかな刺繍。
「上客用の部屋だとは訊いたが…」
なんとなく黴臭い。床もところどころ軋む。
「ん?」
天井を時々ガサゴソ走る音…鼠だろうか。
「所詮は田舎の女郎屋か」
手酌で娘を待つ雅成。
「酒は『竹林』か…こいつだけは上物だな。しかし足守藩はどうなってやがるんだ…」
なかなか酔えそうにない。
やがてガタつく扉が開いた。
「ご指名、っていうから」
不貞腐れたような顔の佐知が入って来た。
「ええと…」
目を合わせるわけでもなく、淡々と。
「あんたの好みに合わせるけど、乱暴なのはお断りだよ。ああ、そこの張り紙読んでおくれよ、幾つか御法度が書いてある」
おそらく通り文句だろう。
そしてぶっきらぼうに付け加えた。
「なるべく手短にね。ちょっと疲れ気味なんだ」
恥じらう素振りもなく着物を脱ぎ、薄桃色の腰巻姿で床に入った佐知。
雅成は座ったままで声を掛けた。
「なあ、お佐知さん。俺は…ああ、話が訊きたいんだよ」
「話…?」
拍子抜けしたような顔の佐知だったが、すぐに薄笑いを浮かべて鼻を鳴らした。
「ふうん…そういう趣味ね。前にもいたよ、話で興奮するって御仁が…世の中いろいろだねえ」
床を出た佐知は雅成の隣に。酒瓶を掴んで手酌で飲みだした。
「あんた…気難しそうな顔して案外変わった趣味してるじゃない」
「……」
少し間を置いて、雅成は佐知の手をグッと握った。
「本当か、あんた足守の御用人・雲丘の…」
「ちッ」
険しい顔で佐知が手を払った。
「女郎の生い立ち訊き出そうなんて野暮な真似すんじゃないよ、ったく不粋な…」
「あ、す、すまん」
たじろいだ雅成に背を向け、佐知は酒をあおった。
「売られた女の昔話、ね…」
ふう、とため息ひとつ。
「いつかあたしも、それを笑いのネタに出来る日が来るんだろうけどね」
すこし声が震えていた。
「まだ気分じゃないんだよ、今は」
空気は重く。時間は止まったかのよう。
行灯の火が橙に揺れ、その影が大きくなったり小さくなったりするのを無意味に眺める雅成。
「知ってるのかい、足守を」
背中越しに尋ねる佐知の声は、やや気抜けしたようだった。
「さっき、言いかけただろ。雲丘って…あたしの父さんを知ってるんだ。どこで聞いたか知らないが、世の中にゃお喋りが多すぎる」
「いや、興味本位じゃないんだ。何というか、その…」
「ふん…」
軽蔑するような目で佐知が振り返った。
「雲丘の娘、あの雲丘の…なんて言いながら鼻息荒げるニヤけた馬鹿男をいっぱい見てきたからね。あんたもどうせ…」
「違うぜ」
紫煙をくゆらせる雅成。
「おれは以前、雲丘さんから仕事を請け負った。正確に言えば雲丘さんの部下からだが…藩政の改革に繋がる仕事を」
相槌を打たない佐知。だが雅成は続けた。
「氏平っていう男…悪政の根っこだったらしいな。ヤツが死んで藩も雲丘さんも良い方に向かったとばかり思ってたが…」
「あんた…」
佐知はゆっくりと振り返った。
「一体誰なんだい、何者なんだい? そこまで知ってるなら、父さんがどうなったか、一家がどうなったか知ってるはずだろ」
「いや、知らんのだ。本当に知らんのだ。俺は足守に滞在したのはほんの短い間だけ」
「そうかい…」
残りの酒を飲み干しながら佐知は呟いた。
「氏平は表向き病死だが、本当は誰かに殺されたんだ」
ドクン、と高鳴る鼓動。
「へえ…」
それを隠すように紫煙を拭き上げた雅成。
「氏平が誰かに殺された、と」
「ああ。病気で死んだだって? 脳天に風穴がポッカリ開く病気なんてあるもんか。だいいち陣屋にいた警護何十人が血の海に沈んだんだ。殺しでなくって何だって言うんだい?」
佐知の頬が上気しているのは酒のせいか、怒りのせいか。
「ありゃ暗殺人の仕業だよ」
「……」
言葉を失った雅成。
天井を見上げて佐知は続けた。
「その暗殺人を父さんが雇ったってことになってる…もちろん大嘘。そんな根性も金もあるわけがない、あの父さんに…」
「生真面目な男だ、と訊いていたが」
「そう、真面目だけが取り柄だったさ。けど、暗殺人との密会を見たという証人や念書、有りもしない大金がウチの庭から出てきて」
「ハメられた、ということか」
「そう。氏平と共謀して藩のカネをくすね、挙げ句に仲違いして氏平を消したって話にでっち上げられたのさ」
雅成は俯いてため息を吐き出した。
「バカな…」
頷く佐知。
「そうさ、みんなバカさ。結局父さんは死罪…切腹も許されず引き回しの上、斬首さ。七日も晒された首はすっかり野犬だのカラスの餌になったよ…」
「気の毒なこった」
灰吹きの縁で火を落とす雅成に向かって佐知は舌打ちした。
「チッ。同情かい、そうやって慰めるフリをして近寄る男が多いんだよ。だが実際誰も助けちゃくれない、結局あたしら無一文で投げ出されたのさ」
無言のままの雅成をじっと見る。
「いっそ首でもくくって…ああ、実際母さんはそうしたんだ。咎人の妻なんて真っ当な弔いも許されなかったけどね」
強まる語気。
「ドサクサ紛れに借金の帳簿までデッチ上げられ、返済の為にあたしは売られて此処にいる。たった一人の弟は夜逃げして、今じゃ川野屋の博徒見習いだ」
「…俺だよ」
雅成は目を閉じたまま、ハッキリとした口調で告げた。
「俺のせいだ」
「はあ? 酒が回って世迷い言かい、同情し過ぎて気が狂れたかい? あんたにゃ関係ない話さ」
佐知は苛立ったように声を荒げながら雅成の手をとって床へ連れてゆこうとした。
「さあ、時間がきちゃうよ。お喋りも大概にしてさっさと済ませようじゃないの…」
「俺が殺ったんだ」
今度は雅成の方が手を振り切った。
「俺は暗殺人…氏平を始末したのがこの俺。雲丘さんの部下と名乗る黒頭巾の男に頼まれたんだ、百五十両でな」
「バカな、あんたみたいな腰抜け侍が暗殺人だなんて」
「近水園、氏平の隠し部屋、短筒…そうだ藩主は確か幽閉されて…」
雅成は、当事者しか知り得ない現場の事実の数々を正確に語った。
何故告白したのか、雅成自身も解らなかった。
単に真実を告げたかっただけなのか。
暗殺人としての後ろめたさがそうさせたのか、あるいは誰かに罪を罰して欲しいと心の奥で願っていたのか。
「俺が仕事を受けなければ…俺が殺ったと名乗り出ていれば…」
佐知を正面から見据えた。
「父さんが濡れ衣で死ぬことは無かったんだ。お前さんだって、こんな処で春を鬻ぐ必要なんて無かったんだ」
「へえ、あんたが…」
平静を装っていた佐知の中で、怒りや悲しみ、憎しみがごちゃ混ぜになって破裂した。
「ひとごろしッ。最低だよ、このケダモノっ」
振り乱す髪の毛の奥で潤んだ瞳が睨む。
立ち上がった佐知に襟首をむんずと捕まれながらも、雅成は視線を外さない。
「そうだ。俺はカネで人を殺すのが商売なんだ」
「あんたが死ねばいいッ」
か細い佐知の手が、雅成の頬を打った。
「あんたは氏平だけじゃない、父さんも母さんも、そしてあたしも殺したんだッ」
何度も、何度も。
「お前が殺した者にも家族が、大切な人がいたことを考えたことはあるかッ? あんたの酒と女遊びのために、こうやって生き地獄を味わってる者がいるってことをッ」
「……」
雅成はただ黙していた。
「あんたが死ねよ、あんたが…」
やがて、憔悴しきった佐知はその場にうずくまった。
「はは、ははは…」
力なく笑うしかない。
「そうさ。今、あんたを殴ったところで誰も帰ってきやしない、何も戻らない。手が痛むだけだ…」
嗚咽だけがこだまする女郎部屋。
華やかさを装った安物の飾りつけの数々が、虚しさを増しているように思えた。
「これが運命だというのなら、あたしはそれを憎む…」
つづく




