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雅~ジ・アサシン~  作者: 蝦夷漫筆
ルーツ
22/33

幻怪への道

 剣士・雅也まさなりは十八歳。乱心した師に勝負を挑んだが敗れ去り、川の濁流に飲み込まれた。

 瀕死の彼を救ったのは幻之介げんのすけという白髪の男。


 「わしは異界の者…滅びた幻界から現世にやってきた幻怪の生き残りだ」


 戸惑う雅也だったが、幻之介の光る手から発せられる波動を目の当たりにし、その驚異的な力に魅せられた。


 「この波動を操ることが出来るのは幻怪種族の血を引く者のみ。そして雅也、お前もその一人」

 「俺もその技が出来るようになるのか?」

 「修行次第、だ。言っておくが俺の修行は厳しいぞ。命を落とすやも知れぬが…」


 その言葉に間違いは無かった。



 「もう根を上げるのか、若造」

 「ひ、ひいいッ」

 雅也には多少だが自信はあった。瑞泉寺の屈強な僧侶たちに鍛えられ、余程の猛者でも相手ならない強さを自負していた。

 「こ、これくらい…えっ、まさかッ」

 だが、幻之介の修行は常軌を逸していた。

 「お、折れるッ。ウデがああっ」

 竹刀を手に斬りこんだ雅也は、気付くと武器を叩き落とされて腕を捩じ上げられていた。

 ギリギリと骨が軋む。

 

 ボキッ。


 「んがっ」


 鈍い音とともに、雅也の腕はあらぬ方向にひん曲がった。

 「ぎゃあああッ」

 「弱い。なんと弱いことよ」

 幻之介はすぐに掌をかざして波動の光で折れた雅也の腕を治してしまった。


 「さあ、休憩など無いぞ」


 即座に組手続行。

 「ぐあっ」

 今度は足元を掬われた。捻った足首は変形し、折れた骨が飛び出した。

 「ひいいッ」

 「お前が鈍いからこうなる」

 舌打ちしながら幻之介。足先を引っ張って元の位置に戻しつつ、再び波動の光が全てを治癒せしめた。


 「さあ、まだまだ」


挿絵(By みてみん)


「ダメだっ。痛みと恐怖に支配されて動きがなっとらん」

 幻之介の怒号が響く。

 雅也は泣きそうな顔で言い返した。

 「だって、痛いもんは痛いんだ。怖いんだ」

 ふっ、と手を下ろした幻之介。


 「じゃあ訊くが、痛み、とは何だ?」

 「えっ…痛みは、えっと…痛いから、その」

 「痛みは、信号だ。径脈を通じて損傷を脳髄に伝えるただの信号に過ぎん。そんなものに心まで支配されるでない」

 「だ、だって…痛いのは誰だって怖いよ…」

 「怖い? 恐怖とて同じ。単なる注意の喚起を五感が伝えているだけのこと。惑わされるな」

 雅也はため息を吐いた。

 「そうは言うけど、実際…」

 首を振る幻之介。

 「実際? 実際には何もない。痛みも恐怖も現実に存在する物体ではない。お前の、その弱い心から生じた錯覚でしかない。痛みと恐怖は共鳴してお前の身体能力のみならず思考力まで奪ってしまう」

 「んなこと、口で言うのは簡単だけどさ…」

 「じゃあ、身体で覚えろッ」

 「ぎゃああっ」

 果てしなく続く組手の稽古。


 

 ◆ ◆ ◆ ◆



 「ちょ、ちょっと。全然見えないんですけど」

 厳重に目隠しされた雅也。

 「ほんとに、真っ暗…」

 五間ほど離れて幻之介が立つ。

 「心を磨け。心眼を開け」

 握った短刀を振り上げ、雅也目がけてヒュウっと投じた。

 「さあ、避けろ」


 避けられるはずがない。


 「痛えええッ」

 短刀は見事に脇腹に突き刺さった。

 「ぐえっ、ぐへっ」

 どす黒い血を噴き出しながら倒れた雅也に幻之介は憤慨しながら近寄る。

 「また言った。また『痛い』と言ったなガキめ」

 短刀をサッと抜き、掌をかざした。眩い波動の光が一瞬で傷を癒す。

 「今度言ったら舌を切るぞ」

 ぐったりする雅也を無理やり立たせ、再び距離をはかる。

 「さあ、もう一回」


 慌てて叫ぶ雅也。

 「ま、待ってよ。見えないんだから避けられるわけないじゃん」

 幻之介が表情を曇らせた。

 「バカが…それが固定観念と呼ばれる雑念の最たるものだ。お前の心がそれで濁っている」

 「はあ? またヘリクツを…」

 ブツブツと呟く雅也に構うことなく幻之介はまくし立てる。

 「見る、とは光つまり可視光線の波動を網膜器官が感知する行為。同様に音は空気の波動を鼓膜が感知する行為。お前はそれだけが波動の感知方法だと決め付けておる。人間、まして幻怪の血を引く者なら、他にたくさんの方法で波動を検知できるんだ。お前の雑念がそれを妨げているだけだッ」


 半ば聞いていない雅也。

 「無理だっつの」

 再び投げられた短刀。

 「無理じゃない。覚醒せよ、幻怪として」

 ギラリと光った刃が空気を切り裂いて飛ぶ。

 「ぎぇええっ」

 今度は雅也の太腿を切り裂いた。

 「波動は感知するだけではない。自ら波動を発していれば、その乱れや反射で周囲の状況を察することが可能になる」


 

 ◆ ◆ ◆ ◆



 大きな桶、なみなみと水が注がれてある。

 首を捻る雅也。

 「ど、どうするんだよこれ。一体…」

 「うふふ」

 微笑んだまま幻之介は雅也の頭を押さえつけて桶の水に沈めた。

 「ぐぶ、ぶぐぐ…」

 ジタバタするが、白髪の老人とは思えないほどの力で押さえつけられビクともしない。

 「ぐ、ぐ…」

 「苦しくないぞ…苦しいと思うから呼吸が恋しくなり、ますます苦しむ。全身の波動を穏やかにして代謝を抑制すれば…ん?」

 急にぐったりした雅也を自ら引き上げると、意識を失っていた。

 「ひとの話はちゃんと最後まで聞くもんだぞ、若造め」

 全身に波動を送り込み、瞬時に蘇生。

 「ぷ、ぷはあッ」

 ゼエゼエしながら水を吐き出す雅也。

 「死んじまうじゃねえかッ」

 「だいじょうぶ。死んだら生き返してやるから心配するな」



 ◆ ◆ ◆ ◆



 うららかな陽光の下。

 

 「気持ちを穏やかに…さあ、力を抜いて」

 幻之介は雅の両手をギュッと握り締めた。


 「あの…き、気持ち悪いんですけど…」


 「勘違いすな」


 幻之介の身体がパッと光った。

 「さあ、いくぞ」

 光は握った手を通じて雅也の全身に広がった。

 「これ、これがっ」

 「そう、それが波動。そして…」

 まるで吸い込まれるように、光は幻之介の身体に戻っていった。

 「す、すげえ…」

 「波動を操る、とはこういうこと」


 独特の感触に、未だ手が震えている。

 「これか、これが…」


 「さあ、一人でやってみろ」

 幻之介の言葉に頷いた雅也。両手を真上にかざした。

 「ふんっ…」

 身体のあちこちが小刻みに振動をはじめ、うっすら黒ずんだ煙のようなものが滲んできた。

 「ぬううっ」

 やがて、ポンと音を立てながら真っ黒に渦を巻いた粒子と紫の電光が弾き出された。

 

 「これか、これが波動か」

 「いや、その波動は正しくない。雑念に濁り乱れ、むしろ邪気と云っていい」

 次に幻之介が同じように両手を掲げ上げた。

 「波動を練成せねば」

 あっというまに大きな光の球が生み出され、掛け声と共に眩く輝いて弾け散った。

 「す、すごい…」

 周辺の岩や樹木が塵のようになって崩れ落ちた。



 挿絵(By みてみん)


 「波動、ねえ…」

 猛烈な日々の修行を経て、数ヶ月のちに雅也は目隠しされても攻撃を避けることが出来るようになってきた。

 「少しずつ、は」

 組手でもやられっ放しからは脱出しつつあり、手にした竹刀に波動と呼ばれる未知の力を送り込むことも多少は可能になっていた。

 「だがそんな力ではまだまだ、妖怪たちは倒せんぞ」

 幻之介がその竹刀を手にすると、瞬時に眩いばかりの光を放ち、重力波に周囲が歪んで見えるほどになった。


 「なあ、師匠」

 雅也は尋ねた。

 「俺を鍛えて強くするより、あんたが直接出て行けば妖怪なんか簡単にやっつけられるんじゃねえのか?」

 「まあな」

 幻之介は軽く頷き、フウとため息を漏らした。

 「その場はしのげるだろうな、だがわしはもう歳だ。本気で戦えばやがて波動が枯渇する…現世ここは幻界より老いが速い…」

 珍しく弱気な表情を見せた。

 驚きつつも雅也は尋ねた。

 「じゃあ、他にはいねえのか。あんたみたいな幻怪の生き残りってヤツは」

 項垂れる幻之介。

 「おらん…みな殺られた」

 しばし無言ののち、雅也をじっと見た。

 「だが、お前のような者…幻怪の血を受け継いだものが現世にまだ何人かいるはず。それを探し出して仲間に加えねば」

 「ま、そのうち見つかるんじゃねえの。のんびりと…」

 「そうはいかん。妖怪たちは現世を侵略しようとしている」

 「そんな、それこそお伽噺や芝居みてえじゃねえか」

 「四年前の飢饉や奥州の大地震、六年前には庄内沖の地震と津波。九年前には宇治の大洪水に文政大地震、その一年前には明暦の大火とシーボルト台風…この十年間に四十万の命が奪われておる」

 首を傾げる雅也。

 「ん、そりゃ天災ってやつだ」

 厳しい顔で幻之介。

 「いいや、すべては妖怪が裏で糸を引いている。いいか、現世の者は知らんだろうが…地下水脈の河童の国では妖怪たちとの大戦おおいくさがあり、危うく現世も吹っ飛ぶところだったのだ…」

 語る眼差しは、嘘を言うそれではなかった。


 挿絵(By みてみん)


 天を見上げた雅也。

 「そうか…だが人間てのはどうしようもなくワガママで呆れるくらいに欲深い。罰が当たっても当然なのかもな…」

 同じく幻之介も天を見上げた。

 「一理ある。だが現世は唯一『希望』の生きる世界だ、それだけは死守せねばならん…」


 つづく

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