光と闇、過去と今
瑞泉寺の火事に続いて赤虎塾襲撃の現場に赴き、その惨状を目の当たりにした雅也。
父親代わりの塾長・田島勝雅は乱心し、まるで妖に憑かれたように塾生たちを殺害、さらに女子供まで手に掛けていた。
亡骸を貪り喰らう田島に戦慄しながらも雅也は立ち向かった。
だが圧倒的なオーラの前に一矢も報いることなく剣を折られ断崖絶壁から転落、小田川の濁流に飲み込まれてしまった。
■ ■ ■ ■
「光…?」
大きな光が雅也を包んでいる。
「誰だ。誰だ、あんたは…」
微かに見える背中を追いかけるが、足元がおぼつかない。
(俺? これはオレなのか?)
自身の手を、足を見て混乱した。
(幼子じゃねえか、俺…)
言葉も声に出せない。歩くこともままならぬ幼児の自分。
「あぶ、あぶぶ…」
背後からけたたましい咆哮が聞こえてきた。
猛り狂った犬を引き連れ、何者かが迫ってくる。身の危険を察知したのは本能がそうさせたのか。
(殺られる)
にわかに大きな光に包まれた。太く穏やかな声が聞こえる。
「この光がお前を守ってくれる」
もうひとつ、甲高い女の声。
「早く、早くっ」
その声に、どうしようもない懐かしさを感じた。
(誰だ、いったい誰なんだ…?)
雨が降ってきた。
混乱のまま雅也は抱き上げられ、光る布に包まれてカゴの中に放り込まれた。
周囲の音がバタバタと激しくなる。あちこちから聴こえる怒号の真っ只中。
(何処なんだ、ここは?)
雅也を入れたカゴの揺れはどんどん激しくなる。
隙間から風が入り込んでくる。
(何処を走っているんだ?)
背後で男の悲鳴が轟いた。
「ぎゃあああッ」
さっきの声の主に違いない。
(殺られた…?)
一瞬止まりかけたカゴだったが、再び走り出した。
「うっ、ううっ」
カゴを抱えた女は泣いていた。
雅也にその姿が見えたわけではないが、直感がそう知らせていた。
大勢が迫ってくる。ただならぬ殺気。
(逃げろ、逃げろ…)
やがて轟々と流れる水の音を前に、カゴは動きを止めた。
嗚咽しながら女が語りかけてきた。絞り出すような声。
「ごめんね、あなたを愛して…」
言葉は唐突に、金切り声によって途切れた。
「きゃうああああッ」
ほどなく、雅也を包む布は真っ赤に染まっていった。生ぬるい紅い液体がまとわりつく。
(もしや、あなたは俺の…)
フワッ。身体が浮いた。カゴごと空中に投げ出された。
(落ちるッ)
全身に衝撃が走った。バシャン、という激しい音に続いてカゴの隙間から泥水がどんどん入ってくる。
(なんだ、何だッ)
動けない。なにしろ今の雅也は言葉さえままならぬ幼子。
轟々たる流水の音に呑まれながら、怒号は遠のいていった。
(お、溺れるッ)
濁流に揉まれ、カゴはバラバラに。光る布だけをまとった雅也が猛スピードで川を下ってゆく。
「ま、眩しい…」
雅也を包む光はどんどん強くなっていった。
■ ■ ■ ■
「光…?」
大きな光が雅也を包んでいた。
「お、俺って…」
慌てて手を、足を見た。
「ふう、夢だったか…」
間違いない、十八歳の雅也だ。
「しかし、何だこの光?」
身体を起こしかけたが、全身を激しい痛みが貫いた。
「ぐあっ…そうだ思い出した。オヤジ、いや田島の野郎が」
「目覚めたか、若者よ」
強い光の向こうから声がした。
「すぐ治る」
確かに、全身の傷が光に照らされてみるみる治癒してゆく。
「な、なんだこりゃ。だ、誰だあんた一体」
戸惑う雅也。
少しずつ光に馴れ、目の前に白髪の男が座していることに気付いた。光はその男の手から発せられていた。
古びた小屋の中。
雨上がりの昼。
「何処だッ、ここは。誰だ、あんた。そして何なんだこの光。いったい俺は…」
声を張り上げる雅也。
白髪の男はため息をついた。
「そう一気にあれもこれも、と尋ねられたら答えようがあるまい」
そして穏やかに微笑んだ。
「私は、幻之介と名乗っている」
「名前なんかどうだっていい」
心地よい光に包まれたまま、雅也は問い続けた。
「何者なんだ、あんた」
「わしは…幻怪、だ」
雅也は舌打ちしながら不快そうな顔を見せる。
「そりゃお伽噺だ。俺をバカにしてんのかあんた…」
幻之介は言葉を遮った。
「いや真実だ。ついでに言うがお前も幻怪の血を引いている…まあ、いい。ともかくお前は田島に挑み、敗れ、川に落ちた。瀕死のお前をわしが助けた」
「た、田島…」
脳裏に悪夢をよみがえらせた雅也は立ち上がろうとしたが、折れた両脚がそれを阻んだ。
「痛っ…くそっ。田島を、あいつを殺ってやる」
「落ち着け」
茶をすすりながら幻之介は再びため息をついた。
「若造がいきがったところで、ヤツに勝てん」
「くッ、そんな事は無えっての。あんな野郎…」
「強がらんでいい。あいつは…田島はもはや人間じゃ無いのだからな。勝てなくて当然」
「はあ?」
「妖にとり憑かれ、妖の力を手に入れた田島に敵う者は、人間では存在するまい」
「妖、だあ? またお伽噺かよ…」
幻之介は雅也をジロリ、睨んだ。
「これを見てもそう言うか?」
大きく息を吸い込むと、手から放たれる光は一層強くなり目が開けていられないほどに。
「な、なんだッ。眩しい、こりゃどんな奇術だいったい…」
同時にあちこちの痛みが消え、身体が軽くなっていくのを感じた。
「あ、あっ、あああっ」
折れた脚は、元通りになっていた。
「これが幻怪の力。波動の力だ」
あっという間に治った傷をさすりながら目を丸める雅也。
「どんな力だ。なんなんだ、これは…」
そして幻之介の話に耳を傾けた。
「この世の者が知り得ぬ力、波動。これを自在に操る二つの種族が住む世界…それぞれ幻界、冥界と呼ばれておる。両者は世界の覇権を争い互いに滅ぼしあった。だが僅かな生き残りがこの世界に逃げ込んだ。わしもその一人…」
雅也をじっと見た。
「生き残った幻怪の一人と、人間の女の間に生まれたのがお前だ。だが両親は冥界の住人…世に言う妖怪たちに殺された。ヤツらが現世の支配を目論んで始めた『幻怪狩り』の犠牲になったんだ」
「バカな」
首を傾げる雅也。
「俺がそんなバケモノの子だっていうのかい」
「身に覚えがあるだろう、気持ちが昂ぶると身体から波動が噴き出した覚えはないか?」
「あ、あ…そう言えば」
怒り、緊張、高揚に伴って確かに黒い粒子が漂い、同時に五感が研ぎ澄まされ力が漲る経験がある。
「だがお前の波動はまだまだ未熟」
幻之介が雅也をじっと見る。
「このままでは邪気となってお前自身を滅ぼすだろう。修行を積んで波動を光に変えねばならん」
「光…あんたが手から出す、それか」
「そうでもあるが、そうではない」
「は?」
「波動はわしの身体が生み出したものではない。世界の全て…生き物にもそれ以外にも宿い漂っている物質の力そのもの。これを引き出せるのが幻怪、あるいは妖怪なのだ」
雅也は怪訝そうな顔。
「幻怪も、妖怪も一緒ってことか?」
「そうでもあるが、そうではない」
「またかい」
「波動は二種類、光と闇。両者は表裏一体、いとも簡単に位相を変え裏返る。正しく身につければ無敵の力になり、道を誤れば邪気に憑かれる」
「邪気に、憑かれる…」
幻之介は頷いた。
「そう。お前の師、田島がそれだ。ヤツは波動の極意に触れながら道を踏み違えた。おそらく強さを追い求めたがゆえに」
しばらく頭を垂れて考え込んでいた雅也だったが、ふと顔を上げ鼻を鳴らした。
「爺さん、楽しい話をありがとよ。どんな秘薬を使ったか知らねえが、足もすっかりよくしてもらった」
サッと立ち上がり背を向けた。
「だが、こんな山奥でお伽噺ごっこしてるヒマは無えんだ…俺にはやらなきゃならねえ事がある。あばよ」
二度ほど、おおきく伸びをしたのち、雅也は去っていった。
■ ■ ■ ■
翌朝。
「ん?」
幻之介のあばら家の前に、雅也が立っていた。
「なんだ若造。戻ってきたのか? 昨日の威勢はどうした」
「ひとつ訊きたい」
顔をぐっと近付けた雅也。
「お前さん、田島を知ってるような口ぶりだったが…」
「ああ」
幻之介は目を伏せながら頷いた。
「あれは、わしのかつての教え子だ」
「あんたの弟子…」
「ちょうどお前くらいの年頃だった…旅先で出会い才能を見出したわしは、ヤツを育てた。だが修行途中で消えた。ちょうど昨日のお前と同じように『俺にはやらなきゃならねえことが…』と言い残して」
雅也は跪いた。
「お願いだ、あんたの技を教えてくれ。波動の極意ってヤツを」
首を振る幻之介。
「いいや…どうせお前は復讐しか頭に無いんだろう。それこそが邪心…ヤツの二の舞になるのが目に見えている」
「違うっ、そんな気持ちは毛頭ないッ。あれを世に放置しておいたら犠牲者は増えるばかり、それを食い止めるのが弟子である俺の務めなんだ」
「ほう…」
頭を地になすりつけて懇願する雅也の姿を見て、幻之介は首を縦に振った。
「よかろう。怒りや恨み、悲しみや悔しさ、さらには欲望や虚栄心を捨てることが出来るならば…」
「誓って」
「わしの修行は、厳しいぞ? 場合によっては命を落とす、なんてことも…」
悪戯っぽい笑み、しかし雅也は険しい表情を変えなかった。
「臨むところです」
幻之介は雅也の肩をポンと叩いた。
「よし、信じよう。ところでお前さん、名前は…」
「雅也、と言います」
「そうか。マサ、か。じゃあ早速修行の開始だ、マサ。水を汲んできてもらおうか、山を降りたところに泉がある。瓶に三杯、さあ頼むぞ」
「はいっ」
つづく




