暗殺の五名、起つ
神無月、見下ろすような立待月。
夜風がひゅうと吹けば、赤く染まった楓がガサリガサリと不穏なハーモニーを奏でる近水園。
この中に建つ陣屋には、暗殺の標的・氏平善本がいる。
「決して侮るなよ…妖の用心棒たちの力は想像以上だ」
落ち葉舞う夜半の庭園。息を殺す五名の暗殺人。
暗殺剣の雅、島風の兆次、花蜘蛛の文治、蟷螂の翔、石割りの栄寛。
ひっそりとした月明りがつくる木陰の下。五つの影は広がりながらジリジリと陣屋に向かう。
「重い…空気が重い」
近づくにつれ、肩に圧し掛かる重苦しさが増す。
「これが妖気、か」
姿は見えど、そこかしこで渦を巻くような嫌な気配が蠢いているのがわかる。
「ふむ」
振り向いた文治が足元を指差す。
(こいつに引っ掛かるなよ)
地を這うように巡らされた縄。触ればたちまち鳴子が大きな音を立てるだろう。
(了解)
手真似で応える暗殺人たち。
にわかに、方々から薄気味悪い声が聞こえてきた。
「これは…?」
低い唸りと共に、耳障りな高周波を含んでいる。
「遠吠えのようだ…番犬か?」
雅の額に冷や汗が滲んだ。
「ただの番犬ならいいが」
唸り声はどんどん大きくなる。こちらに向かってくる。
「感づかれた」
身構える五人。
「連中、匂いに寄って来たのか。そう言えばお前昨日風呂に入ってねえだろ」
「お前こそ納豆食ったじゃねえか」
「あ、もしかしたら俺の香水?」
「…喋ってる場合じゃなさそうだぜ」
草むらから飛び出してきたのは巨大な犬の群れ。
「いや、ただの犬じゃねえッ」
五名を取り囲んだ二十匹の犬は双頭、しかも尾は大蛇。
「バケモノだ…」
涎まみれの牙を月光に光らせながら、妖犬たちは襲い掛かってきた。
巨体に似つかわしくない素早さ。
「ひいっ」
一方の首を避けてももう一方が噛み付いてくる。背後に回っても大蛇が毒を吐きかける。
「つ、強え」
逃げ惑う暗殺人たちの中から、スッと妖犬の群れに飛び込んだのは文治だった。
「こいつら…」
その身軽さを生かして牙をかいくぐり、素早く匕首を投じる。狙いは敵の目。
「ギャウッ」
怯んだところ距離を詰め、尾を柳葉刀で一刀両断。返す刀で胸に一撃。
「見覚えがある。俺が清国にいたとき南蛮人が飼って見世物にしてたのを。冥界の番犬・折登郎に間違いない」
猛り狂う妖犬たちは体毛を逆立て、さらに激しく攻撃を仕掛けてきた。
「マズい、この速さについていけねえ…」
防戦一方の暗殺人だち。文治が呟く。
「折登郎は動きが素早いことで有名なんだ」
舌打ちした翔。
「チッ、吞気に解説してんじゃねえよ…そうだ、その南蛮連中は一体どうやってこのバケモノを手懐けてたんだ? 憶えてねえか?」
目を丸く輝かせた文治。思い出したように叫んだ。
「あっ、火だッ。こいつら滅法火に弱い」
翔がため息をつく。
「火、かよ…はあ。この状況で、んなもん一体どこにあるってんだ」
「ふふふ…」
ニヤリと笑ったのは兆次。
「ここにある。忍に不可能は無えってことだ」
腰に下げた一升瓶を咥えて中身をたっぷりと口に含んだ。
「○×○××○×…」
「チッ、何言ってるか解らねえっての。なあ兆次、口にものが入ったまま喋るなって教わらなかったか?」
頭を掻きながら兆次は携帯火種を宙にかざし、口に含んだ液体を霧のように噴きかけた。
「おおおっ」
赤々とした炎が、まるで身体をくねらせる竜の如く放たれた。ピリリと熱気が肌を刺す。
「連中、文字どおり犬死にだ」
乾燥した晩秋の空気は炎を次々と草木に引火させ、紅葉でさえ追いつかないほどの鮮やかな赤色が撒き散らされた。
「グ…グオオッ、グオオン…」
怯えた目の妖犬たちは、やがて丸焦げになって沈黙した。
近水園は火に包まれた。
「さあ、祭りだ」
もう隠密行動などと悠長なことは言っていられない。陣屋からは賑やかな声が聞こえてくる。
「何事だっ。さあ、出合えッ。曲者は容赦なく始末せいっ」
顔を見合わせる暗殺人たち。
「こうなったら…」
一同、頷いた。
「強行突破だな」
雅を先頭に、五人が走る。目指すは陣屋。
「あの中に標的が…氏平がいる」
ふと目の前の茂みから幾つもの影が飛び出した。
「ぬっ」
フワリと宙に浮かび、広げた羽根が月光を覆い隠す。
「天狗かっ」
鋭い嘴、切れ長の赤い目。空中を漂っては剣をかざして急降下。
「クエエッ」
剣先が風を切る音が耳元をかすめる。
「強いッ。妖怪ってのはこんなにも…」
敏捷な動きを目で追い切るのも難しいほど。
「マズい、逃げきれない…」
立ちはだかったのは栄寛。
「じゃあ、逃げなきゃいい」
悠然と構え、どっしり腰を下ろした。
「さあ来いよ」
斬りかかってきた天狗たちを丸太のような腕で殴り飛ばした。
「ハエみてえな野郎だ」
打ち落とされた天狗は地面でバタバタ。その顔面をぐいと掴んで持ち上げた栄寛。
「軟い、軟いんだよお前ら」
その手の中で、まるで熟した蜜柑が潰れる様に汁を飛ばして天狗の頭部は砕け散った。
「やっと目が慣れてきたぜ」
文治がト字拐をクルクルと振り回す。
飛び回る天狗、追いつ追われつ文治も舞う。月明かりの影絵はまるで舞踊の如く。
終演の幕はさながら天狗が飛び散らせた血糊か。
「ひっ」
気付くと四方を囲まれていた文治。
「ぬ、ぬぬ…」
ジリジリとにじり寄る天狗たちの目が赤く光る。
「ん?」
暗闇から小さな光が飛び出してきた。月明かりを映してキラリ、キラリ。
「文治、油断するんじゃねえよ」
兆次が吹き矢の筒を手にニヤリ。
「お調子者め」
首筋に毒針を突き立てた天狗たちはあっという間に紫に変色しながら倒れ、泡を噴いて痙攣して息絶えた。
胸を撫で下ろす文治。
「油断じゃねえ。遊んでやってただけさ」
「ほう、じゃあその冷や汗は…?」
その時、けたたましい音が聞こえてきた。同時に足元に激しい振動。にわかに立ち込める霧。
「な、なんだ?」
兆次が指差したのは陣屋。周りには激しい水飛沫が噴き上がっている。
「見ろっ。スゲえッ」
屋敷を取り囲むように地面がえぐれ、その溝に大量の水が流れ込んでいる。
「こんな備えが施されていたのか…」
あっという間に濠が完成した。即席とはいえ、これによって陣屋は周囲から隔絶された浮島になった。
「どうする?」
暗殺人たちは顔を見合わせる。
「とっくに水遊びする季節は過ぎちまったが…」
迷わず濠へまっしぐら。斜面を駆け下りる。
「待て待てッ」
翔が引き止める。文治が苛立った表情で怒鳴った。
「なんだ、てめえ。濡れるのがそんなに嫌か、色男が」
「チッ、決め付けんじゃねえよ。もうすぐ冬だ、水遊びなんざ風邪引くぜ?」
苦笑いする翔が手に持っているのは鎖。もう一方の手で、濠の向こうの屋敷をスッと指差した。
文治は首を傾げながら叫ぶ。
「は? お前さんとうとうイカレちまったかい。鉄の鎖投げて届く距離じゃねえ」
確かに向こう岸までは一町(約百メートル)近くはある。
「投げる、なんて言ってねえよ。手が早いだけじゃなく気も早いんだよ文治は」
翔は幾つかの金具を鎖鎌に取り付けると、持参した金筒の溝に嵌め込んだ。
「なんだ、何だそりゃ」
「だから気が早いっての。慌てずに見てな」
筒の横にはダイヤル状のツマミがある。遠眼鏡で濠の向こうを見ながらカチカチと算盤を弾いて出た数字にツマミを合わせる。
「へえ、こんな装置はじめてだ。一体これをどうやって…」
「だから。見てなっての」
ぐいと腰を下ろして金筒を構えた翔。狙いを定めて端っこのレバーを引いた。
「えいやっ」
パアンと破裂音。火花が散り、黒色火薬の濛々とした煙が辺りを覆った。
「ふう。さあ、どうだ」
金筒から撃ち出された分銅は、長い鎖の尾を引きながら陣屋を取り囲む塀にガッチリと食い込んだ。
翔は鎖の一端を持ち、足元の岩にぐるぐると何度も巻いて結びつけた。
「これで向こう岸に渡れるぜ。濡れずに、な」
雅は鎖を握り、強く引っ張ったりぶら下がってみたり。
「ほう、強度は十分。これなら行ける」
暗殺人たちは、芋虫のように鎖を伝って濠の上を渡ってゆく。
まずは雅から。続いて栄寛。
「俺は重いけど…」
「大丈夫だ」
鎖はビクともしない。
さらに文治が続き、次の兆次が鎖に手を掛けた時だった。
「あ、あれは」
濠の水面にブクブクと泡が弾け、黒い影が飛び上がってきた。
「河童だっ」
鎖を渡る暗殺人を振り落とそうと鎖に取り付いて揺らす。
「ひいっ。落ちる、落ちるうッ」
「ちっ」
兆次が眉間に皺を寄せながら懐に手を入れた。
「湿気た野郎は好かん」
投じられた手裏剣が、鎖の上で踊る水棲妖怪の延髄をえぐり刺す。
「ク、クア…」
瞬時に手足の力を失い、河童は濠めがけてあえなく落下。
「翔、先に行け。今のうちに渡るんだ。まだまだやって来るぞ、河童が」
「しかし…あんたはいいのか?」
「俺のことなら心配無用だ」
確かに、河童たちの襲撃は収まる様子は無い。
兆次の手裏剣の援護を受けながら、雅、栄寛、文治と翔は無事に向こう岸へ。
「おおい、兆の字っ」
手を振る翔。
「待ってろ、すぐ行く」
頷いた兆次。だが濠にはまだ河童がウヨウヨいる。
「あんな連中に手裏剣なぞ、勿体ねえ」
ポーンと飛びあがった兆次の足には、湾曲した板が括りつけられていた。
「ほうらっ」
濠に下りた兆次。その板で水面に浮かびながら、まるで滑るように進む。
対岸で見ている仲間たちは目を丸めた。
「すげえッ。浮いてる、滑ってる…何なんだ、そりゃ」
水面を滑走しながら笑みを浮かべる兆次。
「水蜘蛛の術の応用さ。水上を、羽根の如く泳いで駆ける板。名付けて羽泳駆板」
襲い掛かる河童を一匹、また一匹。滑走しながら忍者刀で切り裂く。
「さ、もうすぐ岸だ」
ちょうど水面から飛び上がろうとしていた河童の頭を踏みつけるようにして大きく跳躍した兆次は、袖の先から鈎爪を出して石垣に取り付いた。
「お待たせっ」
揃った暗殺人五名。
目の前には足守陣屋。この中に標的・氏平がいる。
「考えてみたらバカだな。こうやって濠で囲んじまったら自分の逃げ道も無かろうに」
「逃げるつもりはサラサラねえ、そういうことじゃねえか?」
「よっぽど自信あるんだな、氏平って野郎」
「もっと恐ろしい妖怪が屋敷ん中を守ってるってわけか」
一同の顔に浮かんでいるのは恐怖でなく、むしろ嬉しそうな興奮。
「ふふふ…何が出るやら、早速入ってみようじゃねえか」
雅が扉に、手を掛けた。
つづく