暗殺人、石割りの栄寛
西国街道を西へ向かう四人の暗殺人。
雅、島風の兆次、花蜘蛛の文治、蟷螂の翔。
標的は、足守藩国家老。
「まだかよ、おい。こんな山道を歩く羽目になるとは…」
「しょうがねえだろ、あいつは町暮らしが性に合わんらしいのだ」
街道から外れて北へ。こんな小路を往くのは地元の「山の民」くらいだろう。
「ちょっと、もうこんなのは『道』とは言わねえぜ」
ぼうぼうの下草をかき分けつつ、木漏れ日も届かぬ森のさらに奥へ。
「あれだ。あの小屋」
いかにも有り合わせの丸太でこさえたように簡素。
「どこが入り口だか判りゃしねえ」
「ひとまず呼んでみようぜ」
「そうだな。おおい、おおおい」
しばしの静寂の後。
「…おおい。おおおい」
聞こえてきたのは山のこだま。
「あれ、今日はいないのか…?」
ガサッ、と後ろで音がした。
「お、お前…」
丸坊主の下、細い目の中でギラリと瞳が睨んでいる。
「何か用か?」
ぶっきらぼうな物言い。見上げるほどの大男。
しかし四人の興味はむしろその背にあった。
「あ、あんた…なんだそりゃ。何を背負って…?」
「見りゃわかるだろ」
丸坊主の大男は、自身の二倍はあろうかという巨大なイノシシを担いでいた。
「こりゃ晩飯だ」
顔を見合わせる四名の暗殺人。
「まさか、素手でイノシシを? すげえ…」
「さすがだな、栄寛」
男に近づいた翔はにっこり笑いかけた。
「仕事だ。受けるだろ?」
■ ■ ■ ■
―石割りの栄寛、二十五歳―
讃岐の極道・六車一家の三男坊、寛吉は幼い頃から暴れん坊。
五歳ですでに三つ以上年上の兄たちをケンカで泣かすほどだった。
寛吉が九つの夏。
「あれ、またさっき通った路だ…」
いつものように虫捕りに山に入った彼はすっかり道に迷ってしまった。
「ま、なんとかなるさ」
湧き水を飲み、リスやトカゲを口にしながら山で一晩を過ごした寛吉。
翌朝、帰ってみると我が家はは血の海。
「あ、あああ…」
かねてから抗争を繰り返していた敵対組織の仕業だった。
「あいつ、あいつも六車のガキだっ」
すぐに追っ手が迫ってきた。
「皆殺しにせいっ」
いくら腕っ節が強いとは言え、何十人もの極道者相手に敵うはずもない。
寛吉はひたすら逃げた。脚が動かなくなるまで走って逃げた。
「あ、あんたは…?」
行き倒れていた寛吉を拾い上げて世話したのは、矢筈山の中腹にひっそりと存在する密教の僧・栄玄。
「なんと業の深い子よ」
ヤンチャな寛吉には手を焼いたが、栄玄は根気強く教えを説いた。
「やれば出来るじゃないか」
寛吉は数々の苦行をこなし、師から一文字頂戴して「栄寛」と名を改めた。
「成長したな、栄寛。身体だけでなく魂も随分立派になった」
栄寛、十六の夏。
「いや、俺の魂なんぞ褒められたもんじゃねえ」
突如、栄寛は寺を出て行った。
「忘れちゃいねえ」
すでに六尺を肥える大男に育っていた彼は単身、親兄弟の仇討ちに出かけた。
「七年前の恨み、晴らしに来たぜ」
六車一家を標的にかけた極道一家に乗り込み、一人残らず殺害した。
「これが俺の仏道だ」
だが手配書があっという間にばら撒かれ、栄寛は密貿易船に乗って播磨国へと逃れた。
かつての師、栄玄が弟子の不貞を問われ破門された上、即身仏となったことを訊かされたのは二年後のことだった。
「悪いな、お師匠さんよ…だが、これは俺の天職なんだ」
栄寛は知る人ぞ知る暗殺人となっていた。
「俺の中に棲む獣が、獲物を求めてるんだ…」
■ ■ ■ ■
「元・坊さんには見えねえな…」
首を傾げる雅、翔が頷く。
「だろうな。だが、経くらいは唱えられるぜ…意味は解らんままに。とにかく仕事は出来るぜ、こいつの強さは並じゃねえ」
「ほう…」
雅は懐から小判の束を取り出してみせた。
「三十両。引き受けてくれるか?」
「はあ、ああ…」
不思議そうな顔で見る栄寛。
「三十両って…ええと。イノシシ何匹分になるんだ?」
「はあ?」
さらに深く首を傾げた雅。
「なんだお前さん。経は棒読み出来てもゼニ勘定は出来んのか、やれやれ…」
横から小判に手を伸ばす翔。
「ああ、こいつはカネにゃ執着が無え。なんたって坊さん上がりだからな、だから代わりに俺が小判を…」
「ダメだあっ」
栄寛が突然大声を上げた。野太い声に一同が肝を冷やす。
「な、何だよ…お、怒ったのか?」
「お、お、お…怒りそうだっ。だって、この小判…小判があれば墓を作ってやれる。おっ母さん、お父っつあん、兄弟そして師匠の墓をッ」
「あ、ああ。そうだ、そうだな」
雅と翔が冷やせを滲ませながら頷いた。
「そいつはいい心がけだ。この小判で墓を、ぜひ」
「で、誰を殺るんだ?」
栄寛はジロリと雅を睨む。
「仕事、だろ?」
「あ、ああ。そうだ。備中足守藩の国家老を殺る。手強いぞ、取り巻きに天狗だの河童だの、恐ろしい人外がウヨウヨと…」
「まあ、何でもいいや…相手は誰だろうが、要は殺りゃいいんだ」
背負ったイノシシの足をぐいと引きちぎり、そのまま口に運んでムシャムシャ貪り始めた。
「ああ、美味え」
「…誰でもいいんなら最初から訊くなよ」
呟く雅。
「てか、坊主のくせに肉食うのかよ」
呆気にとられる一同。
「しかもナマだぜ、あれ…」
役者は揃った。雅、兆次、文治、翔、栄寛。
五人は宵闇に紛れ、裏街道から足守藩へ。
「これが足守の陣屋だ」
山中に構えたアジトで雅が見取り図を開いて見せた。
「俺も一度しか入ったことは無えんだが…」
控え目な焚き火に透かされる詳細な間取り。
「南には堀があって警護は厳重だ。北は通りに面して役人がちょくちょく通るからこっちも厄介だな」
「裏手の近水園からだったら侵入できそうだ」
「そうだな…しかし季節柄、葉が落ちちまったら身を隠すのに都合が悪いな」
「ああ、やるなら早い方がいい。早速明日の夜にでも…」
「ようし、やるか。明晩」
手裏剣、撒き菱、苦無に匕首、さらに小型の弓矢など丁寧に並べて革製のホルダーに留めてゆく兆次。
文治は大陸製の武器を収めた長羽織をまとって暗がりで胡坐。ひたすら瞑想している。
長い鎖に丹念に油を差し、さらに大きな鎌の刃を対馬産の黒名倉砥で何度も砥いでは月明かりにかざし眺めているのは翔。
栄寛はイノシシの肉を頬張りながら、あちこちで大小の石を拾っては麻袋に詰め込んでいる。
雅はゆっくりと刀を抜き十六夜の月に向けた。
「待ってろ、氏平」
反射した光が雅の顔を照らし出す。
「時は、来た」
刀身全体からどす黒い煙が立ち上り、雅の顔を影が覆ってゆく。
「ああ。俺は暗殺人」
つづく