暗殺人、花蜘蛛の文治
「さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
鯔背の銀杏は鬢付け油もたっぷり、生え下がりを粋に伸ばした町奴を気取るその男。
街道沿いに広げた茣蓙、置かれた茶碗はところどころひび割れている。
中には一文銭が十数枚、一分銀が一枚。
「皆の衆、ご覧じろ」
男が持った竹筒は二尺ほど。「えいっ」と振ると釣竿よろしくスルスル伸びて十尺、二階建ての茶屋の屋根に届こうかという長さに。
「あらよっ」
それを地面に立てると草履を脱ぎ、あれよあれよという間に器用に上りきった。
「まだまだ」
さらに棒の先端に片脚で立ったかと思ったら、ひょいと飛んで反対の脚で立ち片手で逆立ちしてのける。
「どうだい。見たヤツは」
遂には両手を離し、棒の先に頭でバランスを取りながら手足を離して広げて見せた。
見上げる観衆はヤンヤの喝采。
「拍手ついでに、そこの茶碗にひとつお恵みを…」
チャリン、チャリンと銭を投げ入れる音が響いた。
「感謝、感謝でございます」
男は身体をバネのように撓らせ飛び上がるとクルクルっと回転しながら見事に着地。
「お楽しみいただけましたかな、あたくし文治の大道芸。これにて終いでござい」
ペコリと頭を下げた。
◆ ◆ ◆ ◆
―花蜘蛛の文治、年齢不詳―
貧しい農村に生まれ「間引き」の犠牲者になりかけていた赤子は通りがかった異人の一行に救われた。
―救われたという表現が正しいのかは判らないが、ともあれ赤子は異人に拾われた―
数えの五つには密貿易船に乗せられ各地を旅し、九つの歳にルソンの人買い業者によって清国に売り渡された。
「倭人にしちゃ見込みがある」
売られた先は曲芸一座。
座長・文はその子に「汪治」と名付けた。
逃げ出すことも出来ず、しごかれる毎日。
いつしか汪治は曲芸師としての才能を開花させ一座の人気者になっていた。
そして十五の冬。
一座は南方での公演に向かう船の上。青島を出て二日目の深夜だった。
「倭人のくせにいい気になりやがって」
汪治は同い年の曲芸師・劉敏によって手足を縛られていた。
「お前さえいなきゃ…」
座長の娘・麗妃が汪治と恋仲になっていると知り、嫉妬に狂っての行動だった。
「俺が一番人気なんだ」
足の錘を括りつけられた汪治は荒れる海に叩き落とされた。
「死んでたまるか…」
曲芸仕込みの縄抜けで生き永らえ、復讐を誓った。
その一年後、ルソンに住み着いた劉敏を探し出し悲願を遂げた。
だが、それは新たな悲劇の始まりだった。
劉敏を庇って飛び出した女も誤って刺してしまった汪治は目を疑った。
その女こそ、劉敏の妻となっていた麗妃だったと気付いたからだ。
「お、お前…」
もの云わぬ麗妃を抱え、なりふり構わず現地の医者を探して走り回った汪治。
だが、彼女が再び目を開けることはなかった。
その後、汪治は二人を殺害した下手人として逃亡生活を余儀なくされ海を渡った。
密航を重ねた末に辿り着いたのは長崎。
ここで汪治は「文治」と名を改め、大道芸人として暮らすようになった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ん?」
雅は怪訝そうに兆次を見る。
「なんだ、ただの曲芸師じゃねえか」
「いやいや」
ニヤリとする兆次。
「大道芸じゃ食えずにヤツは盗っ人稼業を始めた。ところが長崎で異人邸に押し入った時に見つかって大乱闘、あっという間に五人を殺ッちまった」
「五人、しかも異人」
「噂を聞いた筑前の元締めが身柄を引き取って弟子にしたのさ。その後独り立ち…三年前に出会った時、すでに一丁前の暗殺人になってたよ」
二人が近づくと、文治は茣蓙を丸めて商売道具を片付けながら茶碗を差し出した。
「投げ銭ならここ…あっ、兆の字じゃねえか。へえ、何しに来たんだい、もしや仕事…」
「ほら、な」
兆次は雅の顔を見ながら微笑んだ。
「ほうら、カネになる話なら何でも飛びつくんだ文治は」
文治は頷く。
「その通り。この世は全てカネ次第」
そして雅をうかがう素振り。
「ところで誰だ、この侍。こいつが依頼人か?」
「まあ、そんなとこだ」
雅は文治と目線を合わせた。
「標的は相当強えぞ。たかだか曲芸の名人に務まるか…」
文治はチッと舌を鳴らした。
「俺をナメちゃいけねえよ、侍さんよ」
そして羽織をサッと広げて見せた。
「こなした仕事、五十は下らねえ」
裏にはびっしりと九節鞭、双匕首に手槍、毒針や双節棍、飛爪に双鈎…まるで武器庫。
「相手が大勢だろうが負ける気はしねえ」
「ほう…」
雅はいきなり刀を抜いた。
まるで風まで真っ二つに切り裂かれるほどの素早さ。風圧が、しけ髪をふわりと揺らせる。
「なるほど」
目の前にいたはずの文治はすでに、近くにそびえ立つ松の枝にぶら下がっていた。
「ふっ、侍め。この俺を試しやがって」
文治は袂に忍ばせた縄を瞬時に投げ、木に絡ませて飛び移っていたのだ。
「いいかい、花蜘蛛の文治だぜ、俺は」
ニヤニヤ笑っている。
「合格だ」
雅は静かに刀を鞘に収めた。
■ ■ ■ ■
「何だって、人外が用心棒だって?」
文治は米粒を飛ばしながら叫んだ。
「声が大きいっての。あとな、口ん中に食い物があるうちは喋るんじゃねえ」
朽ちかけの卓、向かいに座した兆次が飛んできた米粒を拭いながら睨んだ。
隣の雅は、ママカリを乗せた稗飯を口に運び、熱い焙じ茶で流し込んだ。
「ああ、相手は人外だ。天狗そして河童、強さはハンパねえ。だからこそ俺たちは備前まで脚を伸ばしてやって来た。お前さんを探して、な」
「しかしな、さすがの俺も人外を標的に掛けるのは初めてだ」
「標的は人間だ。氏平善本っていう足守の国家老」
「国家老? そりゃまた大物だ。で、人外が守ってるわけか…確かにヤバい仕事だ。で、幾ら出す?」
真顔の文治。
「俺は自分を安売りはしねえ」
じっと文治を見る雅。
「幾らなら引き受ける?」
「悪いが…その辺のチンケな殺し屋じゃねえ。格が違うんだ俺は。狙った相手は誰だろうが必ず仕留める、それがこの文治」
「だから幾らだって訊いてるんだ」
「そうさなあ…」
文治は身を乗り出して大きな声を発した。
「最低でも五両だッ」
「えっ」
驚いた顔の雅を見た文治は、さらに身を乗り出す。
「いや十両ッ。これ以上はビタ一文まけねえぞッ」
「……」
眉をひそめる雅。
さらに詰め寄る文治と鼻先が触れそうだ。
「ナメんなよ俺を。それくらいは貰わねえと…」
雅はそっと懐に手を伸ばした。
「三十両。三十両だ今回の仕事は」
「ほう、ってことは一人につき十両…」
「それぞれに三十両、だ」
文治は目を丸めた。
「…さ、三十両。ひとり三十両」
コクリと頷いた。
「よ、よ…よっしゃあっ」
やがて文治は満面の笑顔で店番にママカリ飯のお代わりを注文した。
「俺にも運が回ってきたッ。あ、おばちゃん…いや姐さん、大盛りで頼むよっ」
はしゃぐ文治を横目に、雅は兆次に耳打ちした。
「なあ、訊くがこの辺じゃ殺しの相場はそうも安いのか?」
◆ ◆ ◆ ◆
文治の目の前に四つのどんぶりが重ねられた頃、ふと雅は呟いた。
「敵は多勢、しかも人外。俺たちだけじゃまだ不安だな」
頷く兆次。
「ああ。だからもう一人」
「凄腕か?」
「もちろんだ。以前、遠州で…」
「はあっ?」
文治は飲んでいた茶を噴き出しかけた。
「…兆次。まさか」
「ん?」
「あいつか?」
「悪いか?」
「…いや、その。確かに、腕は立つが…どうかな、あいつ気乗りしねえんじゃねえかと」
雅は立ちあがりながら、三人分の飯代をポンと卓に置いた。
「腕が立つならどんな野郎でも文句は無え。だが遠州にいるのかその男は」
「いいや。今は御着の宿にいるはずだ」
「ならそう遠くない。早速行こうじゃねえか、そいつの処へ」
颯爽と立ち上がった雅、続いて兆次。
「ああ。頼りになるぜ、ヤツは」
「ほ、ホントにあいつを…?」
しきりに眉をひそめる文治の手を引くようにして一行は西国街道、播磨国を目指した。
つづく